鬼哭迷世のフェルネグラート
三十九話 日常との紙一重
平日と大して変わらない濃密な週末を過ごした莉緒だったが、日曜日が過ぎれば待っているのは絶望の月曜日だ。どれだけ気を落とそうが、どれだけ気が滅入ろうが、行かなければいけないものは仕方が無い。
朝一で深い、深い溜息を吐いた莉緒は、そのままいつもと同じように裏口から屋敷を出て、自身の通学路に着く。ここ数日間だけとはいえ、送迎があったせいか、こうして徒歩で学校に行くのが随分と新鮮に思える。それほどまでに、莉緒の足取りは軽かった。……別段徒歩通学が解禁されたわけでも無いのだが。
数時間後、既に発った後の莉緒に対し、こちらも深い溜息を吐くはめになる皐月だったが、あまり縛り過ぎるとどうなるか分かったものでは無い為、ここは隙にする方針に切り替えたようだ。この日から、通学に関してどうこう言われる事は無くなった。
朝一番に佳樹の家の前でボーっとするのがかつての彼の日課だ。それを見た佳樹が呆れながら家から出てきて、それに付いて行くまでがセットと言っても良い。ここ数日間窮屈な思いをしただけに、この解放感は莉緒の心をおおらかにさせる。
「しっかし先週はえらい目に遭ったな」
「ん? そうだっけ?」
「お前、覚えてねぇのかよ……。あんだけ派手に落ちておいて」
今更ながら、本人の身体能力を考えれば、多少高い所から落ちたところで、悪くてかすり傷程度、その気なら無傷で済ませる事も可能だろう。確かに落ち方は派手だったものの、どんな形であろうと、落下した後は同じだ。実際、莉緒も不安定な状態で自由落下になったものの、着地だけは見事に決めて見せた。……五体投地ではあったものの。
しかしながら、あくまで一般人の枠内でしかない佳樹には不思議で堪らないようだ。何せ、彼らにとっては大怪我必至にも関わらず、目の前にいる友人は怪我どころか何も無かったかのようにぴんぴんしている。
「昔から丈夫なのが取り柄でね~」
「そうか? それなら……いいんだけどよ。あの場を特戦課に任せて、先に帰っちまったからな。委員長なんか、青い顔して今にも卒倒しそうだったしな。特戦課の守護役がさっさと帰るように、って言ってるのに心配だから残る、って最後まで言ってて、結局強制的に帰らせたんだよ。今日会ったら、ちゃんと無事だったこと、報告しといた方がいいぜ」
「そうだね」
友人想いの奏ならそうするだろう。二人が強引に帰らせなければ、それこそ最後の最後まで残っていたかもしれない。そう思うと、あの場にいた皐月には感謝をするべきだろう。
「ところでよ」
「ん?」
「今日はあのいかにもな車じゃねぇんだな」
「うんまぁ、必要が無くなったから」
「はぁ?」
そう、もう皐月達と共に送迎をしてもらう必要は無い。莉緒の実力が、その一端とはいえ判明した今、車での送迎は必要無い。
「でも、惜しい事したな。お前と一緒にいた子、超可愛かったんだけどな」
「ほう……」
にやり、と不敵な笑みを浮かべる莉緒。その顔は、ロクでもない事を考えている時のものだ。流石に身の危険を感じたのか、佳樹が首を横に振る。
「余計な事すんじゃねぇぞ? 確かに可愛いとは思ったけど、あの子をどうこうしたいなんざ思っちゃいねぇ。それに、あれって九十九の制服だろ? 俺達とは生きてる世界が違い過ぎる」
「意気地が無いねぇ」
「俺だって自分の身が可愛いんだ。んな無謀な事はしねぇって」
佳樹の言葉通り、一般的な認識としては、九十九第一学舎に通う学生とその他の学校に通う学生とではそれなりに区別されるところが多い。佳樹が言ったように、お近づきになる、というのも同学校以外ではかなり難しいとされている。
所謂お嬢様学校のような閉鎖的なものではなく、そもそも次元が違う、とまで言われてるくらいだ。
しかしながら、学力自体にそこまで差があるわけでは無く、むしろその辺りに関しては私立でも進学校と呼ばれている学校の方が上な部分も存在する。
確かに、保泉一家やその他にも富豪系の家が多いが、阿弥のように一般家庭出身の者も少なくはない。が、やはり外から見れば、いかにもな生徒が大半を占めるのは確かだ。莉緒にしても、実際に特戦課関連で中に入るまではそう思っていたのだ。一般人である佳樹がそう思うのも仕方が無い話だろう。
「そういう事にしとくよ」
「お前が俺の事からかってくるのは別にいいんだけどよ、破滅に繋がるような事をするのは勘弁な」
「しないよそんな事~」
果たしてどうだろうか。どう見てもそんな気は無い、と正面からはっきりと言えるような表情ではない莉緒を前に、佳樹は一抹の不安を抱えるが、それにしても保証があるわけでは無い。
どう見てもロクな事を考えていない人間の笑い方をする莉緒の後ろを、うんざりしたような表情で付いて行く佳樹であった。
学校に着いた莉緒は当然の事ながら、例え休み時間といえど、簡単に自分の席から離れる事は叶わない。何故なら、あの時あの場にいた友人からの尋問が待っているからだ。
「ね、ね、ヴィーデに追い回された感想は?」
「ちょっと、八重代さん! そんな事聞いちゃ……」
「……超、スリリング!!」
奈央の少し悪ふざけの入った質問に対し、莉緒は無言でサムズアップをした後、そんな事を口走っていた。これに関しては、このノリの奈央に付いて行ける莉緒を心配するまでもなかった、と言える。とはいえ、本来奏の反応が正しいのは言うまでもない。この二人がおかしいだけだ。
「でも、無事で本当に良かった……。すっごい心配したんだよ」
「そうそう、最初は逸原だけだったんだけど、モールの中が騒がしくなるにつれて、委員長の方も探しに行った方がいいんじゃないか、なんていいだしてさ~。ホント、何回ステイって言ったか分かんないよ」
「あはは……その節は本当にごめんなさい」
「許さん!! 話は変わるけど、最近二丁目に出来たこじゃれたカフェの特性フラペチーノがおいしいんだって」
「……今日の帰りにでもいこっか」
「あ、チーズケーキも追加でよろしくぅ!!」
涙目で財布の中を確認する奏だが、どうやらあの場で一番冷静で、尚且つ二人がギリギリまで留まる事が出来たのは、奈央のお陰だったようだ。普段からおかしな言動が目立つ彼女だが、ここぞという時にはどんな状況でも動じる事の無いその胆力が光る事も多い。何気に、普段つるんでいる三人の中で、彼女が一番頼りになるのではないだろうか。
「普段あんななのになぁ……」
佳樹もしみじみと呟いているが、言っている内容から察するに、彼もまたそう思っているのだろう。
「んじゃ、もう一つ。助けてくれた特戦課の子と、フォーリンラブ的な事はあった? こう、危ないって時に颯爽と現れたあの子にハートを奪われた!! とか」
「ふぉっ……!?」
「はぁっ!?」
あまりに突拍子の無い奈央の問いかけに、傍で聞いていた奏だけではなく、少し離れた場所にいた佳樹も反応を見せる。が、その反応の仕方は異なり、佳樹はこいつは何を言ってるんだ、風なのに対して、奏は顔を真っ赤にして慌てた様子を見せる。意外と、こういう話に耐性が無いのかもしれない。
そんな彼女達に対して、莉緒はというと
「……実は」
「「んなっ!?」」
少し口にするのが憚られる。そんな風に口元を抑えて俯きながら小さく呟いた莉緒に対し、奏と佳樹が驚愕の表情を見せる。
「おまっ!! 朝はそんな事言ってなかっただろ!!」
「あんまり口にしない方がいいと思って……」
「え、ええと、こういう場合はどうしたらいいんだっけ!?」
莉緒の肩を掴んで前後に揺さぶる佳樹の顔は、見たことも無い珍生物でも見たかのようなものだ。その横で奏はひたすら困惑した表情を浮かべている。
しばらくの間、そんな阿鼻叫喚な様子が見られたが、どうやら仕掛けた本人が満足したようで、隣にいる悪ノリが大好きな友人と共に非常に厭らしい笑みを浮かべていた。
「ドッキリ大成功~」
「どんどんぱふぱふ~」
美術の時間で使用するクロッキー帳に、大きくドッキリ大成功、という文字が書かれているのを見て、一瞬どういう事か考える二人組。だが、その事実に気付いた瞬間、片方は先ほど以上に沸騰したような赤みを見せる顔を抑え、もう片方は一瞬怒った表情を見せたものの、呆れ果てたのか、頭を押さえて自分の席へと向かって行った。
「もう、からかわないで!!」
涙目になりながらそう叫ぶ奏を前に、反省した様子を見せない二人を見ると、まだどこかで今回のようにからかわれるであろう未来が見えるようだ。
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