呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第六楽章 奇妙な老人(2)

 舞台を下りたラッドを待っていたのは、警備の役人たちだった。
 リンカと話す間もなく役場へと連行される。
(当然だよな)
「興奮した群衆が舞台に殺到したら大事故になったんだぞ!」
 取調室でラッドは中年の役人に怒鳴りつけられた。テーブルを叩かれ、椅子を蹴られる。
”おおごえきら~い”
 今は妄想の相手どころではない。
(殴られないだけマシ。殴られないだけマシ)
 リンカを助けることしか頭に無かったラッドは身を縮めるしかない。
 だがそんな事情を役人は知らないし、下手に喋ればリンカに責任が及ぶ。悪いのは自分だけなのだから、ラッドは黙って罵倒に耐えた。
「吟遊詩人ごとき・・・が、歌姫と同じ舞台に立つなんて神々がお許しにならんわ!!」
 反射的に目を上げたが、かろうじて舌の暴走は抑えられた。リンカを巻き添えにする事だけは防がなければならない。
「なんだ、その目は!?」
 胸ぐらを掴んで引き上げられた。
(殴られる!)
 覚悟してラッドは目を閉じた。
 その時ドアが開く音がした。上役だったらしく、ラッドの襟から手が離れる。人が交代する気配がして、テーブルの向こうに座る音、ドアが閉まり足音が遠ざかる。
 目を開けると初老の役人が前に座っていた。
 ため息をついて疲れた様子だ。怒っている気配が全くしないので不気味である。
”くらいかお~”
「舞台への乱入を許したら、警備責任者の首が飛びます」
 ボソボソと役人は言った。
「はい、反省しています」
「ですから、演出は予め届け出てもらわなければ困るのです」
「は?」
「今回は口頭注意としますが、次は裁判ですからね」
「あ――はい」
 どうやら町と歌姫側とで話を付けたらしい。問題を大きくしたくないので「あれは演出だった」と言う事にしたのだろう。
(それとも幸運神殿が介入したかな?)
 吟遊詩人を最前列に入れた責任を問われる可能性もある。
 何はともあれ「おとがめなし」の沙汰にラッドは胸を撫で下ろす気分だ。
「それで、ですね」
 役人が言い出しそうに切りだした。すぐラッドは察する。
(どうやら、これからが本題らしいな)
「さる人物が、あなたの演奏を高く評価しておられまして『是非とも会ってみたい』とのご意向なのです」
「え? あ、はい!」
 予期せぬ展開に一瞬戸惑ったが、即座にラッドは居住まいを正した。
(ひょっとして、高名な音楽家とか?)
 歌姫レラーイの公演なら大物が来ていても不思議ではない。となると事件化を嫌ったのが、その大物の可能性もある。
「くれぐれも無礼が無いよう、厳にお願いします。もしもの事があった場合、あなたの社会的生命が終わると肝に銘じてください」
「は、はい」
 真剣な声と表情にラッドは圧倒されてしまった。ここまで役人に言わせる要人となると、音楽家とは思えない。
(国のお偉いさんか?)
 中央の高級官吏、あるいは執政院議員か。
(まさかハルトー執政院議長なんて無いよな?)
 孫娘の公演なら首都でいくらでも行く機会があるはず。
 誰にせよ何故要人が吟遊詩人風情・・に会いたがるのか、疑問が明かされぬまま、ラッドは役人に促され部屋を出た。


 ラッドが案内されたのは二階の応接室だった。
 固唾を呑んでから初老の役人はドアをノック、卒業生代表のように緊張した声を出す。
「失礼します! 先ほどの音楽家をお連れ、いたしました!」
 ギクシャクと役人がドアを開けると、まず目に飛び込んできたのは丸テーブルに盛られたご馳走だった。燭台のロウソクに照らされた肉や魚、野菜の品々と種々の瓶――恐らく酒だ。
 町に入る前に干し芋パンをかじっただけだったので、ラッドの胃袋が激しく音を立てる。
 テーブルの向こうで白髭の老人が立ちあがった。眼鏡という珍しい道具が印象的だ。老人は両手を広げてラッドを迎え入れた。
「ご足労いただき申し訳ありません。こちらから伺おうとしたのですが、どうしても『お連れする』と」
 老人が目を向けた先で役人はそそくさとドアを閉めた。
「自己紹介がまだでしたね。私はウォルケン=リッター。この国で技術指導をしています。見事な演奏をした音楽家さんの名前を伺ってもよろしいですかな?」
 思ったより気さくな人だ。少し声が固い――緊張しているようだ。
「ありがとうございます。ラドバーン=キースキンです」ラッドの声はもっと固かった。「新前吟遊詩人には過ぎた評価で恐れ入ります」
 一瞬、吟遊詩人と称した事を悔いた。何しろ風情・・でありごとき・・・なのだ。
 だが老人は笑顔のままでいる。
「新人らしからぬ堂々とした演奏ぶりでしたな。ささ、どうぞおかけください」
 吟遊詩人への蔑視は声に出ていない。
 安心したラッドが向かいに座ると、ウォルケンはグラスに白い酒を注いでくれた。そして左手で自分のグラスを掲げる。
「素晴らしき演奏に」
 賛辞の言葉を噛み締めながらラッドはグラスを掲げた。口にした酒はフルーツの香りがして爽やかな味わいだ。
「これ、美味しいですね。初めて飲む酒です」
「ワインはこちらでは作られていないのですか?」
「ワインって、赤いんじゃないんですか?」
「それは赤ワインですな。こちらは白ワイン。タンカスロンの七年物になります」
「へえ、赤と白があるんですか」
「銘柄によっては黒と呼ばれる品もありますな」
「カラフルなんですね。でも美味しい。お酒って美味しいんだ」
 ラッドは二口目を堪能する。
「お口に合ったようで何よりです。それに酒は心で飲むもの。嬉しい時や楽しい時に飲むと美味しさは増します。反対に葬式で飲む酒は味気ないものです」
「そうか。そうだよな」
 今日は人生最高の日なのだ。最高の演奏、最高の感謝、最高の賛辞。
 ラッドは喜びと共にグラスを煽った。胃に降りた酒精が熱を持ち、空腹感を強める。



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