マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-027【神童の深き谷底-参】

 その後、三人は大通りの人混みへと消えていった。その現場に鉢合わせたのは、今から約三ヶ月前のことだ。

 赤の他人から見れば、特筆すべき出来事があったわけではない。だが男にとっては、密かにウルリカの人間らしさを垣間見られた、それこそが何よりの収穫だった。それが彼女との唯一の、そして一方的な繋がりであり――余りに都合の良い思い込みだが――組織の一員、いや側近にすらなれたと無意識に感じていた。

「何? 突っ立ってこっち見て、気持ち悪いわね。集中できないから、あっち行くか座っててよね」

 ウルリカは男に目を合わせるでもなく、そう言った。男はその言葉に多少なりとも親しみを感じ、口元を綻ばせながら席に座る。

「……次に攻め落とす奴らは決まってるわ。今回はあたし含め組織的かつ迅速に動かなきゃいけないんだけど。まああんたくらいならウロチョロしてても毒にも薬にもならないだろうし丁度いいから手伝ってもらうわ」

 ウルリカはそう言うと、初めて手にした書物から目を離し、男に視線を移した。その目はいつ見ても、畏敬の念を抱かざるを得ないほどに、何もかもを射抜くかのような眼力を宿していた。

「お……俺は、何すりゃいいんだ?」

「……は? まだ何も説明してないじゃない。本当阿呆ね、あんた。ちゃんと順を追って現況を説明してあげるんだから落ち着いてその空っぽな頭に叩き込みなさいよ」

 そう言ってウルリカは、隣の椅子に置いてあった革の鞄から、折り畳まれた一枚の紙を取り出す。それを机に広げると、紙面にはウルリカが根城とする集合住宅から半径三十キロメートル程度までを網羅した地図が描かれていた。その範囲内には『アウラ』国内に存在する殆どの犯罪組織が集結していた。

 しかし、その地図上に点在する二十以上もの組織名のうち、半分ほどがバツ印で潰されていた――既に、ウルリカが陥落させた組織だった。

「あんたも承知してること……というより、あたしがあんたを通して命令させてるわけだけど。細々とした組織は部下たちに潰させてるわよね。この地図から見て、その多くが西側に集まってる。丁度あたし達が今いる住宅街の近隣ね。要するに、西側は大方手中に収まったと考えて相違無いわ」

 するとウルリカは、懐から見るからに高価そうな、如何にも貴族が所持する万年筆を取り出した。それを握ると、地図上に東西を断ち分ける、一本の線を描く。その境界線は東西における“ウルリカ率いる組織”と“その他の組織”との大方の支配領域を示していた。

 ウルリカの几帳面な性格もあってか、市街や住宅街に張り巡らされた、細く紆余曲折とした小路に沿って、整然と線が描かれていく。

「この線は東と西とで二分してる支配領域を明確にした境界線よ。各区画に配置してる下っ端の売人連中から得た情報を下に詳細化したの」

 ウルリカは周到に事を運んでいた。人材の確保、敵地の攻略、そして何よりも情報の掌握。彼女は、自身の行動も相まって、目まぐるしく変化する界隈の状況把握に余念が無かった。

「ここまできたら、まあ……鈍いあんたでも流石に分かってるだろうけど。単純明快、これから東側を順次潰してやろうって話しよ」

 その張り巡らされた情報網によって得た、東側の“攻略経路”を地図上に書き足していく。

「この境界線上の南北はおよそ手薄。そこから侵攻していくのが定石ね。東側の中央に勢力が集中しているわけだから、その周囲を攻略すれば相手はもう四面楚歌ってわけ」

「でも、東側にはあのサム・デトルヴ率いるルカニアファミリーが牛耳っている。裏では貴族らとも深い繋がりを持ってるって、聞いたことがあるが……」

「ええそうよ。だから商い全般を指揮させてるサルバトーレに指示してるんじゃない。反ルカニア勢力の貴族連中を懐柔しろ、ってね」

 現在、ウルリカ率いる組織は、二つの勢力に大別される。

 一つは、ウルリカ率いる組織の版図拡大を目的とした戦闘勢力。

 もう一つは、サルバトーレ・ルチアーノ率いる経済活動を目的とした商業勢力。

 二人は元々異なる組織にあって、人格的にもある種の水と油だったが、高い武力と広い支配領域を持つウルリカと、優れた商才と強い組織力を持つサルバトーレは、互いの利益のために組織を提携したのだ。

「サルバトーレ……大丈夫なのか?」

「言っとくけどあんたより数段頭切れるわよ。それにあいつは他と比べても際立って合理的な男。見返りのない情けは掛けない人間ってことよ。それさえ心得ておけばあいつほど優秀な幹部は他に居ないわ。個人的にお付き合いしたいかは別としてね」

 そう言ってウルリカは、鞄の中から数枚の、封蝋が砕けた封書を取り出す。そこに書かれた差出人は皆、世に聞く貴族の名だった。

「実権が伴わない肥大化した勢力じゃ、より大きな権力に踏み潰されるのがオチよ。それをルカニアの連中は良く知ってる。だから国家の信用と権力を持つ貴族らを金で懐柔してるの。でもね、そんな甘い蜜は強力な実権を握った貴族だけが吸えるもの。実際はそうじゃない弱小貴族の方が多いのよ。だけど――塵も積もれば山となるわ。あたしたちはそんな少しでも甘い蜜に有り付きたい非力な貴族をかき集めて大きな権力と対抗しようってわけよ」

 男にとって、あまりにも違う世界がウルリカの掌の上で渦巻いていた。生まれ落ちてから支配される側であることが当然だった男には、そもそも権力と呼ばれるそれが、どれほどの価値を持ったものなのか、彼女の話を聞いてもなお理解し難い概念だった。

「俺には、何が何だか……」

「ああ、悪かったわ。あんたに話すような内容じゃなかったわね。まあでも、あんたのような愚直な人間って、あたしたち支配階級には絶対必要なのよ。誰も彼もあの狡猾こうかつなサルバトーレのようだったら社会なんて成り立たないわ。あんたのような人間は良くも悪くもあたしたち支配者の手足なのよ。手足が無ければ人は生きてけないでしょ? そういうことよ」

 これまた、にわかに理解し難い喩え話だったが、モノを考えるウルリカという母体の手となり足となってその考えを実行に移す、それが自分の価値なのだと。そこだけは理解できた。

「さ、難しい話はもう終わりよ。これから計画を説明していくわ。あたしたち“クレストレート”の蚕食さんしょく作戦をね」

 ウルリカはそう言うと、腕を捲り、筆を握った。

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