異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第97話/Lion=The Crimson
第97話/Lion=The Crimson
「撃たれた……のか?ゴホッ」
俺は足に力が入らず、がっくりと膝をついた。
「キュー?キュー!」
クロがキューのかたわらで呼びかけても、キューは一言も発さなかった。
「……きっさまあぁぁぁぁ!」
クロが絶叫する。その視線の先には、一人の人間が立っていた。キューが隠れていた、天幕の向こうから現れたらしい。
クロがトンファーを振りかざして突撃する。だがそれよりも、そいつの動きの方が早かった。
「お前も用済みだ、クロイツ」
ダァン!ダーン!
胸と肩を撃たれたクロは、勢い余って滑り込むように倒れた。
「まったく、おしゃべりな娘め。だが、最期には役に立ったな」
キューは床に伏したまま、ピクリとも動かない。彼女を中心に、深紅の血溜まりが広がっている。
「だ……れだ、お前……」
俺はひどく掠れた声を、必死に絞り出した。肺をやられたのか、うまく声が出せない。
「私か?見て分からないか。ゴッドファーザーだよ」
なに……?こいつが、ゴッドファーザー?そいつは真っ白な髪に、舞踏会の仮面をつけている。身のこなしに衰えは感じないが、異様にしわがれた声が不気味だった。
「う……嘘だ。父さんが、こんなことを……」
クロがうめきを抑えながら顔を上げる。
「ひどいじゃないか、クロイツ。私の顔を忘れたのか?」
「ふざ、けるな……何者だ、きさま……」
「ふん。どのみちその出血だ、長くはもつまい。いいだろう、褒美だ」
謎の人物はそう言うと、口の中に手を突っ込んだ。ずるりと引き出されたのは、黒い機械だ。あれで声を変えていたのか?
そしてそいつは、おもむろに仮面を外した。
「な……!」
「お前は……!」
カツーン。外された仮面が、床に転がった。
仮面の下、そいつの素顔は……
「リーマス、長官……!」
プレジョン・アストラの警視長官、リーマスだった。
「ふふん。ユキ君、少しぶりだね。君の奮闘ぶりは聞いていたよ。おかげで“計画”は順調に進んだよ」
「計画、だと……?」
その時突然、クロががばりと体を起こした。だが、自分の流した血に手を滑らせて、再び倒れてしまう。クロは血だまりの中で悶えながら、驚愕の表情でリーマスを見つめている。
「ケイ……!」
え?ケイだって。それは、キューの義理の兄の名前だろう?
「お前とは久しぶりだな、クロイツ。と言っても、ゴッドファーザーとしての私とはしょっちゅう会っていたがね」
「バカな……どうして、ケイが。いや、そんなことはどうでもいい。なぜ……!なぜキューを撃った!」
クロの叫びは悲痛だった。深い悲しみと、裏切られた痛みが、ないまぜになったような響きだった。
「それは簡単だ、クロイツ。私はもともと、お前たちの仲間ではなかったのさ。私は法と秩序を守る、警察官なのだよ」
クロは信じられない、とばかりにかぶりを振った。
「いや、ちがう。お前は、あの日から姿をくらまして……」
「違うのはお前だよ。消えたのは“先代の”ゴッドファーザーのほうさ。あの日から、私が。お前の知るところの、ケイが、ゴッドファーザーになったのだ」
そんな……!キューの言っていたことは、本当だったんだ。ケイ、つまりリーマスが、本物のゴッドファーザーと入れ替わっていたんだ。
「あの日、私は警察ともめ事を起こす芝居をうった。実際には、私が指示を出して警察を動かしていただけだが。お前たちがものの見事に信じ込んでいる隙に、先代のゴッドファーザーを始末させてもらったんだよ。あの時のファーザーの顔は実に傑作だったな」
くくく、とリーマスは噛みしめるように笑った。クロは唇をわなわな震わせて黙り込んでいる。あまりの怒りに言葉を忘れているようだ。
「まて……ごほ。リーマス。なぜ、そんなことをした。お前は警察側の人間じゃ、なかったのか……」
「うん?どういうことだね、ユキ君?」
「マフィアの……ボスに、憧れたのか?それとも、兄と、みんなに慕われたかったか。どうして、なり替わるようなことをしたんだ」
「ああ、そういうことかね。失望したよ、ユキ君。見当違いもいいところだ」
俺は反論したかったが、さっきから力が入らない。手先がひどく冷たくなってきている。
「私は警察だと言っただろう。私の目的は一つ。君たちのような、社会のはみ出し者どもをこの世から根絶したいのだよ」
「な……なに?」
「つまりだね。私は君たちに、互いに潰し合って欲しかったんだ。警察全体で掃除をするには、君たちはあまりにしぶとく、根深い。前にも言ったが、首都プレジョンでそんな騒ぎを起こすわけにもいかないのでね」
どういう……ことだ。やつの言うことが本当なら、この戦争は、仕組まれたものだったってことか……?
「リーマス、お前……」
そこまで言ったとき、俺は全身からすぅーっと力が抜けていくのを感じた。体を支えていられない。床がぐんぐん迫ってきて、俺はばったり倒れ伏した。
「おや。もう限界みたいだね。ユキ君、君の働きには感謝しているよ。おかげで、屑どもをここにまとめることができた。後は、ここを吹き飛ばせば全て完了だ」
吹き……飛ばす?
「ここが君達の墓標となるだろう。心配要らない、この地下空洞は爆発に耐えられるようにできている。今日の夜明けごろには、君達の存在は未来永劫抹消されるだろう。市民の平和な生活の下に埋もれるがいい」
リーマスは懐から、無線機のような機械を取り出した。
「私だ……計画は最終フェーズへ移行した。私が合図し次第、“仕上げ”を決行しろ。以上だ」
リーマスが短く告げると、無線機からはザザザ、というノイズと、小さな返事が聞こえてきた。
「では、失礼させてもらうよ。墓穴を共にする気は無いのでね」
リーマスはくるりと踵を返すと、この場を立ち去ろうとする。その時、床につけた耳を伝わって、足音が聞こえてきた。こちらへ向かってくる、複数の足音……まさか!
俺は最期の力を振り絞って、体を起き上がらせた。
「来るなーー!キリーー!」
そのとたん、俺の口から血が吹き出す。
扉がバタンと開かれた。それと同時に、リーマスが振り返って銃を構える。扉の向こうから、血相を変えたキリーが飛び込んできた。
くそったれ!リーマスが引き金に指をかけている。なんだって俺の体は、俺の命令を無視しやがるんだ!
ダァーン!
「はぁっ!」
ガィン!蒼い燐光が舞い、ウィローがパイプを一閃して、弾丸を弾き飛ばした。さすが、メイダロッカの用心棒だ。
「よ、よかった……ぐほっ」
安心した途端、力が抜け落ちる。俺は再び頭から倒れこんだ。
「ユキ!ユキィー!」
キリーが転げかけながら、俺のそばへ駆け寄ってきた。俺の血で汚れた床に、キリーは躊躇なくひざまずいた。
「ユキ!しっかりして!ユキ!」
俺を抱きかかえるキリーに、リーマスが再び銃を向ける。だがその瞬間、あたりに猛烈な風が吹き荒んだ。キリーの刺青、麒麟の力だ。
「撃たせるもんか……!」
キリーは涙を滲ませながらも、キッとリーマスを睨みつけた。だがリーマスは、眉ひとつ動かさずに引き金を引いた。撃ち出された銃弾は、麒麟の風に阻まれて灰となる。
「ほお……銃を無効にする能力か。奇抜な墨だ」
銃が効かないと分かると、リーマスは拳銃を投げ捨てた。
「お前!よくも、ユキを!」
ウィローが唸りを上げる風の中を、蒼炎を吹き上げながら猛進する。鉄パイプを握ると、叫びを上げながら振りかざした。
「うああぁぁぁぁぁ!」
リーマスは、すっと手を動かした。
ガイン!
「えっ」
な、何だって……リーマスはいとも簡単に、ウィローの鉄パイプを跳ね返した。だが、ニゾーのように腕を使っていなしたのではない。“指一本”で、あのひと振りを弾いたのだ。
「っ!この!」
ステリアが懐から改造はんだごてを取り出すと、リーマス目がけて投げ放った。だがこれに対しても、奴は体を少し揺すっただけで、こてはすり抜けたかのように地面へ落ちた……最小限の動きだけで、こてをかわしたんだ。
「こいつ……何者、ですか」
「ふん。君たちのような屑がどれだけ積ろうとも、私には到底届きはしない」
「つけあがらないことです……神にでもなったつもりですか!」
「神か。そうだ。私は、神にも等しい」
リーマスは高慢に笑った。
「見てみるかね?神の力を」
そういうと、リーマスは両手を広げた。と、その腕のあちこちから、ぽつぽつと光が浮かび上がる。あれは……刺青の、光?それも、一つや二つじゃない。腕のいたるところに、様々な紋様が刻まれている。
「な……あいつ、腕中に刺青を……?」
ウィローが驚愕の表情を浮かべる。それを見て、ステリアがふるふると首を振った。
「それだけじゃない……見て」
リーマスの、肩、胸、腹、背、腰、足……奴の全身から、刺青の光が沸き立っている。色とりどりの光は、次第に混ざり合い、やがて泥のような灰色の渦へと形を変えていく。
「ふふ……ははは!見よ、これが私の力だ!」
リーマスがかっと目を見開いた。と同時に、灰色の渦は巨大な木の姿を形どった。
う……なんて不気味なんだ。その木の幹には、そろって苦悶の表情を浮かべる、無数の生き物たちの顔が突き出していた。まるで木の幹に取り込まれ、苦しみもがいているようだ。
「私の墨は“神樹”だ。その身に刻まれたものを吸収し、より大きく成長する巨木……私は、あらゆる刺青の力を使うことができるのだよ!」
あ……あらゆる、刺青の力?
「な……そ、そんなばかな!ありえません!」
ウィローが否定するように、ぶん、と鉄パイプを振りかざした。
「ふっ。無理もない。なにせこれは、私にだけ許された神の権能なのだから。私は限りなく刺青の力を蓄積できる特異体質でね。刻んだ墨の数は百を下らない」
「百の、刺青……」
ウィローの声が、遠く聞こえる。まずい、いよいよ意識が薄れてきやがった……
「今まで……多くの……」
「そんな……狂って……」
視界がぼやける。話をする声が、壊れたラジオのように浮かんでは消えた。
「……キ!……ユキ!」
ハッとした。キリーが、俺の名を必死に呼んでいる。
「ユキ、お願い……目を閉じちゃダメ。お願いだからぁ」
リーマスは俺を見て、あざ笑うように肩をすくめた。
「もう、彼も限界のようだ。では、私は失礼するよ。まだ仕事が残ってるんでね」
リーマスは悠々とその場を去っていく。当然だ、俺たちでは、誰一人として奴を止められないのだから……
奴が天幕の向こうに消えると、みんなは一斉に俺の周りに集まった。
「ユキ。頑張って、きっと大丈夫だから……」
キリーは必死に、俺の傷口に手を当てている。俺は無理にでも笑ってやろうとしたが、代わりにむせこむだけだった。
「ユキ……」
「ユキくん……そんな」
ウィローは悔しそうに顔を歪め、スーは大粒の涙をこぼしている。
「冗談……でしょ……」
アプリコットは、ほうけたようにへたり込んでいた。その横で、ステリアがギリ、と歯を噛み締めている。リルはステリアの肩を抱いているが、その顔は悲痛に染まっていた。
「おにい……ちゃん……」
そして黒蜜は、茫然と立ち尽くしていた。目の前の現実が受け入れられない、と言わんばかりだ。
「ユキ……まだいっちゃダメだよ。わたしとの賭けはどうなるの?」
キリーの頬を、一筋の涙が伝った。
賭け、か。悔しいが、もうどうにもなりそうにないな……お迎えが近いようだし。
俺の目には、さっきから妙なモノが映り込んでいた。最初は黒いもやか何かだと思っていたのだが、今分かった。あれはたぶん、死神ってヤツだ。
「……」
そいつは、何も言わず、ただこちらへ近づいて来る。ヤツの姿ははっきりしないが、時折何かの形に見える事がある。それは角だったり翼だったり、獣だったり鬼だったりした。死に、定まった形など無いのだろうか。
死神は、キューと、クロも飲み込もうとしていた。そうか、あいつらも……だが、すぐに俺も行くことになる。三人一緒なら、退屈はしなそうだな?ははは……
ふわり。
ん……なんだ?俺のそばに、何か温かい気配を感じる。もう指の先まで氷のように冷たくて、何の感覚もないっていうのに……何だろう?キリーか、それとも他の誰かか……俺は辛うじて動く目を、横へ向けた。
そこにいたのは、真紅の獣だった。
立派なたてがみ、鋭い牙、雄々しい眼光。唐獅子……俺の背に刻まれているのと同じ……紅の獅子だ。
そいつは、じっと俺のそばに寄り添い、こちらを見つめていた。その目は、片方が閉ざされている。ルゥを救った時に、代償として閉じた目だ……
「おまえ……まさか」
唐獅子は視線を外すと、あの死神を睨んで、低く唸った。
「そうか……おまえはずっと、俺を守ってくれていたんだな……」
ありがとう。俺が呟くと、唐獅子はすっと頬を寄せて、俺の顔にすりと擦り付けた。
唐獅子は顔を上げると、死神に向かって、吠えた。
「ガオオオオオオォォォォォォォン!」
瞬間、真紅の炎が唐獅子から噴き出した。炎は部屋中を赤々と照らし、俺と、さらにクロとキューを包み込む。死神は炎に阻まれ、俺たちに近寄れないみたいだ。死神の表情は読めないが、炎を嫌がり、後ずさっているように見えた。
光が体に流れ込むと、体に温度が戻ってきた。俺は心臓が、全身の血液が力強く脈動するのを感じた。
「グオオォォ!」
唐獅子は一声吠えると、死神に向かって果敢に飛び掛かっていった。黒いもやと、紅い獅子が入り乱れて戦っている。この時俺は、唐獅子の刺青の力をやっと理解した。この獅子は、病魔を退けるんじゃない。死そのものから、命を守ってくれるんだ。
激しく混ざり合う、紅と黒がまぶたに焼き付いたのを最後に。
俺の意識は、闇に沈んでいった…
つづく
「撃たれた……のか?ゴホッ」
俺は足に力が入らず、がっくりと膝をついた。
「キュー?キュー!」
クロがキューのかたわらで呼びかけても、キューは一言も発さなかった。
「……きっさまあぁぁぁぁ!」
クロが絶叫する。その視線の先には、一人の人間が立っていた。キューが隠れていた、天幕の向こうから現れたらしい。
クロがトンファーを振りかざして突撃する。だがそれよりも、そいつの動きの方が早かった。
「お前も用済みだ、クロイツ」
ダァン!ダーン!
胸と肩を撃たれたクロは、勢い余って滑り込むように倒れた。
「まったく、おしゃべりな娘め。だが、最期には役に立ったな」
キューは床に伏したまま、ピクリとも動かない。彼女を中心に、深紅の血溜まりが広がっている。
「だ……れだ、お前……」
俺はひどく掠れた声を、必死に絞り出した。肺をやられたのか、うまく声が出せない。
「私か?見て分からないか。ゴッドファーザーだよ」
なに……?こいつが、ゴッドファーザー?そいつは真っ白な髪に、舞踏会の仮面をつけている。身のこなしに衰えは感じないが、異様にしわがれた声が不気味だった。
「う……嘘だ。父さんが、こんなことを……」
クロがうめきを抑えながら顔を上げる。
「ひどいじゃないか、クロイツ。私の顔を忘れたのか?」
「ふざ、けるな……何者だ、きさま……」
「ふん。どのみちその出血だ、長くはもつまい。いいだろう、褒美だ」
謎の人物はそう言うと、口の中に手を突っ込んだ。ずるりと引き出されたのは、黒い機械だ。あれで声を変えていたのか?
そしてそいつは、おもむろに仮面を外した。
「な……!」
「お前は……!」
カツーン。外された仮面が、床に転がった。
仮面の下、そいつの素顔は……
「リーマス、長官……!」
プレジョン・アストラの警視長官、リーマスだった。
「ふふん。ユキ君、少しぶりだね。君の奮闘ぶりは聞いていたよ。おかげで“計画”は順調に進んだよ」
「計画、だと……?」
その時突然、クロががばりと体を起こした。だが、自分の流した血に手を滑らせて、再び倒れてしまう。クロは血だまりの中で悶えながら、驚愕の表情でリーマスを見つめている。
「ケイ……!」
え?ケイだって。それは、キューの義理の兄の名前だろう?
「お前とは久しぶりだな、クロイツ。と言っても、ゴッドファーザーとしての私とはしょっちゅう会っていたがね」
「バカな……どうして、ケイが。いや、そんなことはどうでもいい。なぜ……!なぜキューを撃った!」
クロの叫びは悲痛だった。深い悲しみと、裏切られた痛みが、ないまぜになったような響きだった。
「それは簡単だ、クロイツ。私はもともと、お前たちの仲間ではなかったのさ。私は法と秩序を守る、警察官なのだよ」
クロは信じられない、とばかりにかぶりを振った。
「いや、ちがう。お前は、あの日から姿をくらまして……」
「違うのはお前だよ。消えたのは“先代の”ゴッドファーザーのほうさ。あの日から、私が。お前の知るところの、ケイが、ゴッドファーザーになったのだ」
そんな……!キューの言っていたことは、本当だったんだ。ケイ、つまりリーマスが、本物のゴッドファーザーと入れ替わっていたんだ。
「あの日、私は警察ともめ事を起こす芝居をうった。実際には、私が指示を出して警察を動かしていただけだが。お前たちがものの見事に信じ込んでいる隙に、先代のゴッドファーザーを始末させてもらったんだよ。あの時のファーザーの顔は実に傑作だったな」
くくく、とリーマスは噛みしめるように笑った。クロは唇をわなわな震わせて黙り込んでいる。あまりの怒りに言葉を忘れているようだ。
「まて……ごほ。リーマス。なぜ、そんなことをした。お前は警察側の人間じゃ、なかったのか……」
「うん?どういうことだね、ユキ君?」
「マフィアの……ボスに、憧れたのか?それとも、兄と、みんなに慕われたかったか。どうして、なり替わるようなことをしたんだ」
「ああ、そういうことかね。失望したよ、ユキ君。見当違いもいいところだ」
俺は反論したかったが、さっきから力が入らない。手先がひどく冷たくなってきている。
「私は警察だと言っただろう。私の目的は一つ。君たちのような、社会のはみ出し者どもをこの世から根絶したいのだよ」
「な……なに?」
「つまりだね。私は君たちに、互いに潰し合って欲しかったんだ。警察全体で掃除をするには、君たちはあまりにしぶとく、根深い。前にも言ったが、首都プレジョンでそんな騒ぎを起こすわけにもいかないのでね」
どういう……ことだ。やつの言うことが本当なら、この戦争は、仕組まれたものだったってことか……?
「リーマス、お前……」
そこまで言ったとき、俺は全身からすぅーっと力が抜けていくのを感じた。体を支えていられない。床がぐんぐん迫ってきて、俺はばったり倒れ伏した。
「おや。もう限界みたいだね。ユキ君、君の働きには感謝しているよ。おかげで、屑どもをここにまとめることができた。後は、ここを吹き飛ばせば全て完了だ」
吹き……飛ばす?
「ここが君達の墓標となるだろう。心配要らない、この地下空洞は爆発に耐えられるようにできている。今日の夜明けごろには、君達の存在は未来永劫抹消されるだろう。市民の平和な生活の下に埋もれるがいい」
リーマスは懐から、無線機のような機械を取り出した。
「私だ……計画は最終フェーズへ移行した。私が合図し次第、“仕上げ”を決行しろ。以上だ」
リーマスが短く告げると、無線機からはザザザ、というノイズと、小さな返事が聞こえてきた。
「では、失礼させてもらうよ。墓穴を共にする気は無いのでね」
リーマスはくるりと踵を返すと、この場を立ち去ろうとする。その時、床につけた耳を伝わって、足音が聞こえてきた。こちらへ向かってくる、複数の足音……まさか!
俺は最期の力を振り絞って、体を起き上がらせた。
「来るなーー!キリーー!」
そのとたん、俺の口から血が吹き出す。
扉がバタンと開かれた。それと同時に、リーマスが振り返って銃を構える。扉の向こうから、血相を変えたキリーが飛び込んできた。
くそったれ!リーマスが引き金に指をかけている。なんだって俺の体は、俺の命令を無視しやがるんだ!
ダァーン!
「はぁっ!」
ガィン!蒼い燐光が舞い、ウィローがパイプを一閃して、弾丸を弾き飛ばした。さすが、メイダロッカの用心棒だ。
「よ、よかった……ぐほっ」
安心した途端、力が抜け落ちる。俺は再び頭から倒れこんだ。
「ユキ!ユキィー!」
キリーが転げかけながら、俺のそばへ駆け寄ってきた。俺の血で汚れた床に、キリーは躊躇なくひざまずいた。
「ユキ!しっかりして!ユキ!」
俺を抱きかかえるキリーに、リーマスが再び銃を向ける。だがその瞬間、あたりに猛烈な風が吹き荒んだ。キリーの刺青、麒麟の力だ。
「撃たせるもんか……!」
キリーは涙を滲ませながらも、キッとリーマスを睨みつけた。だがリーマスは、眉ひとつ動かさずに引き金を引いた。撃ち出された銃弾は、麒麟の風に阻まれて灰となる。
「ほお……銃を無効にする能力か。奇抜な墨だ」
銃が効かないと分かると、リーマスは拳銃を投げ捨てた。
「お前!よくも、ユキを!」
ウィローが唸りを上げる風の中を、蒼炎を吹き上げながら猛進する。鉄パイプを握ると、叫びを上げながら振りかざした。
「うああぁぁぁぁぁ!」
リーマスは、すっと手を動かした。
ガイン!
「えっ」
な、何だって……リーマスはいとも簡単に、ウィローの鉄パイプを跳ね返した。だが、ニゾーのように腕を使っていなしたのではない。“指一本”で、あのひと振りを弾いたのだ。
「っ!この!」
ステリアが懐から改造はんだごてを取り出すと、リーマス目がけて投げ放った。だがこれに対しても、奴は体を少し揺すっただけで、こてはすり抜けたかのように地面へ落ちた……最小限の動きだけで、こてをかわしたんだ。
「こいつ……何者、ですか」
「ふん。君たちのような屑がどれだけ積ろうとも、私には到底届きはしない」
「つけあがらないことです……神にでもなったつもりですか!」
「神か。そうだ。私は、神にも等しい」
リーマスは高慢に笑った。
「見てみるかね?神の力を」
そういうと、リーマスは両手を広げた。と、その腕のあちこちから、ぽつぽつと光が浮かび上がる。あれは……刺青の、光?それも、一つや二つじゃない。腕のいたるところに、様々な紋様が刻まれている。
「な……あいつ、腕中に刺青を……?」
ウィローが驚愕の表情を浮かべる。それを見て、ステリアがふるふると首を振った。
「それだけじゃない……見て」
リーマスの、肩、胸、腹、背、腰、足……奴の全身から、刺青の光が沸き立っている。色とりどりの光は、次第に混ざり合い、やがて泥のような灰色の渦へと形を変えていく。
「ふふ……ははは!見よ、これが私の力だ!」
リーマスがかっと目を見開いた。と同時に、灰色の渦は巨大な木の姿を形どった。
う……なんて不気味なんだ。その木の幹には、そろって苦悶の表情を浮かべる、無数の生き物たちの顔が突き出していた。まるで木の幹に取り込まれ、苦しみもがいているようだ。
「私の墨は“神樹”だ。その身に刻まれたものを吸収し、より大きく成長する巨木……私は、あらゆる刺青の力を使うことができるのだよ!」
あ……あらゆる、刺青の力?
「な……そ、そんなばかな!ありえません!」
ウィローが否定するように、ぶん、と鉄パイプを振りかざした。
「ふっ。無理もない。なにせこれは、私にだけ許された神の権能なのだから。私は限りなく刺青の力を蓄積できる特異体質でね。刻んだ墨の数は百を下らない」
「百の、刺青……」
ウィローの声が、遠く聞こえる。まずい、いよいよ意識が薄れてきやがった……
「今まで……多くの……」
「そんな……狂って……」
視界がぼやける。話をする声が、壊れたラジオのように浮かんでは消えた。
「……キ!……ユキ!」
ハッとした。キリーが、俺の名を必死に呼んでいる。
「ユキ、お願い……目を閉じちゃダメ。お願いだからぁ」
リーマスは俺を見て、あざ笑うように肩をすくめた。
「もう、彼も限界のようだ。では、私は失礼するよ。まだ仕事が残ってるんでね」
リーマスは悠々とその場を去っていく。当然だ、俺たちでは、誰一人として奴を止められないのだから……
奴が天幕の向こうに消えると、みんなは一斉に俺の周りに集まった。
「ユキ。頑張って、きっと大丈夫だから……」
キリーは必死に、俺の傷口に手を当てている。俺は無理にでも笑ってやろうとしたが、代わりにむせこむだけだった。
「ユキ……」
「ユキくん……そんな」
ウィローは悔しそうに顔を歪め、スーは大粒の涙をこぼしている。
「冗談……でしょ……」
アプリコットは、ほうけたようにへたり込んでいた。その横で、ステリアがギリ、と歯を噛み締めている。リルはステリアの肩を抱いているが、その顔は悲痛に染まっていた。
「おにい……ちゃん……」
そして黒蜜は、茫然と立ち尽くしていた。目の前の現実が受け入れられない、と言わんばかりだ。
「ユキ……まだいっちゃダメだよ。わたしとの賭けはどうなるの?」
キリーの頬を、一筋の涙が伝った。
賭け、か。悔しいが、もうどうにもなりそうにないな……お迎えが近いようだし。
俺の目には、さっきから妙なモノが映り込んでいた。最初は黒いもやか何かだと思っていたのだが、今分かった。あれはたぶん、死神ってヤツだ。
「……」
そいつは、何も言わず、ただこちらへ近づいて来る。ヤツの姿ははっきりしないが、時折何かの形に見える事がある。それは角だったり翼だったり、獣だったり鬼だったりした。死に、定まった形など無いのだろうか。
死神は、キューと、クロも飲み込もうとしていた。そうか、あいつらも……だが、すぐに俺も行くことになる。三人一緒なら、退屈はしなそうだな?ははは……
ふわり。
ん……なんだ?俺のそばに、何か温かい気配を感じる。もう指の先まで氷のように冷たくて、何の感覚もないっていうのに……何だろう?キリーか、それとも他の誰かか……俺は辛うじて動く目を、横へ向けた。
そこにいたのは、真紅の獣だった。
立派なたてがみ、鋭い牙、雄々しい眼光。唐獅子……俺の背に刻まれているのと同じ……紅の獅子だ。
そいつは、じっと俺のそばに寄り添い、こちらを見つめていた。その目は、片方が閉ざされている。ルゥを救った時に、代償として閉じた目だ……
「おまえ……まさか」
唐獅子は視線を外すと、あの死神を睨んで、低く唸った。
「そうか……おまえはずっと、俺を守ってくれていたんだな……」
ありがとう。俺が呟くと、唐獅子はすっと頬を寄せて、俺の顔にすりと擦り付けた。
唐獅子は顔を上げると、死神に向かって、吠えた。
「ガオオオオオオォォォォォォォン!」
瞬間、真紅の炎が唐獅子から噴き出した。炎は部屋中を赤々と照らし、俺と、さらにクロとキューを包み込む。死神は炎に阻まれ、俺たちに近寄れないみたいだ。死神の表情は読めないが、炎を嫌がり、後ずさっているように見えた。
光が体に流れ込むと、体に温度が戻ってきた。俺は心臓が、全身の血液が力強く脈動するのを感じた。
「グオオォォ!」
唐獅子は一声吠えると、死神に向かって果敢に飛び掛かっていった。黒いもやと、紅い獅子が入り乱れて戦っている。この時俺は、唐獅子の刺青の力をやっと理解した。この獅子は、病魔を退けるんじゃない。死そのものから、命を守ってくれるんだ。
激しく混ざり合う、紅と黒がまぶたに焼き付いたのを最後に。
俺の意識は、闇に沈んでいった…
つづく
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