プリンセス・シールド

仁野久洋

愛の死霊使い

 皇国歴1999年。ここユースフロウ大陸は、永きに渡る平和を享受していた。

 しかし、それは仮初めの平和でしかない。私は、その事を良く知っている。間もなく、この世界は滅亡の危機を迎える事を、知っている。 

 私は指輪だ。
 古びた、虚飾無き白金のリングである。
 だが、同時に人でもあり、また、死霊使い(ネクロマンサー)でもある。

 そんな私が問いかけよう。
 無限の生命を得たならば何を成す? 永遠の時をどう使う? そんな事はあり得ない? 考えるだけ無駄? そうだ。仮定の話であれば、そう思うのも仕方が無い。私とて、そう考えるのかも知れない。

 しかし、私はそれを得た。不老不死という力を与えられ、悠久の時を生きてゆく権利、そして、義務を受け取ったのだ。

 私にはそれが必要だった。なぜなら、成さねばならない事があるからだ。それは果てしなく困難で、限りなく不可能に近い事なのだ。それを話せば、例え永遠を生きようとも、叶えること能わぬ夢想であると、きっと人は笑うだろう。

 だからどうした?

 それはその人間の意見だ。決して私の考えではない。他人は他人で、私では無い。笑いたければ笑えばいい。私は、今に見ていろとますます執念を燃やすだけだ。むしろ良い燃料であると言えるだろう。

「きゃーっはっはっは」

 言ったそばから豪快に笑われているようだが。まあいい。燃料だからな。燃料。

「燃料なんだー! あっはっはっはっは」

 ああ、そうだ。そうなんだが。少し笑い過ぎてやしないか? 

「だあって、面白いんだもーん! きゃははははは」

 面白い、だと? 私は笑い話しを提供しているわけではない。と言うか、なぜ私の思考に反応しているんだ? 誰だこれ?

「思考? 誰だって……? もー、木霊ちゃんたら、まーた寝惚けてるー」

 寝惚け……え? ちょっと待て。齢4000年を過ぎた私を、ちゃん付けで呼ぶこの声は。

「4000年も生きてたの、木霊ちゃん? まーたそんなホラ吹いてー」

 ホラ吹き呼ばわりか。なぜだ? なぜキミはそう、私の言を信じないのか?  

「愛。ホラ吹きはいいとして、確認したい事があるのですが」

 愛だ。4000年を生きるこの死霊使いである私に、ここまでフレンドリーに接してくる者など、東条愛しかいない。

「うん? なーに、木霊ちゃん?」
「私、また寝言を?」
「そうだね。いつもながらハッキリ聞き取れるくらいだから、起きてるのかなーって思ったけど。木霊ちゃんって指輪だから、見分けつきにくいよねー。あははははは」
「いやいや。愛、状況を考えれば分かるでしょう? キミは今、何をしているのですか?」

 屈託なく笑う愛。15歳という年齢に相応しく、弾けるような眩しい笑顔だ。愛が生まれた時から一緒にいる私だが、最近たまにどきりとさせられる事もある。なにしろ、元々高貴な血筋に繋がる子だ。あどけない子どもから、徐々に"女性"へと移ろう途上にある愛は、見る者によってはすでに美しいと形容され始めている。

 だが。

「え? 何って、水浴び」

 けろりと愛はそう答える。ここは祖先の英霊を祀る社の前に湛えられた神聖な泉である。決して水浴びに興じていいような泉では無いのだ。まあそこには構うまい。話が脱線してしまう。

「そう、愛は今、水浴びをしています。今日は暑いですからね。そんな時、その神聖さゆえ滅多に人の訪れないこの泉は、水着の用意すら面倒な愛にとって、ぱぱっと全裸になって入れる格好の水浴び場ではあるでしょう」
「そうそう。その通りだよ木霊ちゃん。さすが、良く分かってるねー」

 愛は両手をかき上げ泉の水を天へと飛ばすと、そのまま気持ちよさそうに腕を広げた。

 濡れそぼる長い黒髪が、陽光を浴びてきらきらと輝く。小さな顔に収まる大きな黒曜石のような瞳が細められた。

 迂闊にも、私までがつい一瞬美しいなどと思ってしまった。危ない。こんな事は絶対に口に出してはならない。それを聞いた愛が、どれだけ調子に乗るか想像しただけで腹立たしい。気を付けなければ。

「そう言う愛は、まるで分かっていませんねえ」
「えー? なんでー?」
「ほうら、分かっていないではないですか。考えてもみなさい。愛が水浴びしている所で、私が4000年の生がどうのこうの、無限の生命があーだこーだ言ってたらおかしいでしょう?」
「うん。おかしかった。だから笑ったんだもん」
「おかしいの意味が違うんですが。つまり、愛が水浴びしているのに全く関係無い事を口走っていたら、おかしいから気づくでしょうと、そう言っているのです」
「おお。なるほどね。そういう考え方もあるかもね」

 愛はぽんと手を叩いた。乳母であるエンヤ婆さんの影響か、愛の取る仕草はたまに年寄りじみている。これも私から見ればおかしいが、指輪である私と会話している愛を誰かが見ていたとしたら、これもおかしく思う事だろう。

「それ以外の考え方があるのですか、愛には……」

 愛の左手薬指に嵌まる指輪である私でも、ため息が出そうになる。まあ、誰もいないからこうして愛は裸でいるし、会話もしているのだが。周囲に人がいない事は、私がすでにしっかりと確認しているのだ。

 私は愛が生まれた時から指輪となってそこにいた。当然、たいそう不思議がられ、ある者は不気味にも思ったようだ。外そうとしても外れず、指を切断しようと言い出す者まで現れた。それでも私がここに残れたのは、偏に愛の父親である、東条将軍の豪放さゆえだった。東条将軍は私を面白がり、興味を持った。私が愛にここまで固執する理由を知りたがった。私は自身(指輪)への不干渉を条件に答えることにした。全てではなかったが、将軍はそれで納得してくれたようだった。

「あ、ねえねえ、木霊ちゃん。そう言えばさ、あれ何だろ? だんだん近づいて来るんだけど、船だよね?」

 愛はそう言って空を指差した。船だと言い、空を指す。

「船ですね」

 私は肯定した。確かにあれは船だ。
 ただし、空駆ける船。

 マストに掲げられた紋様は、私の良く知る物だった。それはアヴァロン皇国の旗印だ。即ちあの船は、アヴァロン皇国の飛空船、スカイ・シップである。




 

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