マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-013【選択の名誉-壱】

 アウラの城郭都市には、一際高くそびえ立ち、峻険しゅんけんな門戸を構えた建造物がある。その門戸をくぐると、若々しい声音で溢れかえっていた。そこはアウラという大陸随一の繁栄を謳歌する国家が擁する、教育施設の最高峰に位置する学舎、アウラ王立大学だった。

 見上げるほどに高い校門をくぐると、天井が吹き抜けとなった広大な中庭が広がる。その周囲には、意匠を凝らした円柱で内と外を分け隔て、風通しの良い回廊を介して外縁沿いに教室が設けられていた。芝生が生い茂る中庭は学徒の憩いの場であり、唯一、訓練施設が設けられている区画でもある。

 訓練施設は屋根付きで板張りという、伝統的な稽古場といった趣。

 そこでは学徒が魔術の修練に尽力できるよう、屋舎の屋根にも壁にも、魔術への対抗呪文がおびただしく刻まれている。かつ、建材にも魔力抵抗を持つ木材が使用されており、生半可な魔術ではビクともしない造りとなっていた。

 日が傾き、次第に静寂が学舎を包み始める刻。一見すると、中性的で少年のような、髪を短く切った少女が一人、訓練施設で黙々と修練に励んでいた。

 目の前に置かれた木人に、少女は鋭い目つきで狙いを定める。すると、両掌から眩い稲光を放ち始めた。間を置かず、その稲光を捻くれた円錐状に変形させる。予備動作を極力減らし、腰の位置から掬い上げるように、瞬時に両腕を振り上げ、円錐状の稲光を木人目掛けて一直線に放つ――直撃、円錐状の稲光はけたたましい破裂音を上げて、波状に拡散していった。

 稲光が直撃した箇所は黒く焼けて、焦げ臭い煙が立ち昇っていた。

 極度の集中からか、息を切らし足をふらつかせる少女。額から滴り落ちる汗を袖口で拭い、目の前の木人に歩み寄る。焼け焦げた箇所を指で触れると、まだ火傷しかける程には熱を帯びていた。それを確認すると、少女は安堵と誇らしさ、その両方を抱き、笑みを零す。その時、

「――素晴らしいわね。古代の老樹メトシェラを材料に作られた木人、魔力抗体そのものと言って差し支えない代物だわ」

 少女はハッとして、背後からの声に振り向く。魔術の修練に集中していたためか、他人の気配に気付く余裕などなかったようだ。

 勝手口の扉は開放されていた。扉の縦枠にもたれ掛かって腕を組む女。後ろで編み込んだ、絹のような艶を持つ藍色の髪。腰からくるぶしにかけて長いスリットが入った、蠱惑的な線が浮き出る絹地の白衣。そんな、冴え冴えとするほどの麗人が、涼しい表情で少女を見据えていた。

「イングリッドお姉ちゃん……」

 少女は恐る恐る、そう呟いて、目を伏せる。イングリッドと呼んだその女が、少女は苦手だった。

 イングリッドは手に持っていた茶色いパルプ紙を少女に渡す。その紙には、教育項目と数字が羅列してあった。いわゆる通知表だ。

「エレイン、貴女は優秀ね。同期の中でもその実力は抜きん出ているわ」

 イングリッドがそう言うと、エレインは固かった表情を少し和らげ、はにかんでみせた。

「お姉ちゃん、ありがとうございます。もっともっと頑張ります」

「そうね、まだ至らない部分はあるわ。精進すべき課題は残っているから、励みなさい」

 はい、としっかりとした声で応えるエレイン。イングリッドは淡白ながらも微笑みを浮かべる。

「――エレイン、貴女とはあまり個人的なお話しをしたことがなかったわね。少し、いいかしら」

 エレインは目を見開いた。思ってもみなかった言葉だったからだ。エレインの知る限り、たとえ兄弟であれ、決して自分を表に出さない人間、それがイングリッドだった。

 最早、彼女の日常すら動向を掴むのは難しく、彼女がいつ、どこで、何をしているのか、家族さえも詳細を知らない。

 ただ唯一、長女のアレクシアとは比較的仲の良さそうな印象があった。父とすら会話らしい会話をしないイングリッドが、時折アレクシアと二人きりで出かける様子を見たことがある。

 そんな得体の知れないイングリッドに、エレインは戦々恐々としつつも、彼女という一人の人間に好奇心を持っているのも事実だった。いい機会だと思い、彼女からの提案を承諾する。

 中庭の中央に一本の大樹が伸びる。その大樹を中心として、円周上に幾つかのベンチが備え付けられていた。二人は訓練施設を抜けて、そのベンチの一つに腰を掛ける。

 エレインは滴る汗を首に巻いた亜麻布で拭き取りながら、腰に括り付けていた革袋の水筒に口をつける。イングリッドにも進めるが、やんわりと断れられてしまう。

 一頻り休憩を済ませると、口火を切ったのはイングリッドだった。

「貴女がこの家に来てから、早十年近くが経ったわね。貴女にとってこの十年間は、どんな歲月だったのかしら」

 唐突に大きな話題から切り出されたエレインは、多少戸惑いながらも、順を追って話した。

「うーん……最初は、小さかったから、あんまり状況を飲み込めてなかったんだと思います。お父さんから、良く歓迎してもらったのだけれど、物心がつき始めて間もないくらいでしたから。こっちに来てから一年くらいは、ただ途方に暮れていました」

 エレインは当時を振り返りながら話した。父レンブラントの温かみに触れて、次第に家族として溶け込んでいき、不安を克服していったこと。学校に行って友人を作り、学業に触れて様々な物事に興味を抱いていったこと。魔術というものに対し、子供ながらに鮮烈な感情を抱いたこと。

 そのどれもが、ローエングリン家に拾われたことで得られた宝物であり、心の底から感謝しているということ。

 しかし、片時も亡き家族を忘れたことはなく、ローエングリン家の家訓とともに、かつての家族であるマンネルヘイム家の家訓も矜持も、同様に心に刻んでいることを話した。

「マンネルヘイム男爵……ローエングリンの盟友であり、かつては武勇の名門と謳われていたわ。決して高い地位ではなかったけど、父は高く買っていたわね」

「“仁義をたてて、勇猛に先立つ”。これは、マンネルヘイムの家訓の一つです。僕がこっちに来る少し前、マンネルヘイム家のあるパスクの町に魔物が攻め込んできた際に、一族はこの家訓に恥じない戦いをしたと、お父さんから聞いています。その町に住む人々の多くが逃げおおせたのも、マンネルヘイム家が果敢に抵抗したから、と記録にもありました」

 エレインは腰に帯びていた一振りの剣を握って、胸元にあてがう。その刃は片刃で、その刀身は湾曲しており、極めて切れ味の鋭い業物だった。それは、海を渡った極東の楼摩からもたらされた舶来品によく似ていた。

「これはあの日、僕を当家まで送ってくれた、お付きの人から頂きました。マンネルヘイムの父が、ローエングリンの娘になるための品として託してくれた剣です。後になって、これは元々、当家が盟友の契りとしてマンネルヘイムに譲ったものだと聞きました。そんな経緯があったから、父はこれを私に――遺志として、託してくれたんだと思います」

 エレインはその剣を、優しく撫でる。手入れがよく行き届いているのか、その剣の柄や鍔、鞘には僅かな汚れや錆は一切無い。実戦で付いた斬り傷は散見されるものの、それは並々ならぬ修練の証と言える。

「そう……貴女はとても気高いのね。貴族として――いいえ、戦士としても見事な人格よ。それに比例するかのように、高い才能や知性も持ち合わせているわ」

 イングリッドから率直な言葉で褒め上げられたエレインは、気恥ずかしさで頬を赤らめ顔を伏せる。

「――貴女は一体、何を目指しているのかしら?」

 そんなエレインの素振りを意に介することもなく、イングリッドは問を投げかける。それが、エレインにとって核心に迫る問いであり――イングリッドにとっての目的だったようだ。

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