呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第三楽章 至宝の歌姫(3)

「それで、私は何をすればいいの?」
 リンカが問いかけると、レラーイは何度も咳払いをした。
「そうですわね。そうですわね。貴方には、公演の前説でもしていただこうかしら」
「まえせつって何?」
「公演が始まる前に、観客に諸注意をする役割でしてよ。その際に、公演が延期した理由を説明なさい。原因となった張本人からファンの方々に謝罪していただくの。よろしくて?」
 返事をする前にリンカの視界が閉ざされた。トゥシェの紺色のコートが目の前に。弟子が師匠の前に立ちはだかっていた。
(対人恐怖症なのに?)
「……言うに事欠いて、貴様」
 押し込めた声が怒りに震えている。
「トゥシェ、どうしたの?」
「……これは見過ごせません。先生が危険です」
「へ、危険?」
「……怒った観客が暴徒と化す恐れがあります」
「あたくしのファンは貴方方あなたがたのような野蛮人ではなくてよ!」
 レラーイが席を蹴って立ち上がった。まなじりを吊り上げて気色ばんでいる。沢山筒を巻いた頭から湯気が立っていた。一方のトゥシェは臆せず続ける。
「……感情的になった群衆は予期せぬ爆発をするものです。怒りを煽る行為は危険です」
「ファンの方々への侮辱、聞き捨てなりませんわ。撤回なさい!」
「……解放直後、この国の民衆はルガーン人を見境無く殺したではありませんか。女子供まで。中にはルガーン人の血を引いただけの同朋もいたと聞いていますが」
 レラーイが蒼白になった。目を見開き口を戦慄わななかせている。先ほどの以上のダメージだったのは明らかだ。
「トゥシェ、もうやめて」
「……しかし先生」
「嫌だよ。そんな事を言わないで」
「……ですが」
「私の為を思ってくれているのは嬉しいけど、それ以上言われたら私、トゥシェの事を嫌いになりそうだから」
「……しかし……先生の身が……」
「私なら大丈夫。お客さんが暴れたって呪歌で逃げられるから。ああレラーイ、舞台に短杖は持って行って良いよね? これが無いとまた失敗しちゃうから。だから、ね。トゥシェは、いつもの様に私の後ろにいて」
「……はい」
 肩を落としてトゥシェが下がった。リンカはレラーイに謝してから確認する。
「前説して、観客に謝る。それだけ?」
「そ、そうですわね。そうですわね」
 苛つくレラーイを侍女たちが扇子で扇ぐ。
「こう腹立たしいと考えがまとまりませんわ。ええ、こんな状態では、いくらファンの方々でも、苛立ちであたくしの歌を楽しむどころではありませんわね。これは問題でしてよ」
 レラーイはテーブル上の小さなベルを振った。チリン、と音がするや背後のドアが開いたのでリンカは飛び上がった。
「お呼びでございますか、お嬢様」
 レラーイの執事バノンが、ベルが鳴り終わるより早く入ってきたのだ。
「明日の舞台に芸人を呼びなさい。ファンの方々を抱腹絶倒させて、頭から怒りを消してさしあげますの」
「まことに残念ですがお嬢様、この町にいる芸人は二流がやっとでございます。お嬢様のご期待に応えるのは難しいかと」
「一流の芸人に当てはありませんの?」
「残念ながら、明晩に間に合う範囲にはおりません」
 聞いていたリンカは頭が混乱した。
「待って、ねえ待って。バノンさんはレラーイが言う前に調べていたって言うの?」
「当然でございます。あらゆる状況を想定して事前に対応できぬ者に、ハルトー家の執事は務まりません」
「ふえええ」
「会話に割り込むだなんて、貴方って本当に礼儀知らずですわね。あたくしに仕える者なら至極当然でしてよ」
 言葉とは裏腹にレラーイは自慢げだ。
「凄いんだね、レラーイんって」
「当然でしてよ」とレラーイは二度言った。「ですが困りましたわね。ファンの方々を笑わせる方法、他にありませんの?」
「……先生を舞台に上げなければ済む話です」
「それは決定事項でしてよ!」
「差し出がましいようですがお嬢様、そちらのお二方にお願いしてはいかがでしょう?」
「芸でもさせろと? 冗談はおよしなさい」
「いえいえ、芸人が間に合わないと申しましたのは、通常の移動手段だからでございます。聞いた話によりますと、魔法で空を飛べば馬車より速く移動できるとか」
「そうですの?」
「ええと、まあ、そうだけど」
「……人一人運ぶ程度なら馬車より速く運べます。しかし遠距離となると途中で休憩が必要です。距離が分からないと所要時間は出せません」
「バノン、一番近い一流芸人の所在は?」
「首都アコウでございます、お嬢様」
 執事はテーブルに地図を広げた。指さしたのはカーメンの町の地図上で右――東の海沿いだ。
「一日で往復可能ですかな?」
 問われたリンカは言葉に詰まる。横を見ると、トゥシェは首を左右に振った。
「……この地図はクラウト製ではありません。距離はおろか方位も怪しいものです」
「バノン、クラウト製の地図くらい用意なさい」
「申し訳ございません、お嬢様。首都近辺のクラウト製地図は機密指定されており、外国人に見せる事は禁じられております」
「え、どうして?」
 不思議がるリンカにレラーイが言い訳する。
「し、仕方ありませんわ。きっと国防上の理由でしてよ」
「そうなんだ」
 レラーイはトゥシェに顔を向けた。
「正確な距離が分からなくても、海が東であるくらい自明ですわ。すぐに向かいなさい」
「……」
 トゥシェは何やら思案している。リンカは地図を見ているうちに違和感を覚えた。
「大陸の東側って、もっと凸凹していなかったっけ? 故郷で見た地図だともっとこう、入り組んでいたのに」
「……さすはが先生、慧眼ですね」
「え、何が?」
「……この地図はルガーン帝国製を写した物でしょう。海岸線は意図的に曖昧にしてあるのです。帝国にとっては重要ではありませんが、上陸する他国にとっては重要だからです。帝国は騎馬軍団こそ無敵を誇りましたが、海上戦力は沿岸警備さえままならない程度でした」
「地図だけでそこまで分かるんだね」
「……そう考えれば旅程の謎も解けます」
「旅程って旅の日程って事?」
「……道に沿って数字が記されていますね? 三段に。クラウト製の地図なら距離と方位が正確なので、道の長さを測って倍率を掛ければ実際の距離となります。しかし他国の地図は区間ごとに所要日数を二段書きするのが通例です。上が徒歩、下が馬車です」
「でも三段目があるよ」
「……僕も三段書きは初めて見たので戸惑いました。二段目の半分の数字、これは馬としか考えられません。しかも身軽な馬、急ぎの郵便でなければ軍馬です」
「軍隊の旅程?」
「……いいえ。一般的に騎馬部隊は随伴の歩兵を伴います。ですので行軍も歩兵に合わさざるを得ません。しかし騎馬のみの部隊なら早足で、馬車の倍の速さで移動できます。そんな騎馬のみの部隊を大規模に運用できたのがルガーン帝国です。そして馬の維持費は非常にかさみます。冬でも草が枯れない南方の平原地帯を除けば、騎馬のみの部隊を備えているのは連邦軍くらいではないでしょうか? そんな騎馬部隊用の行軍旅程が、貧しいこの国の地図に記載されているとしたら、帝国時代の地図を写した以外に説明できません」
 長い話を覚えきれないリンカだが、途中で引っかからない事は覚えているので、トゥシェが論理的に結論を導いたのは間違い無い。
「さすがトウシェだね」
「……恐縮です」
「驚きましたわ。貴方には学がありますのね」
 レラーイの賛辞をトゥシェは無視した。
「……東へ直進して海に出たら、海岸沿いに北上すれば首都には行けるでしょうが、どの程度遠回りになるか不明です。それ以上の問題は復路です。首都は間違えようがありませんが、この町は遠目からでは他の町と区別できません。道沿いに飛ぶとなるとかなり遠回りになるでしょう」
「そうか。間に合わないかも知れないんだね」
「……ですので、先生が行った方がよろしいかと」
「え? でも私は前説しなくちゃ」
「……先生の呪歌の方が、僕の魔法より速く飛べます」
「それは、そうだけど」
 リンカはレラーイの顔を見た。
「それでは前説を本人が出来ませんわ」
「……芸人が間に合わなかった場合、困るのは誰ですか?」
「う……」
 レラーイが唇を噛み締めた。
「……先生なら間に合います」
「もし間に合わなかったら、どうなさいますの?」
「……僕が先生の代役をします」
「それはダメだよ」
 リンカは割って入った。
「何故ですの?」
「だってトゥシェは――」
 言いよどんでしまう。リンカにも打ち明けていない対人恐怖症の事を、いがみ合っているレラーイに教えるなどできない。
 だが広場を埋め尽くす群衆に身をさらし、ましてや罵声を浴びるなどさせる訳にはいかない。
(そんな目に遭わせたら、心が壊れちゃう!)
 なぜそんな挙に出たかは考えるまでもない。
(私の身代わりになる気だ)
 正面からの反対に失敗したので、今度は自分が謝罪するつもりなのだ。
「トゥシェ、あなたが芸人さんを連れてきて」
「……先生、僕の魔法より先生の呪歌の方が速いと先ほど言いましたよね?」
「私、また呪歌に失敗しちゃうかもしれないなー。墜落しないまでも危ない飛び方して、芸人さん怖さのあまり芸ができなくなっちゃうかもしれないねー。そうしたら連れてきた意味がなくなるじゃない。芸を成功させるには、トゥシェの安定した魔法が一番だと思うんだー」
「……しかし……」
「トゥシェ、正直に答えて。あなたの魔法で間に合わないと、本当に思っている?」
「……断言できません」
「間に合うよね?」
「……確実ではありません」
「なら師匠として命じます。あなたが行きなさい」
「……承知、しました」



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品