マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-035【相克する覚悟と矜持-壱】

「万病を模し、症候群を現す闇魔術『黒死症候群ブラックシンドローム』。本来は結界魔術に類するが、仕込み杖から媒介させ、直接体内に印を流し込んだか。なんとも無鉄砲だが、空間を媒介する魔術が使えぬ『事象離散化魔術デジタルゲーティア』位相内では十二分に有効か。何せ魔術が使えない以上、手の施しようがないのだからな」

「……モヤシ、冷静に分析してんじゃねえよ」

 サルバトーレは、しかし、如何に魔力を微弱に抑えているとはいえ、人体には常に魔力が流れ続けている。幾ら遅滞しようとも、肉体を蝕む魔術は消えていなかった。

「サルバトーレ……あんた、早く処置しないと……死ぬわよ?」

「はっ……ご忠告どうも」

 ウルリカの言葉を軽くいなし、サルバトーレは自由の効く左手を懐に差し入れる。取り出したのは刃渡り三十センチほどもある、革の鞘に納まった大振りのダガー。

 歯で鞘を噛み、荒々しい仕草でダガーを引き抜く。鞘を吐き飛ばし、左手に持ったダガーの刃を黒い滲みに染まりきっていない腕の中ほどまで持っていった。

「……あんた、正気?」

 呆気に取られるウルリカをよそに、サルバトーレの表情は真剣そのものだった。左腕には、彼の持つ魔力が一極集中していき、元から隆々とした筋肉は、見る見るうちに肥大化していく。魔力が充填し、右腕と比較して一回り大きくなった左腕を、うず高く振り上げ――振り下ろす。

 黒く染まった右腕は切断され、噴き出す血液とともに宙を舞う。苦痛にゆがむ表情を湛えたサルバトーレは、しかし動きを止めず、手に持ったダガーで右袖の肩口に切れ込みを入れ、袖口から一気に引き切る。それを手で引き裂き、細長い布切れを作った。残った袖を右腕の断面に宛てがい、その上から即席の布切れを包帯の要領で強く縛り付けて、圧迫止血する。

「恐れ入ったわ……後先考えず切り落としたかと思いきや、慣れた手つきで処置するなんてね」

 ウルリカは感服した表情だった。だがその驚嘆すべき光景は、危機的状況の裏返しでもある。

「ハァ、ハァ……チッ、手こずらせてくれるぜ。だが……テメェの快進撃もここで打ち止めだ」

 応急処置を施したとはいえ、切断の激痛は当然、サルバトーレの脳裏を貫く。脂汗が滝のように流れ落ち、脈動も心臓が破れるほど早く、過呼吸で唇が変色し震えるほど。それでも彼は残された左手で銃を拾い、ウルリカにとどめを刺すために、歩み寄る足を止めようとはしない。

(さて……どう切り抜けるか)

 ウルリカは手持ちの装備を確認する。予備として持ってきた真紅に輝く魔石が一つ、侵入時に使用したワイヤー銃が一丁。

「あんたに聞きたいことがある。さっさと吐いたほうが痛い目見ずに逝けるぜ」

「あら、今のところあなたの方が死んじゃいそうに見えるけど?」

 サルバトーレは眉一つ動かさず、引き金を引いた。耳を劈く発砲音とともに、銃弾はウルリカの右太腿を貫く。

「誰が無駄口を叩いていいと言った? 俺としちゃ、詭弁家みてぇなその口を一秒でも早く黙らせたいんだが……親父の命令でね、あんたにゃまだ死んでもらっちゃ困るんだよ」

(二……)

 歯を食いしばり、顔を上げて睨みをきかせるウルリカ。その表情にサルバトーレは眉間を上げて冷酷な笑みを返す。

「そう睨むなって、素直に話しゃ無闇に甚振いたぶらず殺してやるっつってんだ。界隈じゃ、これ以上の温情はないぜ?」

「おい! 私との約束を反故とするつもりか! 彼女は私のものだ!」

 ティホンは声を荒げる。サルバトーレは溜息を吐きながら、頭を横に振る。

「本当に気色悪りぃ野郎だ。この状況下でテメェの望みなんざ叶えられっかよ、無能が」

 サルバトーレは背後にいるティホンに対して、振り向きざまにそう吐き捨てる。

 その瞬間を見計らっていた。ウルリカは右手を背中に回して、ポーチからワイヤー銃を取り出し、天井の大穴に向かって射出した。地上から地下までの厚い層を持つ大穴の側面に着弾し、返しの付いた針金がワイヤーを固定する。そのワイヤーを右手で引っ張り身体を持ち上げ、まだ健在な左足で身体を支えた。

「おいおい、どこに行くってんだ?」

 再びの発砲音。ウルリカの左太腿が撃ち抜かれる。尻餅をつきながらも、右手に持ったワイヤー銃を離さない。

(一……)

 ワイヤーを引っ張り、右手だけで身体を持ち上げようとするも、更なる発砲音。右肩と鎖骨が粉砕する。ワイヤー銃を握る手に力が入らない、もはや右腕は上げることもできなかった。

(〇……)

「そう慌てんなよ、すぐ天に召してやるってんだ」

 サルバトーレは手に持っていた銃を捨て、足元に落ちるダガーを拾い上げる。

「大方、弾を打ち切らせる算段だったんじゃねえか? テメェの場合はよ、無駄に頭が切れるからな。確かに、こっちにゃもうナイフ一本しかねぇ。ナイフなら、近づかなけりゃテメェに傷一つつけられねぇ。だが……魔術師って輩は用心するに越したこたぁない」

 そう言ってサルバトーレは、手に持っていたダガーの刃先をウルリカに向けた。親指は鍔の位置にある留め金に置かれていた。

「……弾道ナイフ」

「ようご存知で。こいつは刃先がすっ飛んでいく、テメェのドタマにな」

 弾道ナイフ、それは柄に内蔵されたバネの力で刀身を射出する、奇襲などで用いられる武器だった。魔力が込められたならば、刀身は弾丸と見紛う速度で射出される。

「さて、ようやく質問だ。一つ、誰の指示で動いてやがる?」

 誰の指示、という言葉が示すもの。それは当然、ウルリカが誰かの意思に沿って目的遂行しているということ。サルバトーレはそれを知っていて、かつ吐き出させるためにウルリカに接近したということ。

(恐らくこっちの目的は、凡そ知られてる。現に“不利益を被ってる”から、こっちの目的如何を導き出してる。そして、誰の指示かを聞き出せさえすれば、最悪の状況は回避できると踏んでる。相手が分かれば、手の内が読めてくる。社交界に積極的なアナンデール卿には、それが可能)

 貴族にとって代表的な交流の場といえば“社交界”を指し、交歓や情報共有の場という他に、敵情視察の意図を持つ。そこから相手の持つ手札を読み取っていく。

 “社交界”とは貴族社会における権力闘争の縮図と呼べた。

(だけど、アナンデール卿はまだ相手の正体を掴みきれてない。“不利益の被り方”からして、凡そ見当はついてるんだろうけど。でも、正体が分からなければ、こっちの目的は分かっても、不利益を被る主因が突き止められない。だから、未然の策を立てられない。サルバトーレ、いやアナンデール卿にとっては、この質問が前提であり、最大の目的……そう、だから)

「……あんた、一つ勘違いをしてるわ」

 ウルリカがそう言うと、サルバトーレの弾道ナイフを握る手が強く絞められる。

「おい、死ぬか? 質問に答えろと――」

 ウルリカは怖気づくこともせず割って入る。

「待ちなさい、せっかち者。あんたたちは大きな勘違いをしてるのよ。あたしは確かに、誰かさんの目的の為に動いてるわけだけど、決してその誰かさんの指示を受けて動いてるわけじゃないわ。あなたも分かるでしょう? あたしは指図されるのが嫌いなの」

「……だからどうした?」

「まだ分からないの? あたしは誰かさんの目的の為に動いてる一人に過ぎないの、しかも外様でしかないわ。あなたたちが追うべきは他にいた、そういうことよ」

 サルバトーレは皮肉な笑みを湛える。

「ならテメェから吐かせるまでじゃねぇか。その話を聞いて、俺が素直に踵を返すとでも思ったか? 甘ぇよ、テメェはここで死ぬ、どのみちな」

 ウルリカは溜息を吐いて、呆れたように首を横に振る。

「まったく、あんたもアイツと何ら変わらないわね。肝心要がスッポリ抜けてんのよ、雑魚」

「ガタガタうるせぇ! さっさと答えやがれッ!! 次その減らず口叩きゃぶっ殺すぞッ!!!」

「いい加減気付きなさい。あんたが相手にしてるのは、他でもない“あたし”なのよ?」

 そう言い終えた、瞬間、接地したウルリカの左手を中心に、赤く眩く、発光し始める。しびれを切らしたサルバトーレは、彼女の頭部を目掛けて弾道ナイフを射出――その時、彼女の左手から溢れる煌々とした光は、赤熱の爆炎へと変わった。

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