チーレムに飽き飽きとした人たちへ送る~小説家になろうのチーレムテンプレを真面目に考察してみる~

子供の子

チーレムに飽き飽きとした人たちへ送る~小説家になろうのチーレムテンプレを真面目に考察してみる~

 チーレムテンプレの定義から行ってみようか。
 チートとハーレムを略したものがチーレム。


 チートとは一般的にゲームのデータをプログラミング的に弄って自分に或いは利用者に有利にする改造の事を指す。


 小説家になろうの作品におけるチートは『なんかめっちゃ強い』とか『なんかめっちゃ凄い』の場合が多いが、これはなんかめっちゃ強いとかなんかめっちゃ凄いの『なんか』の部分を簡易的に表現できるからだろうと私は思っている。


 ハーレムは一人の男性に好意を寄せている女性が複数人いるような状況を示す場合が多い。


 これはなろうにおいても大体こんな感じだ。
 チートな――めっちゃ凄い主人公の周りに、主人公の事が好きな美少女が集まってくる。集まってくるのか調達してくるのかは作品によって違うが、男主人公の周りに大量の女キャラがいるのはまあ間違いない。


 これがチーレム。
 実に分かりやすい。単純明快で一目瞭然で明確な定義だ。


 で、これにテンプレという言葉を足す。
 テンプレというのは日本語に訳すと『雛型』だ。
 ちなみにチートと対比する訳じゃないが、テンプレというのはプログラミングの世界においてはよく用いられる言葉であり、その意味もやはりまた『雛型』で間違いない。


 ではチーレムテンプレのテンプレはどういう意味なのだろうか。
 これは考えるまでもない。


 他と同じで、『雛型』だ。
 そういう型があるのだ。


 第一話 ボーイミーツガール
 第二話 チート能力貰う
 第三話 無双する


 みたいな雛型が。
 勿論これをこのまま使う作者は多いようで少ないようで実は多いのだが、これにちょっとしたアレンジを加える人もたくさんいる。


 最近では第一話の時点でボーイがガールとミーツしてチートも貰ったりしている事が多い。第二話で無双。


 まあテンプレだ。
 テンプレ中のテンプレだ。


 何故『雛型』と呼ばれる程にこの形が定着したのかと言えば、簡単な事だ。面白いからである。日常生活を飽く程飽くまで送ってきた人間が、超人的な――人間離れした力を持って思うがままに分かりやすい『悪』を蹴散らして行く。


 面白い。
 更に加えて、美少女が自分を取り囲むのだ。


 楽しい気分にならない訳がない。


 考察が終わってしまった。
 このままではあまりに短すぎて誰も読もうと思わないだろう。


 釣れそうなタイトルで釣っておいてこの程度かと肩透かしを食らわせるのを良しとする人間ではないのだ。


 さて。
 それでは、チーレムがいつまで経っても廃れない理由を考えてみよう。


 人間には『飽き』というものが来る。
 そもそもだ。
 そもそも、チーレムにハマる要因が飽きる程に飽き飽きとした生活を送っている人たちが刺激を求めて、というものなのにそれ自身に飽きないという理由も根拠もあるまい。


 実際飽きる。
 飽きて離れる人間はいる。


 だが、考えてもみて欲しい。


 自分がチーレムにハマった瞬間というのを。
 それがいつだったか分からないしどんな状況だったかも私は知る由もないが、それと同じ状況に陥る者が今後二度と現れないと断言できる人間は果たしているのだろうか。


 つまりはそういう事だ。
 誰かが飽きたら誰かがハマっている。


 盛者必衰とはよく言ったもので、確かに盛り上がっているものはいつかはその盛り上がりに陰りを見せる。当然だ。ハマる要素を持った人間がいなくなればそれは衰えるのと同義だから。


 なろうのチーレムテンプレが衰えない理由は、そういう人間が後を絶たないから、である。それに作者側も色々と工夫をして改良したりしている。
 中には改悪している人もいるだろう。自分がその中の一人でないと言い切るのは流石に出来ない。だが、このサイトのシステム上、改悪されたものはまず表に出てこないし改良された上で面白かったものは上に出てくる。


 そういう意味では私はチーレムに改悪しか加えてないのかもしれないが……


 まあそれは今は置いておこう。
 愚痴になってしまう。


 愚痴は愚痴でまた今度書こうと思う。
 別に誰にも需要がなくたって良いんだ。俺が満足出来ればな。


 とそこまで割り切れる作者は一種の天才だと思うが。
 残念ながら私はその手の天才ではないので――というか何も才能を持たない、僻んで妬むことを生業としているような人間なので自分が書きたいはずの物語を書きながらブックマークや評価に日々怯えたり喜んだり、文字通り一喜一憂しているのだが。


 書く人間がいる限り、誰かが読む。
 誰かが読んでいる限り、書き続ける。


 そういう事だろう。
 そうして続いていっているのだろう。


 なろうチーレムというものは。
 なろうチーレム、と一括りにしてみたところで、その内容には作者の力量が大きく現れると思っている。恐らく一番残酷に表に出てくるだろう。


 才能の差というものが。


 面白い話を書ける人間はつまりそういう人間である。


 私は自分の物語を超面白いと思いながら書いているが。


 そのくせ妙なところで自信はない。


 そういう都合の良い人間がなろうチーレムの踏み台を作り出して行き、一部の才能あるものがそれで超えて行く。


 なんだ。
 愚痴みたいになってるじゃないか。


 とりあえずチーレムというものが何なのかと、なんで衰えないのかは示せたしタイトル詐欺ではないはずだ。最後の方ちょっと脱輪してるだけで。
 脱線どころの騒ぎじゃないが、嘘じゃなければ良いや。


 どうせ作者としての名義はこの手の無責任な話を書く時の名前なんだし。
 別人ですよ。


 名もなきエゴイスト。
 この名前で幾つか無責任なエッセイを世に放り出してきたけれど、今回もやはり無責任な話になってしまった。


 というか読者は作者の名前とか気にするのだろうか。


 孫の手先生とかひよこのケーキ先生クラスになれば当然違ってくるのだろうが。めっちゃ面白いもんなぁ、ぶっちゃけ。
 無職も謙虚も。


 そりゃあ他の作品にも興味が湧きますよね。


 ひよこ先生は他に作品投稿してないどころか、性別すら不明の謎のベールに包まれているけれど。


 こうして息抜きに短編を書いている時というのは、大抵他の面白い作品を読んだ後だ。
 読んだ後、その作品に雰囲気が引っ張られないようにこうして一呼吸置いている。


 だから大体話があっちやこっちにとっちらかって、うまく締められない。
 今回は無職でも謙虚でもない、とある映画だったけれども。映画の名前は伏せよう。敢えて出すものでもあるまい。


 さて、私自身がこれを書く事に飽きてきたからそろそろ終いとしようか。
 途中、タイトルから大きく逸れてしまったがそれでもここまで読んでくれた方に心からの最大の感謝と、こっそりと私の他の作品の宣伝を。


 ああでも作者名クリック出来ないんだっけ。
 しっかりしてくれよもう。

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