マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-067【合理の都に先駆けて-壱】

 女王マースとの謁見を終えた滞在初日、一行は僅かな小休止を取り、安息に羽根を伸ばした。

 そして滞在二日目から、グラティアからの援助を受領するため、各位が昼夜を問わず忙しなく動き始める。ウルリカとレンブラントは分担して公的文書の処理から支援物資の直接的な受取を。アレクシアとエレインは協力しながら部隊の再編成と支援物資の整理、行軍の順路確認や日取りなどを決めていく。目が回る忙しさで、瞬く間に時間が過ぎていった。

 そんな一行のグラティア滞在二日目の昼頃、先行するイングリッドはセプテムに到着していた。

 セプテムの都市は、アウラのそれよりも更に広大な幕壁に囲まれた城郭都市であり、周囲には容易に侵入ができないよう深い堀が穿たれていた。寒期に移行する時期とも相まって、見上げるほど高い城壁は寒々として冷淡な印象を与える。

 幕壁に設けられた窓から覗く門番がイングリッドの乗った駅馬車を認めると、御者に割符を求める。御者は注文通り門番に木製の割符を渡し、懐から片割れを取り出して照合。門番が片手を挙げると、堀を渡るための跳ね橋が作動し始めた。

 イングリッドが車窓から顔を出してそれを見遣ると、鋼鉄製の頑強な橋梁を堀に渡す際に、幕壁から突き出た煙突から、蒸気が勢いよく噴出した。人力ではなく、蒸気機関によって動作させていることが見て取れる。

「機械大国セプテム……いつ見ても、驚かされるわね」

 参事官として幾度も此国を訪れていたイングリッドは、その度に目の当たりにしていた先進的な世界。改めて、他の追随を許さない文明水準に、素直な感心を示す。

 跳ね橋とともに城門が開き、都市内部に足を踏み入れる。すると、イングリッドの目に映るのは、幕壁に遮られ覆い隠されていた、機械の街とも形容すべき様相。優れた金属加工技術によって、目に入る建物は軒並み金属製であり、突き出たそこかしこの煙突から蒸気が噴出している。また、他国ではまだ開発途上にある蒸気機関車が街を往来し、既に交通機関の一つとして機能していた。車はまだ完全に自走するものではなかったが、馬が牽引する車には補助的に蒸気機関が搭載されていた。

 自動制御化された生産工場の規則的な機械音が、どこからともなく街に響く。立ち込める黒々とした蒸気は、陽の光を遮って空を埋め尽くしていた。そんな街をゆく人々は、厚手の衣服を身に纏い、身を縮めながら歩を進める。心なしか、その誰もが表情に乏しく、雪のような白肌を湛えていた。

 大いに先進的な街並みだが、それと引き換えに有機的な温もりを廃した無機質さが街全体に漂っていた。何かを得ようとすると、何かを捨て去らなければならない。イングリッドは、この街がその言葉を如実に体現していると感じ取った。

 機械とは合理性の権化であり、その合理性を突き詰めるという事は、人間性の権化である無駄を廃するということ。生産性という数値上の豊かさは向上しても、相対する精神的な豊かさが向上するとは限らない。

 必要は発明の母であると同時に、過剰は狭量の元となる。イングリッドにとってセプテムとは、その文字通りの国として映っていた。

「……それにしても」

 人通りの多い本通りを行く駅馬車の車窓から、暗雲の青鈍色に染まった鉄の街を覗くと、

「革命運動の只中にも関わらず、怖いほど静かね……」

 通りを歩く人影は多いものの、対照的に肌を刺すような寒々とした静けさが辺りを包んでいた。まるでその誰もが何者にも感心が無いかのように、フードを深々と被り、にべも無く先を行く。

「……違う、肌を刺すこの張り詰めた雰囲気……警戒ね」

 イングリッドはうなじを擦る、総毛立つ感触を覚える。町行く人々は決して顔を上げず素顔を見せなかった。だが、そのフードで覆った暗がりからは、緊張した鋭い視線を感じる。

「……ッ、それより……」

 頭を抱えたイングリッドは車窓から顔を離す。ここまで休み無しの強行による心身の疲労からか、寄せては返す頭痛が止まなかった。粗末な寝台へと身体を投げ出したイングリッド。しかし、眠ることは許されない。

「あの男に……会わなくては」

 仰臥したまま、懐から一枚の紙切れを取り出す。そこにはセプテム都市部の全体地図が描かれ、その都市中心部に丸印と《城下南五番街〇五一番地#一三B1》という文字が記されていた。そこが、彼女の目指すべき場所だった。


―――


 しばらくして、幾つもの馬車が停まるトタン板で囲われた工場のようにだだっ広い殺風景な停留所に到着し、長らく世話になった駅馬車から降りた。荷物を持たないイングリッドは早々に外へと出る。外気を肺一杯に吸うと――鼻を突くすす臭さ。思わず咳が零れた。

「やっぱり、恐ろしいほど空気が汚れているわね、ここは」

 霧の要塞とも揶揄されるセプテムの城郭都市。その霧は、都市防衛のため……などでは当然なく、大規模な工業化によって利用される、莫大な量の石炭から発生した大気汚染物質によるものだった。また、大陸北端でもあるセプテムは冬季において暖房しなければ、終日を生き延びることすらも厳しい極寒地となる。そのため、市民は例外なく強力な暖房器具を利用し、それに用いる石炭からも大気汚染物質が発生する。

 原因は特定できていても、完全な阻止は難しい。大気汚染物質を含まない代替燃料を用いる、という対応策を講じても、市民全体に流布するにはまだ時間が必要だった。

 イングリッドは口と鼻を覆い被すように手を当て、呪文を唱える。

「『略式詠唱、気相交渉エアロゾル・ネゴシエーター』」

 覆っていた手を退けると、薄っすらと白色の靄が、靡くベールとなって、口元を包みこんでいた。それは外気を取り込む際の濾過器の役割をする魔術。本来は気体の性質までも組み替えてしまう魔術だが、詠唱を略式化することで、気体を物質ごとに分離させる程の効力まで引き下げたもの。これにより、大気が汚染されたセプテムで満足な呼吸が可能となる。

 また、薄着のように見える絹地の衣服や燕尾服の裏地には、火の呪文が記されており、魔力を通すことで表面温度を平熱に保つ魔術が施してあった。

 セプテムが大気汚染された極寒地だと理解した上で、問題なく活動できると踏んで、着の身着のまま駅馬車へと飛び乗ったのだった。但し、幾ら僅かとはいえ常に魔力を消耗し続けるのは、たとえイングリッドのような優れた魔術師であっても、骨の折れる行為に変わりはなかった。

「さて、と。ここは確か……三番街ね」

 イングリッドは街角に吊るされた鉄製の街区表示板に視線を向けると、そこに《城下東三番街〇一七番地》と書かれているのを認めた。

 セプテムの都市では、市街地を八区画に分割して、合理的に整理されていた。区画番号は時計回りに割り振られ、北に一番街、東に三番街、南に五番街、西に七番街がある。

「……ここからなら、北北東ね」

 懐から取り出した地図を頼りに、青鈍色に染まる街道を歩き始める。

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