鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

三十八話 不満


「随分と遅いお帰りでしたね」

 帰宅一番にそう声をかけられた莉緒は、背後から投げかけられた出迎えの言葉に、どこかウンザリとした表情を浮かべながら振り返る。そこにいたのは、これまでと一切変わった様子の無い立淵の姿だ。
 莉緒が素性を隠していた事に対し、立淵は一切口を出さなかった。彼は一応、この家のセキュリティ関連のリーダーも務めている。当然の事ながら、莉緒の事で最初に抗議の姿勢を見せたのも、この立淵だった。得体の知れない存在を家の中に入れる訳にはいかない、そう言って、離れに住まいを用意した彼の判断は、今こうして考えると最善の択であった事が分かる。何せ、莉緒は自身の身の上を誤魔化すどころか、世間一般に出れば色々とマズイ事になりかねない身上なのだ。それを隠していたのだから、立淵の反応に対し不満を口にする事は出来ない。
 しかし、そんな彼も、今ではこうして莉緒を他の使用人と共に出迎える姿勢を見せている。
 莉緒としては、家人では無いのだから、頭を下げられる筋合いはない。にも関わらず、こうして家人と同じ扱いを受ける事を強要されているのだから、これ以上居心地の悪い事は無いだろう。
 使用人達の目から逃げるように、そそくさと立ち去ろうとした莉緒だったが、そんな彼に立淵が声をかける。

「そういえば莉緒様、皐月様がお探しでしたよ」
「……」

 もはや見ない日は無い、と言っても良い程に、ここ最近よくしているめんどくさそうな顔になる莉緒。皐月の用など、十中八九特戦課絡みである事は、考えずとも分かる。それでなくとも、莉緒自身、皐月の相手をする事自体苦手としているのだ。行きたくない気持ちが先行して表れるのは当然だろう。

「そんな顔をなさらないでください。あの方も、莉緒様に色々とキツイ事を言った、と反省していらしてるんです。多感な時期ですので、それこそ拗れる事があるかもしれませんが、そこは人生経験豊富な年長として、見守って下さいませんか?」
「人生経験ねぇ……」

 果たして莉緒の人生は、豊富と言える程充実したものだったのだろうか? それに対し、本人は苦い顔をするしか表現のしようがない。
 流石の立淵も、そんな莉緒の表情を見て察したのだろう、彼もまた苦笑いを浮かべた後、屋敷の中へと指を差す。

「皐月様へは、莉緒様が戻り次第その旨を告げておくよう言っておきましたので、このまま皐月様の部屋へ向かわれるとよいかと」
「……どこの馬の骨とも知れない男を屋敷の中に入れる気は無いんじゃなかったの?」
「それを言われると困りますな。あの時はあの時、今は今です。貴方が不逞を起こすような人物では無い事を重々承知しております。それに、今まで何度も中に入るよう言ってきましたのに、それらを無碍にされたのは莉緒様ではありませんか」
「何で無関係の人間が屋敷に入るんですか。それこそセキュリティ的な問題だと思いますけどね」
「莉緒様、それはそれ、これはこれ、です」
「便利な言葉だ事で……」

 とはいえ、このままここで押し問答をしていたところで埒が明かないのは明らかだ。ここは大人しく立淵の言葉に従うのが一番だろう。

「分かりましたよ。皐月ちゃんの所に行ってきます。で、どこをどう行けばいいんですか?」
「それはですね……」

 観念した莉緒が、皐月の部屋までの道順を立淵から教わる。が……

「……地図、描いてもらっていいですか?」
「そうしましょう」

 人には得手不得手がある。莉緒にとって、この屋敷の構造を理解するのは、不得手に当たるようだった。



 苦節数分、ようやく目的の場所に辿り着いた莉緒は、これまた苦い表情を隠そうともせず、その扉の前に立つ。ノックを、二回。すると、中から聞き覚えのある声が反応する。そして……

「何か用?」

 これである。
 本来であれば、要件があるのは莉緒の方なのだが、彼はあくまで呼ばれてここに来たまでに過ぎない。故に、この言葉選びは間違っていないのだが……、女性の部屋を訪れておいて、それは無いだろう。
 数秒間、扉の向こうが無音になる。が、その一瞬の後、バタバタと忙しない音が聞こえたかと思うと、それはすぐに収まった。と、同時に中に入る様に促す声が聞こえる。
 ドアノブに手をかけ……、一瞬迷う莉緒だったが、勇気を出してドアノブを捻る。中で待っていたのは、当然ながら皐月だ。しかし、時間も時間であるからか、彼女の姿はパジャマのそれだ。莉緒が色々な場所を徘徊している間に、家に帰ってきた皐月は、莉緒が帰って来るまでの間に風呂やら食事やらを終わらせていたらしい。目の前にいる少年は、風呂はおろか夕飯すらまだだと言うのに。

「で、何か用?」

 年頃の男子学生なら、緊張の一つでもするだろう。しかし、莉緒は目の前の少女の姿など知った事かとでも言いたげに、普段と同じ態度を崩さない。……まぁ、その態度が崩れるような事があれば、それこそ大事になりそうだが。

「言いたい事は山ほどありますが、とりあえず、しばらく特戦課のメンバーは莉緒さんを保護せずに様子を見る、との事です。これに関しては、昼間話したので、理解しているとは思いますが……」
「分かってるよ。そもそも保護が必要な程、未熟なつもりは無いよ。で、他には?」
「守護七聖の話です。彼らが本当は存在していない、なんて事を外で広めないように、と釘を刺す役目を仰せつかったのだですが……」
「言うわけないじゃん。誰が信じるのよ、そんな荒唐無稽な話」
「……ですよね」

 莉緒の生い立ちや、その実力を目にして初めてその言葉が信じられるようになった皐月だが、一般人はそうでは無い。確かに、事情を知った今ならば、そんな者達が存在するかどうか疑問に思える程度には疑う事が出来るが、その辺りの事情を知らない者であれば、本庁が流しているデマをそのまま素直に受け取ったとしてもおかしくはない。実際、莉緒の話を聞くまでの皐月や阿弥がそうだったのだ。

「それと、三綴先輩から伝言です。……謝らないから、との事です」
「俺、謝ってほしいなんて言ったっけ?」

 阿弥としては、莉緒の事情は分かったが、それ以上に個人的な感情が強く出ているのだろう。元々我の強い性格である為、謝りづらい、というのもあるだろうが、やはり過去に起きた事と、莉緒が直結するものではない、と言われたところで、納得出来ないのも当然だ。

「正直なところ、私も未だに納得は出来ていません」
「何に対して?」
「貴方の話について、です。確かに、過去に凄惨な事件が起き、莉緒さんも大変な思いをしたかもしれません。ですが、それならそうと最初に言ってくれれば、私達ももっと貴方に親身になって接する事が出来たと思います。なのに、貴方は……」
「……は」

 莉緒の口から乾いた笑みが漏れる。それは、目の前にいる少女を馬鹿にしているようなものではない。

「……何が面白いんですか」
「いや、羨ましいと思ってね」
「羨ましい? こっちがどんな思いで、今まで貴方を見て来たと……!」
「あれを凄惨な事件、で終わらせられる程度の認識しか無い事だよ」

 一瞬、皐月は怒りの表情を見せたが、その次の瞬間に莉緒の口から出た言葉のせいか、その表情はすぐに引っ込んでしまった。

「言葉で収まる程度の認識しかない、ですか?」

 皐月としては、当時の状況をリアルタイムで見た事もあり、まさに適確とした思えないような表現をしたつもりだったのだが……どうやら莉緒にとっては、アレはその程度の言葉では収まらないようだ。

「君は見た事があるかい? 唯一無二の親友が、目の前で串刺しにされる様を。ただ一つの拠り所である家に帰ると、その家はとっくに瓦礫になっており、たった一人の肉親である妹がそれに押しつぶされ、見るも無残な肉塊になっているところを。そして、色んなものを失いながらも、未だ救いを求める人達の為に、昼夜問わず、それこそ心身共にボロボロになりながらも彼らに貢献し続け、かけられた言葉が……罵詈雑言だった事を」
「……」

 皐月は絶句するしかない。悲惨だ、凄惨だと言葉では表現していたが、その実態はもっと酷い。街は人々の阿鼻叫喚が蔓延り、それをたった一人で解決してきた少年には、心無い言葉しかかけられなかった。
 この世の地獄、なんて言えればどれほど良かったか。人によっては、あの地は煉獄に等しかっただろう。莉緒は、その中を生きた一人だ。

「……莉緒さんが、特戦課の責務とか、役目とかをしつこく口にする理由が分かった気がします」
「君らは例えどんな状況になっても街が、国が守ってくれる。けど、俺は守る側であって、守ってくれる人なんて誰もいなかった。だから、その覚悟を以て役目を果たしていたんだ。……君らにはそれが感じられない。だから、キツく言った。そう思ってもらえればいいよ」

 皐月は口を噤んだままだ。何か言おうとしても、自分の言葉がいかに軽いか、それが分かってしまう。莉緒が経験してきたものよりも辛い事がこの世には無いとは言えない。そもそもその尺度は人それぞれだ。莉緒はそれだけの事を体験しておきながら、こうやって人並みに生活できる程度には回復しており、阿弥もまた、父を失いながらも一家を支える大黒柱になりながら気丈に生きている。
 彼らのような経験を皐月はしていないから、という事を莉緒は言っている訳ではない。ただ、その役目を、責務を背負うつもりならば、覚悟を持て、と言っているのだ。その行動一つで、人の命を左右しかねないのだから。

「……」

 そうして、何も口にする事が出来なくなった皐月を一瞥すると、莉緒は黙って部屋を出ていく。彼女が顔を上げた時には、既に莉緒の背後で扉が重い音を立てて閉まっていた……。

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