マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-032【虎穴に入りて独り-壱】

「何事だ……?」

 会議室に響き渡る震音。幹部らが動揺する中、ティホンだけが冷静に分析する。

「地震、ではありません。魔術の、膨大なエネルギーが、大気に、干渉している」

「……何?」

「“彼”から……逆探知、したところ、約十数秒後、には、天井が崩落、します」

「ば、馬鹿な!? 地上から何層離れてると思ってんだ! ぶち抜くなら大量のダイナマイトを持ってこいってんだ!」

「……可能、です。この、洗練された、術式、ならば。しかし、この魔力の、匂い……過去にも、どこかで、覚えが……」

「貴様、知っているのか? 相手の魔術師の素性を」

「話は、後に。早く、退室を」

 ティホンは腕を横に振るい、退室を促す——しかし、その判断は僅かに遅かったようだ。

 突如として亀裂が走り、轟音を立てながら崩落する天井。石材で織り成され幾重にも連なった地下室への層。そのことごとくがルカニアファミリーらの頭上へと降り注ぎ、下敷きとなって惨たらしい結末を迎える。頭領のサムは最後まで残ると言い放っていたものの、部下達に引き摺られて退室し、一命は取り留めた。しかし、残る幹部は全滅だった。

 そんな中で、ティホンだけは室内にあって、無傷。それは、彼が周囲に纏う、空間の揺らぎに起因していた。彼の周辺に落ちた瓦礫はみな、その揺らぎに近づくにつれて落下速度を落としていき、あたかも強い力で薙ぎ払われるかのように弾き飛ばされていく。

 直後、上層から地下までを貫く天井の大穴から、眩い光を発した魔法陣がまるで昇降機のように降りてくる。ティホンが見上げる視線の先には、幾人かのマフィアと思しき人間に混じって、一人年端もいかない少女の姿を認めた。

 それが、ティホンの頭の片隅にあった記憶を呼び覚ました。

「君は……ウ、ウルリカ……!」

 今まで無表情に徹していたティホンの顔は、一度彼女を見るやいなや、不気味に歪んだ笑みへと変わっていく。それはまるで、他者を弄び狂喜する狂科学者の如く、彼の歪んだ思念を表していた。

「まさかとは思っていたがやはり君かぁ! 君の芳しい“匂い”は学舎で指導していた時から頭に焼き付いて離れなかったのだよ! その齢にしてまさかとは思っていたがこの魔力の匂いはやはり君だったのだな!」

 先程までの吃音とは打って変わって、ティホンは饒舌に言葉を紡ぐ。深々と被っていたフードを勢い良く捲り上げると、そこには黒々とした隈を湛え、痩せこけた中性的な顔立ちが現れた。血走ったその目を見開き両腕を広げて、演説家の如き抑揚でウルリカを歓迎する。

「……うわぁ……きっしょ。一戦交えようって黒幕が、人格破綻と小児性愛とを患った下種だなんて……あたしもつくづく男運に恵まれないわね」

 乗じていた魔法陣を解除し、瓦礫の山に着地――その瞬間、周囲に散乱した無数のナイフやフォーク、壁に飾られた盾や剣など、室内のありとあらゆる金属物が、一行を目掛けて飛び掛かってきた。

 ウルリカはすかさず、腰に差していた杖を抜き、横薙ぎに振るう。すると、杖の先端に接がれた純白に輝く宝石が、眩い光を放つ。同時に、杖を振るった軌道に沿って、彼女らの周囲に円筒状の魔法陣が展開されていき、迫り来る金属物の遮蔽となった。

 それが魔法陣に触れるたび、火花を散らしながら金属の金切り音が木霊して、あたかも苛烈な銃撃戦が目の前で繰り広げられているかのような様相を呈する。

 部下たちは恐れ慄き、今にも腰を抜かしてしまいそうだったが、ウルリカとサルバトーレは平静な面持ちを保っていた。

「よろしい! 虎穴と解った上で臨んだだけの備えは万端のようだ! では次の課題と行こうか!」

 ティホンは喜々としてそう話すと、懐から小さな瓶を取り出し、中に入った銀色の液体金属を足元に零す。すると『それ』は、まるでアメーバの如く蠢きだし、次第に体積を膨張させて、楕円形の球体へと姿を変える。先程まで銀色の光沢を持っていた『それ』は、形が変形していくにつれて、炭のように黒々と変色していった。

「魔石の応用、擬似的な使い魔とも呼べるだろう。小等部では当然習わないが、君のその国宝と呼んでも差し支えない頭脳なら理解しているのではないか?」

「あんたそれ……まさか“咒術じゅじゅつ”!?」

「ご名答! 低級だが精神が備わっている。私の専売特許は君もご存知の通り磁力だがこいつは闇の眷属けんぞくだ。際限なく君の魔力を取り込むぞ?」

 ティホンが興奮気味に言う。途端、『それ』は沸騰するかのように歪に蠢きだし、表面のそこかしこから触手のように変形した液体金属を素早くウルリカたち目掛けて伸ばす。

 その触手が円筒状の結界に触れると、互いの魔力の相克によって引き起こされる、電弧を生じる。この電弧はつまり、魔力の浪費を示す。ウルリカの魔力は、膨大に消費されていったのだ。

「チッ、まずいわね……」

 だが、彼女は反撃に移れない、そも結界の維持で精一杯だった。闇を司る『それ』が、円筒状の結界を徐々に包み込んでいくからだ。結界の維持には、『それ』と接する表面積の全てに、一々気を遣わざるを得ない。寸分でも隙を作ってしまえば、身体のあらゆる機能を闇に蝕まれてしまう。そして最期には、手も足も、その命までもが、『それ』に奪われるだろう。

「さあどうする! 君はこの程度で詰んでしまう程度の魔術師だったのか? 意地を見せ給えよ!」

 ティホンが両手を広げて声を張り上げる——その時、ウルリカが敷く結界を覆っていた『それ』の、一部が弾け飛んだ。腕一本が通るほどの穴が開き、そこから幾発もの銃弾が、ティホンを目掛けて射出された。

「……なんだ? この玩具は」

 しかし、その銃弾はティホンの眼前で急速に速度を落としていき、遂にはその推進力と回転運動を止め、宙空で静止してしまった。

 眉をひそめ、あからさまな侮蔑を現しながら、

「ウルリカよ、私は失望したぞ? こんな薄汚れた低俗な文明に自らの命運を託すとは、あまりにも恵まれすぎた神童である君のやっていい所業ではな——」

 銃弾を指で摘んだ——その瞬間、目も開けられないほどの光を放ち、銃弾は炸裂した。複数撃ち込まれた銃弾が連鎖的に炸裂し、ティホンは爆発の中に巻き込まれていく。ひとたび爆発起きると、その爆熱が周囲に浮遊する塵に引火して、更に粉塵爆発を引き起こした。

 魔力の供給が絶たれた『それ』は、たちまち元の液体金属へと変わり、へばり付いていた結界の側面から滴り落ちていく。

「ったく、無茶言ってくれんぜ……尖兵ってタチじゃあねぇのによ」

 部下たちを率いて銃を構えていたサルバトーレ。ウルリカは片手に杖を持ち、もう一方の手で親指と人差指とを付けて輪を作る。その輪の中には魔力によるシャボン膜のような薄膜が張られ、そこにサルバトーレの構えた銃の口をあてがっていた。この薄膜に弾丸を通すことで、炸薬化させていたようだ。

 当然、発砲時に銃口から発生する衝撃波によって、通常ならば指など跡形もなく損壊するはず。だが、ウルリカの手を覆う、ベールのように靡く魔力の結界が、それを防いでいた。

「哀れね、先生。あんたの言う低俗な文明に咬み付かれた気分はどう? 元は没落した魔術師の家系、今じゃ貴族に仕える身……とはいえ感覚が古すぎるわよ」

 濛々と立ち込める煙が天井にぽっかりと開いた穴へと昇っていき、周囲は次第に晴れていく。その部屋に設えられていたはずの什器は全て、跡形もなく爆散していた。そこはあたかも白灰が山積した廃墟の如き様相を呈していた。そして眼前には煙にまみれた人影が徐々に姿形を現していく。

 そこには、片手を失い、身体中が焼け爛れた——“男”の姿があった。

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