呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第四楽章 歌姫の舞台(5)

 幸運神の礼拝堂でラッドは民謡や童謡を中心に歌い続けた。
 退屈と窮屈で苛ついている人には、吟遊詩より耳に馴染んだ歌の方が刺激が少ないようで、リリアーナ大王の吟遊詩は最初の頃数曲だけだった。
”えんそう、たくさんだ~”
 妄想少女のルビも大喜びである。
 日が傾きランプやロウソクが点されても、水分補給以外休まず演奏し歌い続けた。
 頭上の遥か高みにある鐘楼で鐘が鳴る。礼拝堂に響き渡り、ラッドの演奏をかき消した。
 日没の礼拝の鐘が歌姫の公演の始まりを告げると同時に、ラッドの公演の終わりを告げた。
「長らくお付き合いくださり、ありがとうございました」
 聴衆からの拍手を全身で感じる。心地よさにしばし時を忘れた。
 これほど大勢に喜んでもらえるだなんて、音楽家冥利に尽きる。
(やって行けそうだな、俺は)
 ラッドの心に自信が漲った。
 礼拝を司る神官と交代してラッドは演台を下りた。神官を補佐する助官に案内されて広場に出る。
 演奏の報酬はこの先だ。
 ラッドは舞台最前列の椅子席に案内された。神官たちが並ぶ特等席、それが報酬である。
 招待客用の特等席になど、吟遊詩人のましてや新前では絶対に座れない。かがり火に照らされた舞台は目の前、歌姫の息づかいまで聞こえる席は音楽家にとっては金貨の山に勝る価値がある。
 夢のような展開にラッドは幸せの絶頂だった。
(今まで見向きもしなかった幸運神フィファナが、そのツケを一気に精算してくれたのかな?)
 リンカとの出会いと合わせれば、十五年分の不幸に釣り合うとラッドには思えた。
「面目次第もございません」と、左手から聞こえてきた小声が、ラッドの鼓膜を引っ掻く。「まさか吟遊詩人風情・・だったとは――」
 四つ隣の席にいる神官――ラッドに演奏を依頼した一級神官が、隣の老人に頭を下げている。老人が下げる神紋は銀色つまり神官長で神殿の責任者だ。一級神官は上司に言い訳を並べ立てている。
(吟遊詩人、風情かよ……)
 幸せ気分が消し飛んだ。
 神官のように音楽家にも階級がある。王侯貴族に仕える宮廷音楽家が最高とされ、続いて国や軍などの公の楽隊に所属する音楽家、次いで私的な楽隊音楽家、そして楽隊に入れず一人で稼ぐ音楽家が最低である。
 だが同じ一人で稼ぐ身でも、酒場で演奏をする流しと、吟遊詩人とで天と地ほどの差がある。音楽家としての技量に差は無いだろうが、定住する良民と、漂泊の身では世間の評価が正反対なのだ。
――毎年税金を納めるか否か、その差は王侯貴族と平民以上なのだよ――
 身分制の国から来たお師匠様はそう説明した。ラッドは「それってルガーン人と奴隷ほどの差?」と尋ね「それ程ではない」との返答に安心しきっていた。
 あの一級神官はラッドを流しとでも思ったのだろう。フィドルのような高価な楽器を持つ吟遊詩人はいないから。
 吟遊詩人は堅気ではない、とは理解していたが「演奏させた事が神殿の不名誉になる」とまでは思ってもみなかった。
 ラッドの心は重く沈み、特等席が処刑台のように思えてきた。
 ここに自分の居場所は無い――それは子供の頃から常に抱いていた感覚である。
 漁師町に貧弱な男の居場所が無いように、歌姫の舞台に吟遊詩人の居場所は無いのだ。
 お師匠様に音感を見いだされ、八歳から必死に修行してやっと吟遊詩人という居場所が掴めた。だが吟遊詩人の居場所自体が社会には少なかった。そしてここが「吟遊詩人がいて良い場所」ではないことは明らかである。
 舞台に楽隊が入場してきた。上品な揃いの衣装、丁寧に櫛が入れられた髪、きらびやかな楽器を持つ音楽家たち。
 ここは彼ら彼女らのような良民音楽家の場所なのだ。
 楽隊の楽器にラッドは目を奪われた。磨き抜かれた木部に顔が映り、金属部はかがり火に煌めいている。
 愛用のフィドルが見窄らしくてならない。
 楽隊が音を合わせるなか、前説をするのか少女が舞台に出てきた。危なっかしい足音だと思っていたら、転んで笑いを誘っている。だが今は後ろの楽隊から耳が離せなかった。
 二十八人の楽隊が毛ほどの乱れもなく音を合わせたのだ。その技量たるや尋常ではない。フィドルの五人などはお師匠様を上回る腕前ではなかろうか?
(これが歌姫の楽隊か)
 個人の楽隊なのに、祭で見た軍の楽隊よりレベルが高い。
 音楽家としての格の違いに、ラッドは更に打ちのめされた。長時間演奏の疲労も相まって意識が現実逃避を始める。
(そう言えば、演奏が始まるのにルビは静かだな)
 神殿での演奏で満足したのか、などと考えるラッドの耳に触る声が響いてきた。
「公演の延期は私が原因なんです。私が舞台背景を壊してしまったので、修理しなければならなかったんです」
 前説の少女が声を上ずらせている。その声、印象は違うが聞き覚えがあった。
「延期で公演を見ずに帰ってしまったお客さん、余計に泊まらなければならなかったお客さんに、心からお詫びします」
 そう言って頭を下げた少女は――
「リンカ!?」
 ラッドの声は巻き起こったブーイングにかき消された。
 舞台で震える白いドレスの少女は、間違いなく呪歌使いのリンカだった。
 ただでさえ小柄な少女が消え入りそうに縮こまっている。そんなリンカに、観客たちが怒号や罵声をぶつけていた。
 リンカは必死に声を絞り出している。
「お詫びとして、歌を歌います」
「それどころじゃない! すぐに下がれ!」
 ラッドの叫びもブーイングに呑み込まれ、楽隊が演奏を始める。
(こんな危険な状況が分からないのか!?)
 先ほどの礼拝堂の比ではない。怒りに染まっている群衆の前に、怒りの対象を見せ続けたらどうなるか。
 オライア人の、民族の汚点となった報復感情の暴走が再び起きてしまいかねない。
 ラッドの心配が半ば恐怖に変わる中、リンカは歌い出した。
♪大きな楡の木漏れ日に――♪
(!?)
 馴染みの民謡だが、出だしから音程が違う。リンカは勝手に編曲して上に下に音を乱していた。
(外国人だから知らないのか?)
 緊張で音を狂わせるにしても酷すぎる。
(音痴なんだ。それも重度な)
 あまりにデタラメな歌に観客は呆れ、嘲笑が起きた。
 それでもリンカは歌い続ける。その白い姿がぼやけた。ラッドの目から涙が溢れてきたのだ。
(悔しい……)
 ラッドが泣くのはいつも、悔しくてならないときだ。自分が病弱なのが悔しくて、頭が悪いのが悔しくて、貧弱な体格なのが悔しくて、いじめっ子に抗えない無力さが悔しくて涙を流したものだ。
 だがそれらは全て「自分の為」の涙だった。
 初めて他人の為に悔しくなった今、自分の為の悔しさが情けないほど小さな事だったと思い知らされた。息が出来ないほど胸が締め付けられ、奥歯をかみ砕かんばかりに食いしばっても耐えられないほど、今は悔しい。
(晒し者じゃないか……)
 類い希なる才能を持った少女が、ラッドの命の恩人が、辱めを受けている。その様を見せつけられる事に比べたら、腕力にねじ伏せられた事など鼻歌交じりで流せる。
(これが、歌姫の仕打ちだってのか!)
 歌姫への敬慕の念は消し飛び、猛然と怒りが沸き起こった。
(人を救い、歴史を動かす歌で、人を辱めやがって!)
「特に楽隊!」
 歌姫の意を受けたか、楽隊はリンカの音痴を強調して演奏している。
 舞台の上も下も敵で埋め尽くされた中、リンカは一人笑い者になり続けていた。
 大きな瞳に涙を光らせて。
 それを見た刹那、考えるより先に体が動いていた。
「味方ならここにいるぞ!」
 ラッドはフィドルを手に舞台に飛び乗った。



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