鬼哭迷世のフェルネグラート
二十八話 急襲
「改めて見ると、マジで多いな……」
莉緒が一人で持つのを嫌がり、尚且つごねた為、仕方なく半分を佳樹が持つという形で荷物持ちを確保した莉緒。どことなく、その口元が不敵に歪んでいるのは気のせいでは無いだろう。後に文句を言われる羽目になるのだが、それはまた別の理由だ。
「それで、これからどうするの?」
「どうするったってなぁ……、目的は達したし、半分くらいお前に振り回される事を覚悟してたから、以降の予定は何も無いぞ」
「無計画な男はモテないよ?」
「るっせぇ、お前に言われると他の奴に言われるよりもムカつくんだよ!」
色恋沙汰はおろか、他人にあまり興味を持たない莉緒が言ったところで、説得力は皆無に等しい。
「荷物が多いから映画は駄目だよね? 同じ理由で遊園地も駄目……」
「この時間から行っても、大して楽しめねぇだろ……」
「なら、ゲーセンとか?」
「……お嬢様の口からは絶対聞けないような言葉が飛び出した気がするんだが、気のせいか?」
「おほほほ、淑女たるもの、庶民のエンターテイメントは熟知すべし! それが我が家の家訓ですわ!!」
「ぜってぇお前の趣味だろ……」
「え~……、んじゃ、カラオケとかで良い……。私のアニソンメドレー約五十曲分を食らえ!!」
お嬢様は随分とマニアックな趣味をお持ちのようで。しかしながら、このまま行先が決まらなければ、奈央の判断に委ねるしかない。その出自からは想像できない程アクティブな性格をしている彼女にかかれば、今最も最適な遊びの場所を選ぶことなど朝飯前と言ってもいい。
そんな風に、次の行先を決めている時だった。
――――――
一斉に鳴り始める電子音。それも、一つや二つではない。この場にいる全員の懐からそれが聞こえてくる。
「??」
莉緒がその原因であろう携帯端末を取り出し、その画面を見ながら首を傾げている。が、他の者達はそこまで暢気な反応を見せてはいない。
その場にいる誰もが、一方向へ向かって足早に立ち去っていく。その光景を見て、またもや首を捻る莉緒の手を掴んだのは、少し焦った様子の奏だった。
「保泉君! 早く、逃げるよ!!」
「え? え??」
言われるがまま、引かれるがままに奏の後ろに付いていく莉緒。彼女の少し前には、同じように佳樹と奈央が、普段見せないような真剣な表情で少し駆け足になりながら、人の流れに乗ってどこかへと向かっている。
「え、みんな……どうしたの?」
奏の引きの強さと、焦燥感からか、かなり乱暴に引っ張られているせいで、上手く話せない。だが、質問はそれだけで十分だった。
「ヴィーデだよ」
「え?」
奏が振り返る事すらなく、それでもしっかりと莉緒の耳に届くだけの大きさで答えを返してくる。また、莉緒に気付いた佳樹が上手く歩幅を合わせ、自分よりも頭一つ分小さな友人と並走する。
「さっきのアラーム、ありゃあヴィーデ襲来警報だ。あのアラームが鳴ると同時に、端末の画面上で、どの方向にヴィーデがいるか表示されるんだが、みんなそれとは反対の方角に逃げてるんだよ」
そういえば、莉緒はこの街に来てからというもの、一度もその襲来警報とやらを聞いた事が無かった。
初めてヴィーデに遭遇した時は、蘭や沙羅と一緒に、既にヴィーデがジャマーを張っている領域に踏み込んでいたし、二回目以降の襲来は全て特戦課でその報を受けていた。その為、本格的に襲来警報を聞いたのは、今回が初めて、という事になる。
とはいえ、こうしてみんながみんな一斉に退避行動を取れば、本来逃げられるはずの場所からも逃げられなくなる。少し前まで小走りだった足も、今では通路が詰まり、上手く身動きが出来ない状態に陥っている。それもそのはず、今日は週末、休みだ。家族連れや、友人同士で来ている客も多く、それらが一斉に動き出すとこうなるのは自明の理である。更に魔の悪い事に、誘導係もその数の多さに圧倒され、上手く避難誘導が出来ていない状況だ。
一応、ヴィーデの発生した方角とは逆である為、ここまで来るのにはそれなりに時間がかかるだろうが……、それは初期に発生した個体の話だ。
「うわぁっ!?」
「え、何!?」
「きゃあああああああ!!」
列を成している渋滞の前方から、悲鳴のようなものが聞こえてくる。どうやら、前方にヴィーデが出現したようで、それから逃げるようにして、後ろに、後ろにと人の塊が後退していく。当然、後方にいた者はたまったものじゃない。そして、運が悪い事に、莉緒達がいるのはかなり後ろの方で、更に言えば、莉緒は手すりのすぐ傍、そこから身を乗り出せば、階下が見える場所にいた。
「うぉぉぉぉぉ……」
荷物を上に掲げ、体を後ろに逸らすようにしており、かなり危ない状態だ。このまま押されれば、手すりから身を乗り出し、下に落ちる事は必至だろう。
「保泉君! 捕まって!!」
奏が莉緒に向かって手を伸ばし、また莉緒も奏の手を掴もうとするが……少し遅かった。
前方で変化があったのか、一層後ろに下がる力が強くなり、その勢いを莉緒はまともに受けてしまう。そして……
「保泉!!」
上半身を押された莉緒が……手すりの向こう側へと消えて行った。
「ちょっと、何でアイツがいないのよ!!」
激高する阿弥を横目に見ながら、皐月が目の前に表示されるホログラムの画面に視線を向けていた。そこに表示されているのは、例のエイジとグラスと名乗った少女の詳細情報だ。どのような力を使うのか、どれだけの実力を持っているのか、そして、彼らと相対するならば、誰が適任なのか詳細に記されている。これを記録した人物は相当几帳面である事が伺えるが、身長や体重、果てはスリーサイズなどは不要だろうに。何故か律儀そこまで記入されていた。
「保泉、聞いてる!?」
「聞いてますよ」
そうは言うが、あまり真剣に聞いているとは思えない。おそらく、莉緒の事を指していると分かった時点で、彼女はまともに耳を貸していない。別に、阿弥が激高しているのを相手する事が面倒臭い、といったわけでは無い。単純に、その言葉を聞く必要がもう無いからだろう。
「だったら……!」
「あの人なら、来ませんよ」
「……は?」
「来ませんよ」
「いや、え? どういう事?」
「本人から直接言われました。あの人はもうここには来ないそうです」
「はぁ……?」
もうここには来ない、それは事実だ。本人がそう言ったわけでは無いが、皐月の言葉をそのまま受けとめて、今後はここに足を運ぶ事は無いだろう。それが本人の選んだ道だ、と言ってしまえばそれまでだが。
「何? アンタ達、喧嘩でもしたの?」
「喧嘩……ではありませんが、認識の相違、というものです。あの人と私達とでは、考えている事が違った、とだけ言っておきます」
「何その不仲で解散したミュージシャンみたいな言い訳」
「……その指摘は意外と的を射ている気がします」
解散、という表現はどうかと思うだろうが、実際問題莉緒に不要だと通告され、皐月自身も彼を守るつもりは無いと告げた。どちらが正しいか、なんて当事者の目で見ても分かるはずも無い。本人達から見れば、両方正しいのだから。
「で、何? アイツは喧嘩して来なくなった、って認識でいいの?」
「そういうわけではない、と思いますが……」
「でも実際、来てないじゃない」
ぐうの音も出ない。阿弥の言葉は間違っていない。あれは半ば喧嘩のようなものだ。それも、本来であれば大人な対応が求められる皐月がついムキになって言い返したも同然の。
「はぁ……、別に喧嘩ぐらい好きに……と思ったけど、そう言えばアイツ魔人に恨まれてるんだっけ? 狙われてるわけじゃないから、直接叩きに来る、なんて事は無いだろうけど、楽観視してられる状況じゃない事も確かね」
「ですが、最近は襲撃も無いですし、このままいけば、本当に莉緒さんがここに来る必要も……」
と、皐月がそこまで言いかけたその時だった。
けたたましく鳴り響く警報に、皐月の顔は当然の事、阿弥の表情も非常に渋いものになっている。それが今の彼女の心境と同時に、先程の皐月の言葉に対する返答も兼ねているとすれば、莉緒に関する問題が解決するのはまだ先になりそうだ。
『阿弥さん、いますか!?』
「はいはい、いるわよ。で、どこで出たの?」
館内放送用のスピーカーから流れてくるのは、毎度おなじみと言っても良いオペレーターの一人の声だ。休日を返上してまでここに詰めているとは、なかなかに仕事熱心と言えるだろう。
『モールです!』
「モールって……」
阿弥と皐月が、その短い言葉でとある場所を思い出す。三木ヶ原市は、その街の大きさもあってか、色んな店が点在している。だが、やはり街の本音としては、有名な店がどんどん建っていく事自体は喜ばしい事だが、それがバラバラに乱立するのは避けたいところだ。そこで考案されたのが、街の中央部にある大型ショッピングモールであり、客や知名度の上昇を目的とする店は、皆そのモールに出店する事が恒例となっていた。
おそらく、オペレーターが口にしているモールとはそこの事だろう。店舗の大きさは、そのまま客の多さに直結する。更に言えば、今日は週末、休日を堪能する親子連れや、普段は勉学に勤しんでいる学生などが羽を伸ばす日でもある。そんな日にヴィーデが現れるとなると、混乱は必至だろう。
「オッケー、すぐに向かうわ。他の四人にも伝えといて」
『了解しました』
すぐさま現場に急行する為に準備を行う阿弥だが、その後ろでは皐月が何か言いたげな表情をしていた。
「何? どうかした?」
「……例の作戦ですが、莉緒さんがいない状態でもやるつもりですか?」
例の作戦、とは巌が引っ張り出してきた試作武装を使った魔人討伐作戦だろう。当初は莉緒を囮に、その隙を突くようにして行う予定ではあったが、餌役が来ないのであれば、作戦の実行は不可能。皐月はそのように考えていたようだ。
「作戦はそのままよ。餌が無くても、的は止まってるんだから、うさ耳ならどうにかするでしょ」
例え魔人とはいえ、その姿形は人のソレを的、と言い切る阿弥に、皐月は少し唖然とした表情を浮かべながらも、どこか納得したように笑みを作ると、力強く頷いた。
「承知しました」
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