マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-012【遺された小さな栄光】

 それは遡ること、十五年前。

「マンネルヘイムが……没落……!」

 質素な書斎で執務をこなしていたローエングリン家当主レンブラントは、一枚の手紙に目を疑った。送り主は武勇で名を馳せてきた、マンネルヘイム家という一族の当主だった。

「はい。確かにそのように耳にしております」

 レンブラントに手紙を持ってきた執事の女マルセルが答えた。

 マンネルヘイム家は古くから当家と交流があった。伯爵と男爵という爵位にこそ差があるものの、共に武勇の名門という好敵手であり、互いに尊重し合う仲だった。

 それが先日、魔物との戦いにより一家諸共没した、との知らせが届いたのだ。レンブラントはにわかに信じられなかったが、マンネルヘイム男爵直筆の手紙――遺書――を読んで、事実だとを確信した。

 だがそれは、単なる手紙ではなかった。そこには、一つの切なる頼みが記されていた。それは、まだ年端もいかない娘を引き取って欲しい、という頼みだった。魔物との戦いの中で没するのは武勇の徒としての本望だが、ただ一人の娘を見殺しにはできない。震えた手で書いたような、少し歪んだ文字が印象的だった。

「マンネルヘイム……気持ちは確かに受け取った。マルセル、家の者を可能な限り集めろ。新しい家族を迎える準備だ。決して明るいだけの話ではないが、当然気持よく迎えねばならん。エレイン……あの子ことは知っている。まだ七歳になったばかりの幼子だ。その歳にして、心に深い傷を負った。だからこそ、私達が必要なのだ」

 レンブラントは哀愁を湛えながらも力強くマルセルに語った。長年仕えていた彼女は、当主の気丈な態度の裏を察してか、黙して一礼し、書斎を出ていった。


―――


 少女は泣き明かした目を赤く腫れ上がらせていた。

 引きずられるように家を出て、訳も分からず馬車に乗り続けて、幼い彼女には途方もなく遠い場所来ていた。外はすでに日が落ちて、そこがどんな所かも確認できない。唯一彼女がはっきりと理解していることは――もう家族には会えないのだろう、という子供にとっては酷な現実だけだった。

「――エレイン様」

 名前を呼ばれて、俯いていた顔を上げる少女。御者が呼びかけてきた。

「もうすぐ、旦那様とお約束した家に着きます。私がお付きになるのもそこまでです。どうか、お元気で……」

 男はそう言って、口を閉ざした。彼はマンネルヘイム家のお付きの馬車業者だったが、飽くまで辻馬車(交通機関の一つで、客を目的地まで運び運賃を貰う形式の商い)を生業とする御者だったため、エレインの今後を見守る義務も、そして権利も持ちあわせていなかった。

 彼の私心を敢えて代弁するならば、家族同然のような扱いを受けていた身であり、エレインの将来を案じる想いがあったことは否定出来ない。

 このように、マンネルヘイム家には血筋という繋がりを超えて、他者との親交を持っていた。そう、他でもないローエングリン家のように。この信条がこそが、ローエングリン家との私的な交流が今日まで続いていた所以でもあった。

 御者の存在は、家族を失って間もないエレインには、微力ながらも支えとなっていた。その僅かな安心感、そして心労と旅疲れで、目蓋が閉じるのを感じながら、微睡みに落ちていく。

 深い眠りについていたのだろう。夢も見ず、時間の経過を感じさせないその眠りから覚めた時には、外はもう日が昇っていた。

 少し気だるい身体を起こして、車窓に顔を近づけると、そこは舗装された道路がなだらかに曲線を描く、緑豊かな平原だった。道沿いにはポツポツと民家が建っており、その終端には極めて文化的水準が高い城郭都市、『アウラ』が見える。エレインも乳飲み子だった頃に、ローエングリン家との交流のため訪れたことがあったが、もちろん今では殆ど記憶に無かった。

 しかし、馬車は道中の分岐点で、都市へと伸びた道路を横切った。エレインは不思議に思い、車窓を開けて身を乗り出し、その道の先を眺めた。そこには、自然に囲まれた広大な庭を持つ、一軒の邸宅が視界に入る。少女はその時、不思議とかつての故郷を思わせる、気高さを感じていた。


―――


 千切れ雲が紺碧の空を僅かに漂う、清々しいほどの晴天の下で、レンブラントほか一家全員が庭に踊り出ていた。姉妹は女中たちと共に、その青々と茂る芝生の上を駆ける。レンブラントは静かにその光景を見守りながら、揺り椅子に腰を掛けていた。

「マルセル、私はなぜこうも身寄りのない子供と縁があるのだろうなぁ」

 ゆらゆらと椅子に揺られながら、何気なく問うレンブラントの隣で、マルセル小さな赤子を抱きながら、広大な庭で戯れる子どもたちと女中を、静かに見つめていた。

「貴方様が物好きだからですよ。そこいらの王侯貴族なら見向きもしないものにも、貴方様はすぐ世話を焼きたがる癖がありますからね」

 レンブラントは「また始まった」とまずい表情を湛えて、マルセルから顔を背ける。

「なんせ、家内の女中は殆どが身寄りのなかった孤児ときています。しかも本来女中に学問を嗜ませるなど考えられない風潮に対して、貴方様やご先祖様方は例外なく皆を学校に通わせてきました。あろうことか、女中を娶るなどと貴族としてあるまじき所業。お人好しも度が過ぎてしまうと、一種の病気なのか、呪いなのかと懸念が絶えませんよ」

 矢継ぎ早にまくし立てるマルセル。しかしその視線は、依然として三々五々に駆けまわる子どもたちに向けられている。レンブラントがちらりとマルセルの顔を覗くと、僅かに柔和な笑みを浮かべていた。それは得てして母が子に浮かべる、優しさを体現した微笑みだった。

「マルセル、君は……幸せだったか?」

 少し驚いた表情をして、マルセルはレンブラントの方を向く。困ったような、笑ったような複雑な表情をして、

「何をおっしゃいますやら。貴方様はいつまで経ってもお変わりにならないのですね。私は、今でも幸せですよ。こんな世の中で、先行きの不安な只中にあって、私だけこんなに幸せでいいのかしらと思ってしまうくらいにはね」

「ならば、いいのだ。人一人の力で分け与えられる幸福など、家族だけでも精一杯なもの。だが、私はいつも家族皆が幸せに暮らせているか不安になってしまう」

 マルセルは揺り椅子に肘を掛けたレンブラントの手に、そっと手を添える。

「貴方様は私以上に心配性ですものね。大丈夫ですよ。ここにいる誰もが、貴方様のそのお節介を好いているのです。この子も、エレインも、きっと貴方様を好いてくれるはずですよ」

 レンブラントは手をひるがえして、添えられていたマルセルの手を握る。彼女は夫に微笑み掛けて、胸に抱く赤子にその笑みを移す。

 遠くから、馬のいななきが聞こえてきた。

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