異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-

万怒 羅豪羅

第106話/Pupil

第106話/Pupil


「……ウチらの親のことは、覚えてる?」

「ああ。父さんも母さんも、まじめな人だったよな。父さんは、警察官でもあった」

「うん。二人ともまじめで、曲がったことが大嫌い。少しでも間違ってることは、見逃せない性格だった。それでうまくいってるところもあったけど、大半のことは、そりが合わなかった」

「ああ……」

それは当時から不思議に思っていた。あの人たちがよく結婚し、二人も子どもを作ったもんだと、子どもながらに首をひねったもんだ。

「結局、持たなかったけどね。離婚してからは、ウチはお母さんに、お兄はお父さんに引き取られた。それが、お兄が卒業するころだったよね」

「そう、だったな。正直、だろうなって納得している自分がいたのを覚えてるよ。いつかこの日が来るだろうとは思ってたから、ショックではなかった。けど、気がかりだったのは、黒蜜のことだったよ」

「うん……ウチも、母さんたちのことはどうでもよかった。お兄と一緒に暮らせなくなる、それだけが何よりも辛かったの」

「はは……黒蜜は昔から外面はいいくせに、俺にべったりだったよな。外弁慶というのか……」

「……ウチはずっと、お兄が世界のだれよりも大切なだけ。それは昔も、今も少しも変わらない」

そう言い放つ黒蜜の目は、熱っぽく焦がれていた。この目は、知っている。さっきのルゥの瞳とそっくりだ。けど、まさか。黒蜜……?

「ウチがこんなだから、母さんとの仲はすっかり冷え切ってた。ウチにとっての生きがいは、月に数回会えるお兄との時間だけ」

「そんな。だって」

「ほんとうなの。だから、お兄が居なくなったことに、ウチは耐えられなかった……!」

黒蜜は、ふっと視線を海のほうへとむけた。

「ウチが死んだときも、こんな風に穏やかな海だったな。お兄が撃たれた港と同じ場所だった……」

俺はぞっとして、思わず黒蜜の足首をつかんだ。

「……だいじょぶだよ。あの時は、ウチもちょっと参ってたから。一度死んで、ある程度は整理もできたつもり……ばかは死んでも治らないっていうけどね」

にひひ、と黒蜜は笑う。じょ、冗談になってないぞ。

「けど転生して、神様にあって、真っ先に願ったのはお兄のことだった。そこは変わらなかったみたい」

「……けど、ならどうして俺の記憶を消したんだ?」

「うん……ウチのことまで忘れられちゃったのは、完全に想定外。ウチは本当は、高校から先のこと……あの二人に関わることだけ、忘れてほしかったのに」

あの二人……苅葉と、手綱のことか。

「黒蜜……俺は別に、あいつらのことを恨んでなんて」

「わかってる!……ウチが勝手に、そう思ってるだけ。けど、だって……!」

黒蜜は、ぎゅっとこぶしを握った。

「言えないじゃん!ただでさえ“間違った”気持ちなのに、あんなことがあって……記憶でも消さない限り、言えるわけないじゃない……」

黒蜜の声が、風にかき消されていく。いつの間にか、冷たい風が港に吹き付けていた……



「……これが、ことの顛末。いや、原因かな。ぜーんぶ、ウチのせい」

空はいつの間にか暗くなりはじめ、夜の始まりを告げる群青が、西の空から押し寄せつつあった。俺は防波堤に寄りかかり、黒蜜は俺から数歩分はなれたところで、壁に腰かけていた。

「ウチは、臆病者の、卑怯者なの。結局ウチは、肝心な時にお兄の隣にいれなかった。前の世界だって、お兄のそばにいたのは苅葉センパイ。そしてこっちに来てからは、あのヤクザたち……それに比べて、ウチは都合の悪いとこだけ消し去って、お兄を独占しようとしただけだ……」

風が黒蜜の髪を乱すせいで、その表情は読み取れない。俺は黒蜜にたずねた。

「なぁ、黒蜜。その、黒蜜の思ってる気持ちって……」

黒蜜はこちらを向いて、きょとんとした顔をした。

「……珍しい。お兄がウチの気持ちを気にしたことなんて、一度もなかったのに」

「う……悪かったよ、朴念仁で」

「あはは。きっと……お兄の思ってる通りだよ」

微妙にあいまいな言い方だ。俺の返答次第では、言い逃れができるようになっている。

「そうか……なら、質問を変えよう。黒蜜は、これからどうしたい?」

「え?」

慌てたような、戸惑ったような声を出す黒蜜。

「俺をこの世界に呼ぶ望みは叶った。なら、次は?俺を呼んで、どうしたかったんだ?」

「それは……」

黒蜜はうつむいて、もじもじと指を合わせた。……ずいぶん顔が赤いな。いったい何を考えているんだ?

「そんなの……」

それから数分経ったころ、黒蜜がぼそりと呟いた。あんまり小さな声だったから、危うく聞きもらすところだった。

「そんなの、分かんないよ……いじわる」

「……そっか」

きっと、わからないわけではないだろう。ただ、胸につかえた気持ちが、うまく言葉にできないだけで。

「わからないなら、これから探していけばいいんじゃないか。俺も付き合うから」

「……ウチ、めんどくさいよ」

「それくらい、どうってことないさ。俺は……お兄ちゃん、だからな」

なんすか、それ。黒蜜は呆れたように笑った。
俺は壁から背中を離すと、黒蜜に向き直る。

「俺たちはきっと、離れすぎていただけなんだよ。今は黒蜜のおかげで、せっかく同じ時間を生きているんだ……これからは、もっと一緒にいよう」

俺は手を差し出す。黒蜜は、迷っているようだった。出しかけた手を、逡巡するようにピタと止める……しかし、その迷いも長くはなかった。

「……よろしく、おねがいします」

おずおずと差し出された手を、俺はぎゅっと握った。

「おう」

繋いだ手はとても熱くて、少し汗ばんでいた。



「あ、ユキくん!おかえりなさい」

事務所の扉を開くと、スーがにこりと出迎えてくれた。

「黒蜜ちゃんとは会えたの?」

「ああ。センパイからお兄になったよ」

「?」

頭にハテナを浮かべるスーをぽんぽん撫でると、スーは嬉しそうに目を細めた。なんだかそれが犬みたいで、ついわしゃわしゃといじってしまった。

「うわぁあ〜、なにするのぉ〜」

「あっははは」

「もぉ〜……」

スーはぷいっと俺から離れると、スイスイと乱れた髪を戻している。すると、事務所の外、窓の下から賑やかな声が聞こえてきた。

「ほらっ!もう離しなさいったら」

「えー。もっと遊んでよー!」

「ほーら。姐さんを困らせないの」

不思議に思って窓をカラカラと開けると、事務所の前に子どもたちが集まっていた。全員、頭に獣の耳が生えている。そしてその中心には、もみくちゃになりながらも楽しそうに笑うアプリコットの姿があった。

「おーい!アプリコット!」

俺が呼びかけると、彼女もこちらに気付いたようだ。

「ユキ!ちょうどよかった、アンタからも言ってやってよ!」

「え?」

「あっ!ユキのアニキ!」

あ、アニキ?俺をそう呼んだのは、ボサボサの髪に犬耳の少年……マフィアのアジトで出会った、ソーダだった。

「ソーダ!パコロには慣れたか?」

「少しずつッス。今日、アプリコットの姐御に下宿先を紹介してもらったんスよ!アニキにも馴染みの店みたいッスから、今度来てくださいね!」

「……なあ、そのアニキとかアネゴとかっていうのは」

「へ?アニキと、姐御のことッスけど」

「……もぉ、ソーダ。だから言ったじゃない、そんなのやめなよって」

ソーダの横でやれやれと首を振っているのは、白い羽根を所々に生やした少女、ホックだ。

「ユキ兄さん、ごめんなさい。ソーダがこの呼び方がいいって聞かなくて」

「なんだよホック、べつにいいだろ。こっちのほうがかっこいいんだから」

「……らしくって」

「はは……」

そのうち、舎弟にしてくれなんて言いださないだろうな……冷や汗をかく俺の横に、スーもやってきた。

「わあ、みんな勢揃いだね。よかった、元気そうで」

「ああ。そうだな」

あのアジトで別れてから、ソーダら子どもたちは無事にパコロへたどり着いたのだ。かなりの苦労もあったそうだが(その事は小一時間ほど語られた。子どもたちの茶々ばかり入るから、実に難解な聞き取りだった)、誰一人欠けることがなくて本当に良かった。

「それで、アプリコットはどうしてそんなにモテてるんだ?」

「もう!茶化さないでよっ!」

アプリコットの腰には、じゃれる子どもたちがスカートのように広がっていた。

「おねーちゃん、まだいいでしょ?もっとあそぼーよ」

「だ・め・よ!もう日が落ちるでしょ。暗くなったら危ないの」

「え~。へーきだよ、わたしたちもっと暗いとこにいたもん」

ああ……この子たちは、ずっと地下で暮らしてきたんだもんな。暗いところなんて、慣れっこなんだ。アプリコットも言い返せないのか、ぐっと言葉に詰まっている。

「こら、あんたたち!姐さんの言うことを聞きなさい」

その時、ホックがパンパンと手を叩いた。

「姐さんはとっても忙しいの。おとなしく帰るわよ」

「えー。やだ!」

子どもたちはぶーぶーと口を尖らす。その中でも生意気そうな顔をした馬耳の男の子が、ふてくされた様子で文句を言った。

「だって、戻るのってルゥ姉ちゃんのとこでしょ?あそこ、つまんない!」

「つまんないって、あのね……」

「ルゥ姉ちゃん、話すこといっつも『ユキさん、ユキさん』ってそればっかりなんだもん。だからつまんない!」

ずるっ。窓べりに置いた手がすべって、俺は窓から転げ落ちそうになった。ルゥのやつ、いったい何話してるんだ……

「……よかったね、ユキくん」

冷ややかな視線のスーが、わきをコンコンつつく。か、かんべんしてくれ。

「こら!あんたたち、ルゥさんに失礼でしょ!」

ホックが腰に手を当てて叱りつける。その横で、ソーダもウンウンとうなずいていた。

「そうだぞ、お前たち。ユキのアニキはとってもすごい人なんだ。ルゥ姉さんが惚れるのもわかるくらい……」

「ソーダ、話がややこしくなるから黙ってて」

「はい……」

ピシャリと跳ね除けられ、ソーダはしゅんと引き下がった。

「あんたたち、いーい?ルゥさんが店主さんにいろいろ口利いてくれたから、わたしたちはご飯を食べられて、寝る場所を確保できているの。そんな人の文句なんか言ったら、口が曲がるわよ」

「えー」

「えーじゃない。それに、ここは今までいたアジトとはわけが違うわ。あそこは暗くても安全だったけど、この町には危険がいっぱいなの。暗がりのなかに……何が潜んでるか分からないのよ?」

ホックのおどろおどろしい口調に、子どもたちはさーっと青ざめた。

「お、おねえちゃん。な、な、何がいるの……?」

「さあね。けど、油断してると……あんたの後ろに!」

ぎゃー!子どもたちは蜘蛛の子を散らすように駆けだした。その反応は予想してなかったのか、ホックも目を丸くして後を追う。

「あ、こら!危ないから走りまわらないの!」

「お、おい。ホック……」

ぽつんと残されたソーダは、ぽりぽりと頬をかいた。

「姐御、すんません。ホックのやつ、相変わらずで……」

ソーダが頭を下げる。だが、アプリコットはその頭をぽんぽんと撫でた。

「よかったわね。あの子、元気そうじゃない」

「姐さん……はい!」

「ちゃんと守ってあげんのよ。あの子は、アンタが頼りなんだから」

「もちろんっす、姐さん!それじゃ、失礼します!」

ソーダはニカッと笑うと、ホックの後を追いかけていった。あれから、ホックのことは気にかけていた。なにせ、心の傷は目に見えないからな。だけどソーダが隣にいるなら、きっと大丈夫だと思えた。

「ふぅ……やっと行ってくれたわ」

アプリコットが疲れたように首を回す。

「はは、おつかれ。きみは戻ってろよ。俺はあいつらを送ってくるから」

「ん?ううん、その必要はないわ」

え?でも、もうだいぶ薄暗くなってきた。子どもたちだけで歩かせるのは……だがアプリコットは、ほらとあるところを指さした。

「あそこ。お迎えが来てるわ」

お迎え?アプリコットの指の先には、数人の大人が子どもたちを出迎えていた。彼らも獣人だ。

「ほら、覚えて無い?マフィアのアジトで、見逃してあげた連中がいたじゃない」

あ!そういえば、ソーダたち以外にも、獣人の男たちがいたな。そうか、彼らも無事にたどり着いたんだな。

「ふふ、不思議よね。ソーダたちのほうが、到着はよっぽど早かったの。大人よりフットワークが軽いってことなのかしら」

男たちは俺たちに気付くと、ぺこりと一礼だけして、子どもたちといっしょに帰っていった。彼らも同郷(かどうかは分からないが、似たようなものじゃないか?)のよしみとして、仲良くやっているらしい。

「そうか……よかったな、アプリコット。いい感じに回ってそうじゃないか」

「うん……そうね」

あれ?アプリコットの声は、セリフに反して沈んでいた。なにかあったのだろうか。

「アプリコット?」

「……とりあえず、あたしも上がるわ。話はそれからにしましょ」

アプリコットはそれだけ言い残すと、ふいっと建物の中に消えてしまった。

「あ、おい……」

「……アプリコットちゃん、どうしたんだろ?」

スーが不思議そうに首をかしげる。

「さてな……まあ、後で話してくれるだろ」

「そだね。あ、そろそろご飯の支度しないと!ごめんねユキくん、またあとで」

そう言って、スーは慌ただしくパタパタと駆けていった。そういえば、スーが今晩は張り切るつもりだと言ってたっけ。こっちに戻ってきてからもろもろの片付けが終わり、やっとひと段落付けそうだから、そのお祝いだそうだ。
ちょうどスーと入れ替わるタイミングで、事務所の扉がガチャリと開き、アプリコットが帰ってきた。俺がおかえりと声をかけると、アプリコットは短く、「ん」と答える。その時、後ろにもう一人続いていることに気付いた。さらりと長い、あの銀髪は……

「やあ、ステリア。きみもいっしょだったのか」

「うん。下であった」

アプリコットの後ろには、いつもの作業着姿のステリアが立っていた。

「どうしたんだ?キリーに用事か?」

「ううん。お呼ばれ。晩御飯、いっしょにいかがって」

「あたしが誘ったのよ。この娘も功労者だしね」

それはそうだ。ステリアがいなかったら、今ごろ俺たちは首都の藻屑と化しているだろう。

「あ、それならリルも……」

「ううん。リルはいいって。若い衆だけでやりなさいって」

若い衆って……俺とリル、そんなに歳離れてないよな?あれ、それって俺、そんなに若くないってことか……?一人で悶々とする俺を見て、アプリコットがクスッと笑った。

「うそ、ウ・ソ。たまにはリル離れもしなさいって、むりやりひっぺがされたの」

「う゛……」

ステリアの顔には『ばつが悪い』とはっきり書いてあった。

「わ、私の話はいい……それより、唐獅子。用があるのは、こっち」

「へ。俺か?」

こくり。ステリアはうなずくと、俺の背中側に回った。

「経過診断、定期健診。さ、見せて」

「ま、またか……?」

ステリアは有無を言わせない様子だった。俺はぶつくさ言いながら、ジャケットとシャツを脱いだ。

「うーん……あれからどう?変わりない?」

「ああ。いつもどおりだよ」

ステリアの細い指が、俺の背中の獅子をなぞっている。
首都でのリーマスとの決戦の時、七色に光った唐獅子。結局あれ以降、獅子が虹色になることはなかった。リルいわく、あんなデタラメな力をほいほい使っていると身が持たないから、防衛本能がそうしている、らしい。
代わりに、俺本来の唐獅子の力は戻ってきた。ただし……

「……瞳は、白いまま」

「ああ。それが“代償”ってやつなんだろうさ」

唐獅子は前と同じように、カッと目を見開いている。しかし、そこにあるはずの瞳はない。“死”に抗った代償として、唐獅子はその双眸を失ってしまったのだ。

「アイツは、俺に光を譲ってくれたんだ。これからは、俺がアイツの目になるよ」

「……そうだね」

ステリアは俺の顔を覗き込むと、そっとまぶたの下をなぞった。
ステリアの青い瞳に、俺の目が映りこんでいる。
その色は、深紅。
俺の瞳は、唐獅子のたてがみに染められたかのように、鮮やかな紅になっていた。

「実に興味深い現象……刺青の力で体が変化するなんて……」

「まあ、それは確かに……っておい。近いちかい」

ステリアは食い入るように俺の瞳を覗き込んでいる。そのせいで鼻さきが触れ合いそうだ。

「ちょっと!あたしもいるんですけど!目の前でおっぱじめないでよね!」

目を吊り上げたアプリコットに肩をつかまれ、あぅ、とステリアは引き戻された。

「……やっぱり、キミは面白い。私の知らない扉を開いて見せてくれる」

「そ、そうか」

瞳を輝かせるステリアを見て、呆れたもんね、とアプリコットは首を振った。

「あ、そ、そうだ。アプリコット、さっきなにか言いたそうにしてなかったか?」

話を変えるため、俺は強引にアプリコットに話を振った。それに、さっきの様子が気になっていたのもある。

「あー……うん。少し、気になることがあるの。大したことじゃないんだけど……」

「大したことじゃないことを、きみがそんなに悩んでるのか?」

俺の指摘に、アプリコットは目を丸くした。

「……鋭いわね。どうしてわかったの?」

「なんとなくだよ。そんな大それたもんじゃないさ」

そう?アプリコットは、ふいと視線をそらした。その顔がほんのり赤いのはなぜだろう。

「……そうね。けど、みんながいるときに話してもいい?今夜にでも言うわ」

「そうか。わかった、まかせるよ」

「ごめんね。少しだけおあずけ、よ」

アプリコットは、いたずらっぽくウィンクした。

つづく

《次回が最終回です》

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