マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-039【姉妹の帰郷】

 年季の入った邸宅、その周囲は丁寧に整えられた生け垣が囲い、低く切り揃えられた芝生が足元を優しく包む。生垣で縁取られた色とりどりの花を咲かせる花壇が等間隔で設けられ、花道のように真っ直ぐ玄関へと導いた。眼前には、深い色味のレンガで造られ、対象的に白色の木枠が印象的な窓が所々に備え付けられた、厳かな体裁でありながら親しみやすい、ローエングリン家が構える。

 そこは一行が馴染み深い生家。ガラスに植物模様があしらわれた玄関扉、手に馴染む質素なドアノブを回すウルリカ。扉を開くと、深い色味を湛えた木でできた、慎ましい装いの広間が広がる。屋根窓から陽の光が差し込み、広間は淡い光で満ちていた。

 橙色の短い髪をした一人の女中が、モップを持って広間の床を隈なく掃除していた。玄関扉が開き、ぞろぞろと一行が入ってくると、せっせと働いていた女中は一転、目を見開いて立ち尽くし、仕舞いにはモップの柄の握りを失念して、木の床に音を立てて取り落としてしまった。

「あっ……あっ、あっあっあっ」

 あわあわ、と取り乱し、表情は驚愕の色に染まっていく。元ハウスキーパーだったルイーサは、その固まってしまった女中を見て、やれやれ、といった顔で額に手を当てて首を振る。

「モニカ、ウルリカ様が帰省致しました。旦那様を呼んで来なさい」

「は、はっ、はいぃーーーーー!」

 モニカと呼ばれた女中は、かつて上司だったルイーサの命令に、跳ね上がるような声を上げる。丈の長いスカートをたくし上げて、一目散に玄関正面の二又階段を駆け上がっていった。

「申し訳ありません。先程の者は現ハウスキーパーのモニカ。女中歴は長いのですが、如何せん対応力の弱い人間です。家事全般は習熟しており、完璧にこなせはするのですが――」

「……ぷっ、ふふふふ、あはははは!」

 ルイーサが弁明を述べている最中、エレインが堪えきれないという調子で吹き出した。

「やっぱりウチだなぁ。なんていうか、貴族っぽくない間の抜けた感じが」

「それ、あんたが言える?」

 エレインの言葉に、ウルリカがすかさず突っ込みを入れる。「あんたの間が一番抜けてんのよ」とウルリカが言うと、エレインはむくれたように頬を膨らませる。

「ローエングリン家譲りだよ! ……きっと!」

「そうかもしれませんね、僕もよく言われますし」

「あんたら揃って血縁じゃないっての」

 一同の会話は相変わらずだ。ただ、生まれ育ったこの家で、こうやって交わされるのは暫く振りだった。ルイーサはその光景に、深い感慨を感じていた。その他愛のない談笑こそが、掛け替えのないものだったのだと。

「お前たち! 帰ったか!」

 階段の上から声を上げて、満面の笑みで皺を深く湛える、初老の男。長い白髪が胸元辺りまで伸び、紺色の燕尾服を纏った、貴族然とした紳士。ローエングリン家当主にして、ウルリカたちの父レンブラントその人だった。

 急ぎ足で階段を駆け降り、大きく腕を開いて、最前列にいたウルリカを抱き寄せる。

「よく帰った、ウルリカ……!」

「……ちょっと、痛いわよ父上」

 ウルリカは突然レンブラントに抱きしめられて、頬を赤らめる。人前での抱擁で、恥じらいがあってか、直立不動になってしまい、抱きしめ返すことが出来なかった。

「……ただいま」

「ああ……おかえり、ウルリカ」

 レンブラントは瞳を閉じて、嬉しさに満ちた微笑みを浮かべた。抱きしめた腕を解き、ウルリカの頭を撫でる。「ふん」と鼻を鳴らし、そっぽを向いた。以前と変わらないわが子に、微笑み返すレンブラント。

 続けて、ルイーサを抱きしめる。

「ルイーサ、よく無事で帰った。ウルリカがこうして無事であるのは、お前が共にいてくれたからこそだと思っている。これからもよろしく頼む、ルイーサ」

「滅相もございません。私からも、よろしくお願い致します、旦那様」

 そして、アクセルの失われた右腕を見て、レンブラントの表情が曇る。

「アクセル……すまない」

「旦那様、これは名誉ある傷跡でございます。この傷は、窮地にあったウルリカをお守りした時にできたものです。ウルリカの使用人としてこれまで生きてきて、これ以上の名誉はありません。それに、なにより、僕はまだ生きていますから」

「ああ……ああ……! そうだな、アクセル……! よく帰ってきた、よくウルリカを守ってくれた。ありがとう、アクセル」

 そう言って涙ぐむレンブラントは、再びアクセルを抱きしめる。力強く抱きしめるその抱擁は、アクセルの功労と安泰を称えていた。

 最後に、レンブラントはエレインに歩み寄り、抱きしめようとする。だが、エレインの表情は沈んでいた。

「エレイン、どうした? 浮かない顔だぞ?」

「お父さん……お父さんが、せっかく入れてくれた大学を出て、せっかくグラティアの士官になって、マース様にも認められるようになったのに。せっかく、お父さんに孝行できたはずなのに……ごめんなさい!」

 エレインは自責の念に駆られ涙を流し、頭を下げて謝罪した。だがレンブラントは柔和な表情で、頭を下げるエレインの肩に優しく触れて、語りかける。

「エレイン、そんなことは関係ない。お前が無事帰ってきてくれたこと、お前が本当に目指したいと願った道を歩めていること。私には、それがなによりも嬉しいのだ」

「お父さん……」

 頭を上げて、涙も鼻水も流し、泣きじゃくる子供のような顔のエレインに、レンブラントはいつものように微笑み返す。

「おかえり、エレイン。マンネルヘイムの、そして私の――自慢の子よ」

 そう言って、レンブラントはエレインを優しく抱き寄せる。彼女の滂沱ぼうだの涙と鼻水が、レンブラントの肩を濡らした。

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