呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第九楽章 最強の生命体(1)

 打ちのめされた気分でラッドは演奏を終えた。
 我ながら酷い演奏だった。声が出なかったし、腕も指も硬くて弦に遊ばれた。
(お師匠様に聞かれたらお仕置きフルコースものだ)
 それでも笑顔を作る。
「いかがでしたか、中隊長さん」
「良かろう。大隊本部に報告しなさい」
 それだけ言うと老人は再び机上のガラス皿に目を落とした。
 レド副官が素早く扉を閉め、そのまま背中を預けて吐息を漏らす。仕草の一つ一つが刺激的で、ラッド心を乱してくれる。
(彼女が気になって演奏どころじゃなかった、なんてお師匠様に知られたら、殺されるな)
 そんなレド副官がラッドに目を向けた。上目遣いで。
「ところで音楽家君、これに曲も書いてくれませんか?」
 彼女が見せた羊皮紙にラッドは驚いた。今歌った吟遊詩の歌詞が書かれてあるのだ。しかも自分の筆跡で。
「どうしてこれが? 水に入れてインクが流れたはずなのに」
「転写魔法です」
 と傍らにいた少女兵士ノーチェが説明する。なんでも文字を遠方に送れるそうだ。だが湿った羊皮紙には掠れや染みなども〈ラッドの記憶どおり〉に記されている。恐らく紙上の全てを、例えば絵だろうと送れるのだろう。
「凄いな、便利だ」
「こうした技術の普及を、魔法使い連盟は妨げているのです」
「そうなんだ」
「もちろんこれも、連盟が権力者に媚びる為――」
 レド副官が咳払いすると、ノーチェが飛び上がって口をつぐんだ。
「それで、曲ですが」
「すみません、話の途中で」
 ラッドは「オライア軍行進曲」と曲名だけ書いた。
「大きな町、県府くらいなら、この曲が、楽譜が、手に入るはずです」
「買えるなら結構。ご苦労様でした。協力に感謝します」
 握手という形でまた手を握られ、ラッドは耳まで熱くなった。
「レド副官殿、彼を連れ原隊復帰してよろしいでしょうか?」
 ノーチェが直立不動で問いかける。
「よろしい。命令遂行したまえ」
「え、あの――」
 ラッドの顔を見てレド副官がふくよかな唇を緩ませた。
「同志スレーン、デニ小隊長への伝令任務を与える。中隊本部の許可なく協力者を傷つける事は許さない。ただし、同志と交換する分には問題ない。これで安心できましたか?」
「はい、安心しました」
 ラッドは促されるまま頷く。
「それでは失礼します」
 ノーチェが乱暴にラッドの背中を押して椅子に座らせた。
「あ、また眠らせるの?」
「中隊本部の場所を教えるわけにはいきませんから」
 強い口調で言われラッドが従ったそのとき、甲高い鐘が洞窟内に響いた。
「ドラゴン警報だ。総員、隠密せよ!」
 レド副官が命じるや、部屋の灯りが次々消される。
「ドラゴンだって――」
 悲鳴を上げかけたラッドの口が柔らかい手に塞がれた。
「しぃ、音が反響するから静かに」
 そう言うノーチェの手をラッドは振り払った。
「どうしてドラゴンが?」
「ここはドラゴンの生息地だから、見つかったら炎の一吹きで洞窟内は蒸し焼きにされてしまうわ」
 ラッドは驚きのあまり、口を塞がれなくても声が出せなくなった。
 ドラゴンの生息地、そこは人竜共存協定により人間の侵入が禁じられた場所である。
「ど、どうしてそんな場所に――」
 再びラッドの口は塞がれた。
「静かにしなさいって。ここは連盟が手を出せない安全地帯だからよ」
(安全の意味が違う!)
 ラッドは声を潜めて尋ねた。
「もしドラゴンが協定破りに怒ったら、どうするんだ?」
「は? 魔獣の機嫌なんて知りませんよ」
「無責任――」
 声が大きくなるやまた口を塞がれる。
「同志スレーン、彼を黙らせなさい」
 レド副官のきつい声がした。
 ラッドは口こそ閉ざしたが、心の中で罵った。
(こいつら、自分たちが何をしているのか理解も出来ないほどバカなんだ!)
 かつてドラゴンは人類の天敵だった。いくつもの町がドラゴンによって壊滅させられたものだ。首都が襲われ滅んだ国もある。「ドラゴンが本気になったら人類が滅亡する」と教師は言っていた。
 そんなドラゴンと共存協定を結んだのが魔法使い連盟なのだ。ドラゴンと意思疎通するには魔法が必要なので、リリアーナ大王でさえ協定の当事者にはなれない。
「この協定を破る事は、犯罪どころか連邦憲章違反より悪い、人類滅亡の危険を犯す大罪だ」
 と学校で繰り返し教わったものだ。
「便利な魔法を普及させない」程度で連盟を批判する「権力者になりたい」連中が犯している罪は「人類への反逆」なのだ。比較にならない。
(もしドラゴンが再び人類に敵対したらどうなるか、想像できないなんて)
 成績が底辺のラッドでさえ分かる事なのに、大の大人が揃って理解できないなんて信じられない。
(バカが掲げる正義って、ルガーン人の悪政より悪い事態を招くんだな!)
 大部屋の灯りが全て消されたので、見えるのは中隊長室から漏れる光で照らされる範囲だけ。戸口にレド副官が立っているので、艶めかしいシルエットが浮かびあがっていた。
「中隊長、ドラゴンに発見されたら中隊本部は全滅するのです。魔法の使用を止めてください」
「今止めたら今朝からの研究が無駄になってしまうではないか」
 口論に、暗闇の中で男が毒づいた。
「研究バカが」
 部外者がいるのにお構いなしだ。
(確かに自滅行為はバカげているけど、人類全体を巻き込む協定破りに比べたら、被害が身内に留まるだけ中隊長の方がマシだよな)
 どうにかレド副官は中隊長を諫めて灯りを消させた。本当に真っ暗になる。複数の息づかいの他に聞こえるのは、どこかで水滴が落ちる音くらい。
 海鳴りの様な音が轟いた。
「ドラゴン、正面付近に着地しました」
 ささやき声だったが、静寂の中なのでやたら明瞭に聞こえた。
「緊急事態の最終項か」
 レド副官が杖に灯りを点した。中隊長室の扉を開ける。
「中隊長、ドラゴンが地上に降りました。ここが見つかるのは時間の問題です。総員退去のご命令を」
 老いた声が何やらまくし立てている。レド副官が苛ついているのが聞こえた。
 どうやら重要書類を持ち出したいのに、中隊長は自分の研究機材を運ばせようとしているらしい。
「私的な研究を部隊の重要書類より優先せよと!?」
「君は魔法技術の重要性を理解していないのか!?」
「指揮官が部隊を疎かにするのですか!?」
「魔法使いが研究を疎かにするなど、知性の放棄ではないか!」
 もはや口げんかである。
 レド副官は苦労しているようだが、同情する気にはなれない。
(旅団に手を焼いている連盟の気持ちって、あんなもんだろうな)
 応酬の末に中隊長が渋々命令をくだした。
「仕方ない。総員退去」
「総員、重要書類を運びだせ!」
 レド副官が命じるや一斉に灯りが点された。暗闇に慣れた目には眩しすぎる。
 少しして様子がラッドにも見えた。魔法使いたちが書類を重ね、丸めて書類筒に詰め込んでいる。
 その様にオロオロしているノーチェをレド副官が怒鳴りつけた。
「同志スレーン、貴様も書類搬送に当たらんか!」
「しかし、原隊復帰が」
「状況が理解できないのか!? 中隊本部の危機なのだぞ。重要書類の保全が最優先される!」
「りょ、了解しました、副官殿。では、彼はどうするのでありますか?」
 ノーチェがラッドに視線を向けた。
「機密情報を漏らされては困る。拘束せよ」
「了解しました」
 返礼するやノーチェはラッドに杖を向けた。
「ちょ、ちょっと――」
 杖で胸を突かれた。心臓が一瞬止まり、目から火花が散った。続いて全身に痺れが駆け抜ける。身動きどころか声も出せず、ラッドはかろうじて息を絞り出せるだけだ。
(これ、さっき歌姫の前であった状態だ)
 魔法使いたちは書類筒を何本も抱えて部屋を出た。中隊長が木箱を手に渋々といった風に続く。
「残存者はいないな!?」
 最後にレド副官が確認する声がした。ラッドがいる事を百も承知で。
 灯りが消され、ラッドは暗闇に取り残された。
 足音が遠ざかると、洞窟は水音しかない暗黒世界になる。
(また絶体絶命かよ……)
 この三日間で三度目だ。今までは魔法使いだったが、今度はドラゴンである。
 自分のテリトリーに人間の住処すみかなどを見つけたら激怒するだろう。
――見つかったら炎の一吹きで洞窟は蒸し焼きにされるわ――
 雷鳴のような音が洞窟を揺るがした。
 ドラゴンが吼えたらしい。いよいよここを見つけたのか。
(俺、このまま死ぬんだ……)
 地の底の暗闇で、たった一人で。
 吟遊詩人は野垂れ死ぬとは思っていたが、まさかドラゴンに焼き殺されるとは。
(嫌だ。死にたくない。俺はまだ何も出来ていないのに)
 歴史を動かすどころか、稼ぎで生活費を賄えない新前のままで死ぬのだ。
 叫びたくても声が出ない。
 無明の闇の中、ラッドは恐怖に震え続けた。

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