呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第十楽章 獲物を狩る者(1)

 その人・・・はリンカの希望だった。
 別段それまでの人生が不幸だった訳ではない。小さな島では全員が家族みたいなもので、不幸を知らぬ幼少時代を過ごしてきた。
 その本に出会うまでは。
 リンカが他の子と違ったのは、無類の本好きな点だった。七歳で巡回図書館の児童書を読み尽くしてしまったほどである。その為新しい本が入ったときは真っ先に読ませてもらえた。
 その本を手にしたのは八歳のとき。
 その本「魔法を使うには」は子供向けの魔法の手引き書で、絵本で見た不思議な力の使い方が説明されていた。
 リンカは早速試してみた。そして本のとおりに魔力を出せたのだ。
 島では三十年ぶりとなる魔法使いの誕生だった。お祝い騒ぎとなり、リンカは島中の人気者になった。
 村長は都にできたばかりと聞く魔法使い連盟に手紙を送った。すると図書館の本は返却する必要があるということで、新しく手引き書が送られてきた。リンカは生まれて初めて自分の本を手にしたのだ。
 そんな環境だったので、あるいはだからこそ、リンカは恵まれなかった――理解者に。
 魔法が使える、それだけで褒められた。新しい魔法を身につけても、周囲は努力こそ認めてくれるが、前の魔法に比べてどれだけ難しいかなど分かりようもない。島には結果を評価してくれる人がいなかったのだ。
 他人とは違う能力を持ったが故に、リンカは初めて孤独を知った。
 頼みの綱は手引き書の著者だけだった。海の彼方、大陸に住む魔法使い(書中では博士)にダメ元で手紙を送った。手引き書に「急ぎの手紙は葉書でどうぞ」とあったので葉書で。
 すぐ返事が来たので驚いた。少し上の手引き書「魔術師入門」と共に送られた言葉。

――素晴らしい成果です。あなたは上に挑める腕前になりました――

 それこそリンカが求めていた「評価」だった。ついにリンカは理解者を得たのだ。
 新しい手引き書をリンカは読み倒し、実践し、結果を手紙で送った。すると返事が来る。具体的な改善点やリンカに合った練習方法を教えてくれるのだ。
 リンカが得たのは理解者以上の存在、師匠だった。
 八歳で「魔術師入門」をやり終え、十歳で「魔術師卒業」を卒業、続く魔法師入門は十一歳で終え「魔法師卒業」をこなしていたとき、リンカは呪歌を見つけた。
 すぐ博士に報告したところ「我が子が初めて言葉を発した以上」に喜んでもらえた。
 さらに「成人したら私の元で修業しませんか?」と誘われた。
 それはリンカの人生で一番嬉しい手紙となった。
 もちろん修行は厳しいものであり、それについて博士から覚悟も問われた。だが尊敬する人に認められ、教えを受けられるのだから迷いはない。
 博士はリンカを孤独から救ってくれただけでなく、未来の道筋も示してくれた。
 この冬に成人し、博士の元へ向かうリンカの足取りは軽く、心は弾んでいた。
 そしてついに博士と会ったとき、宣告されたのだ。

――呪歌は存在しない――

 一度認めたのは間違いだったと、全てを否定された。
 これまでの苦労も喜びも希望も未来も、全てを打ち砕かれたのだ。
 絶望したリンカは博士の元を飛びだし、彷徨さまよい歩き――

――

「リンカ~~~!!」
 ルビの声にリンカは我に返った。
 目の前に地面が迫る。

♪ビム(回避)♪

 木々の枝に突っ込み視界が緑に染まる。次に見えたのは落ち葉の地面。すれすれで止まった。枝が大量に落ちて葉っぱが舞う。
 息を荒らげたまま肩を上下させるリンカの顎から汗が滴った。枝に打ち付けた各所が痺れと痛みを訴えはじめる。
「リンカ~、おちてたよ~」
 ルビが周りを飛び回っていた。
「ああありがとうルビちゃん。いい一瞬、い意識ががと飛んででいたたよ」
 その一瞬で夢を見た。
(あれが死ぬ間際に見るっていう走馬灯?)
 ルビが引き戻してくれなかったら墜落死していた。
 呪歌を解いて着地した途端、リンカは落ち葉にへたり込んだ。
「あれれれ?」
 下半身に力が入らない。手から短杖が落ちた。
(麻痺の後遺症?)
「そそそそうかか。たた体内いのま魔力がが、み乱されれたからら」
 口もうまく動かない。先ほどから嫌な振動をしているせいか。
「リンカ~、さむいの~?」
「え、え?」
「ブルブルしてるよ~」
 否定しようとして気づいた。先ほどからの振動は、ガチガチ鳴る自分の歯が立てていることに。短杖を拾おうとした手も、不気味なくらいに震えている。
「ま魔力が乱れただけでで、こここうはならないはずず。ど、どどどうしてて」
「おおきなこえ~、こわかったね~」
「あ……」
 麻痺していたのは肉体だけではない。リンカの精神も麻痺していた。
 先に肉体が反応したのだ――恐怖に。
「怖い……」
 やっと自覚した。自分が怯えていることに。
 圧倒的なドラゴンの力に震え上がっている。
「そ、そうだね。怖くて、当然だよね……」
「え~? さっきまでリンカ~へっちゃらだったのに~」
「え?」
「おいかけてこい~って、いってたじゃ~ん」
「それは、ラッドを助けるためで……あれ? 私はラッドみたいに勇敢じゃないのに……どうしてできたんだろう?」
 故郷に帰ることさえ躊躇ためらっているのに。島の皆に「何があったか」話すのが怖くて。
 博士に、師匠に全てを否定された、と口になどできやしない。
 そんな事をするくらいなら死んだ方がまし・・・・・・・ではないか。
「そうか……私、自棄になっていたんだ」
「やけってな~に?」
「そうだね。私なんて死んでもいいやって、そんな気分の事」
「リンカしんじゃやだ~」
 ルビの声がリンカの胸を突いた。
 トゥシェがあれほど心配していたのも、リンカに死んで欲しくなかったからだ。
「だのに私、耳を貸さないで、危ない事をわざとしていた……」
「なんで~? あぶないのに~」
(死にたかったからだ……)
 涙が溢れてきた。
 生きているのが嫌になり、死にたかったのだ。
 そのくせ自殺する勇気が無い。だから誰かに殺されようとしていた。盗賊魔法使いに、黄金の夜明け旅団に、そしてドラゴンに――そのドラゴンの側に!
「トゥシェ! ラッド!!」
 大切な友達は今、生命の危機にある。ドラゴンに見つかったら最期だ。
「そんな事、させるもんか!」
 リンカは短杖を拾い、それで震える脚を強く叩いた。
「うわ~、いたくないの~?」
 痛みなど後で感じればいい。一刻も早くドラゴンを移動させなければ。
 自らを鼓舞してリンカは立ち上がった。大きく息を吸う。

♪レイ・フィオール(飛翔)♪

 空に舞い上がった。
「ルビちゃん、隠れていて」
「は~い」
 ドラゴンはまだリンカに気づいていない。

♪ヴィンラーン(目眩まし)♪

 閃光に気づいたか、ドラゴンがこちらに首を向けた。
「私は無事だぞーっ!!」
 ドラゴンは短く唸ると、再び胴体を膨らませはじめた。
(また咆哮?)

♪ビム(回避)♪

 リンカは急上昇する。先ほどの倍以上距離を空ける。
 ドラゴンが大気を歪ませて吼えた。
 鼓膜が破れそうな咆哮。魔力が全身を叩く。
「く!」
 一瞬にして浮力を失いリンカは落下した。だが落ちたのが幸いし、咆哮の直撃から外れる。
 乱れた体内の魔力を整え、呪歌を唱えた。

♪レイ・フィオール(飛翔)♪

 天空に咆哮が残響を轟かせる中、リンカは落下を止めて再び上昇する。
「どうだドラゴン! 私は無事だぞ!」
 ドラゴンが放散する魔力が強まった。背中の翼を展開する。巨体を取り巻く木々が細枝の様に大きくたわんだ。
 大地の魔力が天空まで押し寄せてきた。
(来るか!?)
 リンカは固唾を呑んで見守った。ドラゴンの巨体が、ゆっくりと浮き上がる様を。広大な翼を打ち振り、ドラゴンの上昇速度が増した。
――ドラゴンは飛行の大半を大地の魔力制御で行う。翼は方向転換など補助的な役割なので、翼を傷つけた程度では飛行能力を奪う事は出来ない。怒らせるだけである――
 リンカは高度と距離を維持する。
 高みに登ると、ドラゴンはリンカに向かって来た。
 待ち望んでいた状況が、遂に実現したのだ。
「良し、付いてこい!」
 後は逃げるだけだ。少しでも遠くへドラゴンを誘導する為に。
 自分が殺されるまでの間に。
(自棄で死ぬのは、私だけでいいんだ)

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