魔女の病院

おきたくん@沖野聡大

1.

「やあ、君が神崎くんかね。君こそ私が欲しかった人材だ。ようこそ矢鷹病院へ。」

 看護師、 神崎峻かんざきしゅんがそう言われこの病院に派遣されたのはつい最近のことだ。都会のビルと同等に並ぶ医療の名家である矢鷹の病院は今日もたくさんの人々が行き来する。

「あら、神崎さん。おはようございます。」

「っと、おはようございます。櫻木先生。」

  前までは埼玉の端の方の医院でちまちまと作業をこなしていた峻には少し息が詰まる。潰れかけていた医院へ寄付金をあてるのと引き換えに峻がヘッドハンティングされたのだ。今年で看護師として七年目、特に何も功績はない。なぜ自分が、と考えている内に皆と別れを告げ今日に至る。しかも矢鷹病院に来てからというもの患者を誰一人あてがわせてもらえていない。

「今日も院内巡回?大変そうねえ。院長の考えることもわからないわ。」

黒くて綺麗な髪を揺らしながら、小児科医の櫻木さくらぎは峻をからかうように言った。

 「僕も困ってるんです。櫻木さんから院長に言えませんかね。これじゃあ給料泥棒ですよ。」
 
 もう既に院内では峻のさまざまな噂が飛び交っていた。有名どこの病院の子息で勉強のため院内を見て回っているとか、本当は院長の息子で仕事はさせられないがとりあえず囲ってやっているとか。どれも根も葉もない噂にすぎないが。そんな中でも櫻木は峻に他人と同様に接してくれている。

「ええ、私には無理かなあ。院長ああ見えて雲の上の存在だし。きっと外科医の葉隠はがくれ先生とかはお話の時間があるのだろうけどね。」

「葉隠先生が僕のこと嫌ってるの知ってるじゃないですか。結局無理そうですね。」

葉隠という外科医は峻を早々に突っ放した男だ。顔立ちが良く、仕事もできるエースだが櫻木に気に入られている峻が気に食わないようだった。

「ほらほら、そう落ち込まないのよ。明後日、空いてる?飲みにでも行きましょうよ。…葉隠先生も交えてね。きっと距離が近くなるチャンスよ。」

可愛らしい笑顔にピースサインをして廊下を曲がっていく櫻木。峻は深くため息をつくのだった。

「あー、また峻いるじゃん。今日も遊ぼうぜ。」

服を引っ張られた先を見ると、先週から入院してきた貫地谷かんじやトオルがいた。サッカー好きの少年で接触による右腕靭帯の損傷で入院している。

「ごめんな、毎日毎日君やみんなと遊んでたらサボりだと思われちゃうんだ。」

「何言ってるんだよ。遊べるうちに遊んだ方がいいんだぜ?」

「参ったなあ。大人が子どもにそれ言われちゃおしまいだ。」

生まれて28年、年下に諭される時が来ようとは。しかも小学生に、だ。

「えー、まあそうなら仕方ねえか。明日にでもまた遊んでくれよ。」

トオルはすたすたと自室の方向へ戻っていく。

「…君は、本当に素晴らしい人材だね。」

「うわっ、院長いつからいらしたんですか?」

峻がトオルを見送り、振り返ったすぐ先に院長が立っていた。寝ているのか起きているのかわからないような瞼にピシッと決まっている白衣、このなんとも捉えづらい老父が峻の病院の院長だ。

「ついさっきだよ。もういい加減院内をまわるのも飽きただろう?すまないね、少しばかり君の患者は準備がいるものだったんだ。」
 
「私に担当の患者がいたのですか?」

初見だ。普通看護師というのはたくさんの患者を担当するものだが、院長の言い方ではまるで峻が一人に対して相手するような物言いだ。

「ああ、君にしか頼めないんだ。後々に気付くだろうが、きっと今の状態ではあの子は君以外とは話もしないだろう。」

「人見知りなのでしたら私でも変わらないと思いますが。お言葉ですが女性の方に人気な葉隠先生や同じ女性の櫻木先生などの方が良いようにも感じます。」

峻の言っていることは至極真っ当だった。いくら看護師歴が長いといえど、ホームヘルパーでもなんでもない。こんなアラサーの男とだけ話したい患者が一体どこにいるというのだろう。そのまま院長に連れられ歩いていく。

「え、待ってください?」

たどり着いたのは最上階にある院長室だった。そのまま院長は手招きをし、峻が入った瞬間に扉を閉じ口を開いた。

「君がこれから見るもの触れるものは全て政府の中で口外禁止となっているものだ。いいかね、君だからここを通すんだ。これからあの子に会いに行く。あの子のことは誰にも話してはいけないよ…わかったね?」

院長の思い重圧に峻は直ぐに口が開いた。

「…はい。」

すると院長はとても高価そうな座椅子の左手元の彫刻を推す。そうするとまるで映画に出てくるように奥の本棚が内側に隠れ、エレベーターが出現した。

「ふはは、こんなことで驚くようではこれからやっていけるか少々不安になるね。ここはこれから君が毎日通うことになる道だというのに。」

怖くなった峻は返す言葉もなく、ただ下るエレベーターに身を預けていた。そのエレベーターはおそらく三階くらいで止まった。エレベーターから降りると五十メートルくらい先の扉まで何もない。ほかの廊下や病室はなにもない。ただ無機質な空間がある。それ以外になんと表現すればいいのか。

「私の担当の方は…一体。」

「一回会ってみた方が早いさ。」

すたすたと院長は扉を開ける。そして声をかけた。

「ほうら、やっと連れてこれたよ。待たせたね。瀬名ちゃん。」

ーーそこには眼帯をした黒髪の少女がいた。そして峻に向かってただただ微笑んだ。


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