異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第98話/Recollection
第98話/Recollection
「……キ。ユキ。おーい。ユキったラ」
「んぁ……?」
目を開けると、視界が真っ赤だった。。俺はまだ、唐獅子に照らされたあの部屋にいるのか?
「ユキ。やっと目が覚めタ?」
「だ……誰だ?」
俺を呼ぶのは、メイダロッカの誰かだろうか。それとも……
「あ、ひどい。ユキ、ワタシを忘れたの?」
「あ……お前、苅葉、か?」
そこにいたのは、金色の髪に、青い瞳を持つ少女。学生時代の苅葉だった。
「そうだヨ、ユキ」
「か、苅葉……どうしてここに?」
「ふふふ。ワタシだけじゃないよ。ホラ、出てきなって」
「で、でも……」
「いいから、ね?」
苅葉に手を引かれて、現れたのは黒髪の少女。あのけばけばしい金髪じゃない、ヤクザになる前の手綱だった。
「うぅ……」
「もぉ、何照れてるの。ワタシたちの仲じゃなイ」
手綱は居心地悪そうに、スカートのはしをもじもじいじっている。
「あれ、そういえば。どうして二人とも制服なんだ?」
「ええー。ユキ、イマサラ?」
苅葉と手綱は、高校の時のセーラー服を着ていた。今気づいたが、ここも俺たちの学校だ。夕日に照らされた廊下が、静かに夕闇の中へと続いている。
「ああ、そうか。いつもの夢だな」
「夢?ううーん、そうかもしれないネ」
ふふふ、と苅葉は意味深に微笑んだ。だって……どう考えても、夢だよな?
苅葉は踊るように廊下を歩き出した。くるりと舞い、ぴょんと跳ねる。スカートがふわりと揺れ、オレンジ色の夕日が金髪に跳ねてキラキラ輝いた。
「……あのね、木ノ下くん」
手綱が、おずおずと口を開く。
「ん?俺の……ことだよな?」
「あは、それ以外に誰がいるの?」
「いや、そうなんだけど。はは」
俺と手綱は、二人で静かに笑い合った。苗字でなんて、ひさびさに呼ばれたな。
ひとしきり笑うと、手綱はまっすぐに俺を見つめた。
「木ノ下くん……私、ずっと君に謝りたかった」
「え?どうしてだ?」
「え。だって……木ノ下くんは、私のせいで……」
手綱は一瞬目線を逸らしたが、それでも前を向いた。
「ごめんなさい。木ノ下くんまで、馬鹿な私に付き合わせちゃって」
「え、ちょっと待ってくれよ。本当にわからないんだ。なんのことなんだ?」
「え?」
手綱はきょとんと、目を丸くした。
「手綱。ユキは、思い出せないでいるんだヨ。記憶がゴチャゴチャしてるみたい。無理もないよね、異世界にテンセイしちゃったんだかラ」
さっきまでくるくる回っていた苅葉が、こちらに戻ってきた。いや、それより。今なんて言った?
「は?てん……せい?」
「そうだヨ。ていうか、びっくりしたのはウチら。ユキがいつまでたってもコッチに来ないから、心配になっちゃったんだよ。迷子にでもなってるのかと……」
「こ、こっち?ってなんのことだ?」
「天国。あの世でもヘヴンでもいいけど、まぁそういうトコロよ」
てん……ごく?
俺が思わず手綱を見ると、手綱もコクリとうなずいた。
「私たちは、もう死んでるの」
「ええ!そ、そうだったのか……」
「うん。あの後、私も撃たれてね。抵抗の末、射殺ってやつなのかな」
「そんな……くそ、手綱。俺は何と言ったらいいか……」
「そんな!さっきも言ったでしょ、謝るのは私の方……」
「はいはい!暗―い話はおしまいにしまショ?」
苅葉はぱちんと手を叩いた。
「このままだと、二人とも延々謝り続けることになっちゃうヨ。またみんなで会えたんだもん、この時間を大事にしなきゃ」
「あ、ああ……ところで、その。苅葉も、やっぱり……?」
「うん。死んでるヨ」
「そ……うか」
「ふふ。因みに、死因は老衰。娘と孫に囲まれて、とっても幸せな人生だったよ」
「え」
老衰?だって、目の前の苅葉はこんなに若い……あ、けど夢の中で、彼女は妊娠していたっけ?
「死後の世界に、時間の概念は存在しないの」
手綱が混乱する俺に説明してくれる。
「今の私たちは若い姿だけど、現実の時間だともう百年くらいは経ってるんじゃないかな」
「百年!そりゃ、苅葉もおばあちゃんになるよな……」
「……なんか間違ってないけど、ムカつくナ。けど、手綱の言った通り。ワタシと手綱の生涯には時間の差があるけど、感覚的にはついこのあいだ会ったばかりナンダ」
「……だけど、木ノ下くんは違う。本当ならここに居るはずなのに、どこか別の場所に流れていったみたいだった」
「そうだな。俺は手綱たちとは違う世界にいたから……けど、そうか。やっぱり、そうなんだよな」
死後の世界に居る二人と、そこからはぐれてしまった俺。
「俺は……すでに死んでいるんだな」
苅葉と手綱は、黙ってこくりとうなずいた。
「木ノ下くんは、覚えてるかな。埠頭で、警察に追い詰められた時のこと」
それは、夢で見たことがある。俺たちは大勢の警官に追われ、最終的に俺が囮になって手綱を逃がそうとしたんだ。だが、手綱が撃たれそうになり、俺は……
「ああ、覚えてる。あそこが、俺の死に場所か?」
「ううん。あの時は私だけ。木ノ下くんも撃たれたけど、致命傷にはならなかったみたい。ね、苅葉ちゃん?」
「ウン。ワタシ、お見舞いに行ったからね。ユキはきちんと回復したヨ」
「え、そうなのか。よく撃ち殺されなかったな……」
「さすがに、同僚はあんまり撃ちたくなかったんじゃナイ?」
「は?同僚?」
なに言ってるんだ?だって俺は、ヤクザだっただろ。だが手綱まで、そうだねとうなずいている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。二人が言ってることが全然分からない。俺をからかってるのか?」
「ううん。木ノ下君、嘘でも冗談でもないよ。私たちは、それを伝えに来たの」
「そうダネ。ユキ、そろそろ思い出す時間なんだ。スベテを」
全て……苅葉がゆっくりとこちらへ近づいてくる。廊下はいつの間にか日が沈み、薄闇が辺りを覆い始めていた。
「きっかけは、ユキ“たち”がこっちに来てないことだっタ」
「俺、たち?」
「そう。ユキと、クロミちゃんだヨ」
「そんな……黒蜜も、なのか」
「あんまり詳しいことはわからないケド。世界を移動するなんて、それこそ一度死なないと、起こり得ないんじゃナイ?」
死んで、生まれ変わる。だからこそ、転生。
「けど、俺も黒蜜も、元の姿のままだ」
「そうだネ。どちらかと言うと、魂だけがどこかに行っちゃったカンジかな。まるでどこかに引っこ抜かれたみたいに」
引っこ抜く?そんなの……意思を持った何かが、俺たちをあの世界に引き込んだみたいじゃないか。
「だから私たちは、木ノ下君たちを探しに来たの。普通じゃあり得ないことが起こったって、分かったから」
手綱が薄暗がりの中で、俺を見つめる。
「木ノ下君は、不思議に思わなかった?なぜ自分がヤクザに詳しいのか。なぜ、女性が苦手なのか。なぜ……記憶を、失ったのか」
え……どういうことだ?それらは全て、一つに繋がっているのか……?
「全部が、今の木ノ下君のルーツになっているんだよ。昨日があったから、明日に続いていくように……だから、木ノ下君には思い出してほしい。そのために、私たちはここへ来たんだから」
手綱はそう言うと、そっと俺の手を取った。
「けっこうタイヘンだったんだヨ?ユキを見つけるの!」
苅葉も手綱の横に並ぶと、反対の手を握った。
「けど、見つけられてよかった。ずいぶん時間が掛かっちゃったけど……こうして、また話すこともできた」
「あは、それワタシも!みんなワタシを置いて先に逝っちゃうんだもん。さみしかったんダカラ」
苅葉はけらけらと笑った。
「さてと……ユキ、思い出して。あの時の全てを。ワタシたち、三人での記憶を」
すると、苅葉に握られた手から、温かい何かが俺に流れ込んでくるのを感じた。俺は恐ろしくなって、手を引っ込めそうになった。それを見て、手綱は落ち着かせるように、俺の手に自分の指を絡めた。
「怖がらないで。木ノ下君にとっては、辛い記憶かもしれないけど……でも、それを忘れたままじゃ。きっと前に進めない……!」
しかし手綱は、ふっと陰りのある表情になった。
「こんなこと、私が言う資格ないかもしれないけど……」
「ううん。それを決めるのはユキでしょ?そのためにも、ユキの記憶を戻さないと」
苅葉は空いてる手で、手綱の手を握った。俺たちは手を取り合って、一つの輪になっていた。
「これが、失われたすべて。取り戻して、ユキ……!」
両腕を伝って、何かが俺に伝わってくる。それは全身を駆け巡って、俺の記憶を呼び覚ましていく。見たこともない景色、聞いたことのない声、味わったことのない感覚。
(頭……だけじゃないんだ。記憶って、体中に積み重なっているんだな……)
俺は文字通り、記憶の奔流の中に飲まれていった。
「ユキ……だいじょうブ?」
「ああ……なんだか、くらくらするよ」
俺は頭を振りながら答えた。ひさびさに使ったみたいに、脳がピリピリ痺れているようだ。
「それで……記憶は?」
「うん。全部、思い出したよ。それに……どうして俺が、あの世界に呼ばれたのかも」
そっか、と苅葉は満足そうにうなずいた。一方で、手綱はしゃがみ込んで、小さく縮まっている。手綱は今にも消え入りそうな声でたずねた。
「それじゃ……あのことも、その……」
「……ああ。はは、さすがに驚いたよ」
「ううぅぅぅぅうう〜……」
手綱はぎゅうと膝を抱え込んで、少しでも体をちいさくしようとしている。だが、覚悟を決めたように、よしっと立ち上がった。
「木ノ下君。ごめんなさい。謝って済む話じゃないけど、どうしても謝りたかったの。私……」
手綱は深々と頭を下げた。
彼女がこうまでする理由。俺はそれを、はっきりと思い出せた。あれは、高校三年の、卒業式の日のことだった。
簡単に言うと、俺は手綱に襲われたのだ。
「卒業おめでとう、木ノ下君」
あの日、俺たちは放課後の校舎裏で、二人だけの卒業パーティーをしていた。俺は苅葉も誘おうとしたが、なぜか手綱はそれを嫌がった。
「だって……木ノ下君、苅葉のこと、好きでしょ?」
俺は手綱にもらったジュースを吹き出しかけたのを覚えている。実際、図星だった。最初こそ不良娘だと嫌っていたが、仲良くなってからは、彼女の無邪気な姿に次第に惹かれていった。俺の勘違いじゃなければ、苅葉も俺を憎からず思っていたはずだ。
「だから……今だけでいい。君を、私だけのモノにしたいの」
そこから、俺の記憶は急に曖昧になる。ジュースに一服盛られたのだと気づいたのは、俺の意識が落ちる寸前だった。
目が覚めた時、あたりはすでに暗くなっていた。俺は薄暗い倉庫のようなところに、両手を縛られて転がされていた。
「あ、木ノ下君。起きた?」
手綱の声は、俺の頭の上から聞こえてきた。枕元に手綱が立って、俺を見下ろしている。スカートの中が見えてしまって、俺は慌てて視線を逸らす。
「ふふ。いいよ、別に。木ノ下君になら」
そう言って手綱は、スカートをぱさりと足下へ落とした。
「代わりに、私も木ノ下君からもらいたいものがあるの」
手綱が俺の顔のすぐ脇に両膝をつく。俺の頭は股の間に挟まれ、、手綱のふとももがしっとりと頬に触れた。
彼女は背をかがめ、俺を覗き込む。
「私に、木ノ下君の子どもをちょうだい」
そこから先は、よく思い出せなかった。情けない話だが、俺はあまりの恐怖と混乱で、ほとんど気をやってしまっていたのだ。
当時の俺には、手綱の言っていることは何一つ理解できなかった。言葉の意味が、というわけではない。今までの手綱の姿からあまりにかけ離れ過ぎていて、目の前の現実が受け入れられなかったのだ。これは全部夢なんだと言われた方が、まだ信じられた気がする。
手綱の顔をした、手綱そっくりの誰かが、わけのわからないことを俺に求める。その光景は、俺に凄まじい恐怖を刻み付けた。
最終的に、俺と手綱は未遂で終わった。
「ソコマデよ!手綱、ユキから離れて!」
暗闇の倉庫に乗り込んできたのは、まぶしい金髪の苅葉だった。苅葉はほとんど半裸の手綱と俺を見てぎょっとしたようだったが、それでも気丈に手綱を睨み付けた。
「何考えてるの、手綱!まだ子どものくせに、こんなところでマチガイを起こすつもりだなんて!」
「ッ……!んたなんかに……あんたなんかに、何がわかるのよ!」
手綱は金切り声で叫ぶ。こんなにヒステリックな手綱は初めて見た。そして、何が彼女をここまでさせたのかも、この時の俺にはわからなかった。
「手綱!」
「うるさい!どきなさいよ!」
手綱は苅葉を押しのけると、ろくに服も着ずに飛び出して行ってしまった。
「手綱!……ッ!ユキ、ゴメン!手綱をほっとけない!せめて服だけは着させてくる!」
苅葉もそれを追って走っていく。倉庫には俺だけがぽつんと残された。もっとも、あの格好で街中をうろつくのはあまりに危険だ。苅葉の判断は正しかったと思うし、俺は半分ほうけていたので、それほど時間は感じなかった。
「ユキ!大丈夫!?」
苅葉はしばらくして戻ってきた。苅葉は俺に慌てて駆け寄ると、俺を縛っていたロープをほどいた。俺はようやく正気を取り戻してきて、その時ようやくここが体育倉庫だという事がわかった。
「ユキ……とりあえず、手綱は大丈夫。放課後だから、人がほとんどいなくて助かったよ」
苅葉はハンカチを取り出して、俺の体を拭いてくれた。俺の全身は、手綱の体液でベトベトだった。
「ユキ……どうシテ……!」
ぽたり。俺の頬に、苅葉の涙がひと粒伝った。
「どうして、こんなことに……!ワタシたち、友達だったハズなのに……!」
苅葉は俺の頭をぎゅうと抱きしめた。
これ以降、手綱とはぱったり連絡が取れなくなってしまった。俺は女性に怯えを見せるようになり、苅葉もそんな俺を気遣ってか、前より会う機会は少なくなったっていった。
つづく
「……キ。ユキ。おーい。ユキったラ」
「んぁ……?」
目を開けると、視界が真っ赤だった。。俺はまだ、唐獅子に照らされたあの部屋にいるのか?
「ユキ。やっと目が覚めタ?」
「だ……誰だ?」
俺を呼ぶのは、メイダロッカの誰かだろうか。それとも……
「あ、ひどい。ユキ、ワタシを忘れたの?」
「あ……お前、苅葉、か?」
そこにいたのは、金色の髪に、青い瞳を持つ少女。学生時代の苅葉だった。
「そうだヨ、ユキ」
「か、苅葉……どうしてここに?」
「ふふふ。ワタシだけじゃないよ。ホラ、出てきなって」
「で、でも……」
「いいから、ね?」
苅葉に手を引かれて、現れたのは黒髪の少女。あのけばけばしい金髪じゃない、ヤクザになる前の手綱だった。
「うぅ……」
「もぉ、何照れてるの。ワタシたちの仲じゃなイ」
手綱は居心地悪そうに、スカートのはしをもじもじいじっている。
「あれ、そういえば。どうして二人とも制服なんだ?」
「ええー。ユキ、イマサラ?」
苅葉と手綱は、高校の時のセーラー服を着ていた。今気づいたが、ここも俺たちの学校だ。夕日に照らされた廊下が、静かに夕闇の中へと続いている。
「ああ、そうか。いつもの夢だな」
「夢?ううーん、そうかもしれないネ」
ふふふ、と苅葉は意味深に微笑んだ。だって……どう考えても、夢だよな?
苅葉は踊るように廊下を歩き出した。くるりと舞い、ぴょんと跳ねる。スカートがふわりと揺れ、オレンジ色の夕日が金髪に跳ねてキラキラ輝いた。
「……あのね、木ノ下くん」
手綱が、おずおずと口を開く。
「ん?俺の……ことだよな?」
「あは、それ以外に誰がいるの?」
「いや、そうなんだけど。はは」
俺と手綱は、二人で静かに笑い合った。苗字でなんて、ひさびさに呼ばれたな。
ひとしきり笑うと、手綱はまっすぐに俺を見つめた。
「木ノ下くん……私、ずっと君に謝りたかった」
「え?どうしてだ?」
「え。だって……木ノ下くんは、私のせいで……」
手綱は一瞬目線を逸らしたが、それでも前を向いた。
「ごめんなさい。木ノ下くんまで、馬鹿な私に付き合わせちゃって」
「え、ちょっと待ってくれよ。本当にわからないんだ。なんのことなんだ?」
「え?」
手綱はきょとんと、目を丸くした。
「手綱。ユキは、思い出せないでいるんだヨ。記憶がゴチャゴチャしてるみたい。無理もないよね、異世界にテンセイしちゃったんだかラ」
さっきまでくるくる回っていた苅葉が、こちらに戻ってきた。いや、それより。今なんて言った?
「は?てん……せい?」
「そうだヨ。ていうか、びっくりしたのはウチら。ユキがいつまでたってもコッチに来ないから、心配になっちゃったんだよ。迷子にでもなってるのかと……」
「こ、こっち?ってなんのことだ?」
「天国。あの世でもヘヴンでもいいけど、まぁそういうトコロよ」
てん……ごく?
俺が思わず手綱を見ると、手綱もコクリとうなずいた。
「私たちは、もう死んでるの」
「ええ!そ、そうだったのか……」
「うん。あの後、私も撃たれてね。抵抗の末、射殺ってやつなのかな」
「そんな……くそ、手綱。俺は何と言ったらいいか……」
「そんな!さっきも言ったでしょ、謝るのは私の方……」
「はいはい!暗―い話はおしまいにしまショ?」
苅葉はぱちんと手を叩いた。
「このままだと、二人とも延々謝り続けることになっちゃうヨ。またみんなで会えたんだもん、この時間を大事にしなきゃ」
「あ、ああ……ところで、その。苅葉も、やっぱり……?」
「うん。死んでるヨ」
「そ……うか」
「ふふ。因みに、死因は老衰。娘と孫に囲まれて、とっても幸せな人生だったよ」
「え」
老衰?だって、目の前の苅葉はこんなに若い……あ、けど夢の中で、彼女は妊娠していたっけ?
「死後の世界に、時間の概念は存在しないの」
手綱が混乱する俺に説明してくれる。
「今の私たちは若い姿だけど、現実の時間だともう百年くらいは経ってるんじゃないかな」
「百年!そりゃ、苅葉もおばあちゃんになるよな……」
「……なんか間違ってないけど、ムカつくナ。けど、手綱の言った通り。ワタシと手綱の生涯には時間の差があるけど、感覚的にはついこのあいだ会ったばかりナンダ」
「……だけど、木ノ下くんは違う。本当ならここに居るはずなのに、どこか別の場所に流れていったみたいだった」
「そうだな。俺は手綱たちとは違う世界にいたから……けど、そうか。やっぱり、そうなんだよな」
死後の世界に居る二人と、そこからはぐれてしまった俺。
「俺は……すでに死んでいるんだな」
苅葉と手綱は、黙ってこくりとうなずいた。
「木ノ下くんは、覚えてるかな。埠頭で、警察に追い詰められた時のこと」
それは、夢で見たことがある。俺たちは大勢の警官に追われ、最終的に俺が囮になって手綱を逃がそうとしたんだ。だが、手綱が撃たれそうになり、俺は……
「ああ、覚えてる。あそこが、俺の死に場所か?」
「ううん。あの時は私だけ。木ノ下くんも撃たれたけど、致命傷にはならなかったみたい。ね、苅葉ちゃん?」
「ウン。ワタシ、お見舞いに行ったからね。ユキはきちんと回復したヨ」
「え、そうなのか。よく撃ち殺されなかったな……」
「さすがに、同僚はあんまり撃ちたくなかったんじゃナイ?」
「は?同僚?」
なに言ってるんだ?だって俺は、ヤクザだっただろ。だが手綱まで、そうだねとうなずいている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。二人が言ってることが全然分からない。俺をからかってるのか?」
「ううん。木ノ下君、嘘でも冗談でもないよ。私たちは、それを伝えに来たの」
「そうダネ。ユキ、そろそろ思い出す時間なんだ。スベテを」
全て……苅葉がゆっくりとこちらへ近づいてくる。廊下はいつの間にか日が沈み、薄闇が辺りを覆い始めていた。
「きっかけは、ユキ“たち”がこっちに来てないことだっタ」
「俺、たち?」
「そう。ユキと、クロミちゃんだヨ」
「そんな……黒蜜も、なのか」
「あんまり詳しいことはわからないケド。世界を移動するなんて、それこそ一度死なないと、起こり得ないんじゃナイ?」
死んで、生まれ変わる。だからこそ、転生。
「けど、俺も黒蜜も、元の姿のままだ」
「そうだネ。どちらかと言うと、魂だけがどこかに行っちゃったカンジかな。まるでどこかに引っこ抜かれたみたいに」
引っこ抜く?そんなの……意思を持った何かが、俺たちをあの世界に引き込んだみたいじゃないか。
「だから私たちは、木ノ下君たちを探しに来たの。普通じゃあり得ないことが起こったって、分かったから」
手綱が薄暗がりの中で、俺を見つめる。
「木ノ下君は、不思議に思わなかった?なぜ自分がヤクザに詳しいのか。なぜ、女性が苦手なのか。なぜ……記憶を、失ったのか」
え……どういうことだ?それらは全て、一つに繋がっているのか……?
「全部が、今の木ノ下君のルーツになっているんだよ。昨日があったから、明日に続いていくように……だから、木ノ下君には思い出してほしい。そのために、私たちはここへ来たんだから」
手綱はそう言うと、そっと俺の手を取った。
「けっこうタイヘンだったんだヨ?ユキを見つけるの!」
苅葉も手綱の横に並ぶと、反対の手を握った。
「けど、見つけられてよかった。ずいぶん時間が掛かっちゃったけど……こうして、また話すこともできた」
「あは、それワタシも!みんなワタシを置いて先に逝っちゃうんだもん。さみしかったんダカラ」
苅葉はけらけらと笑った。
「さてと……ユキ、思い出して。あの時の全てを。ワタシたち、三人での記憶を」
すると、苅葉に握られた手から、温かい何かが俺に流れ込んでくるのを感じた。俺は恐ろしくなって、手を引っ込めそうになった。それを見て、手綱は落ち着かせるように、俺の手に自分の指を絡めた。
「怖がらないで。木ノ下君にとっては、辛い記憶かもしれないけど……でも、それを忘れたままじゃ。きっと前に進めない……!」
しかし手綱は、ふっと陰りのある表情になった。
「こんなこと、私が言う資格ないかもしれないけど……」
「ううん。それを決めるのはユキでしょ?そのためにも、ユキの記憶を戻さないと」
苅葉は空いてる手で、手綱の手を握った。俺たちは手を取り合って、一つの輪になっていた。
「これが、失われたすべて。取り戻して、ユキ……!」
両腕を伝って、何かが俺に伝わってくる。それは全身を駆け巡って、俺の記憶を呼び覚ましていく。見たこともない景色、聞いたことのない声、味わったことのない感覚。
(頭……だけじゃないんだ。記憶って、体中に積み重なっているんだな……)
俺は文字通り、記憶の奔流の中に飲まれていった。
「ユキ……だいじょうブ?」
「ああ……なんだか、くらくらするよ」
俺は頭を振りながら答えた。ひさびさに使ったみたいに、脳がピリピリ痺れているようだ。
「それで……記憶は?」
「うん。全部、思い出したよ。それに……どうして俺が、あの世界に呼ばれたのかも」
そっか、と苅葉は満足そうにうなずいた。一方で、手綱はしゃがみ込んで、小さく縮まっている。手綱は今にも消え入りそうな声でたずねた。
「それじゃ……あのことも、その……」
「……ああ。はは、さすがに驚いたよ」
「ううぅぅぅぅうう〜……」
手綱はぎゅうと膝を抱え込んで、少しでも体をちいさくしようとしている。だが、覚悟を決めたように、よしっと立ち上がった。
「木ノ下君。ごめんなさい。謝って済む話じゃないけど、どうしても謝りたかったの。私……」
手綱は深々と頭を下げた。
彼女がこうまでする理由。俺はそれを、はっきりと思い出せた。あれは、高校三年の、卒業式の日のことだった。
簡単に言うと、俺は手綱に襲われたのだ。
「卒業おめでとう、木ノ下君」
あの日、俺たちは放課後の校舎裏で、二人だけの卒業パーティーをしていた。俺は苅葉も誘おうとしたが、なぜか手綱はそれを嫌がった。
「だって……木ノ下君、苅葉のこと、好きでしょ?」
俺は手綱にもらったジュースを吹き出しかけたのを覚えている。実際、図星だった。最初こそ不良娘だと嫌っていたが、仲良くなってからは、彼女の無邪気な姿に次第に惹かれていった。俺の勘違いじゃなければ、苅葉も俺を憎からず思っていたはずだ。
「だから……今だけでいい。君を、私だけのモノにしたいの」
そこから、俺の記憶は急に曖昧になる。ジュースに一服盛られたのだと気づいたのは、俺の意識が落ちる寸前だった。
目が覚めた時、あたりはすでに暗くなっていた。俺は薄暗い倉庫のようなところに、両手を縛られて転がされていた。
「あ、木ノ下君。起きた?」
手綱の声は、俺の頭の上から聞こえてきた。枕元に手綱が立って、俺を見下ろしている。スカートの中が見えてしまって、俺は慌てて視線を逸らす。
「ふふ。いいよ、別に。木ノ下君になら」
そう言って手綱は、スカートをぱさりと足下へ落とした。
「代わりに、私も木ノ下君からもらいたいものがあるの」
手綱が俺の顔のすぐ脇に両膝をつく。俺の頭は股の間に挟まれ、、手綱のふとももがしっとりと頬に触れた。
彼女は背をかがめ、俺を覗き込む。
「私に、木ノ下君の子どもをちょうだい」
そこから先は、よく思い出せなかった。情けない話だが、俺はあまりの恐怖と混乱で、ほとんど気をやってしまっていたのだ。
当時の俺には、手綱の言っていることは何一つ理解できなかった。言葉の意味が、というわけではない。今までの手綱の姿からあまりにかけ離れ過ぎていて、目の前の現実が受け入れられなかったのだ。これは全部夢なんだと言われた方が、まだ信じられた気がする。
手綱の顔をした、手綱そっくりの誰かが、わけのわからないことを俺に求める。その光景は、俺に凄まじい恐怖を刻み付けた。
最終的に、俺と手綱は未遂で終わった。
「ソコマデよ!手綱、ユキから離れて!」
暗闇の倉庫に乗り込んできたのは、まぶしい金髪の苅葉だった。苅葉はほとんど半裸の手綱と俺を見てぎょっとしたようだったが、それでも気丈に手綱を睨み付けた。
「何考えてるの、手綱!まだ子どものくせに、こんなところでマチガイを起こすつもりだなんて!」
「ッ……!んたなんかに……あんたなんかに、何がわかるのよ!」
手綱は金切り声で叫ぶ。こんなにヒステリックな手綱は初めて見た。そして、何が彼女をここまでさせたのかも、この時の俺にはわからなかった。
「手綱!」
「うるさい!どきなさいよ!」
手綱は苅葉を押しのけると、ろくに服も着ずに飛び出して行ってしまった。
「手綱!……ッ!ユキ、ゴメン!手綱をほっとけない!せめて服だけは着させてくる!」
苅葉もそれを追って走っていく。倉庫には俺だけがぽつんと残された。もっとも、あの格好で街中をうろつくのはあまりに危険だ。苅葉の判断は正しかったと思うし、俺は半分ほうけていたので、それほど時間は感じなかった。
「ユキ!大丈夫!?」
苅葉はしばらくして戻ってきた。苅葉は俺に慌てて駆け寄ると、俺を縛っていたロープをほどいた。俺はようやく正気を取り戻してきて、その時ようやくここが体育倉庫だという事がわかった。
「ユキ……とりあえず、手綱は大丈夫。放課後だから、人がほとんどいなくて助かったよ」
苅葉はハンカチを取り出して、俺の体を拭いてくれた。俺の全身は、手綱の体液でベトベトだった。
「ユキ……どうシテ……!」
ぽたり。俺の頬に、苅葉の涙がひと粒伝った。
「どうして、こんなことに……!ワタシたち、友達だったハズなのに……!」
苅葉は俺の頭をぎゅうと抱きしめた。
これ以降、手綱とはぱったり連絡が取れなくなってしまった。俺は女性に怯えを見せるようになり、苅葉もそんな俺を気遣ってか、前より会う機会は少なくなったっていった。
つづく
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