呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第十楽章 獲物を狩る者(5)

 ドラゴンが地響きを立てて着地した。
 赤銅色の鱗に覆われた巨体が、天を覆う翼が、長い首と尾が、尖った口先から覗く牙の列が、ラッドを圧倒する。
 猛烈な悪臭が襲ってきた。魚ではない何かが腐ったような臭い。恐らく食してきた獲物の匂いだろう。
 牛を丸呑みできる口で食われるのか、大樹の根元ほどある足で踏まれるのか。
(俺一人に炎を吐いたりはしないよな)
 ドラゴンを見るなど初めてである。どんな行動を取るのかラッドには見当も付かなかった。
「そうだ。どうせ死ぬんだ」
 ラッドは弓を拾って楽器を構えた。
「吟遊詩人が死ぬなら、やっぱり演奏中だよな」
 盗賊魔法使いの前でやったように。
(でも、あの時は敵であっても客がいたっけ)
――足を止めてくれたなら、どこの誰であろうとそれは君の客だ――
 お師匠様の教えが頭をよぎる。
「客? これが?」
 確かに足を止めてくれている。そびえ立つ巨大な生き物が。
 ラッドの口から息が漏れた。
「最後の客としちゃ申し分ないか」
 盗賊より遥かに素性の知れた客である。
――客の目を見ろ息を聞け。求めている物を与えるんだ――
 既に食いついている客ならイジリは不要。客に合った曲を頭の中から探す。
(あれだけ大きいと鼓膜も厚いだろうな)
 高音は拾えまい。なら低音重視だ。
「それではお客様に合わせた一曲を」
 ラッドはオライア軍行進曲を奏で始めた。
 兵隊が足並みを揃えるための行進曲はリズム重視でテンポ良く、遠くまで聞こえるよう低音がメインだ。死への恐怖に打ち勝ち戦場へ進むための曲――まさに今の自分に相応しいではないか。
(さて、客の反応は?)
 ネコを思わせる裂け目の瞳孔が、少し広がった。瞳孔は暗くなると広がるが、今は違う。となれば「興味を持った」を意味する反応だ。
(行ける!)
 ラッドはリズミカルに弓を操り行進曲を奏で続ける。
(お師匠様、客に聞かせていますよ)
 お師匠様でさえ経験していないであろう、超大物・・・の客に。

                   ♪

 最初の場所近くにドラゴンは着地した。木々が折られる音が聞こえてくる。
 その音に、梢すれすれを呪歌で飛ぶリンカは違和感を抱いた。
「ドラゴン、随分と木を折ったね」
「……あの巨体ですから」
 隣を飛ぶトゥシェが当然そうに言う。
「でも、さっきは開けた場所にいたよね? 無闇に木を折らないんだなって、感心したのを覚えている。何か見つけたのかな?」
「……中隊本部の裏口が、確かあの辺りだったかと」
「ラッドが見つかったの!?」
「……侵入者を見つけたにしては静かです」
「でも私を見ても無視していたよ。だから魔導師の真似したんだから。ああ、そうか。最初の場所に陣取っていたのは中隊本部を見つけたかったからで、裏口を見つけたなら無理やりでも降りるか」
「……ドラゴンに見つかるほど大きな開口部はありませんでした。岩陰に扉があるだけで――」
「あれ、何か聞こえる」
「……確かに。音楽のようです」
「ラッドの演奏だ!」
「……まさか」
「歌姫の舞台で聞いたのと同じ音だもん。ラッド以外にあり得ないよ」
「……演奏をしている? 奴は何を考えて――」
「だからだ! 急にドラゴンが戻ったのは、ラッドの演奏が聞こえたんだよ!」
 その直前、ドラゴンが攻撃を止めたのも、そのせいに違いない。
「……いくらなんでも、距離が遠すぎます」
「でも、ドラゴンの方から聞こえてくるよ。ラッドが演奏をしているから、ドラゴンはあそこに降りたんだよ」
「先生、待ってください。これ以上近づくとドラゴンに気づかれます!」
「ラッドは私たちを助ける為にドラゴンの注意を引いているんだ!」
「先生、止まってください!」
 トゥシェがリンカの前に出た。

♪ビム(回避)♪

 その脇をすり抜けリンカは突き進む。
 こちらに背を向けたドラゴンの、正面でラッドが楽器を奏でていた。
 会ったばかりのリンカたちを助ける為、巻き込まれた被害者なのにも関わらず、我が身を省みずにドラゴンを呼び寄せたのだ。
「ラッドーーー!!」
 リンカは彼の元へと見えない翼で羽ばたいた。

                   ♪

 ドラゴンを前にしてラッドは行進曲を奏で続けていた。
(いつ俺は殺されるんだ?)
 またしても生殺し状態で既に精神は限界だ。現に再び幻聴が聞こえだしている。
「ラッドーーー!!」
(リンカの声だ。やっと聞けた)
 生まれて初めて出会った「ラッドに偏見を持たない少女」の声を幻聴ながら聞けたのだ。
(これで思い残すことは――)
 幻覚も追加された。ドラゴンの向こうに、空を飛んでくるリンカの姿が。
(本当に都合良く、望んだ物が見えるんだな)
 リンカはもの凄い速さでドラゴンの脇を掠め、ラッドの側に着地した。
「ラッド!」
 あまりに好都合な幻は無視できたが、客の急激な反応は無視できない。
 ネコと同じ瞳孔が針の様に細くなったのだ。瞳孔が狭まる――それは眩しいのでなければ、機嫌を損ねたときの反応だ。
「お客様はご機嫌よろしくないようで、そろそろ演奏も終わりでしょうか」
「ラッド、無事だったんだね」
「え……本物?」
 演奏の手を止めずにラッドは首だけ向けた。
 亜麻色の髪を横で垂らした短パン姿の少女がそこにいる。
 トゥシェも遅れてリンカの後ろに降り立った。
「……ここまで来たらもう何も言いません。先生と運命を共にします」
 彼の背後でドラゴンは口を半ば開け、ずらりと並んだ牙を剥きだしている。火の粉が漏れているあたり、かなり怒っているらしい。
「ラッド、もう大丈夫だから行こう」
 リンカは状況を分かっていないような事を言う。
「あー、そうしたいんだけど、お客様が許してくれそうにないんだ」
「客って――」
 リンカは振り返って、やっとドラゴンに気づいたかのようにビクついた。
「――す、凄いねラッド。ドラゴンにまで演奏を聞かせられるなんて」
「聞いてくれるとは俺も思わなかったよ」
「……二人とも無駄口は控えてください。ドラゴンを刺激したら三人とも即死です」
 トゥシェは状況を理解しているようなので尋ねてみる。
「ところで、お客様がエラくお怒りなんだけど、どうしたのかな?」
「……先生が貴様を助けるために、ドラゴンを怒らせたのだ」
「へ、へえ。それでまだ生きていられるなんて、俺たち凄い幸運だな」
「……ふざけている場合か?」
「軽口叩いていないと悲鳴を上げそうなんだ。だって、ドラゴンが怒っているんだぞ」
 先ほどから膝がガクガクして、今にも腰を抜かしそうだ。弓を操る腕が重い。
 怯えたのでもなく、体力が尽きたのではなく、二人の命がラッドの腕にかかったからだ。
(俺が死んだら二人も死ぬんだ。考えろ、考えるんだ)

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