マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~
Log-050【一刻の小休止】
アウラ王都の中心市街地。そこは、周囲を城壁に囲まれた城郭都市の中央部にあり、ウルリカたちが通っていたアウラ王立大学の真向かいに栄え、王命の下であらゆる貴重な品々を扱う商舗が軒を連ねていた。高名な貴族御用達の商店街であり、平民は疎か、弱小貴族ではまるで手が出せない水準の価格設定がなされている。その分、世界でも指折りの品揃えであり、各国の貴族や富裕層がこぞって集まる界隈となっていた。
王との謁見までには寸暇があったため、一行はここで下車する。レンブラントは昨晩提出した請願書の返書を受取りに役場へと赴くため、別行動することとなった。
一行は整然と舗装された石畳の大通りを進む。一部の目新しい好きは、ヴァイロン王との謁見の約束そっちのけで、店頭を彩る華々しく飾られたショーウィンドウに目を取られていた。
「あー! 綺麗なドレス! こっちはサファイアの指輪! すごいなぁ、綺麗だなぁ」
「あんたねえ。このドレスは政歴一八五六年製で、今は亡きバッキンガム公爵の婦人マーセイディズ愛用の品。この指輪は政歴一七九四年製で、当時グラティアの国境付近にまで襲来してきた魔物を討伐したパスクのブディーク辺境伯に、グラティアの王様が礼として譲り渡した恩寵の品。どちらも金貨八百枚は下らない逸品よ」
「ええっ! 僕のお給金の、二年分……」
「ああ、別に関係ないけど、ちなみに言うとブティーク辺境伯はあんたの遠い親戚よ。元はマンネルヘイム男爵の分家で、分かたれてから政治の世界で地位を上げたらしいわ」
「ええ! そうなんだ。なんでも知ってるんだね、ウルリカは」
「だからって眷属割引なんてないわよ。全て据え置き価格だから」
「わ、分かってるよ〜」
歩を進める度、あちらこちらに目移りするエレインに、ウルリカは灸を据える。だが、その立場上、表には出さないものの、彼女自身もまた、輝かしいまでの品々を横目で見惚れてはいたようだ。
「ウルリカ、ここで装備を整える、という手はないのか?」
幼い頃から特段の物欲を持たなかったアクセル。周囲を取り囲む、貴族のステータスを象徴する装飾品や調度品には、畏怖を感じても、価値は感じていなかった。ただ、それだけ値を張るものならば、実利に堪えうるものがあるのでは、と考えて隣のウルリカに提案する。
「その手はないわ。ここに並ぶのはみんな単なるお飾りよ。長い歴史を越えてきたものは魔術媒体として使えなくもないだろうけど。どのみち、アンタの考えてる物騒な用途には向かないわね。アンタはモノを知らないんだし、こんなもの知る必要なんてないんだから、いちいち気にしなくていいのよ。元上司の口説き文句でも考えておきなさい」
「そうなのか……そうだよな。戦えるってだけが、道具の価値じゃないんだよな」
「あら、知ったような口利くじゃない、その通りよ。文化文明の発展は争いの中で磨かれるものだって多くあるけど、その通念は本来、人を豊かにする為のものだわ。道具はその最たる例、まさに端末なわけだけど、人はそこに価値を設けた。道具が持つ役割や希少性に応じてその価値は変動する。でもね、そもそも価値なんてものは時代の潮流によって変化するもんなのよ」
ウルリカの言葉に、アクセルは考えさせられた。人を豊かにするものが、人自身が作り上げるモノ。もしそうだとしたら、魔物との戦いがこの世に存在しなければ、人の世はただ人を豊かにするためだけに、モノを作り続けるのか、と。だが、その性善説的な考えとは対照的に、目に見える形でなくとも、人は人同士で諍い争うものだとも考えた。
この街に遍在する、社会的地位を高めるために価値を持つ品々。それは、暗黙の上に成り立つ冷戦の様で。
「その価値を追い求めて、人と人とが争う……やっぱり、人は競い続けるものなのだろうか」
「人間だって所詮は自然淘汰って競争原理に則った動物だもの。いつだって、どんな形であれ、競い続けるものよ。そこには当然、勝者と敗者が生まれるわ。ただ一つだけ言えるのは、勝ち負けって判定だけが物事の終着点じゃないってことね」
「え?」
「勝つか負けるか、白か黒か。世の中それだけが価値基準じゃないってことよ。お互いに支えあう相互利益って考え方だってできるわ。社会だってたった一人二人の力で作られるものじゃない。人間同士が干渉し協調し合わなければ社会は成り立たない。それを人類が編み出した文化文明って道具でもって成し遂げてきたわ。それが他にない人間の強みであり生物界に君臨する所以。それは徐々に、だけど確実に改良され続ける。あんたが望み描くような、争いのない平和な世の中が訪れたらいいわね」
「そうだね、きっと来るよ。僕たち勇者が平和の使者だというなら、きっとさ」
「……そうね」
ウルリカはそれ以上語らなかった。アクセルの言葉が胸に痛かったからだ。長閑な表情で自らの使命を生真面目に真っ直ぐ見据える彼の想いを壊したくはなかった。この時だけは、己を縛り付ける、勇者の使命を、ウルリカは呪った。
「おいウルリカ! この機械仕掛けのオルゴール可愛いぜ!」
「これすごいねお姉ちゃん! 動物が鳴いてる!」
ショーウィンドウに張り付くアレクシアとエレイン。音楽とともに動物の人形が右往左往と動き、その動物の鳴き声を表現する音を鳴らす、ゼンマイ式のオルゴールを見つめてはしゃいでいた。その精巧な機械は、名うての職人が作り上げたのだろうと見て取れる。
「アレクシア、あんた意外と可愛いもの好きよね」
「べ、別にいいじゃねえか! 好みに議論不要って言うしよ」
「何も言ってないじゃない。意外ってだけよ」
アレクシアは珍しく赤面して、髪を大きくかき上げる。隣にいたエレインは呆然として彼女を見ていたが、得心が行ったのか、手を叩いて顔を綻ばせる。すると、彼女の手を引いて、エレインは次なる展示品へと駆け出していった。
ウルリカが額に手を置いて溜息を吐きながら呆れていると、ルイーサが懐中時計を手に持って話しかけてきた。
「ウルリカ様、予定の時刻が迫っております。急ぎましょう」
「え、嘘でしょ? ……はあ、連中に構ってるとこうなるのよね。喫茶店で一服でもしようかと思ってたら、案の定ね」
「ウルリカ、残念だけどその時間はないようだ。二人を捕まえて急ごう」
「分かってるわよ。まったく、あんな遠くまで行って――ってイングリッド、ちょっと待ってよ」
ウルリカたちが話し込んでいる間に、イングリッドは早足で三人を追い抜いていく。
「残務を思い出したの。先に行って待っているわ」
「あ、そう。じゃ、すぐ追いつくわ」
「くれぐれも遅れないようにして頂戴」
「言われなくても分かってるわよ」
早足で進むイングリッド。そのまま大通りを行けば王城に到着する。だが、イングリッドは道中で曲がり、商舗との間に伸びた路地に入っていった。
「あれ? イングリッド様、そっちは王城じゃないのに。どこに向かうんだろうか」
アクセルは不思議に思った。二人も同様だった。
「そうね、王都は王城を囲んで庁舎が設けられてる。素直に受け取れば、イングリッドの配属先の大蔵省でしょうけど……」
ウルリカは、残務というイングリッドの言葉を訝しんだ。彼女は、土壇場で抜かりある仕事などしない人間だということは、ウルリカがよく知っていたからだ。
「ま、考えてもしょうがないわね。さっさと行くわよ」
ウルリカは今考えた所で判断材料が殆どない上、出した結論に意味はないと踏んで、先を急ぐことにした。それはイングリッドという人間が意味のないことを決してしない性質だという信頼に基づく判断だった。
 それは逆説的に“この折”だからこそ必要のある行動だということ。そして、イングリッドだから可能であるということ。それだけ踏まえれば、イングリッドの独断行動に対して、ウルリカは躊躇なく目を瞑ることができた。
王との謁見までには寸暇があったため、一行はここで下車する。レンブラントは昨晩提出した請願書の返書を受取りに役場へと赴くため、別行動することとなった。
一行は整然と舗装された石畳の大通りを進む。一部の目新しい好きは、ヴァイロン王との謁見の約束そっちのけで、店頭を彩る華々しく飾られたショーウィンドウに目を取られていた。
「あー! 綺麗なドレス! こっちはサファイアの指輪! すごいなぁ、綺麗だなぁ」
「あんたねえ。このドレスは政歴一八五六年製で、今は亡きバッキンガム公爵の婦人マーセイディズ愛用の品。この指輪は政歴一七九四年製で、当時グラティアの国境付近にまで襲来してきた魔物を討伐したパスクのブディーク辺境伯に、グラティアの王様が礼として譲り渡した恩寵の品。どちらも金貨八百枚は下らない逸品よ」
「ええっ! 僕のお給金の、二年分……」
「ああ、別に関係ないけど、ちなみに言うとブティーク辺境伯はあんたの遠い親戚よ。元はマンネルヘイム男爵の分家で、分かたれてから政治の世界で地位を上げたらしいわ」
「ええ! そうなんだ。なんでも知ってるんだね、ウルリカは」
「だからって眷属割引なんてないわよ。全て据え置き価格だから」
「わ、分かってるよ〜」
歩を進める度、あちらこちらに目移りするエレインに、ウルリカは灸を据える。だが、その立場上、表には出さないものの、彼女自身もまた、輝かしいまでの品々を横目で見惚れてはいたようだ。
「ウルリカ、ここで装備を整える、という手はないのか?」
幼い頃から特段の物欲を持たなかったアクセル。周囲を取り囲む、貴族のステータスを象徴する装飾品や調度品には、畏怖を感じても、価値は感じていなかった。ただ、それだけ値を張るものならば、実利に堪えうるものがあるのでは、と考えて隣のウルリカに提案する。
「その手はないわ。ここに並ぶのはみんな単なるお飾りよ。長い歴史を越えてきたものは魔術媒体として使えなくもないだろうけど。どのみち、アンタの考えてる物騒な用途には向かないわね。アンタはモノを知らないんだし、こんなもの知る必要なんてないんだから、いちいち気にしなくていいのよ。元上司の口説き文句でも考えておきなさい」
「そうなのか……そうだよな。戦えるってだけが、道具の価値じゃないんだよな」
「あら、知ったような口利くじゃない、その通りよ。文化文明の発展は争いの中で磨かれるものだって多くあるけど、その通念は本来、人を豊かにする為のものだわ。道具はその最たる例、まさに端末なわけだけど、人はそこに価値を設けた。道具が持つ役割や希少性に応じてその価値は変動する。でもね、そもそも価値なんてものは時代の潮流によって変化するもんなのよ」
ウルリカの言葉に、アクセルは考えさせられた。人を豊かにするものが、人自身が作り上げるモノ。もしそうだとしたら、魔物との戦いがこの世に存在しなければ、人の世はただ人を豊かにするためだけに、モノを作り続けるのか、と。だが、その性善説的な考えとは対照的に、目に見える形でなくとも、人は人同士で諍い争うものだとも考えた。
この街に遍在する、社会的地位を高めるために価値を持つ品々。それは、暗黙の上に成り立つ冷戦の様で。
「その価値を追い求めて、人と人とが争う……やっぱり、人は競い続けるものなのだろうか」
「人間だって所詮は自然淘汰って競争原理に則った動物だもの。いつだって、どんな形であれ、競い続けるものよ。そこには当然、勝者と敗者が生まれるわ。ただ一つだけ言えるのは、勝ち負けって判定だけが物事の終着点じゃないってことね」
「え?」
「勝つか負けるか、白か黒か。世の中それだけが価値基準じゃないってことよ。お互いに支えあう相互利益って考え方だってできるわ。社会だってたった一人二人の力で作られるものじゃない。人間同士が干渉し協調し合わなければ社会は成り立たない。それを人類が編み出した文化文明って道具でもって成し遂げてきたわ。それが他にない人間の強みであり生物界に君臨する所以。それは徐々に、だけど確実に改良され続ける。あんたが望み描くような、争いのない平和な世の中が訪れたらいいわね」
「そうだね、きっと来るよ。僕たち勇者が平和の使者だというなら、きっとさ」
「……そうね」
ウルリカはそれ以上語らなかった。アクセルの言葉が胸に痛かったからだ。長閑な表情で自らの使命を生真面目に真っ直ぐ見据える彼の想いを壊したくはなかった。この時だけは、己を縛り付ける、勇者の使命を、ウルリカは呪った。
「おいウルリカ! この機械仕掛けのオルゴール可愛いぜ!」
「これすごいねお姉ちゃん! 動物が鳴いてる!」
ショーウィンドウに張り付くアレクシアとエレイン。音楽とともに動物の人形が右往左往と動き、その動物の鳴き声を表現する音を鳴らす、ゼンマイ式のオルゴールを見つめてはしゃいでいた。その精巧な機械は、名うての職人が作り上げたのだろうと見て取れる。
「アレクシア、あんた意外と可愛いもの好きよね」
「べ、別にいいじゃねえか! 好みに議論不要って言うしよ」
「何も言ってないじゃない。意外ってだけよ」
アレクシアは珍しく赤面して、髪を大きくかき上げる。隣にいたエレインは呆然として彼女を見ていたが、得心が行ったのか、手を叩いて顔を綻ばせる。すると、彼女の手を引いて、エレインは次なる展示品へと駆け出していった。
ウルリカが額に手を置いて溜息を吐きながら呆れていると、ルイーサが懐中時計を手に持って話しかけてきた。
「ウルリカ様、予定の時刻が迫っております。急ぎましょう」
「え、嘘でしょ? ……はあ、連中に構ってるとこうなるのよね。喫茶店で一服でもしようかと思ってたら、案の定ね」
「ウルリカ、残念だけどその時間はないようだ。二人を捕まえて急ごう」
「分かってるわよ。まったく、あんな遠くまで行って――ってイングリッド、ちょっと待ってよ」
ウルリカたちが話し込んでいる間に、イングリッドは早足で三人を追い抜いていく。
「残務を思い出したの。先に行って待っているわ」
「あ、そう。じゃ、すぐ追いつくわ」
「くれぐれも遅れないようにして頂戴」
「言われなくても分かってるわよ」
早足で進むイングリッド。そのまま大通りを行けば王城に到着する。だが、イングリッドは道中で曲がり、商舗との間に伸びた路地に入っていった。
「あれ? イングリッド様、そっちは王城じゃないのに。どこに向かうんだろうか」
アクセルは不思議に思った。二人も同様だった。
「そうね、王都は王城を囲んで庁舎が設けられてる。素直に受け取れば、イングリッドの配属先の大蔵省でしょうけど……」
ウルリカは、残務というイングリッドの言葉を訝しんだ。彼女は、土壇場で抜かりある仕事などしない人間だということは、ウルリカがよく知っていたからだ。
「ま、考えてもしょうがないわね。さっさと行くわよ」
ウルリカは今考えた所で判断材料が殆どない上、出した結論に意味はないと踏んで、先を急ぐことにした。それはイングリッドという人間が意味のないことを決してしない性質だという信頼に基づく判断だった。
 それは逆説的に“この折”だからこそ必要のある行動だということ。そして、イングリッドだから可能であるということ。それだけ踏まえれば、イングリッドの独断行動に対して、ウルリカは躊躇なく目を瞑ることができた。
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