マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-040【因縁の先に結束を視る-壱】

「実はな、御客人がいらっしゃっていたのだ。いや、因縁の相手と言った方が適切かもしれん」

 階段を昇って二階。ハンカチで肩にベタついた鼻水を拭いつつ、客間へと続く吹き抜けの廊下を進みながら、レンブラントは話す。因縁の相手、という字義は物騒だが、彼の言葉には恨みつらみといった類の念は含まれていなかった。

「因縁の相手ですって? 父上の対人関係にそんなやついたかしら」

 ウルリカは顎に手を当てて、ふと過去を振り返る――いた。一つだけ、思い当たるが貴族がいた。以前、政府から賜った特務指令により、裏で関わることとなった貴族。飽くまで間接的な接触ではあったが、ローエングリンとの間で闘争があったことに変わりはない。

「うそ。なんでまた……わざわざ接触してくるなんて。あの一件からもう四年も経ってるのよ?」

「会えば分かるだろう。なんせウルリカ、お前がグラティアから帰路につくことも知っていた。私というよりはむしろ、お前に話があるのだろう」

「えっ、父上!? なんで止めないのよ!? 国の宰相が直々に奸臣として指名した相手よ!?」

「それは偏に、彼の信念もまた正義だと感じたからだよ。少々、手荒で性急な男だがね」

「嘘でしょ!? 洗脳でもされた!? だって連中は――」

 レンブラントは客間の扉に手を掛ける。蝶番の甲高い音と共に、扉が開かれると、そこには、

「よお、嬢ちゃん。久しぶりじゃねぇか」

「はぁ……生きてたのね。取ってつけたような腕も生えちゃって。暫く振りね、サルバトーレ」

 かつて共にマフィアを率い、そして死闘を演じた、サルバトーレ。彼は当時から変わらず、貴族の邸宅には不釣り合いな、デニム地の上下という肉体労働者のような格好をしていた。一つ異なるのは、ウルリカとの戦いの最中、自ら切り落とした右腕があること。それは甲冑の手甲のように、内部構造を板金で包み込んだ形状。実態は魔力を動力源とする、精密な機械仕掛けの義手――そう、一行が探し求める品だった。

「あんたがいるってことは……まあ、そうよね。はぁ、帰ってきてこんなに早くロクでもないことに巻き込まれるなんて。ちょっとは空気を読んで、二日三日くらい休ませなさいよ」

「これから更にロクでもねぇことに巻き込まれんだ、弱音吐いてる場合じゃねぇぜ」

 ウルリカは肩を落として、その落胆と諦観から、吐いた溜息と共に身体の力が抜けていく。それは、臨戦体勢を解いた証拠だった。彼女はサルバトーレと交わした軽口だけで、レンブラントの言葉の意味を、おおよそ理解していた。

「え? なになに? 僕話についていけてないよ~?」

 エレインはウルリカの後ろで途方に暮れていた。目の前でただ言葉遊びが繰り広げられるだけで、肝心な内容が回ってこないのだ。隣にいたアクセルの顔を見ると、同じ顔があった。見合わせた二人は「だよね〜」と小声で同意を交わす。

「……あれは、アナンデール侯爵……?」

 ルイーサが呟いた。彼女の視線の先、サルバトーレの背後には、客席として設えられたソファに座り、正面から一行を鋭い眼光で射抜く、壮年の男がいた。

 浅黒い肌、長い黒髪を後ろで結い、黒いシャツと黒い燕尾服を纏って、黒い革靴を履いた、全身の隅々まで黒々とした装い。厳格さと威厳を感じさせるその様は、漆黒の気高き獅子を彷彿とさせる。

「貴様が勇者ウルリカか。いつぞや、我が家人のサルバトーレが世話になった。女子供と侮っていたが……なるほど、貴様のその双眸そうぼうが、秘めたる才気を物語っている」

 水底のように深く、鋼のように鈍い声色。男の全てが“黒”を象徴していた。

「俺の名は、ゴドフリー・アナンデール。貴様が真に勇者たらんとする人間ならば、最大限加担する意思のある者だ」

 ゴドフリーと名乗る男は“加担する意思がある”と言う。だが、ウルリカは終始興味なさげに耳を傾けていた。彼女の興味の矛先はただ一つ、サルバトーレの装着する義手。それはセプテムの技術であり、現状アウラには無いもの。それを家人に与えられるということは、アナンデール家の潤沢な財力、そしてなによりも、手配できるだけの人脈を持っているということだ。

 互いに互いを利用しようとする思惑が渦巻き始める。


―――


 二頭の馬で引く、幌付きの高級馬車がアウラの中心地から、北方の郊外に向かう。そこに、アレクシアとイングリッドが乗っていた。

 市場には露店が連なり、人々の声は絶えない。暫くして活気ある街並みを抜けると、豊かな自然が広がっていく。二人は長らく離れていた生家へと帰省の途に就いていた。

「あー。まずウルリカたちと合流、そっからヴァイロン王と謁見、王命を賜る形で俺の部下を引き連れセプテムに出立。ああ……の前に軍務を捌かなきゃいけねぇな。面倒クセェ」

 アレクシアは使い込んだ手帳を片手に、今後の予定を組んでいた。その責任ある立場ゆえに、膨大な量の仕事が山積しているようだ。

「姉様、わがままも大概にしませんと、帰る場所を失いますわよ。ただでさえ面倒を掛けているわけでしょう」

 ルイーサは既に今後の段取りを終えているのか、涼しい表情でアレクシアを窘める。

「分かってるさ。かわいい部下たちだ、俺がいねぇあいだに何かあっちゃ困るからな」

「既にハプスブルク卿も手続きに動いているとのことですわ。あの男は優秀……いえ、優秀に過ぎます。いつも何を企んでいるか、見当もつきませんもの」

「ハプスブルク……あいつが妙に物分りの良いときゃ、必ず裏がある。とはいえ、自由にさせてくれる分には都合がいい。セプテムの革命は短期で決着がつきそうだ」

「ええ。そうでなければ、無益に消耗するだけでしょうから。それはよいのです……問題は――」

「ああ、あいつは“アナンデール卿と接触し、力を借りろ”と言ってきやがった。確かにアナンデールにはセプテムとの繋がりがある。それも、膨大な人脈ときた。およそカタギの人脈じゃねえだろうが……なら、わざわざ現政権打倒を目論む連中に加担するはずがねえ。ボブロフ王はマフィアと蜜月の関係っつう話だからな」

「ですが、ハプスブルク卿は無謀な賭けは絶対にしない男ですわ。それが意味するものは、やはりあの男とアナンデールは、繋がっているのではなくて?」

「十分に考えられる。だがなにより、いくら短期決戦だと言ってもだ、小規模な遠征軍かって水準の武力投入こそ問題だ。ウチの国防軍からちょろまかして約二百人、革命軍が数千人。アナンデールのギャング連中を加えたなら、紛争一つ起こすのもわけねえぜ。セプテム軍の軍備は対魔物が主体、対個人は想定してねえ。もし両者で戦いが起きたなら、国中が火の海だ」

 古来より続く体術と魔術をかけ合わせた戦術を、セプテムは先の大戦から否定し続けている。ひとたび魔物に白兵戦を臨めば、魔物の頭数以上の人間が死ぬことになるからだ。

 世界でただ一人の勇者でさえ、魔物の群勢を前には有象無象。人一人で人類を救える超人など、この世には存在しない。その現実を痛いほど味わったセプテムは、その軍備を対魔物にのみ特化し、対人を想定しない大量殲滅兵器を備えることとなった。

「それらを鑑みると……ハプスブルク卿はもしかして、“その後”を危惧している……?」

「なんだそりゃ? 国土の損壊を無視してでも、現政権が革命軍を潰すとでもいうのか?」

「いえ、今までの話を鑑みて、あの男がどの時節に危機感を抱いたのかを推察しただけですわ。実際に何が起きるかなど、想像もできません。ただ、私たちの視野外で、何かが動いているように思えてならないのです」

「……まあ、俺たちが今考えたところで、何も分かりゃしねえさ。だが……確かに、何でか分からねぇが、胸騒ぎがしてならねぇ。用心しねぇと、足元を掬われる気がする。直感だがな」

「姉様の直感は不本意ながら、そこいらの占星術師よりも遥かに的中しますわ。当てにするつもりはありませんけど、頭の片隅に置いておく必要がありますわね」

 そうこう会話しているうちに、二人が乗る馬車は、市街地を遠景に望み、見渡す限りの平原、そして地平線へと続く街道を走る。しばらくのうち、ローエングリン家邸宅が現れた。

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