叔父の別荘に毒舌美少女幽霊がいたんだが、本が好きらしいので割りと意気投合した話

子供の子

叔父の別荘に毒舌美少女幽霊がいたんだが、本が好きらしいので割りと意気投合した話

 大学生、一人暮らし、一軒家。


 俺という人間が置かれた状況を端的に表すとこの三単語になる。
 要は一軒家に一人暮らししている大学生、というわけだ。


 別に実家が金持ちなわけじゃない。そして俺個人が金持ちなわけでも当然ない。
 亡き叔父が金持ちなのだ。
 その金持ちの叔父が他界した際、幾らかの資産を母が譲り受け、その資産のうちの一つにこの一軒家が含まれるというわけである。


 叔父は小説書きで、気分を変えたいからと言って『自宅』と呼べるような普通の一軒家を幾つも所有していた。俺自身、物書きという職種に興味があるので分かるのだが――いや、興味がなくてもわかることか――叔父はかなりの売れっ子だったようだ。それも、日本国内で見ても指折りなクラス。


 そんな彼の死因は過労死。
 執筆活動のし過ぎだ。
 そしてその過労死した家というのが、この家である。


 お陰で取り壊されることもなく誰が寄り付くでもなく、たまたまこの家の近くにあった大学に通うことになった俺が一人暮らし出来ているわけだ。


 この家で人が一人亡くなっているという事実は当然多少意識はするが、別に幽霊なんてものを信じているわけでもないし、なんら問題はない。
 そもそも俺は叔父を尊敬していたし、叔父も俺を可愛がってくれていたので、化けて出てくるならそれはそれでいいんじゃないかと思っている。
 最近俺も色々書き始めて賞に提出したりしているので、なんならアドバイスが欲しいくらいだ。


 ということでこの家に文句は特にはないのだが――強いて挙げるのなら一つだけ。
 この家には、『開かずの扉』がある。
 開かず。開かない。
 と言ってもまあ、物理的に開かないわけではないのだが。
 もちろん、幽霊的に開かないわけでもない。
 要はなんなのかと言うと、叔父が死んだ部屋だからなるべく近付くな――と母から強く言われている部屋があるのだ。つまりは仕事部屋。
 それなりのスペースを占めているあの部屋が使えないとなると、単純に三分の一くらいは放っておくことになってしまう。


 使わないにしても掃除くらいはしたいものだが、そんなものは業者を雇ってたまにすればいいと母は言う。俺の母は幼少期から霊感が強かったらしく、色んな『良くないもの』が視えていたらしい。今は視えないらしいが。その影響からか、この手の怪しいところへは一切近付くなと口酸っぱく言われていたものだ。


 しかし幽霊なんて存在を一切信じていない俺からすれば単純に使えないスペースがあるのは勿体ないと思うし、自分の住むところで一か所だけ掃除もされずずっと放って置かれる場所があるというのは我慢ならない。


 何より、尊敬する叔父がどんなところで仕事をしていたのか、見てみたい。


 そんな好奇心に負けて、俺は扉を開けた。


 部屋の間取りは簡単なものだった。
 真ん中少し奥に大きめの机、その上にノートパソコン、ペン、メモ用紙。
 部屋の壁にはずらりと参考用の書類が並んでいる。タイトルだけでもくらくらしそうなものばかりだ。


 いや。


 部屋の描写に逃げて・・・しまったが、何よりも早く、何よりも多く、何よりも濃く伝えなければならないことが一つ。


 生前、叔父が仕事していたであろう机と、その椅子に座っている人物がいた。


 黒い……漆黒と言っても差し支えないほど黒いセーラー服に身を包んだ、白い肌で、綺麗な黒い長い髪で、息を呑むほど――恐ろしいほど美しい、少女が。


 一冊の本を読んでいた。


 あれは確か、叔父のデビュー作品だ。


「あ、あんた……誰だ」


 恐らく俺より年下だろう。
 だが、何故かずっと俺よりも上……格上のように思える。
 それでも敬語を使わずにいられたのは、一重に意外と無駄に高かったプライドのお陰だ。


「……そう。貴方は私が視えるのね」


 澄んだ、澄んだ、透き通った、色のない声だった。
 それなのに何故か魅了されるような気分になった。
 不思議な感覚だ。


「あの凡愚と違って」


「凡愚……?」


 謎の少女は、誰のことを凡愚と呼んだのだろう。
 彼女の正体は置いといて、この状況から考えるに、一人しかいないじゃないか。


「悟おじさんは凡愚なんかじゃない!!」


 自分でもびっくりするほど大きな声が出た。
 悟おじさん、と呼ぶのは十年振りくらいではないだろうか。
 何故かそう呼ぶのが恥ずかしくなって、おじさん、とだけ呼ぶようになった、十年前以来ではないだろうか。


 少女は少しだけ目を大きく開いた。
 俺の大声にびっくりしたというよりは、俺のような人間が大きな声を出せるのか、とそういう類の驚きを含んでいるように見えた。


 しかし彼女は、意見を変えなかった。


「凡愚よ。自分の作品を完結させずに死ぬ小説家なんて――愚か以外の何者でもないわ」


「あ……」


 悟おじさんを馬鹿にするような声音では、なかった。
 むしろ、惜しむような。
 そんな声だった。


「すまない……」


「別に謝らなくていいわ。自己紹介でも、しましょうか」


 色のない声で、彼女はそう言った。























「じゃあ君は、悟おじさんがこの家を建てる前からずっとここにいた……地縛霊ってことか?」


「そうよ。随分と理解に時間がかかったわね」


 俺と彼女――詩織、と名乗った彼女は、そのまま悟おじさんの仕事部屋で話していた。
 彼女が自身のことを地縛霊と言い、ここから動けないというからだ。
 色々身の上話は聞いたが――正直信じられない。
 幽霊なんてものがいることもそうだし、詩織が幽霊だということも。
 普通の人間にしか見えない。


「貴方はかなり視える方みたいね。それに――」


 す、と詩織は椅子から立ち上がって、こちらへ近寄ってきた。
 流れるような動作に思わず見とれてしまい、動けずにいると、俺の手をそっと握ってきた。


「触れもする。この場合は、障れる、の方が近いのかしら」


 くす、と笑った。
 幽霊ジョークだろうか……


「触れて、喋れて、足もあって、本も読める幽霊、か」


「そうよ。高性能でしょう?」


「人間と遜色ないくらい、な」


「嘘は言ってないわよ」


 ず、と詩織が急に俺の胸に手を突っ込んできた・・・・・・・
 腕が、手が。
 貫通している。


「ほら、ね?」


「…………」


 驚きで口も開けなかった。
 まさか、幽霊が実在したなんて――


「悟おじさんは君のことを知っていたのか?」


「知らないはずよ。彼は私のことが視えないし、触れないし、感じることも出来なかった」


 俺の記憶にも、悟おじさんが詩織という幽霊のことを話していた記憶はない。
 というより悟おじさんも俺と同じく幽霊なんているわけない、派だったはずだ。
 姉――つまり俺の母がいう霊感だの視えるだのいう話も、ただの与太だと思っていた。


 しかし、そうすると、詩織は、この家でずっと――悟おじさんがいなくなる前からずっと、独りぼっちだったのか。


「そんな悲壮でもないわよ。私に時間という概念は存在しないし、死んだ時の記憶も、死ぬ前の記憶もないもの。気付いたらここにいたわ」


「こ、心が読めるのか?」


「どうやら、こうして体の中に・・・・触れている・・・・・間はそうみたいね。私も初めて知ったわ」


 体の中に触れているという表現はぞっとしないものがあるが、なるほど、確かにこの状況からしてみれば言い得て妙と言ったところか。というかそれ以外に表現しようがない。


「いい加減やめてくれ。なんか変な気分だ」


「そう? こんな美少女に中を弄って貰うなんて、多分二度とない経験よ?」


 中を弄って貰うって、凄い表現だな。
 この状況をそのまんま言葉で言い表しているという事も込みで。


「そういうのが良い人もいるかもしれないがな。俺は御免だ」


「ふうん」


 それ以上何を言うでもなく、詩織はあっさりと俺の体から手を抜いた。
 しかしこの子、本当に何を考えているのかが読めない。
 俺の体の中に触れている間思考を読めるというのなら、その逆があっても良さそうなものなのに。


「詩織は幽霊……なんだよな?」


「ええ、多分ね」


 多分って。
 自分のことなのに随分と曖昧な返事をする。


「気付いたらここにいたのだもの。他の人間に私の姿が見えていない、ということを認識するのにも時間がかかったわ。こんなことあり得ない、あるはずがない……てね」


「成仏とか……したいか?」


「私を祓うの? それとも未練でも断ち切ってくれるのかしら? 私としては、そっとしておいてほしいのだけど。成仏、なんて言葉で誤魔化してるけど、実際その立場からしたらまた死ぬようなものよ」


「そういうもんなのか」


「どうしても同じ敷地内に美少女幽霊がいるというのに耐えられないのなら……そうね、貴方が出ていくといいわ」


「悪霊じゃん」


「まあ流石にそれは冗談だけど」


「冗談なら冗談を言う時の顔と声音で言ってくれ」


「私は――ここに不法に滞在しているようなものだから。こそこそ隠れていたけど、今日とうとう見つかってしまった。煮るなり焼くなり祓うなり、好きにするといいわ」


 これは、冗談じゃない。
 とわざわざ言われるまでもなく、そう言っていることが伝わってきた。


「……そんなことしないさ。今まで特に俺に何か害があったわけでもないし、成仏はもう一度死ぬようなもんなんだろ? そんな寝覚めの悪いこと出来るか」


「そう。優しいのね」


「人から恨まれるのが怖いだけさ」


「キザったらしい言い回しね。まるで小説家みたい」


「小説家にどんな偏見を持ってんだ……」


「でも実際、小説家志望なんでしょう?」


「なんでそう思う?」


「さっき貴方に触れている時にね。私のことをいやらしい目で見ているのも分かっているわよ」


「後半は嘘だ」


「前半も嘘よ。ただの勘。なんとなくあの小説家失格の男に似ている気がしたのよ。雰囲気とか、色々」


 先ほどと同じく、毒のある言い方だ。


 未完結の作品。
 悟おじさんの遺作。
 世には出ていないが、書きすぎで死んだ小説家なのだから当然書きかけで放置されている作品もあるのだろう。


 どんな作品なのだろうか。


「どんな作品なのか興味があるって顔をしてるわ」


「……そりゃな」


「そこのノートパソコン。パスワードは1111よ」


 彼女が言わんとしていることはすぐに分かった。
 しかし、


「いや、それは流石に」


「貴方が小説家志望だと言うのなら――見る権利はあると思うわ」


「どういうことだ?」


「私は知らないのよ。何かを書いているということは知っていたけれど、あくまで『読者』だから。完成していない作品んを途中で見るのは無粋でしょう?」


「つまり、俺に悟おじさんの遺作を完成させようとしているのか?」


「ずっと気になっていたのよ」


「……見ようと思えばいつでも見れただろうに、随分と律儀なんだな」


 いつだってチャンスはあったはずだ。
 俺に触れることが出来るのなら、パソコンに触れることだって造作もないことだろう。


「律儀というより、頑固なんでしょうね。自分で言うのも不思議な気分だけれど」


 確かに頑固だ。
 頑なで、固い。


「……分かった。やってみよう」


「そう言うと思っていたわ」


「触らなくても心が読めるんだな」


「言ったでしょう。似てるのよ、あの小説家失格と貴方は。――そうそう、これは出来ればなのだけれど」


「なんだ?」


「執筆するのなら、この部屋で。ひとりきりって、寂しいのよ」

























 パスワードを『1111』にするのはどういう意味があるんだろう。
 ふとそんなことを思った。
 『1111』なんて、あってないようなものじゃないか。
 どうぞ解いてくださいと言っているようなものだ。
 自分以外に見られたくないものがあるからかけるのがパスワード。
 俺はそう思っている。なんて風に俺は思っているが、ただ単にパスワードを設定する画面が出てきたから適当に『1111』にしただけ――なんて可能性もある。


 だけど、悟おじさんの遺作を読んで――或いは彼は、誰かに読んで欲しくて敢えてこのパスワードにしたのではないか、と感じた。


 喩えるならば線引き。


 公と機密。
 自分と他人。
 外と内。
 建て前と本音。


 そして、作者と読者。


 悟おじさんの遺作は、とある青年の話だった。


 その青年は内向的で、臆病で、他人に嫌われることを嫌い、他人を嫌いになることを嫌った、そんな人間だった。
 そんな彼の唯一と言っていい趣味は、読書。
 人付き合いが苦手な人間が行き着く先なんて大体誰も同じだ。


 そう、同じ。


 学校の図書室の隅で、いつも本を読んでいる少女がいた。


 黒い……漆黒と言っても差し支えないほど黒いセーラー服に身を包んだ、白い肌で、綺麗な黒い長い髪で、息を呑むほど――恐ろしいほど美しい、少女が。


 彼女も恐らく読書が好きなのだろう、と思った。
 親近感を覚えた。
 だけど、彼女の雰囲気には人を寄せ付けないものがあった。
 元々内向的な青年はそんな彼女に話しかけることも出来ず、ただいつも通り図書室へ行った時に、ちらりと視界の隅に収める程度の関係――一方的な関係だった。


 ある日、とあるシリーズものの続きを図書室で探していた。
 もう何年も前の作品なのに、昨日読んだ巻の次がない。
 もしかしてただ仕入れていないだけなのだろうか。
 先生に問い合わせようと思ったその時に、後ろから声をかけられた。


 透き通るような、透けたような、見透かされたような声だった。


「探しても無駄よ」


「え……」


「その本の作者、もう死んでいるから」








 ――書かれていたのは、ここまでだった。


 電子の文字だ。
 どれだけ消してどれだけ書いても跡は残らないが、何度も何度も、何度も何度も書き直したのだろう。そんな気がする。
 これは悟おじさんの全てだ。


 神崎悟という小説家の始まりであり中身であり終わりである、文字通りの全て。




「どうしたの。そんな暗い顔をして」


「……いや」


 俺が読むのを離れたところからただ見つめていた詩織が話しかけてきた。
 気の利いた台詞が思いつかず、そんな否定の言葉しか出てこない。


 暗い顔。
 暗い顔、か。


 俺はどうすればいい。
 この作品は――完成するべき作品だ。
 絶対に、そうあるべきだ。


 でも、その完成させるべき書き手はもういない。
 一番この物語を書きたかったはずの人間は、既に存在しない。


 それに俺が手を出していいのか。
 悟おじさんは――どう思っているのだろう。
 どんな想いで書いていたのだろう。


 一体どれほどの――


「ちょっと、本当に大丈夫? 顔色悪いわよ」


「大丈夫。大丈夫だから」


 悟おじさんのために……俺はどうするべきなのだろうか。


「……貴方は無理する必要ないのよ。まだ、小説家・・・ではないのだから」


「……どういうことだ?」


小説書き・・・・は自分のために、小説家・・・は読者のために書くのよ」


「……なんだそりゃ」


 言いたいことは分かるが、極端な意見のようにも思う。


「貴方もよく知る小説家の言葉よ。ここでインタビューされてた時にね」


「……!」


 悟おじさんが、そんなことを?
 どういう意図でそんなことを言ったのだろう。
 その理論で言うのなら、どちらかと言えば悟おじさんは『小説書き』の方だというイメージがある。
 もし彼がそう自覚して言っていたのなら、とんだ曲者もいたものだ。しかもよりによってインタビューでそんなことを言うとは。


「人によってはしかめ面しそうな意見だけれど。私はしっくり来たわ」


「……そうか」


 確かに、詩織はこの理論に関しては全面的に肯定するだろう。
 むしろ彼女がこれを言ったと言われても納得するくらいだ。


 そういうことだったのか。


 なら俺は今から『小説家』にならなくてはならない。
 悟おじさんの話を、届けてやりたい読者がいるのだから。

























 あれから半年かけて書き上げ、製本し、待ち望んでいた読者にその物語を手渡した。


 それを彼女は三時間ほどかけて一気に読み切った。
 思えば、自分の書いたものを他人に見せるのは初めてかもしれない。


 今までは、自分のために書いていたから。


「面白かったわ」


「……そうか」


「なによ、不満がありそうな顔ね。小説家にとっては最大の賛辞でしょう」


「そうだな」


「……はあ。分かったわよ。彼のことを――神崎悟を、小説家失格だと言ったのは訂正するわ」


 退屈そうに、彼女は本の背表紙を撫でた。


「憶えていないし、忘れたという自覚もない。けれど多分、そういうことだったのでしょうね。こういうことだったのでしょうね」


 そうだとしたら、と彼女は続ける。


「私は色々、彼に謝らなければいけないことがあるわ」


「……本人は多分、それほど気にしてないと思うけどな。むしろ恥ずかしがるんじゃないか」


 なんせ、彼女は一番近くで、一番長く見ていたのだ。


 悟おじさんが一生をかけて、恋文ラブレターを書こうとしていたのを。






「…………」


「…………」


「…………おい」


「どうかしたかしら」


「流れ的に、今が成仏する絶好の機会だったんじゃないか?」


「なんでよ。最初に言ったでしょう、もう一度死ぬようなものよ、成仏なんて。御免だわ」


「えー……いや、そうかもしれないけどな……」


「それに」


「?」


 詩織はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 悟おじさんも、今の表情に魅了されたのかもしれない。


「私はまだ、貴方という小説家の話は読んでいないわ」

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