呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

終曲 嘘と真実と(3)

 二人の会話がいつ終わったか、ラッドには分からなかった。
「……いつまで呆けている?」
 トゥシェに肩を小突かれたとき既に、レラーイの姿は消えていた。
「……呆れた奴だ。異性なら誰でも良いのか?」
「ち、違! 俺はただ、ただ……なあトゥシェ、お前の国って身分制か?」
「……バタール都市連合国に身分制は無い。貧富による階級差はあるが」
「じゃあ分からないか。雲の上にいる人が最下層に頭を下げるなんて、天地がひっくり返るぐらいの重大事件なんだよ」
「……先生が待っている。行くぞ」
 ラッドの弁明を無視してトゥシェは長杖を振った。
「……浮遊」
 二人の体が浮き上がる。胃袋に違和感を抱えたまま、ラッドはトゥシェと共に夜空へと舞い上がった。
 空から見る夜の世界は信じられないくらいに美しかった。
 全天の星明かりと、地上の燈火とが対照的である。星々の色とりどりな光に対して、燈火は橙色がほとんど。カーメンの町の外は暗闇で、所々に集落の灯りが見える。大きな町なのか、東に燈火が固まっている場所がある。その先の暗闇は海だろう。水平線を境に星空が立ち上がっている。その間に点在する小さな灯りは漁船の漁り火か。
(俺の語彙じゃ表現しきれない)
 夢のような旅はすぐ終わりを告げた。トゥシェが速度を落としたのは、リンカが待つ森に近づいた事を意味する。
(気まずいな)
 トウシェは緊張の膜を防御魔法の様に張り巡らせているのだ。
 自分が好かれていない事は承知している。だが今後行動を共にするのに、この緊張は息が詰まる。
(リンカと合流する前に、わだかまりは解かないと)
 木立に着地したところでラッドは切りだした。
「トゥシェ、今朝は言い過ぎた。悪かった」
 レラーイよろしく頭を下げる。
「……根に持ってはいない」
 トゥシェは作り声をやめない。
「誤解しないでくれ。俺がリンカを助けたいのは恩返しであって、恋愛感情じゃないんだ」
「……だから何か?」
「それに、恩があるのはトゥシェ、君にもだよ」
「……僕は先生の指示に従っただけだ。恩は先生にある」
(頑固な奴だな)
「心配しないでくれ。俺は君とリンカとの間に割って入ったりしないから」
トゥシェの肩が小さく反応した。
(やっぱり、それが引っかかっているんだな)
「俺は君に恩義を感じているだけじゃない。勇敢な君を尊敬さえしているんだ。だから二人の邪魔はしない。それどころか、もし認めてくれるなら、君と友達になりたいとさえ思っているんだ。ああ、こんな俺じゃ不満かもしれないけど」
「……よせ」
 トゥシェは感情が露わになると声が裏返る癖らしい。
「……友人など、僕のような者に……」
(!? まさか自分を卑下しているのか?)
 ラッドには信じられないことだ。容姿にも才能にも恵まれ、体格を気にする国でもなく、可憐な美少女の彼女までいるのに。
(驚いている場合じゃない。今なら壁を破れるかも)
「だって、君はドラゴンに向かって行ったじゃないか。信じられない勇気だ。宝石を渡した所なんて、英雄譚として吟遊詩にしたいくらい絵になっていたよ。君ほど勇敢な人が友達になってくれるなら、こんなに名誉な事なんて無いさ。俺はリンカと友達になりたいし、君とも友達になりたいんだ。――もっとも俺みたいな奴じゃ、君の友達になる資格なんか無いかもだけど。でも、友達になりたいんだ」
 トゥシェはしばし沈黙して、ボソリと言う。
「……本当に、先生を?」
(そっちか!?)
 だがその声は僅かながら震えている。
 ドラゴンに臆せず突き進んだ勇者が、彼女を盗られないか心配で震えているのだ。
「もちろんさ。君から取り上げたりするもんか。君たち二人と友達になれるだけで、俺はもう十分幸せ者なんだ。だから友達になってくれないか、トゥシェ。リンカを助ける仲間として認めてくれ。俺たち二人でリンカを助けて行こうじゃないか」
 いきなりトゥシェがラッドにしがみついてきた。
「……分かった。君は、今から我が友だ」
「あはは、大げさだな」
 今まで友達などいなかったのだから、たとえ恋敵だろうと大歓迎だ。
(あれ?)
 不意にラッドは違和感に襲われた。
 思っていた以上にトウシェは華奢で、ラッドどころかノーチェより細い。だのに胸板のボリュームは厚く、感触がおかしい。
「――!?」
 自分の思い違いに気づいた途端、ラッドの血液が沸騰した。頭と心臓が同時に爆発したに違いない。
 常にフードを被って隠していた素顔。
 くぐもった作り声――感情的になると出るのは裏声ではなく地声だ。
 リンカは「スカートだと下から見られる」から短パン。異文化だから太ももを剥きだしているが、トゥシェは大陸生まれだから長ズボン。
(こいつ、女の子だーーーーーっ!!)
 ラッドは今、人生で初めて女の子にハグされていた。
(どうして気づかなかったー!?)
 いくら作り声でも男声とは違うはず。だが、ラッドは年頃の女の声をよく知らない。会話した経験があまりに少なくて。
(俺、女の子相手になんて事を口走っていたんだ?)
 おだてる言葉は口説き文句も同然で、思い返すと羞恥心と自己嫌悪で死にたくなる。
 それ以上に甘い香りと柔らかい感触で目が回って――
「あれれー?」
(その声は!?)
 振り返るとリンカが、木立の中にいた。魔法の灯りを点してラッドとトゥシェを照らしている。その横にルビがふわふわと浮いていた。
 リンカはにんまりして言う。
「おやおや、お二人さん。ちょっと見ない間に随分と仲良くなったじゃない」
 強い力で突き飛ばされ、ラッドは尻餅をついた。
「誤解です!」
 トゥシェが裏声――地声を頭のてっぺんから出している。
「私鈍いから全然気がつかなかったよ。ごめんねえ、邪魔しちゃって。ルビちゃん、こっちにおいで」
「どうして~」
「二人はこれから内緒のお話をするんだよ」
「違います先生、先生ー!!」
 やっと身を起こしたラッドの襟首がトゥシェに掴まれた。
「……先生の誤解を解いてこいラッドバーン!」
「あ、ああ。うん」
 呼び間違えに抗議する余裕など微塵も無い。美少女に顔を寄せられただけでラッドは舞い上がってしまうのだ。
 トゥシェに突き出されるまま、ラッドは夜の森を歩きだした。
 頭の中を様々な事がグルグル巡って目が回る。
 リンカは音痴で、異文化だ。
 トゥシェは自分を隠したがり、相当な照れ屋だ。
 ルビは脳内妄想ではなく実在して、フェアリーだった。
 歌姫レラーイには手まで握られてしまった。
 そしてラッドは異性に免疫が皆無なのだ。
 黄金の夜明け旅団と戦う前に、越えねばならない波がいくつも押し寄せてくるのだった。

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