鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

十話 珍事


 ヴィーデが街の中心部に突如発生し、人命に犠牲は無かったが、多大な被害を被った次の日。莉緒がいつも通りに準備を終え、未だ使用人も揃っていない、そんなひっそりとした時間帯。特に抜き足差し足などはしていないが、音も立てずに普段と同じく裏口が出ようとすると、その背中に声がかかった。

「莉緒さん」

 呼び声がかかり、振り向こうとする前に一度肩を落として溜息を吐く莉緒。あからさまなその様子に、声をかけた本人の表情もあまり良いものではない。

「……何か用?」

 振り向いた先にいた皐月に向かって、さぞ不機嫌な表情を浮かべていると思いきや、その顔は予想に反して無表情だった。……とはいえ、それが今に始まった事では無いという事を、対面している皐月もよく分かっている。

「今日の帰りなんですが、申し訳ないんですけど、蘭と沙羅の二人を迎えに行ってあげてくれないでしょうか?」
「ん? 俺が迎えに行くの? いつもの送迎は?」
「行きはいつも通り立淵たてぶちさんが送ってくれるんですけど、今日は父の仕事の都合で傍にいないといけないそうなので……」
「君がいるじゃない」
「私は今日は特戦課の方がありますので……」
「……」

 ジッと、莉緒の目は皐月を見つめている。いや、睨んでいると言った方がいいだろうか。感情を一切見せる事の無いその視線に、皐月は思わず狼狽えるが、それを表に見せないのは、父の仕事に付き合って身に着けた腹芸のおかげか。なんにせよ、莉緒の目の前で狼狽した様子を見せなかったのは僥倖と言うべきか。

「……分かった。いつ頃迎えに行けばいいの?」
「放課後……十六時辺りでしょうか? その頃まで待っておくように二人には伝えておきます」
「ん。じゃ、その時間に」
「あ、ちょっと」
「……何?」
「どうせなら、一緒に出てはどうです? あの二人とのロクに話した事は無いでしょうし、これもいい機会だと……」
「必要無いよ」
「ですが……」
「話す必要なんて無い。別に口を縫い付けられて話せないようにされてるわけじゃ無いんだ。必要に応じて会話くらいするさ。けど、それは今じゃない」
「……」

 完全に莉緒の持論だろうに。しかし、その有無を言わせぬ説得力に、皐月はただ黙るしかなかった。

「……分かりました。では、お願いします」
「うん。……あぁ、そうそう。言い忘れてたけど……頑張ってね」
「え?」

 鳩が豆鉄砲でも食らったような表情を浮かべた皐月が、急いで振り向くも既にそこに莉緒の姿は無かった。
 単なる社交辞令、と言われればそれまでだが、今までそれすら無かった莉緒が口にしたその言葉に、皐月は小さく笑みを浮かべた。
 その言葉が、労いであるとは限らないとも知らずに。



「そういや莉緒、昨日のアレ聞いたか?」
「ん~……あれって~……?」

 昼休みまではまだ時間がある。しかし、既にその時点で頭から白い煙を出している莉緒にとっては、あと何時間あるといった話は関係無い。そんな感じでショートしている莉緒の下へとやって来たのは、先の時間で教師に指名されながらも完璧に返答して見せた佳樹だ。

「知らねぇのか? 商店街の方で出たヴィーデの話。アレ、特戦課が事前に察知出来なかったらしいぜ」
「へ~……」
「何だよ、随分と気の抜けた返事だな。興味無いのか?」
「人間だからね~、ミスの一つや二つくらいあるでしょ」
「これが単なるミスじゃ無ければいいんだけどな。どうも違うらしい」
「ん~?」

 佳樹が何やら辺りを見回す。幸いにも、二人に視線を向けている者はいないが、それでも万が一を考えてか、莉緒を廊下へと引き摺り出し、端へと連れていく。

「な~ん~だ~よ~」
「いいから聞けって」

 周りに一切漏れないように配慮して、佳樹の声は非常に小さい。その代わり、二人の距離が非常に近いせいで、他の生徒から変な誤解を受けそうだ。

「さっきの話な、どうやらヴィーデの自然発生じゃないらしい」
「と、言うと?」
「周辺の監視カメラ映像が残ってたらしいんだけど、その中にヴィーデを操る人の影が映ってたって話なんだよ」
「……」

 一瞬、一瞬だが、人の影と聞いた瞬間、莉緒の表情が変わる。いや、無くなった。しかし、次の瞬間にはいつも通りの顔に戻り、佳樹の腕を鬱陶しそうに払いのけようとする。

「っておい、お前気にならねぇのか?」
「別に~。何かあっても特戦課がどうにかしてくれるでしょ。俺らがいちいち気にするような事じゃないよ」
「でもな、もしかしたらヴィーデが自然発生じゃなくて人為的な現象だって確かな証拠かもしれないんだぜ? だったら……」
「だったら……何?」

 莉緒に視線を向けられた瞬間、佳樹が固まる。言葉が出てこない様子だ。莉緒の視線を正面から受けている。ただそれだけの話にも拘わらず、だ。
 佳樹も薄々気付いていた事なのだが、莉緒はヴィーデ関連の話にはあまり乗ってこない。最初はあまり詳しくは知らないからだと思っていたが、こうして強引に切ろうとする辺り、どうやらそういうわけでは無いらしい。

「……いや、何でもない」

 流石の佳樹も、莉緒の圧力に屈してこれ以上の追究は打ち切る。すると、さっきまでの威容な圧力は鳴りを潜め、普段の莉緒へと戻る。その変わりように、一瞬佳樹は言い知れ様の無い恐怖を感じたが、教室へと向かう莉緒の背中がいつも通りなのを確認し、気のせいだったと思い込んだ。

「お~や~? 二人で一体ナニしてたのかな~?」

 教室に戻るや否や、絡んできた奈央に対し、佳樹は鬱陶しそうな表情を浮かべる。

「別に、何でもねぇよ」
「え~、ホントに~? なんか、すみっこでごそごそやってたからさ、こいつら人前にも関わらず……って思ってたけど、ホントに何も無い?」
「あるわけねぇだろ!!」
「なんだ、残念」

 いつもと変わらない様子の奈央に対し、佳樹もまた普段と同じツッコミを入れている。少しばかりヒートアップしてきたところに、奏が仲裁に入っていく。それでも収まらない状況ではあったが、そんな彼らの様子を、莉緒は少し離れた場所で小さく笑みを浮かべながら眺めていた。

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