マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-009【砂紋を描く-壱】

 世界の中央に位置する、広大な大陸。その西に広がるパスクから東に横断すると、辺りの空気は一変、乾きと熱を帯びてくる。それに伴って、景色は不毛の地へと変わっていった。

 燦々と照りつける炎天の光が、大地の砂粒に反射して、まるで地上に煌く星空のよう。足を踏み入れたその乾荒原は、既に砂漠の国グラティアの領土内だった。

 “砂漠の恵み”なる肩書きを持ったその国は、大陸随一の交易拠点。国土の八割を占めるヤクト砂漠という無味乾燥の砂漠地帯が広がり、国を真ん中から縦断してヤクト川が流れる。その川沿いだけが、唯一人間の住めるオアシスだった。

 その川に沿って国土中央まで行くと、広大で豊かな水源ヌビラ湖がある。その湖畔に沿って、都市は築かれていた。南北を結ぶヤクト川沿いの交易路は、グラティアの主要交易品に因んでジェムロードと呼ばれる。この交易路は北のセプテムと南西のアウラを繋ぐ役目も果たしていた。

 しかし、この国が交易拠点として重宝される理由は、単に立地によるものだけではない。ジェムロードという俗称の由来である、人の魔力に呼応する特殊な鉱物。魔石と呼ばれる宝石の最大産出国だからだった。

 その石は、人の祈りに応じて、効力を発揮する。

 命あるものは皆、生まれながらにして魔力という、意思や願いを具現化する力、いうなれば物を創造する力を潜在的に持ち合わせている。

 一般に魔術と呼ばれるものは、その魔力を”理に則った事象”へと変質させる技術のこと。つまりは、魔力を火や水といった物理現象に変えてしまうのだ。だが、その水準にまで魔力を高等に扱うには、長い鍛錬と素質が必要となる。

 しかし、魔石を用いることで、誰もがその魔術を容易に扱えるようになる。一般的な生活用途から、兵器としての軍事用途まで、あらゆる目的に魔石が使用されていた。

 その大いなる自然の産物である魔石が潤沢に採掘されること、それこそがグラティアという国家の持つ豊かさであり、交易の要衝とされる所以だった。


―――


 アクセルたちはこの砂漠を越えるため、国境に設けられた関所へと向かう。

 そこで、太陽光から身体を覆い隠すための厚手の衣服と、駱駝らくだを借りられた。金に糸目をつけなければ、舗装された道路が伸びるジェムロードを馬車で渡ることも出来るが、そのような路銀を持ち合わせている筈もなく。

 駱駝で行く国境地点からグラティアの都市までの道のりは、オアシスを経由して、十日間を要した。移動中の間は、殆どを駱駝の上で過ごさなければならない。その為、

「う……うえぇ」

 このように、駱駝酔いの激しい者には、その道程が砂漠の灼熱とともにその身を蝕み、苦難の日々を送ることになる。アクセルは口を手で覆い、吐瀉物としゃぶつき止める。

「はぁ……だらしがないわね。酔い止め薬は飲まなかったの?」

「……申し訳ありません。あれ、とんでもなく苦くて」

 酔い止め薬、と呼んだ薬は、楼方と呼ばれる調合法で作られた薬の一つである。この楼方薬とは、海を渡って遥か東にある楼摩ろうまという国からもたらされたものだった。効能は覿面だが、生理的に嫌悪を感じるほどに口当たりが悪い。

「アンタねぇ……なに子供みたいなこと言ってんの? ルイーサ、いい加減煩いから、無理やりにでも飲ませてあげて頂戴」

 ルイーサは呆れるように溜息を吐く。乗じた駱駝を止めて、アクセルを駱駝から引きずり落ろす。暴れる彼を力尽くで押さえ込んで、口腔内に粉薬を投薬する。茫然自失なアクセル、そんな彼を気遣う素振りもなく、ルイーサの背負い投げで駱駝の背に放り投げられた。

 一転、静まり返った一行は、中継地点を目指して出発する。


―――


「――それで、ウルリカさ……ウルリカ。グラティアの都市には、士官として召し上げられた、ローエングリン家三女、エレイン様がいらっしゃるとか……うぷっ」

「ええ、そうよ。エレインは大学校を卒業してからこっちに派遣されたわ。アレ、根がとことん真面目だから、各国の生活基盤を支える交易に携わりたい、って言ってね。だからこの国を選んだんでしょうけれど、別にアレならどこの士官にだって就けたでしょうに」

 そう聞いて、アクセルは不思議に思う。ウルリカはあたかもこの勇者の功業なるものに、エレインが随伴するものだと確信しているかのようだった。

「……ウルリカ、一つ疑問があるのですが。ウルリカは事前に、エレイン様に話を通してるわけではないんですよね?」

「そうね、伝えてないわ。どうかした?」

「いや、その……エレイン様は、高潔なお方です。そんなお方が、果たして大切な職務を放棄して、おいそれと付いて来てくれますでしょうか? そもそも僕自身、勇者の功業というものの目的も曖昧で……」

「ああ、そのことね。アクセル、アンタは知らないでしょうけど、元々あの子の夢だったのよ、勇者って。あの子は国が許すなら勇者になりたかったの」

 ウルリカの言葉の端々に、何かと引っかかるアクセルだが、一番の疑問を彼女に問う。

「なりたかった、とはどういうことですか……?」

 ウルリカは腕を組み、考え事をするように目を伏せた。ルイーサは彼女に対して、もう宜しいのですか? と言って、応答を促す。アクセルは二人を見て、明かされていない、この旅路の先に待つ、真実の目的が伏せられていることを察した。

「あのねアクセル、誤解してもらいたくはないの。勇者の目的って何も武功でも上げて名を馳せるだとか俗っぽいお話じゃないのよ。ただね……」

 ウルリカは目を伏せる、声色が落ちる、言葉が情念を帯びた。

「……ただ、この旅は突然失敗に終わるかもしれない。それは、あたしたちの死を以って、って結末に限った話じゃないの。命に別状がなくても失敗に終わってしまうこともある」

 そして、彼女は顔を上げる。今やその言葉や表情から、揺蕩うような感情は読み取れない。

「その時もし仮に貴方がこの旅の目的――この世の理を知っていたなら……必ず隠蔽されるわ」

 ウルリカは眉一つ動かさず、ただ前だけを見つめていた。その鬼気迫る語りが、アクセルの襟を正した。“この世の理”、彼女の口にしたその言葉が、どれほど重い言葉だったか。

「それは……」

「気を悪くしないで頂戴。一応、貴方の身の上を考えた上での秘匿よ。だから、これ以上はまだ言えないの。この旅路が本来の目的を果たせるものになったら、改めて話させてもらうわ」

 顎に手を添えて、物思いに耽るかのように目を伏せる。

「……そうね、これだけは話しておく。後は勝手に推論して頂戴。理ってのは一部の特権階級に属した上で潔白なる誠実さを認められた貴族にだけ信託されるものなの。それが古来あたしたちローエングリン家だった。当家の者に――使用人は例外的にごく一部の信頼に足る者だけに託されてるわ。貴方は国境駐屯兵に就いた時点でローエングリンから除名された。だから公的には家格を有していない。そう、真実を知っていてはいけないの」

 アクセルは次第に、ウルリカの意図が読めてきた。

 国家機密として秘匿しておかなければいけない、この世の理なるものが存在する。そしてそれは、王から信頼に値する貴族へと託される。その理とは、おそらく人類にとって喜ばしいだけの知らせではないのだろう。

「勇者を題材にした御伽噺は数あれど、勇者を取り扱った史籍は一つとて存在しない。つまり、そういうことよ」

 ならば、その理に立ち向かう、名も残さぬ勇者が必要となる。一人として名を残してしまえば、秘匿すべき理がそこから紐解かれる可能性さえある。

 いや、勇者という肩書きさえ、真実を知る者たちだけに通じる符牒なのかもしれない。

「ウルリカ、漠然とではありますが、理解しました。覆い隠されている、その理由が」

 アクセルはウルリカの言葉を反芻し、彼女が伝えんとする勘所を手繰り寄せ、その意図を読み取る。彼のその言葉に、彼女は微笑んだ。

「なんだ、案外察しがいいのね。いつもそうやって聡明であってもいいんじゃない?」

 そう言って、アクセルに対して悪戯な眼差しを向ける。

「え……それは、どういう意味で――」

「ああ、もういいわ。分かってるわよ。愚鈍ではないのだけれど、鈍感なのよね、アンタって」

 アクセルの言葉に被せて話す。心なしか、ウルリカの表情は、淋しげな気持ちを湛えていた。

「……それと、どうせなら敬語そのものをやめてほしいわ」

 そう呟いて、ウルリカは再び前を見渡した。

 遠くには、湖畔に木々の生い茂るオアシスが見えてきた。

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