マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-047【仁義と憧憬の間で-弐】

「あら、ご機嫌よう。庭先に揃いも揃って。一体何を談笑されていたかしら」

 作為的な言い回しで、女は語り掛けた。彫刻のように清澄な面様に、冷たく透き通った碧眼で射抜く。その様は、もくしていれば高名な彫刻家の逸品が如き麗人、イングリッド。

「白々しいわね、背後で聞き耳立ててたくせに」

「知っていて、結構な品評を下してくれたものだわ。相も変わらず、忌まわしい愚妹ね」

「あら、悪かったわね図星突いちゃって。随分胸の深いとこまで抉ちゃったかしら?」

「口だけは達者よ、ウルリカ。その点だけは褒めて差し上げましょう」

 イングリッドは口角だけを上げて、不敵に笑みを湛える。そして、表情そのままに、視線はエレインに移った。その不気味に真意を覆い隠す面持ちに、エレインは身震いする。

「エレイン、貴女の本心は学生時代から知っていたわ。それが実際に現実のものとなった。今の心境をお聞かせ願えるかしら?」

 イングリッドは萎縮するエレインに対し、答えを引き出さんと、掌を差し向けて問いただす。その声色は落ち着いたものだが、彼女にとってそれは、けだし詰問と同義。

「僕は……」

 一瞬、そう切り出して、口ごもる。だがその直後、エレインの表情は精悍なものに変わり、イングリッドの穿つような視線と相克する。それは、乗り越えようとする者の顔だった。

「僕は、勇者の一員として――ううん、一人の“勇者”として、僕の意志を貫くまでです」

 ウルリカとアクセルは、その毅然とした様に微笑む。イングリッドという最大の壁と相対し、今以ってエレインが勇者の覚悟を決めた瞬間だった。

「ご立派な志ね。とても勇ましいことで結構よ。ではその覚悟、今ここで――証明して下さるかしら?」

 イングリッドはそう言って――突如、エレイン目掛け、目にも留まらぬ刃を放つ。

「くっ……!」

 間一髪、帯刀した剣を即座に引き抜き、その剣光を受け流した。来ると予測していなければ、およそ反応すらできずに首が飛んでいただろう、瞬息の一撃。

「あんた! そんなものどこに隠して……いや、それよりなにしてんのよ!」

 ウルリカが止めに入ろうとする。だが、アクセルは彼女の前に立って制止した。「ちょっと!」とウルリカが不服を発するも、アクセルは首を振って退かない。

「流石よ、エレイン。士官着任後も、武術の鍛錬に抜かりはなかったようね」

 イングリッドの武器は、ウルミと呼ばれる特殊な剣。刃は身の丈よりも長く、高い硬度と靭性を併せ持つ鋼鉄で作られ、変幻自在の軌道を描く鞭の性質を持った、鞭剣と類されるもの。彼女はそれをベルトのように腰に巻き付け、その長い裾で覆い隠していたようだ。

「だけど、肝心の覚悟の程はいかがかしら?」

 イングリッドはまるでウルミを纏うように操り、周囲に刃の層を張った。それは、彼女の半径二メートルより内側に入った途端、刃の暴風がその身を瞬時に切り刻むというもの。類まれなる技量と優れた空間知覚がもたらす絶技。一歩、また一歩と刃の暴風を纏いながら、エレインに接近していく。正面切って手は出ない。イングリッドの歩み寄りに合わせて後退していった。

「まずいわね……あれじゃエレインに勝ち目ないじゃない。単独防衛ならアレに隙はない。まずいことになる前に止めるわよ!」

 踏み出そうとするウルリカの前に、アクセルは依然として立ち塞がる。

「……ウルリカ、エレイン様を信じよう」

「いやあんたね、信じるったってどうしろってのよ! これから更に面倒なことが待ってるってのに、こんなところで怪我されちゃ困るのよ!」

 力ずくでアクセルを跳ね除けようとするが、頑として動かなかった。

「ウルリカ、僕は二人を信じている」

「……チッ……なにかあったら、承知しないから」

 ウルリカの言葉にも、微動だにしない。観念したのか、彼女は拳を握りしめて、歯を食いしばると、それ以上は言葉を紡がなかった。

 エレインは徐々に間合いを詰めてくるイングリッドから距離を取り、剣を構え直す。全身に魔力を流動させ、戦闘態勢を取った。彼女の内に漲る魔力は、大気に波濤を生むほどに膨れ上がる。同時に、剣は電光を放ち始めた。

「ええ、火の属性が得意だったわね。だけど、貴女の魔術……無駄よ」

 そう言い放った、その瞬間、刃の暴風を纏うイングリッドが、瞬く間にエレインとの間合いを詰める。それはまるで、軌道上の一切を破壊する竜巻の如く。

 二人が接触する、その瞬間――網膜を焼くほどの強烈な閃光が放たれた。

「うっ……! 馬鹿エレイン……! こんなとこでそんな魔術使ったら……!」

 閃光は一瞬、その光が薄れゆく、すると即座にイングリッドはその場で制動、すかさず踵を返す。今しがた彼女の目の前にいたはずのエレインが、

「『……その脚は迅雷の如く……その軌道はわだちの如し……風を切り、地を縮め……数多の走者を置き捨てん……迅雷趨走レールウォーカー』」

 いつの間にか、背後を取っていた。先の強烈な閃光は、エレインのもの。呪文を呟きながら、稲妻は全身を包み、眩く発光していく。彼女が唱えたそれは、電磁場による不可視の軌条を伸ばし、電磁誘導に沿って物体を超高加速させる魔術。その速さたるや、音さえも置き去りにする。

 彼女は白刃の如き表情を湛え、振り向き切らないイングリッドを薙ぎ払う。しかし見切っていたか、踵を返した勢いを利用し、ウルミを地面に激しく叩きつける。すると、地中の水分を一気に剥ぎ取り、瞬時に人間大ほどの氷柱が地面から伸びた。地を蹴り後退するエレイン、しかしその尖鋭な氷柱は、彼女の動きに合わせて矛先を変え、瞬く間に伸びていく。すかさず、氷柱に向かって手をかざし、霹靂の如き轟音と共に雷撃を打ち放った。至近に迫った氷柱は、一瞬にして霧散。霧のように舞う水煙が辺りを覆う。

 エレインが前傾姿勢を取ると、身に纏った稲妻が舞い踊る。それに呼応して、周囲の水煙が蒸発していく。エレインの放つ電光が頂点に達した瞬間、再びその姿が消失した。

「詰めが甘いわよ、エレイン」

 イングリッドの言葉通り、しかしエレインの動きは、その軌道に沿って蒸発する水煙が物語る。しかし、そのままイングリッドの方には向かわず、彼女を中心として螺旋状に宙空を昇っていき、その頭上で制動した。

 剣の切先を直下に向けて、狙いを澄ます。それはかつて夭之大蛇ワカジニノオロチに放ったものと同様の技。迅雷の如き疾さで――直下落雷した。

「うおおおおあああああ!!」

 エレインの猛りが木霊こだまする。大気が鳴動するほどの衝撃が走り、イングリッドに激突。しかし、直撃したはずの霹靂へきれきの刃は、彼女には届かず、その頭上に現れた障壁と拮抗していた。それは、宙空の水分を凝固させて作り出した、巨大な氷壁。イングリッドはエレインの襲撃に合わせ、ウルミを頭上に振り上げると、印と呪文を即席で編み上げ、魔法陣を瞬時に形成していたのだ。

 踊り狂う電光と、剥離はくりしていく氷壁。蒸発するのは時間の問題だったが、その間隙かんげきにイングリッドは再びウルミを踊らせて、更なる陣を形成していく。急速に周囲の熱を奪っていく、冷気が立ち込める、地面の草花には霜が張っていった。

 エレインの霹靂の刃が、氷壁を貫く――その機を見計らっていた。

「息吹止み、地に伏す、星羅せいらの胎動。芽吹く露華ろかつらなる霜剣そうけん、雪花装花そうか雪時雨ゆきしぐれ氷河空界グレイシア・インターヴァル

 イングリッドを中心として地面に描かれた魔法陣から、途轍もなく巨大な氷柱が、天を衝いた。エレインを貫かんとする氷柱に――肉薄する。火傷もいとわず、手元に込めた雷火を宙空で爆発させ、落下の軌道を反らしていなければ、氷の磔刑たっけいとなっていた。

 煙を立てながら弧を描いて落下、すぐに宙空で姿勢を整え、着地とともに剣を地面に突き立てて支えとする。その剣を突き立てたまま前進し、地面を這わせながら振り上げた。

「『蝋に石火にほだされて! 烈と棚引く白亜の! 羽ばたき瞬き燦然さんぜんと! 其は天にはだれる千鳥の如し! 燦白玖鷗ブライトナイン!!』」

 猛りとともに疾走し、地面を抉って舞い上がる土埃に稲光を煌めかせ、振り抜いた刃から放たれる雷撃。それは火花散らす幾重もの千鳥となって、稲光の軌跡を描きながら、眼前の巨大な氷柱に向かって飛翔する。

 それは四方、六方、八方からの着弾、着弾、更に着弾――鼓膜を突き抜け、脳裏を震わせる爆音が鳴り響き、辺り一面に火花を撒き散らす。巨大な氷柱は爆ぜて霧消し、その中心にいたイングリッドが湯気を纏いながら後方に飛び跳ねる。直撃は免れたものの、爆熱に当てられていた。

 互いに息を切らす。魔力は大きく消耗している。だが、互いの視線の先では、未だに火花を散らしていた。大地を踏みしめ、走り出す二人。その刃と刃が、再び衝突する、その瞬間――

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