鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

一話 莉緒


 燦々と輝く日光のおかげか、少し汗ばむ季節になった五月の初頭。
 そんな日差しを避けるようにして、コンクリートに身を預け、ちょうど影になった場所でうつらうつらと船をこいでいる少年が一人いた。

 いや、正確には二人、か。

 おそらくは今来たばかりなのだろう、呆れているような疲れているような表情を浮かべたその少年は、持っていた厚めの冊子を筒のように丸め、振りかぶる。そして……
 パン、と小気味の良い音が響き渡った。

「……」

 しかし、叩かれた本人からの反応は薄い。首が勢いよく下がり、ゆっくりと持ち上げられたところを見るに、どうやら起床自体には成功したみたいだが、自分の前に立つ少年を見たと思いきや、再び目を瞑る。

「おい、寝るな」
「……んあ?」

 頭の次はローキックが少年を襲う。流石にそれを無視して再び眠りにつく事は出来なかったのか、胡乱な目で目の前で腕を組んだ眼鏡の少年を見上げている。

「ん……? あ~……、おはよう?」
「おはよう、じゃねぇ!! 今何時だと思ってんだ!?」
「え~……」

 壁掛け時計……なんて物はここにはない。教室ならあったかもしれないが、ここは屋外、学校の屋上だ。辺りを見回したところで、時間が分かる物などあるはずも無い。

「あぁ、くそ……。四時だ! 十六時!! とっくに授業は終わってる!!」
「あ~……」

 どうやら寝過ごしていたらしい。それも、午後の授業を完全にぶっちぎった状態で。しかしながら、目の前の少年が何故そこまで怒っているのかが分からず、首を傾げる。何と言うか、その様子だけ見れば、糸の切れた人形のようにも見えない事は無い。

「……お前なぁ、委員長が探してたし、何より今のところお前と一番付き合いの長いのは俺くらいしかいないんだよ。分かってんのか、莉緒?」

 呆れたような声を絞り出し、未だ眠気が完全に飛んでいない少年――保泉ほづみ莉緒りおに向かってそう問いかけるも、返答は無い。普段からよく寝ぼけ眼を擦っている彼だが、今日は寝落ちをしてしまう程だったらしい。幾分かの間を置いて、ようやく莉緒の口が開いた。

「……学校、終わってない?」
「だから、そう、言ってんだろ!!」

 スパン、とこれまた小気味の良い音が鳴った。



「いたぁい……」

 叩かれた頭を押さえながら、莉緒とその少し前を歩く少年――逸原いつはら佳樹よしきは、夕暮れ時の校舎内を自分達の教室目指して歩いていた。
 すれ違う生徒は既にほとんどおらず、各々が帰宅ないしは部活動へと向かった後なのだろう、妙な静寂が支配する廊下に、二人分の足音が響き渡る。

「きっちりと授業に出てればこんな事にはならなかったんだ」
「睡眠は三大欲求の一つだよ? 本来抗うべきではない正当な生理現象なんだよ?」
「なら勉学は学生の本分であり義務だ。欲に抗いがたいって言うなら、まずは義務を果たせ。その後なら寝ても誰も文句は言わねぇよ」
「こないだ小テスト受けたじゃん」
「あれを勉強と言い張るのかお前は!? しかも、結果がかなり散々だった人間の口から出たとは思えないセリフだな、おい」
「学ぶんじゃない、感じ取るんだ、って教えられたからねぇ」
「学ぶという前提が出来てない人間がよく言う……」
「それほどでも」
「今のを褒めたと認識するなら、少し教育が必要だな」
「体罰は今どき流行らないと思いまーす」
「こいつ……」

 午後の授業をすっぽかしただけではなく、そもそもの成績が芳しくないにも拘らず、莉緒は非常に楽天的だ。一応、素行不良とまではいかないものの、その割と自由な振る舞いには、彼の成績に頭を痛めている担任だけではなく、毎度毎度振り回される佳樹も同じ事だった。

「とにかく、だ。委員長が泣きそうな顔で探してたから、一応謝っとけ。屋上で寝落ちしてた、ってな」
「委員長が? 暇なのかな」
「誰のせいだ!!」

 一方は額に青筋を浮かべながら、もう一方はそれをどこ吹く風と流しながら、その足は本来であればとうに後にしていた場所へと向かう。
 この街、三木ヶ原市にある学校、「能代原学園」は、昨今の教育機関では珍しいひと昔前の様相を残す私立の高校だ。とはいえ、進学校と呼べる程偏差値が高いわけでは無く、また同学区内にもう一つ国立の名門学校があるおかげで、この学校に在籍する学生はそこまで多くは無い。
 しかしながら、味のある、昔ながらの校舎や、部活動など、それなりに文化という点では負けず劣らずの魅力を持つ学校な為か、遠方からわざわざ通ってくる生徒も少なからずは存在する。在籍する生徒としては、今どきエスカレーターもエレベーターも無い学校なんて、などといった声も聞こえはするが、そこは理事長による方針の一環との事で言い聞かせているという。
 そんな現在では珍しい廊下を進み、ようやくたどり着いたのはとある教室。飾り気の無い表札には、「2-B」と書かれている。引き戸を開き中に入ると、そこにはガランとした空気の中、二人の少女が夕暮れに照らされている中、窓の外をジッと見つめていた。
 一人は少し赤茶けた髪を肩口で切りそろえた少女で、どこにでもいそうな今どきといった感じの雰囲気があった。だが、莉緒はそんな彼女が普段浮かべている表情の六割が困惑した顔である事を知っている。
 そしてもう一人、先の少女の対面に座っているのが見事な黒髪を腰まで伸ばした、いかにも大和撫子といった風貌の少女だ。今のように憂いを帯びた表情を浮かべているだけで、場面が映える、というものなのだが……

「んお? 随分と遅い帰宅だねぇ。もしかして、C辺りまでいっちゃった?」

 ……これである。ご丁寧に、片手で円を作り、その中で指を抜きさすようなジェスチャーをしている辺り、分かってやっているのだろう。更に言えば、それを特に人の神経を逆なでするような顔でするのではなく、ただ無表情で、というのがまた強烈な個性となっている。

「や、八重代さん……!」

 対するこちらの少女は、目の前でひたすらピストン運動を繰り返している少女――八重代やえしろ奈央なおの手を止めようと手を伸ばすが、あえなく撃沈……いや、巻き込まれていた。

「思った通り、屋上でぐっすりだった。外で授業してるクラスもあるだろうに……なんであそこまで寝れるんだか」
「あはは……。あ、でも、寝る子は育つって言うから」
「だとよ、良かったじゃねぇか。お前、まだまだ成長するんだと」
「目指せ、二メートル、ってね」
「そいつは流石に無理だろ」
「ふふん、逸原よりも大きくなって、あの時もっと拝んどけばよかったなんて思っても遅いんだからな」
「何を言ってるのやら……。んで、委員長、コイツに用があったんじゃねぇのか?」
「え、あ、そうだ! 保泉君、先生がこれを……って、そんな嫌そうな顔しないでくれると嬉しいんだけどな」
「うえぇ……」

 そこそこの厚みがある紙の束を委員長と呼ばれた少女――押野おしのかなでから言い様の無い表情を浮かべながら受け取る莉緒。これが全て小言の書かれた作文であればどれほど楽だっただろうか。無情にも、この紙束は他の生徒よりも勉学の度合いが遅れている莉緒を思いやって用意された課題の数々だ。数だけ見れば一日二日で出来るものではないが、長い目で見て、将来的には出来ればいい、と判断した教師の英断であると言えよう。

「わ、私も手伝うからさ、ゆっくりでいいからやっていこ?」
「うぐぅ……、それとなく逃げ道潰された気分」
「はっはっは! 委員長の善意を無碍には出来んよなぁ? せいぜい頑張るこった」
「ええい、南無三!!」
「うお!? おい! 服を引っ張るな!!」
「こうなったら逸原にも付き合ってもらうよ! 死なばもろともだ!!」
「るせぇ! 俺はんな事しなくても学年上位だからいいんだよ!! そもそも、それはお前を対象としたもんだから、俺らがやっても大して得は……」
「ま、まぁまぁ逸原君。保泉君もこうやって頼んでるんだし、付き合ってあげても……」
「頼む!? これが!? 地獄に引きずりこもうとする亡者みたいになってるじゃねぇか!!」

 逃がさない、とでも言いたげにホールドする莉緒に、それを剥がそうとする佳樹。体格の差からか、その勝負はすぐに決着が着くと思われたが、意外にも延長戦にもつれ込んでいた。

「ほら、やっぱりデキてる」
「ざっけんな!!」

 喧噪とは程遠い教室内に、抗議の声が響き渡った。



「……さて、そちらの様子はどうですか?」

 莉緒がまだ学校内で乳繰り合っている時、別の場所ではビルの上から地上を見下ろす一つの影がゆっくりと立ち上がっていた。

『異常は無し、だ。こりゃ逃げられたかもなぁ』

 耳にはめられた小さなインカムから聞こえてくるのは、聞く人全てが軽そう、と表現しそうな少しチャラついた雰囲気を持つ声だ。それを聞き、ビルの屋上から見下ろしていた人影、少女が右手に持った円形の武器・・を強く握る。

『こっちも駄目。やっぱり撒かれたっぽい。ここは一度集合して、立て直してから……』
『見つけたっ!!』

 どこか苛ついた様子を窺わせる声が招集をかけようとしたその時、はつらつとした声が割り込む。その想定外のボリュームに、思わず少女は眉を顰めた。

『~~~! るっさいわね!! 報告はもっと落ち着いてやれって、何回言ったら分かんのよ!!』
『見つけたよ!!』
『聞いちゃいないわね……』

 インカムの向こうで溜息を吐く声が聞こえる。しかし、少女はそのはつらつとした声を聞き、逆に口の端を綻ばせる。

「ねぇ、今どこにいるの?」
『Cの十二!! あ、違った、十三かも!』
「分かったわ、すぐにそっちに合流するから、これ以上逃げ回られないように誘導してくれる?」
『まっかせて!!』
『……元気だねぇ。おじさんにはちっとキツイよ』
『まだ二十かそこらでしょ。んな事言ってないで、さっさと合流しなさい! アタシ達もすぐに行くから』
『へいへい。まったく、ウチのリーダーの人使いの荒い事で』
『あぁん!?』

 いやにドスの利いた声から逃げるようにして、男の声はフェードアウトしていく。それからすぐにもう一人の声も聞こえなくなった事から、先程伝えられたポイントに向かっている事が分かる。

「それじゃあ、私も……」

 誰に告げるでもなく、そう呟いた少女は、地上数十メートルはあろうかというビルの屋上から……飛び降りた。しかし、その姿は地上には無く、既にその場から消えていたのだった。

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