マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-086【亜音速の凌ぎ】

「『俗界断ちし蓮の池、水府に連なる蓮の糸、束ね辿ってハチスの根。降りて隔てよ、浄土の覆水、蓮荷の水帷ロータス・ベール!』」

 まるで地面から噴き出すように、何層にも渡る膜状の水が、勢いよく一行を包み込んでいく。その突然の状況変化に、傀儡かいらい部隊が機械的に反応、自動小銃が一斉に火を吹く、しかし、その無数に舞う銃弾は、甲高い破砕音を響かせながら、幾重にも重った水の結界の前に、次々と弾かれていった。

「……ったく、人使い荒くて叶わないわ。唇も舌も切れて痛いし……頭はジンジンするし……指も凍傷寸前だし……ブツブツブツブツ……」

「ハッ! 立役者がよく言うぜ!」

 愚痴愚痴と悪態をつくウルリカに対し、鼻で笑うアレクシア。そう、彼女の傷は、敵を欺くための自傷だった。妥協を許さない彼女らしく、その傷の程度を見たアクセルとルイーサが、途端に動転してしまい、二人を本作戦に同行させられなくなった程の徹底ぶり。

 その様相に、首脳陣がざわめく。銃が無力化されると見るや、傀儡部隊に接近戦の号令。傀儡兵は一斉に腰に携えた黒色の戦斧を握り、雪崩なだれのように畳み掛けてくる。しかし、アレクシアが臆することはない。むしろ、ニヤリ、とほくそ笑んでいた。

「ほう? 俺に肉弾戦たぁ良い度胸じゃねぇか。来な、特別稽古だ」

 そう呟きながら、悠々と大剣を肩に乗せる、じりじりと腰を低くし、前傾姿勢に構える。臨戦の熱情を瞳に灯すと、彼女を取り巻く空気が変わった。

「『我は幾万幾億の声を聞き届けよう。我は幾星霜の遥か永きを引き止めよう。この躯の果てまでも、さあ滾るがいい我が血潮、さあ焼け尽きるがいい我が脳裏。だが決して、我が六識の、弾指の間さえ逃れ得ぬものと知れ! 覚醒神経バロウズ・ダイアモルフィン!!』」

 稲妻が走る、波動を纏う、圧を生む。漲る魔力が迸り、他の一切を圧倒した。だが、感情を封じられた傀儡兵には単なる風圧に過ぎず、躊躇ちゅうちょなく突撃してくる。一人の兵士が、アレクシアの眼前まで迫り、頭上まで振り上げた戦斧を、振り下ろした――しかし、空を切る、手応えはない。その直後、傀儡兵は吊り糸が切れたかのように、力なく、前のめりに倒れる。その背後には、彼女が立っていた。

「次だ」

 まるで稽古をつける武術の師範が如く、アレクシアは迫り来る傀儡兵を次々となぎ倒していく。だが、誰一人として血を流してはいない。殴り倒す、蹴り倒す、刀背打つ。戦闘手段を打撃のみに終始し、気絶はさせども決して致命傷は負わせない。

 それを可能としたのが――彼女自身の力量も然り而して――自らに掛けた『覚醒神経バロウズ・ダイアモルフィン』。それは、神経系に干渉する魔術。そして、用法を間違えれば、極めて危険な効果を持つ。

「……何だって言うんだい、一騎当千じゃないか。あんなに強かったのかい? あの子は」

「あれはね、脳筋は脳筋でも、真っ当にやろうったら誰も敵いっこない戦闘の傑物よ。でも今回は随分慎重ね、わざわざリスク高い『覚醒神経バロウズ・ダイアモルフィン』なんか唱えちゃって。まあ相手が苦痛も恐怖もない、殉死もいとわず迫ってくるような連中なら、仕方ないか」

 『覚醒神経バロウズ・ダイアモルフィン』それは、肉体のあらゆる神経系を通常の何倍何十倍にも鋭敏にすることで、ほんの小さな物音、空気の僅かな揺れ、鼻を掠める臭い、そして相手の一挙手一投足までを超速演算し、予知能力に限りなく近い擬似的第六感を実現する。そう言えば聞こえは良いが……。

 アレクシアは周囲への被害を一手に担うため、ウルリカの展開する水の結界から抜け出る、

「チッ……!」

 同時に、傀儡部隊の自動小銃が再び、一斉に火を噴いた。大剣の腹で扇ぎ弾いて応じるも、一発、また一発と刃の軌道をすり抜け、彼女の身体を亜音速の銃弾が掠めていく。

 そう、感覚の鋭敏化とは、当然ながら痛覚や内臓感覚をも研ぎ澄ませる。その感度は、ほんの擦り傷ですら、さながら刃物で傷を抉られるような激痛となるほど。刑罰や拷問に用いられていた過去の例を見るに、それがどれほど堪え難い苦痛を生むのかが伺える。ゆえに現在では、安易な使用は忌避されている。

 だが、アレクシアが怯むことはなかった。眼前に雨霰あめあられとなって押し寄せる銃弾の、その全てを迎え撃たんとしていた。それは、ウルリカへの負担の肩代わりであり、戦士としての矜持であり、傀儡部隊という悲劇を受け止めるため。

 飛弾は次第に減っていき、そして最後の銃弾を薙ぎ弾く、甲高い音を木霊させ、二度三度と跳弾しながら火花を散らす。アレクシアの背後、鉄製の床や壁には夥しい数の弾痕と、そこから微かに立ち昇る焦げ臭い煙が鼻を突く。

 まさに鬼神と形容すべき女傑の様を垣間見たセプテム首脳陣、皆開いた口が塞がらない。目下、傀儡部隊が撃ち切った自動小銃とは、三十口径もの銃弾を亜音速で秒速三十発射出する高火力を持ち、個々人の練度に依らない汎用性をも併せ持った、謂わばセプテムにおける戦術兵器の革新にして最新鋭……のはずだった。それをアレクシアは、まるでイナゴの群れでも薙ぎ払うかのように、いとも容易く、かつ全くの生身で、全てを叩き伏せてしまったのだから、首脳陣の驚愕も無理はない。

 肩で息をする、叩きつけるように大剣を床に突き立てて、先ほど粉砕した机の残骸に片足を乗せる。その額、その腕、その胴、その足に滴る鮮血は、身体の至る所に刻まれた擦り傷から滲んでいた。その様は一見すると軽傷、だが未だ持続する『覚醒神経バロウズ・ダイアモルフィン』によって、およそ四肢切断にもほど近い激痛に苛まれている――はずだった。だが彼女は依然、凛として笑っているのだ。

「……ハッ、もう弾切れか? ならさっさとかかってこいよ。そのご立派な斧、まさか樵る為じゃあねえよな? 落としてみせろよ、俺の首をよ」

 アレクシアは首筋を指でなぞりながら挑発する。その仕草で頭に血が昇ったセプテム首脳陣は、捨て鉢に傀儡部隊を突撃させようと、一斉に立ち上がり、声を張り上げる、同時に彼女も構え直す、その時……

「ようやくお出ましか、ジジイ」

 突拍子のない言葉が響く、いくら眼前で火花が散ろうとも沈黙を保っていた、ネストルの声で。その視線の先は、一行の背後を示していた……

「もう、良い。気は済んだじゃろうて」

 不意に、一行の背後から声がした。

 途端、首脳陣はまるで、糸の切れた人形のように、力なく崩れていった。机にす者、椅子にもたれ掛かる者、地に倒れ臥す者、その誰も彼もが、忽然こつぜんと生気を失った。命令系統を失った傀儡部隊は、微動だにせず、その場に立ち尽くす。

「なっ、まさか連中は、人格投影による……人形……」

 ウルリカは目を見開き、洞察を呟きながら、聞き覚えのある声の方に振り返る。鉄扉の前に立つ者は、

「……教授」

 厚いローブを纏った大柄の翁は、メルラン=ペレディール最高顧問。


―――


「おい、ローエングリン卿。あの爺さん、行かせてよかったのか?」

 城内の昇降機前、ゴドフリー達が昇って暫くが経っていた。業を煮やすサムは、今しがた彼らを横切り、昇降機を昇っていった、顔も知らぬ翁を訝しむ。

「貴方、ゴドフリーから何も知らされていないのですね」

 イングリッドは懐中時計を片手に応える。まるで、時機を見計らっているかのように。

「……お姉ちゃん、そろそろなの?」

「ええ、メルラン教授の話では。既に目前まで迫ってきているそうよ」

 二人は何かを理解し、目的を持ってここに留まっていたようだ。その様子に、蚊帳の外となっていたサムは、苛立ちを隠せない。

「おい! あんた達は一体何を知ってやがる! 俺たちはここで何をすればいい!? いつ何を!? いい加減にしてくれ、これじゃあ無駄に時間を浪費するだけだ! 洗いざらい全部説明しろ!」

 サムが猛る。五人のマフィア構成員も同様の視線を投げかける。災厄が迫ってきている、それは共通認識だった。それに対する作戦も認識している。だが、何か足りないものがあると、彼らは煮え切らない引っかかりを覚えていた。

「……五月蝿い人ね。言われずとも、これから説明するつもりでしたわ。貴方方にも命懸けで働いてもらわなければなりませんし。何せもう、人類に猶予は残されていない、とのことですから」

 サム達に悪寒が走る。どういうことだ? 人類だと? 確かに、ゴドフリーからは人魔大戦が繰り返されるかもしれない、と聞かされていたが……一度人類はそれを乗り越えたんだろう?

「話せ、一切合切、包み隠さず。俺たちにできることがあるというなら、何だってしよう。この命、惜しくはない」

「……想像より、肝の据わった御仁で安心しましたわ。ゴドフリー・アナンデール、もといメルラン・ペレディールの命により、対魔都市防衛戦線を敷きます。方角は西、革命軍の王城包囲網を解き、私たち連盟部隊は城郭を臨界線として戦う。そう、連合軍が到着するまで、私たちだけで死守するのです」

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