鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

五十一話 窮地


「はあぁぁぁぁぁぁ!!」

 気合の籠った声と共に、非常に重い右拳が襲い掛かる。が、これまでに何度も繰り返されたその攻撃は、もはや視線すら向けられずに、ただ周囲を回り続ける銅板に防がれ、これまた理解の及ばない力で押し返され、吹き飛ばされる。
 なんとか着地に成功はしたものの、ここまで何度も全力の一撃を加えて来た奈乃香の体力はほとんど限界に近かった。実際、彼女の背後では、既に力尽きた雲雀が倒れており、彼女の支援を行っていた皐月や聖もまた、体全体で大きく呼吸をしながら、その場で膝を付いていた。
 奈乃香を除いて唯一、未だ力を残しているのは義嗣だが、彼もまた、ちょっかいをかけてくるヴィーデへの対処に追われており、奈乃香を援護する事が困難な状況に陥っていた。

「こんのぉ!!」

 何度防がれようとも、その度に立ち上がって再び拳を握る。疲労の色が濃く出た彼女と違い、エイジは疲れを一切見せない。そもそも疲れてすらいないのだろう。それもそうだ、何せ、彼はただその場所に突っ立っているだけなのだから。奈乃香がどれだけがむしゃらに向かってこようが、そんな彼女に対しエイジが見せるのはただほんの少し手を動かして見せるくらい。それだけで、奈乃香と自身の力の差を思い知らせようとしているのだが……如何せんただひたすらに突っ込む事しか知らない彼女は、エイジが何をしようとその行動の意味を考えようとしない。目の前の事に集中するあまり、その拳を叩き込む事しか考えられないのだ。

「いやぁ、あの魔人もそうだけど、奈乃香ちゃんは元気だねぇ……」
「そんなのほほんと言ってる場合ですか!?」
「いやでも、もうこうなったら俺らが出来る事なんて限られてるじゃん? もうこうやってどこか他人事みたいにあの光景に感想を言うくらいしかやる事無いだろ」
「うぐぅ……」

 確かに、聖の言う通り今の皐月達に出来る事は無い。スタミナが完全に尽きており、そんな状態で奈乃香の援護に入ったところで、足を引っ張るのが関の山だ。このまま一方的に奈乃香がやられるのを見ているしか無いのか。そう思っていた時だった。

「……何? まだ終わって無かったの?」

 エイジと奈乃香の戦いに口を挟んできたのは、こちらはこちらで既に戦闘行動そのものが終了していたグラスだ。彼女の背後には、地面に倒れ伏している阿弥の姿が見える。体のあちこちに傷を負ってはいるものの、皐月の位置からは彼女が致命傷を負っているのかどうかが分からない。少なくとも、気を失っているのは確かだ。果たして、それがいいのか悪いのかは分からない。少なくとも、エクリプスギアの上から気を失う程のダメージを受けたという事は間違いない。となれば、その体には少なからず影響が出ているだろう。もちろん、悪い、という意味で、だが。

「ふん、そちらも、あれだけ大口を叩いていたにも関わらず、あの娘を生かしたままかい?」
「……どうせ、みんな死んでいるのかも生きているのかも分からない状態になるし、わざわざこの手を汚さずに済むならそれいいと思う」
「ボクにはあれだけボロクソに言っておきながら、自分はそれか」
「……柔軟性がある、と言って欲しいかな」

 特に傷を負った様子も無く、またまともなダメージすら入っていない体で、グラスが未だ立って構え続けている奈乃香へと近づいていく。

「……でもま、これ以上は兄様の計画に支障が出るから」

 その小柄な体が一瞬ぶれ、消える。消えたと思ったら、奈乃香のすぐ傍に現れ、立っているのもやっとな彼女の体を蹴飛ばした。終始攻撃に集中していたから分からなかったが、奈乃香の体もまた、既に限界を迎えていた。それでもまだ立とうとするのは、意地が根性か、それともここで立たなければ特戦課のみんなだけではなく、この街やこの国全ての人々の命に係わると理解しているからなのか。

「……どうせ勝てないのに、なんでそこまで頑張るの?」

 そんな奈乃香へとグラスは不思議そうな視線を向ける。もはや雌雄は決したと言ってもいい。何せ、戦闘特化のメンバーの半数以上が既に地に足を着けているのだ。この状態で負けていないと言うのならば、それこそ死ぬまで倒れないと言っているのと同じだ。
 だが、奈乃香は倒れない。再びしっかりと地に足を着け、拳を構えて眼前の敵を見据えながら、口を開いた。

「だって……、あなた達がやろうとしている事は、ここにいる私達だけじゃなくて、あなた達自身も傷つける事になるから」
「……はぁ?」

 心底、意味が分からないと言いたげなグラス。そんな彼女を前に、なおも奈乃香は続ける。

「人は死んじゃったら、もう二度と話す事が出来ないんだ。自分の想いを伝える事が出来なくなるんだ。例えその判断が間違っていても、それを聞いてくれる人がいなくなるんだ!」
「……何を」
「生きてもいない、死んでもいない、そんなのは人間じゃない! あなた達は人間を救うって言ってたけど、それは救済なんかじゃない!! 自分達の思い通りになるように人を作り変えてるだけだ!! そんなものが正しいはずが無い!!」

 奈乃香のその叫びは、今まで無表情を保ってきたグラスの顔に、初めて顔色というものを浮かばせるものだった。だが、それは決していい意味では無い。むしろ、神経を逆撫でした、という類のものだ。

「……人を思い通りにしてきたなどと、そんなのはこれまで何度もあった事だ!! 今更詭弁を吐くな!!」

 声を荒げたグラスに対し、奈乃香の肩が小さく震える。その素早さや鋭さとは反対に、ダウナーというイメージの強かった彼女からは想像できない程、怒りに満ちた叫びだったからだ。

「……お前達は、自分達の街を守るという名目でヴィーデを狩ってきた。それもお前達が自分達の思い通りにする為にしてきた事だろ!! あれの正体が野生の動物だとは考えなかったのか!?」

 無理がある、そう思われるかもしれないが、グラスの言葉にも一理はある。人に襲い掛かるから害を為す、と考えれらがちだが、自然界における野生の動物は趣味嗜好や食料目的で人を襲う事は非常に稀だ。彼らの目的は人間を狩る事そのものでは無く、自身の身に危険が生じたと判断した時に限られる。だからと言って、ヴィーデがそうだとは判断出来ない。事実、グラス達はそんな生物を使役して街を襲わせているのだ。そこに悪意が無いとは言い切れない。

「……それに、私達をこんなにしたのは、お前達のような自分本位な人間がそうしたからだ!! 望んでこうなったわけじゃ無い!!」
「グラス!!」

 咄嗟にグラスの言葉を遮るようにして、エイジが声を荒げる。これ以上の言葉は不要、にしては、彼の声もまた、何かを耐えているかのようなものだった。

「理解される必要は無い。また、ボクらが理解する必要も無い。魔人になったあの時から、ボクらは既に人とは異なるステージにいる。お互いがお互いを分かり合うなんて不可能なんだ。だからグラス、そんな事をそいつらに教えてやる必要なんてない」
「……」

 グラスの表情が変わる。いや、戻ったと言うべきか。ようやく引きずり出した本音は、今再び闇の中へと踵を返していった。
 いや、そもそも本音を引き出したからと言って、彼女達の立場は変わらない。お互いが別個の目的を持っている以上、こうして対峙するのは仕方の無い事だ。いかに奈乃香達が歩み寄ろうとしたところで、そもそも視点も考え方も違う。同じものを見たところで、そこから受け取るものに差異があり過ぎる。結局、待っているのは対立だけだ。
 構えている奈乃香を一瞥するグラス。その目はこれまでのものと比べても、一段と冷たく、無感情なものだ。その目で見据えられた瞬間、奈乃香の体が一瞬硬直する。その瞬間、再びグラスの姿がその場でぶれる。瞬きすら許されないその速度に、奈乃香がまともに対処出来る筈もなく、まるで瞬間移動のように目の前に現れたグラスに反応すら許されず、首を掴まれ、そのまま宙に浮く形で持ち上げられる。

「がっ、はっ……!!」

 当然、そんな状態で呼吸をする事は出来ず、奈乃香は苦しそうに悶えるも、グラスの力が想像以上に強いのか、首から手を引き剥がす事が出来ないでいた。それを見た義嗣が即座に矢を放つものの、エイジが手を掲げ、ちょうどグラスを守るようにして銅板を彼女の前に差し出した事で義嗣の一撃は空振りに終わる。即座に次の矢を番えるが、先程までエイジの周囲を漂っていた銅板は、いつの間にか二人を囲むように……守るように浮遊していた。
 この場でその守りを突破出来るのは阿弥と雲雀だが、二人とも地に伏せて起き上がる事すら出来ない。当然、他のメンバーにそこまで火力は無く、あったとしても今この状況だと奈乃香を巻き込むのは確実だ。到底使えはしない。

「奈乃香ちゃ……」

 皐月が動こうとするが、その瞬間エイジの目が彼女に止まる。そして、掲げられるのはあの熱線を放った銅板の陣形。奈乃香でさえ耐える事がやっとだったあの攻撃が、今にも皐月へと向けられようとしていた。

「待っ……」

 奈乃香が皐月へと手を伸ばす。が、無慈悲にも円陣を組む銅板の中心が青く光り、そして……



 轟音と共に、何かに地面へと叩き込まれた。

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