マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-079【既知の未知との遭遇-壱】

 一頻りの会談を終えたウルリカたち――その時、奇妙な感覚が足元から脳天を貫いた。

 それは、例えようのない、不安と戦慄を誘う感覚。そこに居た誰もが――ウルリカは特別酷く――その奇妙で不気味な不快感に襲われた。

「うっ……!」

 ウルリカは胸を押さえて屈む。咄嗟にルイーサが肩を抱いて支えたが、足腰には力が入っていなかった。ルイーサが覗き込んだ彼女の顔は蒼白に変色し、紫色の唇は小刻みに震えていた。

「ウルリカ様! どうなさったのです!」

「くっ……何よ、これ……気持ち悪い……」

 口元を押さえ、嗚咽するウルリカ。視界は飛蚊症のように光が散らつき、人の声はくぐもって聞こえる。彼女は意識を失いかけていた。

「どうなっておるんじゃ……」

 メルランはそう呟くと、すぐにハッとして立ち上がる。即座に、その場に居座る弟子の魔術師たちを呼び寄せた。すでに彼らも、その異変には気付いており、間を置かずメルランの下へと駆けつける。

「お主たち。たった今、異常な魔力の流動を感知した。これは間違いなく、結界じゃ。じゃが……この規模、もはや人一人の力で扱える限界を優に超えておる……範囲は、都市全域じゃ」

 メルランの見立てでは、不快感をもたらす原因である結界が敷かれた範囲は、セプテム城郭都市を包んで余りあるほど、だと言うのだ。その上、そのような極めて大規模な結界を敷く術者が、複数人ではなく、たったの一人だと言い切った。

「ば、馬鹿な!? 教授、それは余りに馬鹿げています!」「だが、確かに……逆探知の余地もなく、肌身で感じるこの魔力には、異物が混ざっていない」「不可能じゃない。或いは、人間じゃなけりゃあな」「これは……微弱だが、魔力が吸い上げられている?」「ああ、間違いない。この結界魔術の属性は、闇だ」

 口々に魔術師としての私見を述べる、弟子たち。メルランもまた同様の見解だった。議論伯仲する弟子たちに向かって手を叩いて鎮め、総括を述べ始める。

「うむ、セプテム中の各研究施設に連絡を取るのじゃ! これほどの規模の魔術をたった一人で操る相手じゃ、有効打となるかは分からぬが、セプテム中の魔術師を束ね『攻性防壁ファイアウォール』を張る! 無論、態勢が整うまで魔術の行使は厳禁じゃぞ!」

 呪文や図式、紋様などといった魔術を構成する術式には、必ず綻び――綻絡と呼ばれるモノが存在する。それは、物事が完全無欠でも自己完結的でもない為に生じる綻びや食い違い、それを繋ぎ止める縫い目。

 その綻びを紐解き、魔術を破綻させる魔術、それが攻性防壁ファイアウォール

「そちらも感知したようだな、早速術式の準備に入ってくれ」「これは個人じゃない、国の問題だ! 多少の因縁は目を瞑ってくれないか!」「そうだ、攻性防壁ファイアウォールを張る」「にわかには信じられんだろうが、相手は一人だ」「無論、見返りは出す。要求を飲もう」「うん、合図はこっちから出すよ」

 弟子たちは黙して思索に耽っていた時とは打って変わり、アウラではまだ物珍しい卓上電話機を握って離さず、熱を帯びた語りで各所に連絡を入れる。電話機の不足分は電信を用い、また魔術による精神感応テレパシーが可能な相手には直接呼び掛けを行い、近場であれば直接足を運んだ。

 その間に、メルランは魔術の準備をしていた。そこかしこに置かれた幾つもの魔術書を、その場に留まりながら引き寄せる。円を描くように魔術書を周囲に配置していくと、ページが高速で勝手に捲られていく。

 それに呼応して、建物内にはどこからともなく、眩い光が立ち込めていく。そう、その図書館のような様相を呈した建物自体が、巨大な魔術の触媒となっていた。四方を囲む天井まで伸びた本棚に覆い隠されているが、壁面には緻密に織り込まれた呪文が所狭しと綴られていた。

 ふとルイーサが横を見ると、イングリッドは足早にその場から離れていくのが見えた。

「ここは貴方がたに任せます。私は早急にゴドフリーの下へ戻り、計画に備えますわ」

「うむ、よろしく頼むぞ」

 忙しなく動く魔術師たちの間を、颯爽とすり抜けていくイングリッドに対し、集中を途切れさせず片手間に返事をするメルラン。

 ウルリカを抱えるルイーサは、この状況下で次の一手を考えあぐねていた。

「メルラン様。私共は如何すれば」

「肝心のウルリカがダウンじゃ。可及的速やかにこの事態を収めるゆえ、しばし待たれよ」

 メルランは人差し指を軽く曲げる。すると、遠くにあった椅子が吸い寄せられるように、ルイーサたちの前に寄り付いた。彼女はその椅子に、ぐったりと項垂れるウルリカを座らせる。

「教授、全市街の研究室と連絡が取れました。その内、協力を得られたのは二十一室。我々を含め、計四百人を超える魔術師が待機状態となります」

 一人の弟子がメルランに報告を入れる。翁は頷いて、

「承知した。では、魔術の始動を始める。お主ら、陣を敷くのじゃ」

 そう言うと、メルランを中心に囲むように、弟子たちが壁際まで移動する。

 そんな折、突然と玄関扉が開く。そこには、この研究室に続く小路でウルリカたちと出会った、フードを目深に被った男。その男に連れられて現れたのは、レンブラントとパーシー。

「ウルリカ、大丈夫か!」

 二人がメルラン達の間を割って、ウルリカの傍に駆け寄る。だが彼女は、五月蝿い、と一言呟くに留まった。代わりにルイーサが二人に事の次第を説明して、その場を収める。

「遅くなり申し訳ございません、私も参席致します」

 メルランの前に歩み寄ったフードの男は、翁に向かって頭を下げる。

「お主はいつも間が悪いのう。ともかく、並んでくれんか」

 他の弟子たちと同様に壁際へと移動する。翁の魔術との同調を始めた。

 パーシーは背中に背負ったリュックサックを下ろすと、中から鍵盤の付随する重々しい計器を取り出して床に置いた――それは階差機関を用いた演算機――その鍵盤を目にも留まらぬ早さで弾くと、パーシーは顔を曇らせる。

「うーん、やっぱりおかしいなあ。なんでこんな結果になるんだろう……」

「やはり、異常なのか?」

 レンブラントはパーシーと同行していたからか、彼の顔が曇る事情を知っているようだった。

「旦那様、何があったのですか?」

「ウルリカもメルラン様もこの様子だ、異様な事態だということは火を見るよりも明らかだが、如何せん内容が問題のようだ。なんせパーシー曰く、この事態の張本人は間違いなく人であるはずなのに、まるで人ではないかのようだと宣うのだからな」

「……それは、どういう……」

 パーシーは唸りながら頭を掻いて腕を組む。階差演算機から目を離し、メルランの方を向いた。成り行きに任せたようだ。

「うーん、取り敢えず爺さんたちに任せてみるかぁ。もうデータは研究室の連中に回してるし。ま、そもそも僕個人でどうにかできる問題じゃないしね」

 三人が話している間に、メルランの周囲には膨大な魔力の渦ができていた。しかしそれは静かに、だが力強いうねりを感じられた。

「第一陣から第十二陣まで接続完了。結界の性質分析を急げ」「第十三陣から第十九陣まで応答確認。接続に入る」「結界構造における綻絡の存在証明を完了。位相構造の分析開始」「魔力の意図的簒奪さんだつを検知。曳航えいこう型デコイ設置」「第二十陣、第二十一陣の加盟承認。全二十一陣の同調を試行」

 メルランの弟子たちは続々と攻性防壁ファイアウォールの構築を進める。それはまるで聖歌の合唱が如く調和した儀式。都市全体を包み込む結界に対して、既に同規模にも及ぶ抗体を生じていた。

 次第に、ウルリカの容態も好転していく。

「……ようやく、吐き気が治まってきたわ。ったく、なめた真似してくれたわね」

「ウルリカ、もう大丈夫なのか」

 レンブラントが膝を折り、彼女に向かい合う。先ほどまで蒼白だった顔色は、次第に色味を取り戻していっているようだ。。

「だいぶマシよ。そうね……おおよそ何が起こってるか理解できてきた。あたしもイングリッド同様、ゴドフリーのとこに向かうわ。急がなくちゃいけない、何もかもね」

 ウルリカは椅子から立ち上がり、大広間の中心で呪文を編むメルランに向かって語りかけた。

「でも先に、この状況を収めないとね。加勢するわよ、教授!」

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