マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-034【虎穴に入りて独り-参】

「サルバトーレ・ルチアーノ。いいえ、あんたはうにルチアーノの名を捨てた。今はそう、その名を、サルバトーレ・アナンデール、と呼ぶのよね?」

 そう呼ばれた瞬間、サルバトーレは目を見開いた。僅かな時間、静寂が漂う、ウルリカは鋭い眼光で彼を射抜き続ける。周囲に居た部下たちは、信じられない、といった表情を湛えて彼を見つめた。

 ついに観念したのか、男は目を閉じ、鼻で笑い飛ばす。

「おいおいおい……お前たち、俺を疑っちまうのか? こんなもんじゃなかったはずだぜ? 俺達の信頼関係はよぉ」

 サルバトーレが軽口でそう言うと、取り巻いていた組員たちは安堵の溜息を吐く。

「へへっ、心配いらねぇですぜ。もちろん疑っちゃあいませんよ。旦那が俺達を謀るわきゃ——」

 突如、二発の銃声が鳴り響く。サルバトーレは先程打ち切った銃を捨て、瞬く間に腰部のホルスターからもう一丁の拳銃を引き抜いていた。銃口からは硝煙、そして二人の組員は、彼から引き剥がされるように、八の字に倒れる。そんな状況下で、彼は穏やかな表情を湛えていた。

「……チッ、もう少し泳がせておくつもりだったんだがなぁ。最初から気付いていたな? 気付いておきながら俺を同行させたな?」

「ええそうよ。一度だってあんたを信用したことなんてなかったわ。常に疑っていた。ルチアーノ家という貧困層の出自には似つかわしくない礼節のわきまえ方、初めて会った時から整い過ぎてた組織力と経済力、あまりにも滞りなさ過ぎた弱小貴族たちの懐柔。そもそも先日の銃撃事件、あんたが引き起こしたのよね? そうよ、最初から監視させてもらってたの。あんたがあたしを監視してたのと同様にね」

「ふっ……」

 サルバトーレは銃口をウルリカに差し向ける。その表情には、既に優男の柔和さは無かった。怪しく口角の上がり、目は冷たく光なくウルリカ見下げるその顔は、静かな狂気を帯びていた。

「奇術師。テメェ今もその壁ん中から悪趣味に垣間見てんだろ? さっさとこのガキを捕捉しろ」

「……なんだこれは、なんだこれは!? なんなのだ!? なぜ魔術が使えないのだ!? ウルリカ、貴様! 貴様一体、何をしたのだァ!!」

 先程とは打って変わって、その声はどこからともなく——ではなく、ウルリカが背を向けた壁の中から、何の変哲もない、くぐもった声が聞こえてきた。

「……おい、まさかお前、この邪魔くせぇ部屋中の模様は……魔術を抑えてやがるのか? おい奇術師! 遠隔は無駄だ! 引きこもってねぇで壁から出ててこい! テメェみてぇなモヤシでも、ちったぁ身体使って役立て!」

「呆れた。魔術師ってわけでもないのに、ホント察しがいいわね。その通りよ、空間を伝い事象を再現する魔術は全て取り消されるわ。取り消されるように位相構造を“設定”したの」

「……なに言ってやがる」

 サルバトーレはウルリカに向けた銃口を構え直し、威嚇する。しかし、ウルリカは意に介することもなく、静かに、不敵に微笑んだ。それは、相手を術中に嵌めた者だけが湛える表情だった。

「単に危険だからってだけで禁忌とされてる咒術と違って、これは流石のあたしでも極めて難儀な代物。未だ完成すら見れてない超高度魔術。磁力の魔術師ティホン先生。魔術の含蓄が多少あるあんたなら、こう言えばピンとくるかしら。『事象離散化魔術デジタルゲーティア』って」

 ウルリカがそう口にすると、間を置かず、石と石を削り抉る音を立てながら、背後の壁面が砂状に変形して、流砂のように蠢きだす。そこから次第に、ローブを身に纏った男が姿を現した。

 その顔は、確かにティホンのものだった。だが、幾分か年老いたように感じるほど焦燥と戦慄を露わにした表情だった。

「ウルリカ……貴様、本気で言っているのか?」

「あんたその台詞、心底小物っぽいわよ。実際あんたも試してみて体感できたでしょ? あんたの魔術属性は磁力。空間に磁場を張れてない時点でお察しだわ。だいたい、冗談やハッタリでこんなこと言うわけ無いじゃない。でも、言ったでしょ? 未完成なのよこれは。だって、空間を媒介するあらゆる魔術を設定通りに制御できるのはいいとして、あたしまで制御されちゃお話にならないもの」

 サルバトーレはその言葉を聞いて、ニヤリと笑う。

「そいつを聞いて安心したぜ。今やテメェも魔術が使えねえってことだ。だったら、ただの女子供と変わらねぇわけだ」

 そう言って、躊躇なくウルリカに向かって、引き金を引く――直後には、しかし、反響音。甲高い金属音とレンガの破砕音が鳴り響く。

 射線の先に、撃ち抜いたはずのウルリカはいなかった。

 すかさず、サルバトーレは周囲を洞察する。ウルリカの立っていた地面は、崩落した天井の瓦礫とは別に、強い衝撃により床が抉れていた。恐らくは、発砲の瞬間に移動したのだろう。

 視界の端、右手に高速で動く物体を微かに視認。と同時に、壁を砕く音を捉える。

 今しがた視認した高速で動く物体、それによるものだろう風切り音は、右手から弧を描くように背後に周っていき、真後ろで消えた。すると、再びの壁を砕く音。

 サルバトーレは瞬時に踵を返し、後ろに振り返って銃口を向けようとする——右腕に穿刺痛が走った。銃口を向ける動作の途中で、伸ばし損ねた右腕に対し、ウルリカは覆いかぶさるように前屈姿勢で体重を乗せ、手に持っていた杖——いや、仕込み杖を突き刺していた。

「ぐっ! て、めぇッ……!!」

 サルバトーレは唸り声を上げながらも、仕込み杖を突き刺さしたまま、右腕を力任せに振り上げる。仕込み杖に捕まり切れなかったウルリカは、宙空へと放り投げ出された。足場を失ったところに、間髪を入れず、サルバトーレの蹴り上げが腹部にめり込む。

「ぐぶっ!」

 衝撃を吸収することも出来ずに蹴り飛ばされたウルリカは、激しい勢いで壁に激突し、土煙を巻き上げた。腹部と背部に強烈な痛手を受けて呼吸困難となり、視界は朦朧として白んでいく。聴覚は耳鳴りで殆ど聞こえず、一寸でも気を許せば瞬時に気絶してしまいそうだった。辛うじて残る意識で魔力を回転させ、身体の修復を優先させる。気を失って魔力の回転を止めてしまえば、命をかけて『事象離散化魔術デジタルゲーティア』発動のきっかけを作ったフェデーレの尽力を、無に帰してしまうからだ。

 少しずつ晴れていく視界と聴覚が捉えたのは、苦悶の表情と声を漏らし、右腕を押さえて震えるサルバトーレ。顔は青ざめていき、腕は指先から血色を失っていく。その苦しみは、ただ腕に刺さった仕込み杖による失血と苦痛だけのものではなかった。

「なんだこりゃあ……力が、抜けていく……」

 立っていることもままならず、握っていた拳銃を落とし、膝をついて右腕を抱え身悶えする。サルバトーレは己の魔力を全速力で回転させ、肉体の修復を始めるが——

「……無駄よ」

 まだ手足も痺れ、息も絶え絶えながらも、非情な言葉を吐くウルリカ。その宣告通り、魔力の回転が加速するのに比例して、全身に脂汗が滲み、見る見るうちに衰弱していくサルバトーレ。血色はおろか、色素そのものを失っていき、指先から不自然なほど黒々とした滲みに染まっていった。

「おい! そいつは魔術だ! 魔力の加速が魔術を誘発させる! 魔力を回してはならん!」

 ティホンが啖呵を上げた。その言葉をきっかけに、サルバトーレの魔力は急速に縮退していく。それに伴って、腕を染める黒い滲みは、その侵食を止めた。だが、既に黒く染まった部分の感覚は失われ、小刻みに痙攣していた。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く