マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-056【厄介な眷属/団長の熱意】

 中心街から離れにある、人通りの少ない森閑とした住宅街。そこは古より続く、高名な貴族の邸宅が立ち並ぶ街道だった。古くから舗装され続けてきた石畳の道が伸び、両側を整然とした生垣が挟む。古きを今に伝える趣きが、そこはかとなく情緒に触れてくるようだ。

 邸宅の並びの一つに、一際異彩を放つ家があった。それこそが、三人が目指す貴族の住まい。一歩門を潜ると、生理的嫌悪感を催す植物が密生する、不気味な庭園が出迎えた。とぐろを巻いた蔦が四方八方に伸びる植物、無数の赤い斑点がある花弁を持った巨大な花、幹に夥しい数の黒々とした実を纏う木、動物の口を模したかのような食虫植物。

 世界中の奇妙珍妙な植物を見つけては、所構わず庭に植えてきた結果、あらゆる庭園とは一線を画した、奇怪なる植物園が出来上がったそうな。

「毎度毎度、この悪趣味な庭を通るのはうんざりするわ……」

「仕方ないだろう。奴曰く、これも研究材料だというのだから」

 不用意に触れるのも憚られる植物たちに、周囲を取り囲まれながら、迷路のように入りくねった園路を進む。すると、貴族の邸宅とは到底思えない家構えの建物に到着した。

 板金がモザイク調に組み上げられた外壁に、所々に空いた壁穴から大小様々な風導管が縦に横にと伸びる。天井からは無数の排気管が伸び、真っ白な蒸気を常時放出している。各所に設けられた飾り気のない硝子戸からは、陽も暮れていないのに、水銀灯の人口的な光が漏れていた。

「これは……人の住まう家、なのですか?」

「うーん、家も兼ねてるって言った方が正しいかしら」

 家、というよりは工場や研究所といった趣向。その玄関先に向かうと金属扉が出迎えた。扉の横には、赤い押しボタンとともに「↑御用の際はここを押してね!」という、可読性の低い歪な文字が書かれた木札が掲げられていた。ウルリカは握り拳で殴りつけるように思い切り打ち叩く。

 屋内で激しく鳴り響く、鐘のような音。邸宅を包む板金に反響して、屋外にも音が漏れ出し耳を劈く。一頻り鳴り終わると、玄関扉の上部に取り付けられたラッパのような形の伝声管から、男の声が響いてきた。

「誰だい!? 今日は客なんて呼んでないんだけど!!」

「ウルリカよ!! ローエングリンのウ・ル・リ・カ!!!」

 押しボタンの上に取り付けられた小さな伝声管に向かい、大声を放つウルリカ。その声に反応してか、屋内から何かが倒れるような物音が伝声管を通して聞こえた。

「ちょ、ちょっと、そんな大声出さなくても分かるよ! にしてもウルリカだって!? 親父さんもいるのかい!?」

「あたしに父上、それに元ハウスキーパーのルイーサがいるわ。さっさとこの気味の悪い庭先から助けてくれるかしら」

「気味の悪いだなんて失敬な! そこの植物たちは医療機関にも用いられる薬理の認められた――」

「早くなさいッ!!!」

 ウルリカが檄を飛ばすと、再び何かが倒れる物音や、階段を急ぎ降りる音が聞こえてきた。伝声管から聞こえた声の主が、屋内で忙しなく動いていることが伺える。

 すると、床を跳ねるような落ち着きのない足音が、玄関へと一気に近づいてきて、勢い良く鉄扉が打ち開く。先頭のウルリカが頭を激しく打ち付け、跳ね飛ばされ、尻餅をついた。

「おっとっと、危ない危ない。いやあ、久しぶりだねぇみんな! 親父さんも久しぶりだね! ……ん? あれ? ところで、ウルリカはなんでそんな所でうずくまってるんだい?」

「……やっぱりコイツは、公共の安寧のためにも消えてもらうしかないわね」

 唖然とするレンブラントとルイーサ、呆けた表情をしたボサボサの髪に眼鏡を掛けた男。そして、閻魔顔で呪文を詠唱するウルリカ。

「え、え? どっどうしたんだい? 呪文なんか唱えちゃって、ウルリカ――」

「お前というやつは……開口一番からやらかしおって」

 そう言いながら手で顔を覆い、諦観の表情を湛えるレンブラント。

 直後、この邸宅の玄関先からは、猛烈な爆発音とともに黒煙が上がっていた。


―――


「とりあえずだ、お前たち。これから遠征のために支度を整える。結構な長旅となりそうだ、心して掛かってくれ」

 広場に集まった三十人ほどの駐屯兵団。ジェラルドの言葉に、皆威勢の良い返事を返した。そこに名を連ねる誰もが、いつ何時襲来してくるかも分からない魔物を相手取る猛者たち。臨機応変を求められる仕事ゆえに、アクセルの急な申し出にも迅速な対応が可能だった。文句の一つも言わずに協力してくれた、その一人ひとりに対して、アクセルは頭を下げて礼を告げていく。

「アクセル、お前は一々律儀なんだよ! 俺たちだって、お前が問題事を持ち込んでこなけりゃ、こんな僻地で延々と魔物を狩ってなきゃいけなかったんだ。逆に礼を言いたいところだぜ!」

「そうだぜ、むしろ丁度いい気分転換にならぁ。俺達にゃセプテムなんざあ一生縁のねぇ国だと思ってたんだ。俄然やる気が湧いてくるってもんよ!」

 駐屯兵たちは口々にアクセルを持ち上げ、鼓舞してみせた。ジェラルドは笑いながら、アクセルの背中を叩いて、

「な、言っただろ? こいつらは実のところ、トラブル好きなんだよ。そうでなければ、ここじゃやってはいけないさ。荒事の依頼なら、いつでも俺達に相談してくれ」

「団長、本当にありがとうございます」

 アクセルは再び頭を下げた。ジェラルドは首肯すると、顎に手をやりながら駐屯兵たちを望む。

「出立は明日か。参謀本部から直々に派兵される隊と入れ替わりってことだが……しかし、大丈夫なのか? 軍がこんな辺境まで来るなんて、誰の口添えなんだ?」

 一抹の不安を口にした。それはアクセルも同様の気持ちだったが、

「アレクシア少佐が憲兵組織に直談判すると言って下さったので、きっと問題ありませんよ」

「アレクシア少佐……! そ、そうか……そういえば彼女もローエングリンだったな……」

 ジェラルドは目を見開いて、驚愕を隠すように手で口元を覆いながら呟いた。

「アレクシア様をご存知なのですか?」

「も、もちろんだ! 彼女を知らない奴なんて、この駐屯兵団にはいないぞ。身の丈ほどもある大剣を軽々と振るう女傑。お前、国士武闘会での彼女の栄光を知らないのか?」

「確か……八年前の大会でアレクシア様が優勝を飾ったとか」

「馬鹿お前、そんな簡単な話じゃないぞ! あの大会はな、世に聞こえる戦士たちが軒並み名を連ねていたんだ。セブラン、ヴァイナモ、カエターン、ウルジュラ……そりゃもう、腕に覚えのある猛者ばかりだ。そんな中、彼女は弱冠十八歳の若輩者、まるっきり無名の戦士だった。当然、誰一人注目などしちゃいなかった。だがな、彼女は初戦から喝采を浴びたんだ。相手は決して弱くはなかった、だが彼女の方が何枚も上手だった。その類稀な膂力りょりょくと剣技とを存分に奮い、決勝戦まで全て一本勝ち。最後の相手は、三年連続優勝を誇る、武芸に愛されし神の子ウルジュラ。実力伯仲、互いに一歩も譲らない剣戟の応酬が続いた。それはまるで、武闘場に嵐が渦巻くようだったよ。そして遂に、彼女はその大会で、たった一度だけの隙を見せたんだ。当然、それを見逃すウルジュラじゃない、すかさず攻めに転じた――それこそが、彼女の余りにも自然な罠であり、比肩する者なき強者の証だった。違った、余りにも違ったんだよ彼女は。結局、その大会で誰も、彼女の肌に剣を突き立てられた者はいなかった。あの大会はまさに、彼女の為に催されたようなものだったんだよ。そう、何よりも彼女の強さの秘密は――」

 それから、アクセルは滾々こんこんとジェラルドの話に付き合わされることとなった。

 無論、彼は幼少の頃よりアレクシアの勇姿を傍で見ていたため、彼女がどれほど類い稀なる、途轍もない武人であるかは、肌身で知っていた。

 剣術、槍術、弓術、格闘術、馬術、ありとあらゆる戦闘技術を使いこなす、武の権化。極めつけは、肉体強化に格別特化した、その魔力。ひとたび魔力をその身に帯びれば、銃弾をも弾く肉体に、馬車をも持ち上げる膂力を備える。そして、それら身体能力を生かし、高い水準で戦闘力に置き換えるのが、鷹の目を持つが如き、俯瞰した状況分析。その認識力、その洞察力、その決断力は、殊更、戦闘に於いて何者をも凌駕していた。

 しかし、そんな武人として隙のないアレクシアにも、唯一弱点があった。それは、“可愛い”もの。

 家族にすら漏らしていない嗜好だが、アクセルは使用人として従事していた経緯で、知る切っ掛けがあった。それは、ぬいぐるみや人形、小物や絵画といった、あらゆる“可愛い”品々を収集しては私室を埋め尽くしていたという事実。

 決して家族を私室に招くことはなかったが、使用人だけは限界がある。そこで、アレクシアは私室を清掃させる使用人を、信用に足る人間だけに限定し、きつく口止めをした上で、入室を許していたのだった。

(これは、アレクシア様の沽券こけんに関わるな……秘密にしておこう)

 漏らしたい気持ちを抑えながら、終日ジェラルドの熱弁に付き合わされたのだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品