鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

四十五話 真意


「……理由を聞こう」

 たった一言どころか、一文字で返した莉緒に、困惑したというか、その神経が理解出来ない、とでも言いたげの表情で巌が問いただす。当然、苦い表情と共に、だ。

「ヒントはやった、それも、限りなく答えに近い、な。にも関わらず、それ以上の物を求めるとは、もはや怒りすら通り越して呆れ果てさえしかない。……あぁ、はっきり言おう。そこまでする義理は無い。この街にも、お前らにも、だ」

 空気が、張り詰める。
 その理由は誰でも無い莉緒が原因だ。普段とは異なる口調で、淡々と話すその姿に、一同は思わず息を呑む。これは一体何だ、と。

「自分達の街くらい、自分らで守れよ。それとも、それすら出来ない、せいぜい口くらいしか動かす事が出来ないような役立たずか? お前らも、あの時の本庁の連中と一緒か?」

 ふと、踵を返していた莉緒が振り返ると、阿弥達の体を悪寒が走った。以前、エイジへと向けられていた琥珀色に輝く殺意の籠った瞳。それが今、目の前の人間達に向けられている。元々彼らに対する信頼や好感度は無きに等しいものであったが、こんな目を向けられる程、莉緒に嫌悪感を覚えさせるような事をした覚えの無い特戦課としては、その様子に首を傾げるしかない。首が動けば、の話だが。

「……自分達でどうにも出来ないんなら、大人しく流れに身を任せるしかない。時にはそんな判断も必要だと思うけどな。少なくとも、自分のケツすら拭けない連中の尻拭いなんざ御免だ。それしか無い、ってんなら、とっとと死ねばいい。いや、むしろ……死ね」

 無意識のうちに、阿弥達は臨戦態勢をとっていた。それほどの殺気を、目の前の少年は放っている。阿弥達にそこまでさせるなど、これまで魔人と相対した時すら無かった。にも関わらず、今の莉緒はそれを可能にしている。何なら、彼女達を今ここで抹殺する事すら可能では無いかと思わせる程に。

「……はぁ」

 そんな様子でしばらく特戦課メンバーを睨みつけていた莉緒だったが、どうでもいい、といった表情で溜息を吐き、そのまま何も言わずに再度振り返り、出口へと向かって歩いていく。
 今度は、その後ろ姿を見送るだけで、誰一人としてその背中に声をかける者はいなかった。



「……莉緒君の協力は得られなかったが、我々のやる事は変わらん。最後の一ヶ所、霊脈を守るレイラインの守護を最優先とする。目的は防衛、だ。必ずしも、魔人達の討伐がメインじゃない事を覚えておいてくれ」
「「……」」

 真っ先に緊張から解けた巌の言葉にも、一同は返事すら返さない。いや、返せない。その状態に、仕方ないと言った様子で巌が各関係機関に連絡を取っていく。この辺りはやはり場数を踏んだ大人、と言うべきだろう。どれほど濃密な殺気を向けられていたとしても、本気でやるつもりなど無い、その事実が分かっていたからこそ、復帰するのも早かった。

「あの、司令」
「ん? どうした」
「やっぱり、莉緒君の事もっとちゃんと調べておいた方がいいですかね……?」
「……いや、触らぬ神に祟りなし、とも言う。今回はあれだけで済んだが、実際彼が敵に回らないとも限らない。その身の上は確かに気にはなるが、踏み込むべきではない領域、というのも存在する」
「そこにあの子がいると?」
「断言は出来んがな。しかし、ただの人があれだけの殺気を放つようになるには、余程の過去があったか、そもそも人じゃない可能性もある。調べても空振りする事が分かっている以上、迂闊に彼を刺激するような事は出来ん。分かってくれるな?」
「……了解です」

 ぽん、と部下の肩を叩き、自分の仕事へと戻っていく巌。そんな彼の背後では、ようやく呪縛から解けた一同が、各々の体勢でその場に崩れ落ちる。中には奈乃香のように立っているのもいたが、そんな彼女もメンバーの中では唯一、莉緒の殺気に気付かなかったが故であり、終始不思議そうな顔をしていた。

「奈乃香ちゃん、タフだねぇ……」
「え? え? どうしたの、みんな? 何でそんなに疲れてるの!?」
「……今回ばかりは、アンタの鈍感さというか、天然というか、ともかくその性格が羨ましいわ……」
「えぇ……」

 彼女にしては珍しく狼狽えた表情を浮かべている。しかし、周りのメンバーが思わず戦闘態勢を取ってしまうような殺意を理解してしまったのと比べれば、大したことは無いだろう。その様子に、皐月も冷や汗を流しながらも、苦笑いを浮かべていた。

「協力って、そこまで難しい事かな……?」

 それぞれが疲労困憊の中、義嗣がボソリと呟いた。本人は独り言のつもりだったのだろう。しかし、普段はコンソールの音や、巌が指示を出す声などでかき消されるその小さな声も、静寂から解放されたばかりのこの空間では、一際大きく感じられた。当然、他の人間の耳に入る程度には。

「人間、譲れないものってのがあるんだよ。もしくは、踏み越えちゃいけない領域とかな。あいつに関しちゃ、それがどこかは終始分からなかったけど、あれだけ頑なな態度をとるって事は、よっぽどの事をしたんじゃないのか? だれがやったか、とかは関係無しによ」

 独り言に返されたからか、一瞬目を丸くしていた義嗣だったが、すぐにその表情は暗くなる。

「けど、難しい事じゃないはずですよね? ただ俺達に協力して、一緒に戦ってくれればいいだけの話ですよ? 確かに、お互いに譲れないものはあるかもしれません。ですが、その時だけ、ほんのひと時だけ我慢すればいいだけの話で、それが大人になるって事じゃないんですか?」
「……あ~、なるほど、そういう事か……」

 義嗣のその言葉を聞いて、ようやく合点がいった、といった様子の聖。そんな彼を前にして、義嗣はただただ首を傾げるだけだ。

「何? どういう事?」

 そしてどうやら、分からないのは義嗣だけでは無いらしい。阿弥や、その後ろにいる皐月、そして未だに頭に疑問符を浮かべている奈乃香も同じ様子だ。流石に雲雀は薄々感づいたようではあったが、確信が持てないのか、口を開こうとはしなかった。

「あいつ、魔人と戦った後に片付けをしようと……ってか、してたよな?」
「やってたわね。アタシ達がどれだけやる必要無い、って言っても、一切耳を貸さずに瓦礫の撤去してたわ」
「それが原因だ」
「瓦礫の撤去が?」
「ちげぇよ!」

 まさか阿弥自身も、あの場での片付けを手伝わなかった事を根に持っている、なんて思っていないのだろう。……いないと思いたい。

「要は、保泉にとっちゃ、目の前で起きている事全てが有事なんだ。ヴィーデや魔人の襲撃も当然だが、建物の倒壊や、人々の避難とかな」
「それが何なのよ?」
「あいつは普段ならばそういった事が目の前に迫ったとしても、一切手は出さない。イレギュラーはあれど、おそらくそれを貫き通している。が、ギアを纏ったなら話は別だ。目の前で人が襲われているならそれを救い、建物が崩れかけているならそれを最小限の被害に収まるように整える。奴がよく言ってただろ? 責務がどうとか、ってな」
「そう言えば……。それで随分と罵倒された人もいたっけ」
「そうだ。おそらく、奴はその言葉に囚われてる。……いや、強迫観念と言ってもいいレベルで意識に染みついている。多分、過去にあった出来事が原因だろうな。でなきゃ、あそこまで責任だの役目だので取り乱す奴はそうそういない」
「そういえば……」

 皐月は以前、自身の部屋に莉緒を招いた際、彼が過去に体験した事の一部を明かされた事を告げる。その話を聞くと、その場にいた全員の顔が歪む。大崩落の中、自分にとっても大切な物が全て失われていく中で、たった一人で奮闘し続けた結果を。
 そんな話を聞かせられれば、流石の阿弥とて普段莉緒に向かって吐く悪態を口にする事など出来ない。したとしても、彼自身が彼女の言葉以上の事を体験してきているのだ。大して思う事も無いだろう。

「人間って、分からないものですね……」

 助けてくれ、と叫ぶ声に応えれば、返ってきたのは何故もっと上手く出来なかったのか、と叱責のような八つ当たり。例えそれが責務だったとしても、恩を仇で返されるような事をされれば、人は人情などあっという間に投げ捨てる。
 それをせずに、未だ役目に縛られ続ける莉緒は一体何なのか。ここにいる誰もが、その問いに答えを導き出す事が出来ないでいた。

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