鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

十一話 道のり


 夕暮れ、というにはまだ早く、それでも日が高い、というには少々太陽が傾いている時間帯。莉緒は一人でノンビリとある場所に向かって歩いていた。
 その場所とは、九十九大第一学舎、その初等部と中等部がある校舎だ。
 小中高一貫、という事もあり、初等部から持ち上がりで中、高まで上がっていく生徒がほとんどなのだが、その初等部中等部と高等部の校舎の場所が離れているのには理由がある。
 初等部、中等部は一般的な義務教育に収まっており、他の学校で学ぶ事と大差無い。進学校という事もあり、少しばかりスパルタ教育なところもあるが、それでも常識の範囲内だ。
 しかしながら、高等部になるとこれがガラッと変わる。
 ベースとしての教育内容はさほど変わらない。しかし、本格的な進学校である事、そして国防に関わる道に進む者を多く輩出している事から、勉学だけではなく、戦闘技術までカリキュラムの中には存在する。当然、国立であるため、それらは全て生徒とその保護者、そして政府の人間に至るまで認知されている。
 中には、初等部中等部の生徒にはまだ教えられない事もある。そういった事情から、高等部の校舎は少し離れた場所にある。
 だからなんだという話ではないが、簡単に言えば、本来高等部に通うくらいの歳の少年が初等部中等部の校舎前まで来ている事、そしてこの学校の制服とは異なる制服を身に纏っているせいで、やけに目立つ事が言える。今の莉緒のように。

「はぁ……」

 こうやって重々しく溜息を吐くのは何度目だろうか? つい先ほど、校門前に立つ守衛に不審者と思われ、声をかけられた事も相まってだろう。迎えを頼まれた事、そして自身の名前が保泉である事から、すぐに疑いは晴れたものの、他の生徒に対してはそうはいかない。
 初等部の生徒ならば、まだ好奇の目で見てくるだけに留まるが、それが中等部となると警戒心を孕んだものになって来る。今更なのだが、莉緒は少しばかり後悔していた。いくら手が足りないからとはいえ、そうホイホイ受けるものではないな、と内心思っているのだろう。
 そこからまた半刻経ち、そろそろ周囲の視線にも慣れて来た頃、ふと携帯端末に視線を落としていた莉緒を呼ぶ声が聞こえた。

「あ、莉緒さん」

 顔を上げると、そこには背中に沙羅を控えさせた蘭の姿があった。どことなく表情が固いのは、迎えに来たのが莉緒だからだろうか?

「おかえり~。……とは言っても、まだ校門出たばっかりだけど」
「そうですよ。あぁ、あと、ここではあまり気安い感じで話さないで下さい。私、これでも一応真面目な優等生で通ってるんで」
「……」

 胸を張る蘭に、訝し気な視線を向ける莉緒。それもそのはず、莉緒が知っている蘭は、学校での凛とした姿ではなく、家でぐーたらと怠けている姿がほとんどだ。彼女達家族が団欒している中に入っていく事は無いが、それでも屋敷の中で鉢合う事はときどきある。そんな時の彼女の姿は、大抵ラフな姿……ジャージだったり、Tシャツにハーフパンツだったりする。そのうえ、歩きながらお菓子を食べているところも度々目撃されているので、蘭の言葉が信用出来ないのも致し方無いだろう。

「ま、いいか。それより、さっさと帰ろうよ。歩きっぱなしだわ、立ちっぱなしだわで疲れてるんだ」
「はいはーい」
「……」

 自分で言っておきながら、蘭は既に家にいる時と何ら変わりの無い反応を見せている。逆に、沙羅の方はというと、蘭の背中に隠れて、ジッと莉緒の事を見つめている。いや、睨んでいるのだろうか? とにかく好意的では無いのは確かだ。
 そもそも、この姉妹に関しては皐月とは違い、あまり積極的に莉緒に関わろうとしない。他の家人がどうにかして莉緒との対話を試みようとする中で、この二人がそれに加担しようとする動きは見られなかった。今のままでも困らないか、もしくは年頃が故に警戒心が強いのか、詳しい理由は分からない。とはいえ、彼女達のスタンスは、莉緒としては非常に都合の良いものであった為、特に干渉もせずにいたのだが……。

「ジー……」
「……」
「ジー…………」

 先ほどから、この様子である。慣れているのかは分からないが、服の裾を引っ張って莉緒にひたすら視線を送る沙羅を、蘭は器用に連れ歩いている。しかし、普段は絡む事の無い相手から、こうしてただ視線だけをもらうというのも、妙な居心地の悪さがある。

「……何?」

 流石にしびれを切らしたのか、莉緒がそう切り出すも、今度は完全に蘭の向こう側に隠れてしまい、目すら見えなくなってしまった。

「気にしないでいいよ。今まであんまり話した事無かったでしょ? だから、ちょっと興味はあるけど、話しかけづらいだけだから」
「ふーん」

 確かに、莉緒としてもこんな状況に陥るとは思っていなかった。それは彼女達二人にしても同じ事だろう。こうして話す事も出来ず、ただ視線を向けてくるだけ、というのも仕方の無い話なのかもしれない。なるほど、皐月の言っていた慣れ、というのは莉緒の事ではなく、彼女らの事だった、という事だ。

「かくいう私も正直どうしたらいいのか分かんない。家出る時は大丈夫、ってお姉ちゃんに言ったけど、実際対面してみるとそう簡単にいかないもんだね。どう話題を振ればいいのか分かんないよ」
「別に良いんじゃない。無理に喋らなくても」
「いやいやいや、それはちょっとマズいって。莉緒さんが無口なのは知ってるけど、だからってこのまま一時間近く無言で歩くのは私達的にも外面的にもキツイよ」
「俺が無口なのかどうかは置いておいて、別に気にする必要は無いと思うよ。今どき、夫婦ですら会話が無い家もあるんだし、他人同士が会話しない、なんて珍しくも無いでしょ」
「……他人、ね。こりゃお姉ちゃんの言う通りだわ」
「ん? 何?」
「別に。思ってた以上だな、って思っただけ」
「??」

 理解出来ない、とでも言いたげな莉緒を背に、蘭は沙羅を連れてどんどん先に行く。仕方なく、彼女の後を付いて行く莉緒。
 少しばかり歩いたところで、とある事に気付く。

「……あれ? こっちじゃないよ?」
「いいのいいの」

 道が違う。
 そもそも保泉の屋敷から九十九第一学舎まで歩きだとゆうに一時間以上はかかる。そんな道のりを通学させるわけにはいかないので、普段は通学に車の送迎が入るのだが、今通っている道は普段彼女達が通っている道ではない。事前に道を知らされている莉緒としては、あまり横道に逸れる事を良しとはしないのだが、それを知ってか知らずか、蘭は何一つ躊躇いも見せずに、その道を進んでいく。

「この道はさ、私がまだ初等部の生徒だった頃にお姉ちゃんとよく通った道なんだよ。実はちょっとした近道だったりするから、いつも通ってる道に沿って歩くよりも、こっちの方が早いんだよ」
「……そう?」

 入り組んだ道の先を見つめながら、莉緒は首を横に傾げている。得てして近道とはそういうものだと言われれば、納得してしまいそうではあるが、少し薄暗い狭い路地をまだ年端もいかない少女二人を連れて歩くのは若干気が引けるようだ。

「沙羅はこういうとこ来た事無かったっけ?」
「うん……」

 小さく頷く沙羅。彼女もまた、家では少しませた様子を見せる今どきの歳相応の少女ではあるが、流石にこういう経験は初めてなのだろう。普段よりも頷く勢いも、声の大きさも心許ない。姉が付いているとはいえ、流石に怖いのだろうか。

「……まぁ、いいか。いざとなれば逃げればいいし」

 何から逃げるのか、はこの際口にするまでも無いだろう。幼い少女二人に、傍らに控えるのは頼れるとは到底言い難い少年の姿。となると、この場で最も現れる可能性が高いのは変質者か、人さらいか。
 特に、蘭と沙羅は資産家である保泉家の娘だ。一たび手中に収めれば、莫大な額の金が入って来る可能性もある。となれば、不届きな輩だけではなく、単に懐具合に困っている人間であれば誰でも彼女達の身に手を伸ばすであろう。
 そう考えると、やはりこんな小さな路地に入る事を許したのは失敗だったかもしれない。口に出す事は無いが、莉緒の表情はそう物語っている。

「莉緒さ~ん、何してんの? 早く」
「ん? あぁうん、すぐ行く」

 その場で考え込んでいた莉緒を呼ぶ蘭。未だ沙羅は彼女のそばを離れる事は無いが、それでも多少警戒心は薄れてきているような気がした。
 しかし、後に彼女達は後悔する事になる。
 例え慣れた道だとしても、危険というのはどこにでも潜んでいるものだと。

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