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もふもふもふもふもふもふ

子供の子

もふもふもふもふもふもふ

 我が家にねこがやってきたのはもう6年以上前になる。
 それから三年前と半年前。
 要するに我が家には三回ねこがやってきているのである。


 計6匹。
 最初の2匹は親ねことはぐれているのを見つけて保護した。
 知り合いに譲る予定だったが、情が湧いてしまって結局私が引き取ることになった。


 その三年後。
 別の知り合いの家で、ねこが子どもを産んだという話を聞いた。
 その数なんと6匹。
 出来れば引き取ってくれる人を探して欲しいと頼まれた。
 なので私が2匹引き取った。
 ちなみにあとの4匹は知り合いがそのまま一緒に住んでいる。


 その二年と少し後。
 またまた別の知り合いのねこが子を産んだ。
 なので2匹引き取った。


 気が付けばもふもふは増えていた。
 おかしい。
 実は私は元々ねこが苦手だったのだ。
 いや。
 ねこに限らず、生物が嫌いだった。


 何を考えているか分からないから。
 人間同士ならばまだ言葉というコミュニケーションが取れる。最悪ボディランゲージでなんとかなる。ぶっちゃけると個人的には海外の方はちょっと怖い。


 だが、これが犬やねこになったらどうだろうか。
 彼らは人の言葉を離さない。
 人間と姿かたちが違うから、その仕草をしている気持ちが理解できない。


 元々ねこが苦手だった私がどのようにしてもふラーになったかを説明すると、そんな難しいことではない。


 ねこのボディランゲージが理解できるようになったからだ。
 見た目は最初から愛くるしいと思っていた。
 ねこの見た目は人間に愛されることに特化した結果なのではないかと思ってしまうほど完璧に可愛い。自分のとこのねこじゃなくて野良さんを見かけた時でもふにゃってなるくらいかわいい。もちろんうちの子たちが一番だが。


 それは置いといて、まず私は最初、極端に言えばねこや犬には感情があるということを認識していなかった。
 もちろんそんな訳がないことは分かっていたのだけれど、その感情というのは飽くまで犬の中での感情、ねこの中での感情、鳥なら鳥、爬虫類なら爬虫類と、人間には本当の意味での理解が出来ないものだと無意識に思っていた。


 でも本当は違った。
 彼らの持つ感情は私たち人間の持つそれと全く寸分たがわず完璧に一緒のもので、或いは私たちよりも豊なものかもしれない程だった。


 冒頭で紹介した通り我が家には6匹のもふがいるが、皆それぞれ違う方法で感情を表現する。


 例えばお腹が空いた時。
 足元に寄ってくる。周りをぐるぐる回る。私をご飯用のお皿に誘導するように歩く。とにかく鳴く。私の後についてくる。じっとこちらを見つめてくる。


 好きなコミュニケーションの取り方も違う。
 追いかけっこが好き。撫でまわされるのが好き。お気に入りの場所でお腹を触られるのが好き。額をぐりぐりやられるのが好き。抱っこされるのが好き。膝で丸くなるのが好き。


 インターホンが鳴ると逃げ出すのは2匹いる。
 窓によって外を見るのは1匹いる。
 我関せずなのは3匹。


 喉を鳴らすのがヘタクソなもふもいればすぐにごろごろするのもいる。


 撫でられるとちょっと歩いてからごろんとするのとその場でごろんとするのもまた違いがある。


 色々個性があって、人と何も変わらないのだと多分無意識のうちに気付いて、その時からねこのことが好きになったのだと思う。


 今日も我が家では毛が大量だ。

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