呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第六楽章 奇妙な老人(5)

「お師匠様を知って――いや、ハッタリだ」
「彼女と初めて会ったのは、今は亡きバラキア神国でした」
 ウォルケンの語りに、ラッドは全力で肉体の反応を押しとどめた。
「吟遊詩人にしては珍しい弦楽器を使っていました。君の手にあるのが恐らくそれでしょう。最後に会ったのはバラキア神国が我が国に併合された後。彼女は『自分の役割は終わった』と東へ旅立ちました。あの性格ですから中途半端な場所では止まらないはず。きっと東大洋に面した場所に落ち着いたことでしょう。存命なら、今年で四十五歳」
「!?」
「本人の自己申告を信じれば三十九歳」
「く!」
「まあ女性の実年齢なんて、国家機密より不明なものですからねえ」
 手玉に取られているのが分かるだけに悔しい。まるでお師匠様を相手にしているかのようだ。
「彼女は『歌で歴史を動かした』と自慢たらたらでした。確かに歴史書にフィンギルトの証言が記録されてはいます。『吟遊詩人の歌に突き動かされた云々』と」
 不自然に間を開ける。
「並外れた洞察力を持つ彼女も自分の事となると、そんなホラ話を真に受けるほど目が曇るとは実に残念です」
 お師匠様への侮辱にラッドの自制心が飛んだ。
「ホラ話だなんて言いがかりだ!」
「おや、吟遊詩人は誇張や脚色が商売なのでは?」
「う……」
「吟遊詩は事実を元にしたホラ話。真に受けるなんて余程の世間知らずか酔っ払いくらいでしょうね」
「……」
「この証言を目にした理性的な者はこう思ったはずです。『真の情報源もしくは依頼者を隠す為の煙幕だ』と」
「そんな……」
「吟遊詩なんて噂レベルの情報です。真実を知るには信頼性の高い情報で確認するのが当たり前じゃないですか」
「でも、それは推測です」
「一国に戦いを仕掛けるにあたってフィンギルトが『その程度の手間を惜しんだ』などと本気で思うのですか?」
「それでも、きっかけは吟遊詩のはずです!」
「真実は当人の胸中にしか無いでしょう。そして本人が消えた今は歴史の闇です」
「つまり、あなたの推測には証拠が無いということですよね?」
「そうですね。きっかけが吟遊詩である、という証拠が無いのと同じく」
「でも、証言が残っています!」
「伝説の英雄が『吟遊詩を真に受けた』と主張するのは自由ですが、お勧めはしかねますな。特に、吟遊詩人がそれを言うのは」
「う……」
「何故そうまで拘るのですか?」
「だってそれじゃあ、お師匠様が、お師匠様は独裁国を倒したから引退したんだ。歌で歴史まで動かしたから、それ以上やることが無いから。でも、そうじゃなかったら、お師匠様の人生は、意味が無かったことになるじゃないですか!」
 悔しさのあまり涙がこみ上げてきた。それを見られまいと上を向く。
「人生の意味を、他人がとやかく言うことこそ意味が無いと思いますがね」
 ウォルケンの声が平静すぎて、ラッドの悔しさが倍増した。
「お師匠様は歌で歴史を動かしたんだ!」
「歌で動くのは聞き手の心までです」
「その人間が歴史を動かすんだ!」
「その理屈からすると、酒好きの人間が歴史を動かしたら『酒が歴史を動かした』となりますね」
「そうでしょ!」
「君はたった一つの要因だけで動くほど単純なのですか? 歌を聞いた人が酒好きだったら、どちらが歴史を動かしたことになるのです?」
「う……」
「君の師匠は、自分の能力を誇示するあまり現実が見えなくなった、残念な人です」
 ラッドの中で何かが切れた。
「なら俺が、歌で歴史を動かしてやる!」
 ウォルケンの目が眼鏡の奥で円くなる。
「は、はははは、これはこれは」拍手をした。「いやいやいや、志を高く持てるのは若者の特権ですな。いやあ羨ましい」
 バカにしている。
「絶対にやってやる!」
「ええ、ええ。お手並み拝見させていただきますとも」
「もし歌で歴史が動いたらどうする!?」
「そうですね。君の師匠に詫びを入れに行く、というのでどうでしょう?」
「絶対にですよ!」
「ええ、約束しますとも」
「守る気ゼロなのが声で分かりますよ!」
「それは仕方ありません。不可能を前提にした実現しない約束ですので。しかし万が一、奇蹟が起きて、あなたが志を遂げたなら、必ず実行しますとも。別段難しい事ではありませんし、それで私が何かを失うわけでもありませんからね」
「絶対にやってやる!」
「それは結構ですが、無意味な事にあなたの時間をあまりに浪費するのもねえ。ここは一つ『達成前に私の寿命が尽きたら諦める』を条件にしましょうか」
「そこまで否定する根拠があるんですか?」
 ウォルケンは指折り数えだした。両手の指を全部折って、途方に暮れたようにこちらを見た。やる事の一つ一つが勘に障る。
「一つだけ紹介してよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「君の師匠は、私が知る屈指の『狡い大人』であることです」
 頭に登っていた血が一気に引いた。
 ウォルケンがお師匠様を知っているのは間違いない。
 ラッドはおろか町の大人たちも手玉に取られたものだ。ウォルケンが「彼らほど強かな連中はいない」としたクラウト商人でさえ「あんたにゃ敵わないよ」と脱帽していた。
「誤解なきよう。狡さは弱者が生きのびる為には必要な資質です。一概に否定するものではありません。が」とウォルケンは強調した。「狡い、と評される人に良い印象を持ちますか?」
 雌ギツネ、ネコの様に騙す、などお師匠様への陰口は酷いものだった。
 暗澹とするラッドにウォルケンが追い打ちをかける。
「普通の人間は狡く立ち回れませんし、狡い人間は与えられた条件の中では美味しい目を見るケースが目立つので、多数派からは妬まれたり嫌われたりしがちです。狡い人間が評価されるのは商人の間か、外交の場くらいですかね」
「俺も、狡い人間なんですか?」
「初対面の私に尋ねることですか? まあ、今までの会話から『師匠の影響を強く受けている』印象は持ちましたが」
「狡い人間を、あなたはどう思うんですか?」
「他人の評価が必要ですか?」
「狡い人間は尊敬する価値が無いと言いますか?」
「そうですねえ」老人は右上に視線を走らせた。「狡い人間で、尊敬に値する人物を三人知っています。もっとも二人は既に亡くなっていますが」
「生きているのが、まさかお師匠様?」
「君は師匠を信仰でもしているのか?」
 初めてウォルケンの声に怒りの色が加わった。
マユラ・・・ごとき、リリアーナ大王の足下にも及びませんよ」
「リリアーナ大王が狡いと言うのか!?」
 絶対に許せない一線を越えられ、ラッドは席を蹴って立ち上がった。
「その感情が、狡い人間に対する君の評価です。他でもない、君がそう思ってるのですよ」
「!?」
 衝撃のあまり息が詰まった。
 お師匠様は狡い人間だけど尊敬する。でも尊敬するリリアーナ大王が狡い人間であると、認めたくない。
「ど……どうして」
 無意識のうちに二重基準を使っていたのか。
 テーブルに両手を着いて息を荒らげるラッドの頭上をウォルケンの言葉が流れる。
「言ったはずです。外交の場では、狡い人間が評価されると。彼女は狡かったから大陸を統一できた。バカ正直だったら西方辺境地域は今も戦乱が続いてますよ。リリアーナという女性は、狡いから偉大になれたのですよ」
 思考が停止しかけたラッドは必死にお師匠様の教えを思いだす。
――息を整えろ。感情は呼吸に出る。だが逆に、呼吸で感情を支配できるものだ――
 ラッドは目を閉じ深呼吸した。見た目も礼儀もかなぐり捨て、肺から全ての空気を絞りだし、大きく吸い込む。また深く吐ききる。繰り返すうちに頭が動きだした。
「驚きましたね。もう立ち直るとは」
 目を開けると、ウォルケンは笑みをたたえて見つめていた。
「これは、君の師匠の評価を少し上げざるを得ませんね」
 先ほどの怒りは演技だったのか、声は楽しさに満ちている。眼鏡の奥では瞳が悪戯っぽく輝いていて、まるで子供の様――
「あ……」
 やっとラッドは掴めた。最初から引っかかっていた違和感の尻尾を。
(こいつの声、若すぎるんだ)
 どう見ても七十過ぎなのに、声は三十前の若い声帯が発しているのだ。一部だけ加齢を免れているとしたら、まるでお師匠様ではないか。
(俺を手玉に取る話術も、お師匠様とそっくりだ)
「ウォルケンさん、あなたはひょっとして――お師匠様の師匠?」
 老人は答えなかった。
 それがラッドに情報を渡さない、一番の方法だからなのは疑う余地も無かった。





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