トイレの女神様がうちに居候しているのだが
トイレの女神様がうちに居候しているのだが
日々の日課として、俺は大学へ行く前に30分程度トイレに籠る。
下痢体質なので全て出し切ってから電車に乗りたいからだ。
家で30分、構内で30分、帰ってきてすぐに30分、寝る前に30分。
大体いつもこんな感じ。
人一倍トイレを使うため、人一倍トイレは清潔に保っている。
汚いところに30分も籠っていられるかという話である。
朝。
低血圧の俺にしてはすっきりと目が覚め、いつもより少し早めに大学へ行く準備が出来たのでいつもより長めにトイレに籠れるとうきうきしながらトイレの扉を開けた俺は、信じがたい光景を目にする。
女が便座に座っていた。
予め言っておくが、これが母親だったり姉だったり妹だったり、ましてや彼女だったりということはない。少し遠めの大学へ入学した俺は一年前から一人暮らしをしており、彼女いない歴は年齢とイコールだ。
女は驚くほど綺麗な青い髪で、びびるくらい可愛かった。
白Tに短パンという色気のない恰好なのに一瞬見惚れてしまう程だ。
だがそれも一瞬だった。
恰好どうこう以前に、何故こいつはここにいるんだ。
「きゃああああああ!!」
「うわああああああ!!」
女が悲鳴を上げた。
俺も悲鳴を上げた。
「「あああああああああ!!」」
パニックである。
人はあまりに突拍子もないことに遭遇するとただただパニックになるのである。
◆
「女神ぃ?」
大学は休んだ。
自主休講である。
あの後俺はトイレの扉を閉め、心を落ち着けてからもう一度開けようとした。
ら、鍵がかけられていたのでしばらく待っていると女が申し訳なさそうに出てきた。
何が何やら混乱する中、とりあえずリビングに女を通して正座させ、俺はソファに座っている。
……通報すべきだったかもしれない。
「そう。女神よ。トイレの女神」
ドヤァ、と効果音がつきそうなくらいのドヤ顔で自称女神が胸を張る。
のと同時に、ぷるんと効果音がつきそうな感じで胸が揺れる。
意外と大きい。しかも恐らくノーブラだ。
いやそこは関係ない。
「警察より救急か……?」
「私は正常よ! なによ、信じないの!?」
「おい、正座を崩すな」
「はい」
勢いよく乗り出してきた女を制する。
なんだか頭のおかしい奴が不法侵入してきたらしい。
見てくれがそこそこ……かなり可愛いので通報せずにキープしてしまったが、やはり変な下心を出さずに速攻で警察に突き出すべきだったかもしれない。
ただ、悪い奴にも見えないんだよなあ。
「あー……とりあえずお前が本当にトイレの女神だとしてだ」
「だとしてじゃなくて本当に本当よ」
「うるせえ。そのトイレの女神様がなんでうちのトイレにいるんだ。トイレの女神ってのはどのうちにもいるもんなのか?」
「違うわ。私はこの家が建てられた時からそこに『存在』していたのだけれど、信心が足りなくて顕現することが出来なかったの。30年くらい経ってやっとあなたが来て、毎日トイレを綺麗に掃除してくれていたから、私もこの世に体を持つことが出来たのよ。
……そういえばあなた、若いのに家持ちなのね。大学がどうのとか言っていたから、大学生なのだと思っていたけれど」
「この家は祖父が昔建てたもので、俺は今間借りしてるだけだ。……胡散臭い設定だな、それにしても。生まれて三十年で神とか名乗っていいのかよ、おい」
「年数は関係ないわ」
「関係ないのか……いやそれはどうでもいいんだよ。なんでこの家が建った時から存在してんだ。そこの説明はないぞ」
「そんなの知らないわよ。ただ、どこの家にも私みたいなのがいるわけではないわ。そうね、突然変異みたいなものだと思ってちょうだい」
「突然変異……」
つまりなんだ。
この家にはたまたま女神の種みたいなのがいて、俺がトイレを清潔に保っていたからこうなったってか?
真性のドアホが経営する新手の宗教団体の勧誘でも受けているのだろうか、俺。
「とりあえずお前が三十歳ってことは分かった。人にもよるだろうが、俺の中ではギリギリおばさんだ」
「お、おば……」
こいつの見た目は二十歳前後……俺と同じくらいには見えるが。
まあ若く見える三十歳もいるだろう。
「確かにこの家は三十年前に建てられたものだけど、私はついさっき顕現したわけだから実質ゼロ歳よ! ぴっちぴちの!」
「確かにゼロ歳はぴちぴちではあるだろうけど……」
いやいや、そこは論点じゃないんだよ。
しかし、これだけ自然に青い髪が似合う日本人もいるもんなんだな。
いや、日本語を喋ってはいるけど日本人とは限らないのか。
地毛っぽく見えるが、天性で髪が青い人種ってあるのだろうか。
「まだ疑っているのね。なら証拠を見せてあげるわ。ついてきて」
と言って、自称女神は立ち上がって玄関の方へ歩いていく。
ずっと正座をさせていたせいか、立ち上がった時によろけていたのはご愛敬か。
話してみた感じ、やべー奴ではあるけど悪意は感じられなかった。
本当にやばくなったら、力ずくでなんとかなるだろうしな。男と女、それもあいつは華奢な部類に入る。胸は大きいけど。
俺のサンダルを勝手に履いて玄関の扉を躊躇いなく開け放ち、こちらを振り向く。
「何がしたいんだ?」
「外に出て」
「はあ? 外に出るんならお前だろ?」
「出られないのよ、私。外から引っ張ってみればわかるでしょ」
「…………」
「あ、ちょっ」
内側から押した。
すると、扉があるところで何か見えない壁のようなものに阻まれた。
……まじで?
試しに自分で出入りしようとすると何もない。
女を押し出したり引っ張り出そうとすると何かに阻まれる。
……うそだろ?
ぐいぐいやっていると、
「ねえ。痛いんだけど。さっきから割りと普通に痛いんだけど」
「あ、わりぃ……いや俺が悪いのか? もうなんなんだかわかんねえ……」
どうやらうちには本当に女神様がいるらしい。
◆
「おいトイレ神。俺のエビフライ返せよ」
「先に取ったのは私よ。よってこれは私のものよ」
「ガキかお前は」
あれから数日が経った。
本当に女神らしいこいつは家から出られないので、仕方なく居候を許しているのだが……
「食費とか光熱費とか、丸っと人ひとり分増えるんだよなあ」
「うっ……そ、それは悪いと思っているわ。……エビフライあげる」
「元々それは俺んだ。悪いと思ってなくても返せ。いやまあ、外に出られない以上アルバイトさせるわけにもいかないし、だからと言って誰か大人に相談すんのも尻込みするんだよ」
「私の存在が大勢に知られるのはあまりよろしくないわね」
「大騒ぎになるだろうからな。まあ仕送りはちょっと多めに貰ってるから余裕がないわけじゃあないんだが……女神ってんだから飯食わなくても平気だったり風呂入らなくても常に清潔ってわけにはいかないのか?」
「受肉したようなものだから、それは無理な相談ね。まあお風呂は我慢しろと言われて絶対不可能ってわけではないけど、共同生活を送るにあたっておすすめできないわ」
「そりゃそうだ。……トイレの掃除さえしてれば良いみたいな設定はないのか?」
「そんな設定ないわよ。多分」
「多分ってお前、自分のことだろうに」
「あなただって自分の体にあるほくろの数は知らないでしょう? 自分のことだからって全部わかっている訳じゃないのよ」
「それもそうか……それもそうか?」
なんか微妙の論点が違う気もするが、まあいいか。
本人が分からないことを俺が分かるはずもないし。
関係ないけど、ほくろって数える度に増えるみたいな話あるよな。
絶対数え間違えてるだけだと思うけど。
残念ながら俺にはほくろの数を数えてくれたりする可愛い幼馴染がいなかったので実際のところどうなのかは分からない。
可愛い幼馴染がいるのってアニメだけの話だよとか言う奴いるけど、いや現実の美少女にだって幼馴染くらいいるだろって俺はいつも思う。
「可愛い幼馴染が欲しかっただけの人生だった……」
「何よ藪から棒に。そんな人生つまんないわよきっと」
「寂しいとか言うなお前全世界の男の夢だぞ」
「全世界の男がそんな悲しい思想だったらとっくに世界は滅びてるわ」
「お前見てくれだけはいいけど、幼馴染でもなければ人間ですらないからなあ。ていうかお前どういうカテゴリに属するの? トイレ? 無機物?」
「やだこの男、女性をトイレ扱いとか最低」
「確かにそれだけ聞くと途轍もなく最低な男だな」
字面が悪すぎる。
「何度も言ってるでしょ。私は女神よ。トイレでもなければ無機物でもないわ」
「女神ってのは有機物なのか?」
「多分?」
きょとんと首を傾げるトイレの女神。
うーむ、黙っていれば美少女なのに。
「そうだ、お前ユーチューバーとかやれよ。家にいながら出来るし、お前のルックスなら人気も出るだろ」
「だから私の存在が公にバレるのはまずいって言ってるじゃない」
「そういやそうか。ならバーチャルユーチューバーはどうだ?」
「なにそれ?」
「3Dモデルで美少女を作って、それに声を当ててユーチューバーとして活動するんだよ。お前声もそれなりに可愛いから、素のアホさを隠せばいけると思うぞ」
「素のアホさがどうのの部分はあとでちゃんとした審議にかけるべきだと思うけれど、それはなかなかグッドなアイデアね。めんどくさそうって点以外は」
「……まあ、3Dモデルだの配信だのの知識は俺には皆無だから出来るはずもないんだけどな」
なんて他愛のないことを話しているうちに、気付く。
「もしかして俺、一生お前を養ってかなきゃいけないのか……?」
「……どうなのかしら?」
「トイレを綺麗にしてたからこの世に来れたとか言ってたよな」
「うん」
「なら汚くしたら消えるのか?」
「……!」
ハッとした顔でこちらを見る女神。
いやお前は最初からその可能性に思いあたっていろよ。
「ま、まさかそれをダシに私を脅してあんなことやこんなこと……!」
「いやそれはない。その度胸は俺にはない」
「そ、そう……」
「そもそもここ最近はお前がトイレ掃除してるだろ。俺がやるより綺麗になってるっぽいし、これからもそうしてくれると助かるし」
「一生俺に味噌汁を作ってくれ的な……!?」
「それも違う。俺にそんな覚悟はない」
話しているうちにお互い飯は食い終わっていた。
女神が立ち上がって俺と自身の食器を持って台所へ向かう。
俺に負担をかけることに負い目を感じているのだろう、家事は率先してやってくれている。で、それを邪魔するのもなんなので俺は大抵黙って見ているのだが、なんだろう。
こう、ダメな夫みたいな感じ。
いや夫婦の在り方は人それぞれだと思うよ?
思うけど、俺的には全部嫁さんに任せてどっかり座ってるだけってのはあんまりよろしくないと思う。個人的にね。個人的に。
「これは真面目な話なんだけど」
台所で洗い物をしている女神は不意に話しかけてくる。
「真面目な話?」
「多分だけど、トイレを汚くしたら私、消えると思うの」
「……」
それは……そうだろうな。
さっきは思いつきで言ったが、多分そういうものなのだろうと思う。
「だから本当に負担になったら――」
「ま、そん時はそん時だ。人生、大抵なんとかなるんだよ。母ちゃんの受け売りだけど」
「……ありがとう」
「ははん。やめろよ、照れちゃうだろ。これから気まずくなっちゃうぜ」
本当に気恥ずかしくて顔は逸らしているのだが。
俺という人間は本当に単純で、少し一緒にいるだけでもう情が湧いてるらしい。
初対面ではマジでやべえ奴が出てきたと思ったが(実際存在はやべえ奴なんだが)、案外慣れるもんだ。これもなんとかなるんだよの範囲内の話なのだろう。
◆
「おい馬鹿野郎早く出てこいてめえふざけんなまじで早く出ろ早く出せ!」
「乙女に向かってなんてこと言うのよ! トイレくらいゆっくりさせなさいよ!」
トイレのドア越しに聞こえるアホ女神の声。
「ずっと家にいんだから俺が会社行ったあとゆっくりすればいいだろ!? ああくそっ、まじでトイレもう一個増やそうかな……」
「なによ浮気!? 浮気なのね!」
「なんだよ浮気って! お前が毎朝毎朝俺のトイレタイムを邪魔するからだろうが! あーもう時間がないじゃねえか! 電車のトイレってきたねえしたまに空いてねえしでめっちゃ不便なんだぞ!」
「しょーがないじゃない生理現象だもの!」
「しょーがないかもしれないけどもうちょっと配慮してくれてもいいじゃん! 駄目だもう出ねえと電車に間に合わねえ。明日こそちゃんと空けとけよ!」
言って、置いてあった鞄と弁当を持って玄関へ向かう。
「いってらっしゃい!!」
毎朝トイレの扉越しに聞こえる声。
なにせ扉越しなので二人とも叫ぶしかない。
「いってきます!!」
うちにはトイレの女神様がいる。
未だに俺たちがどういう関係なのか計れないが、決して悪くはない生活だと俺は思っている。
朝トイレに行けないこと以外は。
下痢体質なので全て出し切ってから電車に乗りたいからだ。
家で30分、構内で30分、帰ってきてすぐに30分、寝る前に30分。
大体いつもこんな感じ。
人一倍トイレを使うため、人一倍トイレは清潔に保っている。
汚いところに30分も籠っていられるかという話である。
朝。
低血圧の俺にしてはすっきりと目が覚め、いつもより少し早めに大学へ行く準備が出来たのでいつもより長めにトイレに籠れるとうきうきしながらトイレの扉を開けた俺は、信じがたい光景を目にする。
女が便座に座っていた。
予め言っておくが、これが母親だったり姉だったり妹だったり、ましてや彼女だったりということはない。少し遠めの大学へ入学した俺は一年前から一人暮らしをしており、彼女いない歴は年齢とイコールだ。
女は驚くほど綺麗な青い髪で、びびるくらい可愛かった。
白Tに短パンという色気のない恰好なのに一瞬見惚れてしまう程だ。
だがそれも一瞬だった。
恰好どうこう以前に、何故こいつはここにいるんだ。
「きゃああああああ!!」
「うわああああああ!!」
女が悲鳴を上げた。
俺も悲鳴を上げた。
「「あああああああああ!!」」
パニックである。
人はあまりに突拍子もないことに遭遇するとただただパニックになるのである。
◆
「女神ぃ?」
大学は休んだ。
自主休講である。
あの後俺はトイレの扉を閉め、心を落ち着けてからもう一度開けようとした。
ら、鍵がかけられていたのでしばらく待っていると女が申し訳なさそうに出てきた。
何が何やら混乱する中、とりあえずリビングに女を通して正座させ、俺はソファに座っている。
……通報すべきだったかもしれない。
「そう。女神よ。トイレの女神」
ドヤァ、と効果音がつきそうなくらいのドヤ顔で自称女神が胸を張る。
のと同時に、ぷるんと効果音がつきそうな感じで胸が揺れる。
意外と大きい。しかも恐らくノーブラだ。
いやそこは関係ない。
「警察より救急か……?」
「私は正常よ! なによ、信じないの!?」
「おい、正座を崩すな」
「はい」
勢いよく乗り出してきた女を制する。
なんだか頭のおかしい奴が不法侵入してきたらしい。
見てくれがそこそこ……かなり可愛いので通報せずにキープしてしまったが、やはり変な下心を出さずに速攻で警察に突き出すべきだったかもしれない。
ただ、悪い奴にも見えないんだよなあ。
「あー……とりあえずお前が本当にトイレの女神だとしてだ」
「だとしてじゃなくて本当に本当よ」
「うるせえ。そのトイレの女神様がなんでうちのトイレにいるんだ。トイレの女神ってのはどのうちにもいるもんなのか?」
「違うわ。私はこの家が建てられた時からそこに『存在』していたのだけれど、信心が足りなくて顕現することが出来なかったの。30年くらい経ってやっとあなたが来て、毎日トイレを綺麗に掃除してくれていたから、私もこの世に体を持つことが出来たのよ。
……そういえばあなた、若いのに家持ちなのね。大学がどうのとか言っていたから、大学生なのだと思っていたけれど」
「この家は祖父が昔建てたもので、俺は今間借りしてるだけだ。……胡散臭い設定だな、それにしても。生まれて三十年で神とか名乗っていいのかよ、おい」
「年数は関係ないわ」
「関係ないのか……いやそれはどうでもいいんだよ。なんでこの家が建った時から存在してんだ。そこの説明はないぞ」
「そんなの知らないわよ。ただ、どこの家にも私みたいなのがいるわけではないわ。そうね、突然変異みたいなものだと思ってちょうだい」
「突然変異……」
つまりなんだ。
この家にはたまたま女神の種みたいなのがいて、俺がトイレを清潔に保っていたからこうなったってか?
真性のドアホが経営する新手の宗教団体の勧誘でも受けているのだろうか、俺。
「とりあえずお前が三十歳ってことは分かった。人にもよるだろうが、俺の中ではギリギリおばさんだ」
「お、おば……」
こいつの見た目は二十歳前後……俺と同じくらいには見えるが。
まあ若く見える三十歳もいるだろう。
「確かにこの家は三十年前に建てられたものだけど、私はついさっき顕現したわけだから実質ゼロ歳よ! ぴっちぴちの!」
「確かにゼロ歳はぴちぴちではあるだろうけど……」
いやいや、そこは論点じゃないんだよ。
しかし、これだけ自然に青い髪が似合う日本人もいるもんなんだな。
いや、日本語を喋ってはいるけど日本人とは限らないのか。
地毛っぽく見えるが、天性で髪が青い人種ってあるのだろうか。
「まだ疑っているのね。なら証拠を見せてあげるわ。ついてきて」
と言って、自称女神は立ち上がって玄関の方へ歩いていく。
ずっと正座をさせていたせいか、立ち上がった時によろけていたのはご愛敬か。
話してみた感じ、やべー奴ではあるけど悪意は感じられなかった。
本当にやばくなったら、力ずくでなんとかなるだろうしな。男と女、それもあいつは華奢な部類に入る。胸は大きいけど。
俺のサンダルを勝手に履いて玄関の扉を躊躇いなく開け放ち、こちらを振り向く。
「何がしたいんだ?」
「外に出て」
「はあ? 外に出るんならお前だろ?」
「出られないのよ、私。外から引っ張ってみればわかるでしょ」
「…………」
「あ、ちょっ」
内側から押した。
すると、扉があるところで何か見えない壁のようなものに阻まれた。
……まじで?
試しに自分で出入りしようとすると何もない。
女を押し出したり引っ張り出そうとすると何かに阻まれる。
……うそだろ?
ぐいぐいやっていると、
「ねえ。痛いんだけど。さっきから割りと普通に痛いんだけど」
「あ、わりぃ……いや俺が悪いのか? もうなんなんだかわかんねえ……」
どうやらうちには本当に女神様がいるらしい。
◆
「おいトイレ神。俺のエビフライ返せよ」
「先に取ったのは私よ。よってこれは私のものよ」
「ガキかお前は」
あれから数日が経った。
本当に女神らしいこいつは家から出られないので、仕方なく居候を許しているのだが……
「食費とか光熱費とか、丸っと人ひとり分増えるんだよなあ」
「うっ……そ、それは悪いと思っているわ。……エビフライあげる」
「元々それは俺んだ。悪いと思ってなくても返せ。いやまあ、外に出られない以上アルバイトさせるわけにもいかないし、だからと言って誰か大人に相談すんのも尻込みするんだよ」
「私の存在が大勢に知られるのはあまりよろしくないわね」
「大騒ぎになるだろうからな。まあ仕送りはちょっと多めに貰ってるから余裕がないわけじゃあないんだが……女神ってんだから飯食わなくても平気だったり風呂入らなくても常に清潔ってわけにはいかないのか?」
「受肉したようなものだから、それは無理な相談ね。まあお風呂は我慢しろと言われて絶対不可能ってわけではないけど、共同生活を送るにあたっておすすめできないわ」
「そりゃそうだ。……トイレの掃除さえしてれば良いみたいな設定はないのか?」
「そんな設定ないわよ。多分」
「多分ってお前、自分のことだろうに」
「あなただって自分の体にあるほくろの数は知らないでしょう? 自分のことだからって全部わかっている訳じゃないのよ」
「それもそうか……それもそうか?」
なんか微妙の論点が違う気もするが、まあいいか。
本人が分からないことを俺が分かるはずもないし。
関係ないけど、ほくろって数える度に増えるみたいな話あるよな。
絶対数え間違えてるだけだと思うけど。
残念ながら俺にはほくろの数を数えてくれたりする可愛い幼馴染がいなかったので実際のところどうなのかは分からない。
可愛い幼馴染がいるのってアニメだけの話だよとか言う奴いるけど、いや現実の美少女にだって幼馴染くらいいるだろって俺はいつも思う。
「可愛い幼馴染が欲しかっただけの人生だった……」
「何よ藪から棒に。そんな人生つまんないわよきっと」
「寂しいとか言うなお前全世界の男の夢だぞ」
「全世界の男がそんな悲しい思想だったらとっくに世界は滅びてるわ」
「お前見てくれだけはいいけど、幼馴染でもなければ人間ですらないからなあ。ていうかお前どういうカテゴリに属するの? トイレ? 無機物?」
「やだこの男、女性をトイレ扱いとか最低」
「確かにそれだけ聞くと途轍もなく最低な男だな」
字面が悪すぎる。
「何度も言ってるでしょ。私は女神よ。トイレでもなければ無機物でもないわ」
「女神ってのは有機物なのか?」
「多分?」
きょとんと首を傾げるトイレの女神。
うーむ、黙っていれば美少女なのに。
「そうだ、お前ユーチューバーとかやれよ。家にいながら出来るし、お前のルックスなら人気も出るだろ」
「だから私の存在が公にバレるのはまずいって言ってるじゃない」
「そういやそうか。ならバーチャルユーチューバーはどうだ?」
「なにそれ?」
「3Dモデルで美少女を作って、それに声を当ててユーチューバーとして活動するんだよ。お前声もそれなりに可愛いから、素のアホさを隠せばいけると思うぞ」
「素のアホさがどうのの部分はあとでちゃんとした審議にかけるべきだと思うけれど、それはなかなかグッドなアイデアね。めんどくさそうって点以外は」
「……まあ、3Dモデルだの配信だのの知識は俺には皆無だから出来るはずもないんだけどな」
なんて他愛のないことを話しているうちに、気付く。
「もしかして俺、一生お前を養ってかなきゃいけないのか……?」
「……どうなのかしら?」
「トイレを綺麗にしてたからこの世に来れたとか言ってたよな」
「うん」
「なら汚くしたら消えるのか?」
「……!」
ハッとした顔でこちらを見る女神。
いやお前は最初からその可能性に思いあたっていろよ。
「ま、まさかそれをダシに私を脅してあんなことやこんなこと……!」
「いやそれはない。その度胸は俺にはない」
「そ、そう……」
「そもそもここ最近はお前がトイレ掃除してるだろ。俺がやるより綺麗になってるっぽいし、これからもそうしてくれると助かるし」
「一生俺に味噌汁を作ってくれ的な……!?」
「それも違う。俺にそんな覚悟はない」
話しているうちにお互い飯は食い終わっていた。
女神が立ち上がって俺と自身の食器を持って台所へ向かう。
俺に負担をかけることに負い目を感じているのだろう、家事は率先してやってくれている。で、それを邪魔するのもなんなので俺は大抵黙って見ているのだが、なんだろう。
こう、ダメな夫みたいな感じ。
いや夫婦の在り方は人それぞれだと思うよ?
思うけど、俺的には全部嫁さんに任せてどっかり座ってるだけってのはあんまりよろしくないと思う。個人的にね。個人的に。
「これは真面目な話なんだけど」
台所で洗い物をしている女神は不意に話しかけてくる。
「真面目な話?」
「多分だけど、トイレを汚くしたら私、消えると思うの」
「……」
それは……そうだろうな。
さっきは思いつきで言ったが、多分そういうものなのだろうと思う。
「だから本当に負担になったら――」
「ま、そん時はそん時だ。人生、大抵なんとかなるんだよ。母ちゃんの受け売りだけど」
「……ありがとう」
「ははん。やめろよ、照れちゃうだろ。これから気まずくなっちゃうぜ」
本当に気恥ずかしくて顔は逸らしているのだが。
俺という人間は本当に単純で、少し一緒にいるだけでもう情が湧いてるらしい。
初対面ではマジでやべえ奴が出てきたと思ったが(実際存在はやべえ奴なんだが)、案外慣れるもんだ。これもなんとかなるんだよの範囲内の話なのだろう。
◆
「おい馬鹿野郎早く出てこいてめえふざけんなまじで早く出ろ早く出せ!」
「乙女に向かってなんてこと言うのよ! トイレくらいゆっくりさせなさいよ!」
トイレのドア越しに聞こえるアホ女神の声。
「ずっと家にいんだから俺が会社行ったあとゆっくりすればいいだろ!? ああくそっ、まじでトイレもう一個増やそうかな……」
「なによ浮気!? 浮気なのね!」
「なんだよ浮気って! お前が毎朝毎朝俺のトイレタイムを邪魔するからだろうが! あーもう時間がないじゃねえか! 電車のトイレってきたねえしたまに空いてねえしでめっちゃ不便なんだぞ!」
「しょーがないじゃない生理現象だもの!」
「しょーがないかもしれないけどもうちょっと配慮してくれてもいいじゃん! 駄目だもう出ねえと電車に間に合わねえ。明日こそちゃんと空けとけよ!」
言って、置いてあった鞄と弁当を持って玄関へ向かう。
「いってらっしゃい!!」
毎朝トイレの扉越しに聞こえる声。
なにせ扉越しなので二人とも叫ぶしかない。
「いってきます!!」
うちにはトイレの女神様がいる。
未だに俺たちがどういう関係なのか計れないが、決して悪くはない生活だと俺は思っている。
朝トイレに行けないこと以外は。
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