マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-029【包囲網の魔術-弐】

 ウルリカが前もって放ったクレストレートの斥候せっこうにより、ルカニアファミリーの主要メンバーに対して捕捉粘弾を付着させることに成功する。衣服に付着させておけば、仮に水で洗い流そうとも、数日間はその効力を発揮した。

 その間にウルリカは連中の動きを分析。その行動範囲、行動傾向、行動習慣は今や筒抜けとなった。早速ウルリカはサルバトーレに分析結果を共有する。ルカニアファミリーに対する次の一手として、サルバトーレは交流を深めた反ルカニア派の貴族らに、戦略的支援を求めた。結果、その貴族らの息が掛かった商業区画から、彼の組織の者が次々と排斥されていったのだ。それも、連中の主要メンバーが感知し対処する猶予を与えず。

 それは、ウルリカが分析した情報により、虚を衝くタイミングを悉く選択できたが為だった。その見返りとして、サルバトーレはその商業区画で得た売上の一部を、貴族らに握らせた。

 こうしてルカニアファミリーの商業範囲は、次第次第に狭まっていき、職にあぶれた売人をサルバトーレが抱え込んでいくことで、組織そのものをも縮小させていく。相対的に軍資金は失われていき、ルカニアファミリーが囲い込んでいた貴族らの中から不満が顕著に噴き出してくる。そこにサルバトーレが食い込んでいくことで、クレストレートは更に権力を拡大させていく。

 何より、地下組織であるにも関わらず、グレーゾーンの限度一杯までの商法に限定して利益を得ていたのがクレストレートだった。万一、政府直轄の公安組織に目を付けれらた際に、協力関係として一枚噛んでいたとしても、最悪の事態は免れることができると、保険の意味合いもあってか、貴族から重宝されることとなった。

 その実、ルカニアファミリーは既にクレストレートに包囲されていた。彼の組織の影響力が弱い周辺区画から蚕食していったことで、事実上互いの版図は逆転していた。実行に移してから現在に至るまでおよそ半年という、まさに電撃作戦。

 抜かりなく仕組まれた常に先を取るウルリカの攻め手に、ルカニアファミリーは対応し切れなかった。そして、この期に至り焦燥に駆られた彼の組織は遂に、最大の悪手を打つ。そう――直接抗争を引き起こしたのだ。

 ウルリカに報せが届く。その内容は、組織の売人が銃弾を受けた、というもの。その売人はかつてルカニアファミリーの者で、サルバトーレに懐柔された一人だった。また、銃を放った人間は、彼の組織の幹部に位置する人間だそうだ。

 いつものくたびれた集合住宅で、座ると軋む椅子に腰を下ろしていたウルリカは、顔色一つ変えず書面に目を通す。

「――ようやくね。こうなれば、もう向こうに義は無いわ。あとは単なる殲滅戦よ。如何に長引かせず相手を沈黙させるか……極めてシンプルな話しね」

「殲滅戦――本陣を叩くのか?」

「籠城を構えられては厄介だわ。奴ら幹部級連中の結束力は侮れないものを持つからね」

「どうするんだ? 引き続き電撃戦か?」

 そう聞く男に対して、ウルリカは今までにないほど真剣な眼差しで、男を見つめる。

 それはいつものような、どこか気だるげな彼女ではなく、相手の芯を掴むような鋭い気迫を湛えていた。

「――そのための、あんたよ」


―――


 その日、事は大きく動き始める。

 東側地区の中央にある、歓楽街に面した住宅街に、ルカニアファミリーの根城があった。そこはいわゆる、中流階級以上の人間が住まう高級住宅街だった。

 不動産業も商うルカニアファミリーは、周辺の地主的立場を誇っており、貴族との金銭的繋がりも、それが大きな理由の一つだった。貴族の所有する都市部の広大な土地を、団地として再開発。居住者から賃貸料を巻き上げて利益を上げ、そこから一定額を貴族に還元する。そうして、彼の組織は財力とともに政治的影響力をも増していった。

 しかし、肥大化した組織は、次第にそのフットワークを自ら重くしていく。ウルリカ率いるクレストレートの電撃戦に対応できなかったのは、それが一因でもあった。

 ウルリカらは、ルカニアファミリーに加担する甘い蜜を吸う貴族に、深い怨恨を募らせる弱小貴族たちを勧誘し、商業範囲を奪い取っていくことで、実権を拡大していった。今となっては、彼の組織よりも、クレストレートの方が大きな伸び代を持っていると、貴族社会からは判断され、評価は逆転した。

 危機感を募らせたルカニアファミリーは、極秘裏に緊急集会を開く。歓楽街に面した高級住宅街の通りに建つ、赤茶色いレンガ造りの一際大きな建物が、彼らの根城。

 組織内で信用を勝ち取っていたその“男”は、数少ない信用に足る構成員の一人として、その集会に呼ばれた。

 豪勢な什器が設えられた会議室は、今やその重苦しい雰囲気を演出するのに一役買っていた。大きな円卓を前にして顔を並べた幹部らは、まるで燻ぶった火薬庫のように張り詰めている。

 “男”は幹部らの背面で、他の構成員らと同様に佇んでいた。唯一つ違ったのは、その手に持つ革装丁の手帳と、“男”の立場では不釣り合いな万年筆。“男”は常にその二つを所持し、あらゆる言葉や出来事を記述していた。“男”は現場における記録係として、組織に重宝されていたのだ。この場に置かれる所以の一端だった。

 しばらくして、会議室の扉が開く。複数人の構成員を引き連れて、ルカニアファミリーの頭領として君臨する、サム・デトルヴが現れた。筋骨隆々、という言葉が相応しいほどの剛の者だった。背丈は決して高い方ではないが、そのシルエットと威厳ある雰囲気から、まるで大男を思わせた。

 そしてもう一人、彼の後に入室した男。長身痩躯で顔色が青く、組織の者にはまるで見えなかった。それもそのはず、組織の者が皆、黒い背広を身に纏う中で、深々とフードを被り、地面に着くほど長いローブを垂らしていたからだ。その様は、隠者という言葉が当てはまる。実際、周囲の誰もが、その細男を知らない様子だった。

 サムが席につく。この集会の口火を切るのもまた、頭領の役目だった。

「皆、よく集まってくれた。此度の集会は他でもない。あの忌々しいサルバトーレと、未だに実態が掴めない小賢しい小娘率いる、クレストレートなる組織の件だ」

「あの裏切り者が……飼い主に牙を向けやがる、狂犬め」

 幹部の一人が悪態をつく。それをきっかけとして、方々から激が飛び始めた。サムがそれを制止する。

「黙れお前ら! 今交わすべきは愚痴じゃあねえ。ここは……認識をはっきりしておこう。俺たちは今、窮地に立っている。奴らは、俺達が今の立場に胡座あぐらをかく間に、既に脅威へと変貌した。俺の知る限り、連中はまるで前例がねえ。組織として、この半年間で合理に徹した手段で、異様なまでの速さで成長した。言いたくはなかったが……奴らは何かが、おかしい」

 サムは、頭領に相応しいその鋭い洞察力によって導き出された、明らかな違和感を幹部らに告げる。そして、彼は立ち上がり、先程から皆が気に掛かっていた、細男を前に出す。

「こいつは、俺たちの最大の後援者でもあるアナンデール卿に仕える魔術師、だそうだ。俺自身、そういうきな臭い物事ってのは好かん――が、今はそうも言ってられん」

「ボス、あんた一体、何があったんだ……いつもならそんな連中の手を借りるのなんざあ、たとえ指を詰められたところで御免被るのが、あんただったろうが」

 幹部らは明らかな態度で訝しみ、サムを問い詰める。しかし、サムはそれに一切意に介さず、毅然とした態度で淡々と説明を始めた。

「――俺が、アナンデール卿と会食をしていた時だ。侯爵は、我らルカニアファミリーの情勢を危惧して、俺を呼びつけた。侯爵もまた、奴らの異様さに気付いていたんだ。そこで侯爵は、この魔術師に命令した。奴らに何が起きてるのかを、見定めろと」

 サムがそう言うと、細男はその鋭い視線を幹部らに移して、

「……魔術の、痕跡です。それも、大変高度な」

 そう辿々しい口調で呟いた。途端、幹部らはざわめきだす。

「おいおい、なんだってんだ、そいつは……ちゃんと説明しやがれ」

「こいつは厄介な話だ。俺たちは奴らの術中に嵌められたんだ。情報戦で常に先手を取られてきたのは、そういうこった。俺たちの行動は、まるで筒抜けだったってことさ」

 幹部らはそのざわめきを更に増していく。苛立ち始め、熱気を帯びていく。

 “男”は、万年筆を握るその手に滲む脂汗を感じていた。必死に平静を装い、革表紙の手帳に万年筆で記録していく。文字にならない文字だったが、とにかく“男”は必死に筆記し続けた。

 その時だった。細男の鋭い視線が、“男”の方を向く。その機微には誰も気付くことはなかったが、“男”はその視線にはっきりと気づき、立ち竦んでしまった。

「……この組織には、裏切り者が、居ます。いえ……密偵、という、ものでしょうか」

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