鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

三十四話 逃げられない、逃げない

『家族の団欒を見て、壊したくなる、か……。狂ってるな』
「冗談。……狂っていた方がマシだったよ。なまじ正気な分、自制が効く分、俺は人一倍自らに枷をする必要がある。こんな目に合うなら、どこか人のいない山奥にでも放置された方が良かったよ」
『お前は儂に、自分の孫をどこぞの野山に放置するような鬼になれと言うか。……いや、鬼はお前か。儂への言動もそうだが、やっている事もまさにそれだ』
「違い無い」

 否定はせず、ただ短く肯定してその場で笑う莉緒。しかし、当の景久は笑えない。その事を笑い飛ばす事など出来ない。莉緒を、孫をそんな風に変えた要因の一つに、遠からず自身も含まれているからだ。
 鬼、鬼と呼ばれているが、体の体組織が変質したわけでは無い。その姿は人と変わらず、と言うが、実際人間と一切の差異は無いだろう。かと言って、昔の戦国武将の名に付く鬼とも違う。強いから、そういう性格だから、という意味で付けられたわけでもない。
 ならば、彼の抱える「鬼」とは何か? それは存在意義、生物として有り様と言った方が良いだろう。
 ある状況に追い込まれ、自身の力ではどうしようも無い事が分かっていた。分かっていたのだが、それでも自分がやるしかない、やらざるを得なかった。そんな中で、莉緒は自分の中の人を殺し、鬼として生きる事で逃げるという選択肢を潰し、最後まで戦い抜いた。
 ……その後は自らが分からなくなり、まるで逃げるようにして各地を転々としていたが、今日の事を省みるに、未だ莉緒の中身は変わっていないらしい。積年の恨みつらみという程では無いが、莉緒にとっては自身の中に刻まれたソレがそう簡単に消えるとは思っていない。むしろ、このまま墓まで持って行くべきだと考えていたくらいだ。
 人から逸脱した以上、人と同じように生きる事は出来ない。その事を裏付けるかのように、今日の出来事で、莉緒はある事実に気付いた。いや、気付いてしまった。

「……地獄に生きる為に、人を捨てた以上、俺が生きられるのは地獄そこしか無いんだよ」

 一年間、たった一年とも言えるが、この時間は非常に長い。だからこそ、それだけの間、戦いの場から離れていれば、多少はまともになる。そう願って、莉緒はこの一年間、各地を転々としながら生活していた。
 中央を離れてすぐの時は燻ぶっていたその感情も、これだけの時間が経てばとっくに燃え尽きているだろう、と楽観視していたのかもしれない。

「今日、魔人もどきと戦闘になった時に思ったんだ。俺には、やっぱりこれしか無い、って」
『それは生きる道と言う意味でか? それとも役目だの何だのという話か?』
「……」
『前者か……。まったく、お前は随分と生きづらい性格をしているな。いや、この場合は人格と言うべきか。まぁ、どちらでもいいわ』

 莉緒の表情とは反対に、景久は軽い調子で言葉を続ける。

『お前さんが自分の人生についてどう悟るのかは自由だが、少なくともこれだけは言っておこう。儂は自分の孫を一端の人間に育てられん程の甲斐性無しになったつもりは無い、と』
「初めて会った時、手土産が無かったら見捨てる気満々だったくせに?」
『孫と名乗る不審者を匿うわけにはいくまいて。それに、あの時はただ取引をしろ、としか言わんかっただろう? そんな相手を警戒するな、という方が無理な話よ』
「それもそうか」

 なっとくする程度には自覚があったのだろう。自嘲地味た笑みを浮かべながら、その場で空を仰ぐ。

『さて、お前さんの居場所に関しては、こちらで掴んではいるが……、どうする? 自分の足で帰るか、それとも迎えに行かせるか』
「別の所を紹介するって選択肢は?」
『んなもんあるわけ無いだろう。お前さんが取引材料に持ってきたアレの代金は、今回の件で満額だ。とっとと家に帰れこの馬鹿もんが』
「家に、ねぇ……」

 はてさて、一体どこに帰れと言うのやら。莉緒が生まれ育った家は、既に地中の奥底、仮住まいにしていた中央本部の寮に関しても、黙って出てきてから一度も帰った事は無い。莉緒の私物等、とうに処分されている事だろう。

『惚けるな。保泉の家に決まっとろうが。今しがた入ってきた話だが、お前が姿を消しててんやわんやの状態だそうだ。仮にも儂から直接頼まれとるんだ、家出をされた、なんぞ口が裂けても言えんだろうに』
「家出扱いって……」
『それだけお前を家族同然に思っているという事だろうが。さっさと帰るべき所に帰れ。でなければ、迷子になってるという事にして、迎えに来させるぞ』
「はぁ……、初めて会った時は、もっと落ち着いた人だと思ってたんだけどなぁ……」

 その性格は、お世辞にも冷静沈着とは程遠い。むしろ、直接会えば豪放磊落といった言葉の方が合う事が分かる。

『辰吉の方には儂から言っておく。気兼ねなく家に帰るがいい』

 嫌な根回しだ。戻れば何を言われるか分かったものじゃない。だが、それでも自分にとって唯一とも言える味方がこう言っているのだ。従わないわけにもいくまい。

「気が滅入るなぁ……」
『ひと夏に苦い体験、って奴だな』
「夏にはまだ一月ほど早いよ……」

 そう、あと一月ほど経つともう夏だ。冬の終わりにこの街にやって来た莉緒だが、もう二つも季節が過ぎようとしている。
 願わくば、この陰鬱とした感情も、梅雨の雨で洗い流してもらいたいところだが、梅雨というのは大概逆に人の感情を暗い方に持って行くものだ。



「連絡は!? まだ繋がらないのか!!」
「も、申し訳ありません……」
「こんな事になるのなら、もっとちゃんと彼と話をしておけば……」

 一方その頃、保泉宅では辰吉が使用人に慌ただしく指示を出していた。使用人達は、辰吉から言われた場所に電話をかけたり、監視カメラの映像のチェックなどを行い、何かを探している様子だ。

「どこに行ったんだ、莉緒君……」

 探しているのは誰であろう、保泉莉緒その人だ。つい小一時間程前に、皐月から連絡があり、現場から莉緒が消えた事を告げられる。家には帰っていない事を伝えると、端末に電源が入っていないのか、電話が繋がらず、また周辺のどこを探しても影も形も無いとの事。
 辰吉には何が何だか分からなかったが、その後に皐月の口から出た言葉で、全てに納得する。
 莉緒は都心特区の特戦課に所属していた。
 一瞬、辰吉の頭にスパイという言葉が過ぎったが、これまでの莉緒の行動を思い出せば思い出す程、その可能性が低い事に気付く。それに、初めて莉緒と会ったその日、自身の父景久の言葉では、彼はこれまで過酷な環境で生きて来た、とのこと。そこから考えられるのは、その過酷な環境、仮に特戦課にいた事だったとして、その頃に何があったのかを知られる事を避ける為に姿を消した、と考えるのがこの場合一番理に適っている。
 何より、保泉家の現当主である景久が直接彼を紹介したのだ。これでスパイだとすれば、どれだけ巨大な組織がバックにいるというのか。おそらく、都心特区の特戦課でも保泉家当主に取り入るのは不可能だろう。

「旦那様、これを!」

 立淵が辰吉に見せているのはとある場所に設置された監視カメラの映像である。その前を通る人影に、ここにいる者全員に見覚えがあった。

「どこだ?」
「大通りの東端、街境一歩手前のコンビニの監視カメラの映像です」
「何故そんなところに……!?」

 記録された時間を見ると、一時間弱は経っている。今からそこに行ったとしても、既にいない事は明らかだ。だが、手掛かりが見つかった以上、そこに向かわなければならない。
 すぐさま皐月に連絡を行う。莉緒がいる可能性のある場所の座標を送り、その場所に直行する旨の返信を受け取る。
 これで一件落着、とはいかない。むしろ、下手をすればここからは情報が錯綜し、更に莉緒の後を追いかけるのが難しくなる。

「……」

 難しい表情を浮かべながら、机の上で組んだ手を額にやっている辰吉。彼がここまで莉緒を必死になって探すのは、景久から直々に頼まれたから、というのもあるが、単純に莉緒の人となりを少しながらも理解し、改めて家族として迎え入れる必要があると考えたからだ。
 辰吉の兄、莉緒の父は昔から自由奔放な人柄だった。真面目一辺倒と言える辰吉とは正反対と言われるまでに。性格に難こそあれ、優秀で、人望を集めていた兄だったが、若くして恋人と駆け落ちしてしまう。それ以降の足取りに関しては、辰吉は詳しくは知らないが、正直なところ、莉緒が兄の子供と言われ、最も驚いていたのが辰吉だ。彼に、兄の面影を感じられる部分はあるものの、纏っている空気や、醸し出す雰囲気は全く違っていた。
 そんな莉緒を、最初は出奔した兄の子だからという理由で、他の親戚がそうであるように、辰吉も彼を警戒していた。が、それは杞憂に終わる。
 今では、叔父として、果ては父親にでもなれれば、という想いはあるが、それが莉緒に届くかは分からない。いや、届いていないからこそ、今回のような事になったのだろう。
 もっと話していれば、などと言ったところで、そもそも向こうに話をする気が無いのだ。悩んだところでどうしようもない。ならば、せめて吉報が届くよう願う他無い。
 そんな辰吉に従順な使用人達は、主の気を少しでも紛らわせようと、お茶を用意したり、直近の情報などを逐一報告し続ける。
 流石の立淵も、この時ばかりは普段と同じようにフォローしようにも上手くいかず、関係各所に手を回す手続きなどの作業に回っていた。
 そんな立淵に、背後から声がかけられる。

「随分と忙しないですね。何かあったんですか?」
「えぇまぁ、ちょっと人探しをしておりまして……。大げさに思うでしょうが、旦那様にとっては、色々と思うところのある方ですので」
「そうですか、大変ですね。頑張って下さい」
「えぇ、そちらも、体に気を付けて……」

 と、そこで立淵は気付いた。自分は誰と話をしているのだ? と。
 振り向いた先には、早朝や夕方によく見かける背中。いや、よくなんてものじゃない。ほぼ毎回その姿を見つければ、思わず苦言が口から出るくらいには立淵の頭を悩ませている人物だ。

「莉緒様!?」

 そうその姿とは、今しがた彼らが全力で捜索中の保泉莉緒その人だった。

「か、帰ってらしたんですか?」
「帰ってきちゃ駄目だったんですか?」
「い、いえ、滅相も無い……」

 疑問に思う莉緒の前で、立淵は思わず狼狽える。まぁ、家出をしたと思った人物がシレっと帰って来ていたら誰でも同じような反応になるだろう。
 結局、莉緒の帰宅が知らされるまで、それから少しばかり時間があったが……、その間、立淵が自身の主にどう説明したものかと悩んだのは言うまでもない。

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