呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

アンコール 師匠と弟子(1)

 メルティ=カーノンの午睡はノックで中断された。ノッカーを叩く力は男のものだ。
「失礼。クラウトの吟遊詩人メティさんのお宅はこちらで?」
 誰だか忘れたが知った声だ。にしては引っかかる物言い。
 気だるさを圧して彼女はソファに身を起こした。
 ラッドが旅立って半月あまり、掃除をする者がいなくなり居間の隅には埃が溜まっている。
 またノックの音。男にしては叩き方が柔らかい。漁港町の男は乱暴者揃いなのに。
「はいはい、今開けますよ」
 女の一人住まいだが警戒する必要はない。生き馬の目を抜くクラウトや言葉一つで命を無くすバラキアに比べたら、オライアの田舎町は純朴すぎて警戒する方が神経質なほどである。
 ましてや知った声・・・・なのだ。
 メルティが扉を開けると、白髪に白髭の男が立っていた。丸眼鏡を鼻に乗せた顔に覚えは無い。
「初めまして。私はこういう者です」
 彼女は混乱した。
 声は確かに知っている。だのに顔は全く知らない。だから老人が差しだした名刺を手に取るどころではなかった。
 良く知っているはずなのに見知らぬ男は何者か?
 穴が空くほど顔を凝視しても、まったく記憶に無い老人。ただ、その瞳がラッドを想起させた。悪戯をする子供のように輝いていて――

 悪戯っ子!?

 メルティの脳裏に一人の男性が閃いた。
 彼女が知る限り、最も壮大な「悪戯」をしたその人物の声を、老人は発したのだ。
 ならば答えはそれ以外にあり得ない。
 メルティは半信半疑ながら言ってみる。かつてのように。
「ちょっと見ないうちに随分と老けたじゃないか、君は」
 老人の手から名刺が落ちた。目が見開かれ、口が全開になり――次の瞬間、素早い身のこなしで男は居間に踏み込み後ろ手に扉を閉めた。
 呆気にとられたメルティの前で頭を抱える。
「完璧な変装だったのにぃ……」
 物腰も物言いも老人の仮面を脱ぎ捨てていた。
「変装と言うよりも変身だね。完全に別人じゃないか」
「知ってのとおり色々不自由な身なんでね、僕は。それよりどうしてバレたのかな?」
「声さ。いくら外見を変えたところで声帯は変わっていないんだよ」
「なるほど。音楽家の耳は油断できないねえ」
 部屋の汚れなど頓着せず、彼はソファに腰を下ろした。貸していたネコが帰ってきた風な、家主然とした態度だ。
「変わらないね、君は。外見以外だけど」
「メロティは変わったよね」
「あたしはメルティ。相変わらず他人の名前を覚えられないんだね」
「僕にとってはマユラだから」
「覚える気が無いだけだろ。で、あたしのどこが変わったって?」
「老けた」
 暖炉上にあった青銅の飾り皿をメルティは投げつけた。
 金属音が響いて皿は何も無い空間で跳ね上がり、彼の手に落ちた。
「危ないなあ。これが当たったら怪我をするよ」
 緊迫感が皆無な声で言う。
「死にたいのかと思って。女性に年齢の話をするのはドラゴンを怒らせるも同然だって、教えたはずだが」
「その教えを説いた相手、何人葬ったの?」
「悪い冗談を言うために、わざわざ大陸の東端まで来たのかい、君は?」
「冗談じゃなかったんだけどなあ」
 彼も口が減らない。否、減らなくなった。そうなった理由に思いをはせると、メルティの気が滅入る。
「ところで――」
 彼が本題を切りだしたので機先を制す。
「楽器なら売らないよ」
「優れた弾き手が持たないと楽器は価値を失うから――だったよね?」
「分かったらお帰りはあちら」
 メルティが玄関を指す間に、彼は棚からフィドルのケースを下ろしていた。
「それは違うんだけどね」
「それが分からない僕だとでも?」
 生意気に弓に弦を張って楽器を構える。そして、クラウト民謡の一節を奏でるではないか。どうだ、とばかり彼はニヤリと笑った。
「驚いた。音痴を治したのかい?」
「いいや。振動を覚えた」
「壮大な才能の無駄遣いに目眩がするよ。それではまるで意味が無い。だから芸術を解さない野暮は――」
「でも、技術はマユラの弟子より上じゃないかな?」
 メルティの背筋に悪寒が走った。
「まさか、ラッドに会ったと?」
 彼は答えず、楽器をしまって棚に戻した。振り向いた顔は真顔である。
「優れた弾き手じゃないと楽器は価値を失う、それは魔法具についても同じなんだ」
「――なんだって?」
「マユラは全力で演奏していたんだよね? 出し惜しみ無く」
「当然じゃないか」
「なら、弟子の方が上なんだ。魔法具の使い手・・・・・・・としては」
 口から出かかった反論をメルティは呑み込んだ。
 そもそもあのフィドルが魔法具だと言い出したのは彼なのだ。彼女に譲った師匠は何も言わなかったし、他の魔法使いの誰も気づかなかった。
 だから彼女には、彼の言葉が真実か否か確かめようがない。それどころか「あのフィドルが本当に魔法具なのか」さえも。
 可能性としては「彼の勘違い」もあるが、あまりに低い確率だ。彼の魔法に対する感覚は良く知っている。それは彼女の音感に匹敵すると言っても過言ではあるまい。そのお陰で何度窮地から生きのびたことか。

 あの、風も土も人の心まで乾いた絶望の国で。

 メルティが黙ったので男は説明をはじめた。得々と。
「僕はマユラが引き出した機能――音を遠くまで減衰させずに送る魔法――で、あの魔法具を評価していた。だから今まで放置していたのさ。でも今は、自分の不見識に自己嫌悪している。二十年も時間を無駄にしてしまったのだから」
「まさか、ラッドから――」
「実を言うとね、君が楽器を手放したと聞いたんで、買い取る為に出向いてきたんだ。こんな格好をしてまで」
 どこからその情報を、と尋ねるのは愚問だろう。彼が遠慮していたのはメルティが旧友だから以上に、他の音楽家では魔法を発動できないことが大きい。ただの楽器としてしか扱えない音楽家、もしくは商人の手にあるなら遠慮無く金貨を積むだろう。ましてや金貨に無縁な駆け出し吟遊詩人では。
「そうしたら偶然彼の演奏を目にしてね。いやもうビックリしたよ。何しろマユラ以上の機能を引き出したんだから。しかも――ああ、技術的な事を言っても仕方ないか。マユラが使った機能は魔法師なら大概使える魔法なんだけど、弟子が使った機能は魔法史を覆すものだ。あれが出来た魔法使いは過去から現在まで一人もいない。僕が知る限りでは」
「そんなに、凄い事が?」
「凄いとも!」
 他の事ならともかく、魔法について彼が誇張や脚色をする事は考えにくい。何しろ当人が喜んでしゃべっているのだ。声が弾んで、実に楽しげだ。
 その声が急にしぼんだ。
「でもね、だから困ってしまった」
「何がだい?」
「予算が足りない」
「そうか。君は中古のフィドルを買う金しか持ってこなかったんだね?」
「持ち合わせの話なら出直せば済む。問題はあれだけの機能を有する魔法具を購入する予算なんてどう足掻いても捻出できないんだ。何しろ魔法具としてはセラヴィシリーズを凌駕するんだから」
「ちょっと待て。セラヴィシリーズは値段が付かない代物だろ?」
「セラヴィシリーズは付与された魔法が高性能なだけで、魔法自体は既存のものだよ。でもあのフィドルに付与された魔法は未知なんだ。しかも効果は絶大。セラヴィシリーズが城一つなら、あのフィドルは国一つの価値がある」
 メルティは息を飲んだ。だが、それで恐れ入る玉ではない。
「――ハッタリか?」
「既に君の所持品じゃないし、買い手が価値を吊り上げてどうする?」
「君の事だから、手放したあたしを悔しがらせる為に言いかねない」
「ああ、それは考えつかなかった。『大陸半分くらい』とフカすべきだったかな。でも僕は今、君をからかうどころじゃないんだ。困っているんだよ、予算が足りなくて。年間予算何百年分だ? あ、ひょっとして『価値を知らない人間から安く巻き上げれば良いじゃないか』なんて考えているだろう?」
「おや、女心が分かるようになったとは、君も大人になったんだね」
「そんな商道に反する真似なんて出来ないよ」
「商道? 君がか?」
「忘れたの? 僕は商人だったんだよ」
「ああ、思い出したとも。クラウト商人にあるまじき、利益を度外視する異端者だったって事を」
 一緒に旅をして回ったものだが、本当に忘れていた。確かに形の上では商売だった。しかしどう考えても慈善行為、利益皆無な上に命がけ。
 彼は、打算が服を着て歩くクラウト商人の対極に位置する人間なのだ。
 いや、人間だった。
 今はどうだろうか?
 昔から彼の思考は理解しづらい。特に悪戯心が出ると突拍子もない事をやらかす。後からトレースするのがやっとで、予測はメルティでも不可能だった。
「それに重要な点が一つ。それは『魔法具には更なる機能がある』可能性がある点だ」
「他にもあると?」
「分かっているのは『機能は一つじゃない』ってだけ。マユラが使っていた機能、弟子が引き出した機能。あと幾つあるか分からないし、弟子が引き出せるかも不明。そして僕がその機能を引き出せるかと言われると、弟子より分が悪い。だってマユラが使えた機能でさえ僕には出せなかったんだ。と言うわけで、購入は見送る事にした。これでマユラも安心できるでしょ?」
 男はにんまりとした。
「額面通りには受け取れないね。君はいつも、言外に多くを含んでいるから」
「仕方ないよ、相手が吟遊詩人じゃ」
「まるであたしが悪いみたいじゃないか」
「それで話を戻すけど」
「確認したいが、どこに戻すのかね?」
「マユラが老けたって話」
 メルティは暖炉から火かき棒を抜き出し、振りかぶる。
「やっぱり死にたいんだね」
「そうやって弟子を死に追いやったの?」

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