異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第83話/Violent
第83話/Violent
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
少女のかん高い絶叫が地下室にこだまする。
「おら言ってみろよ!ゴメンナサイってさぁ!」
「ごめっ、ごめ、さ……ぎゃあ゛あ゛ぁぁぁぁ!」
「ヒャハハハハハ!聞こえないぞぉ!」
閉ざされた部屋には、少女に馬乗りになり狂ったように笑う男がいた。剃り上げた頭には、顔にまでかかる刺青が彫られている。
そしてその下には、自らの体液で顔中グシャグシャにした少女、ホックがいた。
「おら!聞こえないっつってるだろ!」
「ぁ……ひぅ、ひぐっ」
「あ〜〜〜?」
「うぎゃあ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!」
男が覆い被さると、ホックは飛び出すほどに目を見開き、絶叫した。
「ぁ……」
そして部屋の隅には、その異様な光景を呆然と見つめるソーダがいた。へたり込むソーダのズボンはぐっしょり濡れている。人間は極限の恐怖に晒されると、体が言う事を聞かなくなるのだと、ソーダはこの歳で知ることとなった。
「……そのくらいにしろ、ジェイ」
壁に寄りかかった男が、うんざりした表情で言った。男は真っ白な白髪に、十字の瞳をしている。ユキたちからは、クロ、と呼ばれている男だった。
「あ?んだよクロちゃん、わかってないねぇ。ここからがいいんじゃんよ!」
剃りあげの男“ジェイ”は、歪んだ口から涎を垂らしながら言う。
だがクロは首を横に振った。
「やめろ。これ以上壊れたガキを増やしてどうする」
「壊さねえって!この嬢ちゃんはぶっ壊れる“寸前”だ!あとちょっとでも小突きゃ、あっという間に壊れちまう!その瀬戸際で、こいつの精神に息を吹きかけるんだっ!」
ジェイは自らを抱きしめると、恍惚とした表情で身もだえた。
「……っぁぁああ!タマンネェ!俺が息を吐くたび、こいつの心はグラグラ揺れる!ちょっとでも強くしたらバタンだ!このスリル!この快感が分かんねぇとはっ!」
「わかるか。分かりたくもない」
ジェイの演説を遮るように、クロは言い放った。
「とっとと終わらせて、早く身なりを正せ。“父さん”が戻ってくるぞ」
「あ?もうそんな時間か?早いなぁ。三十分しか経ってないじゃないの」
「三時間だ、このバカ」
クロは汚れた野良犬を見るような目で、ジェイの下でひゅーひゅー息をするホックを見た。三時間拷問された続けた少女は、体中、穴という穴からあらゆる体液をこぼして、凄惨たる様相だ。
だが、それでもギリギリで正気を保っている。吐き気がするが、ジェイの拷問技術は天下一品だ。気がふれない寸でのところで、最大の苦痛を与え続ける。気をやれないということは、いつまでも苦しみから逃れられないのと同義だった。
「早くその下衆な遊びを止めろ。そんな姿で父さんの前に出ていく気か」
「えー。んっとに、お前はマジメだなぁ……けどよぉ」
ジェイは笑みを絶やさないまま、ぐるりと顔だけクロへ向けた。
「お前、兄貴に向かってちょっと口が過ぎるんじゃないの?お前とは“一つ違い”だけど、もう少し敬意ってもんがあるんじゃない?」
ジェイの手にはいつの間にか、鈍く光る巨大なペンチが握られていた。誰のものか、所々血に汚れている。それが何に使われるのか、クロはさんざん目にしてきた。
だがクロは強気にジェイの視線を受け止めると、そのまま十字の眼光で睨み返した。
「俺は、お前より強いぞ。父さんの前に血だらけで出たいのか?」
「……ぷっくくく、冗談だよ、マジになんなって!ほんと、お前はマジメでからかいがあるぜ」
ジェイはすぐに調子を戻すと、ガランとペンチを投げ捨てた。
内心で、クロはほっとしていた。ジェイに勝つ自信はあるが、相当の苦戦を強いられるはずだ。骨の二、三本、下手すればどちらかの腕を持っていかれる。兄弟の中でも、ジェイはかなり腕が立つ方だった。
「……いいから早くしろ。俺はあんたを呼んで来いと言われてるんだ」
「はいはい、わかったよ……けど、あと一回だけっ!」
がばりとジェイがのしかかると、地下室には再びホックの絶叫がこだました。
「ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「おい!いい加減にしないか!」
「へへへっ!怒んなって、これで終わりにすんよ。あぁあ、けどたまんねぇ!」
「……この変態野郎が。いいからさっさとしろ!」
ジェイはようやく腰を上げると、ポンポンとスーツの裾を払った。スーツには所々染みができている。
「あーあ。こりゃ洗わなきゃかな」
「ならさっさと着替えて来い。もう時間は無いぞ」
「わーったよ。親父の前にはきちんとしたカッコで出たいしな。ちょっくら行って来るわ」
「そうしろ……さて」
ジェイが出ていくと、クロはおもむろにソーダの方へ振り返った。びくり、とソーダが身をすくめる。
「これで分かっただろうが。もしジェイが“きまぐれ”を起こしていたら、このガキは間違いなく廃人になっていた。お前たちは運がいい、これまで多くの人間がヤツに壊された」
クロはなるべくホックの体を見ないようにしていた。こんな汚らしいものを視界に入れたくなかったのだ。
「そして、こいつがこんな目に遭ったのはお前のせいだ。そうだな?」
ソーダは呆然とホックを見つめていた。光のないホックの目には、枯れ果てた涙の痕が残っていた。
「お前が侵入者を逃がし、あまつさえファミリーの情報を漏らすようなことをしたせいだ」
「……どうして」
「どうして知っているか?簡単だ、お前たちと同じガキから報告を受けた。誰かが余計なマネをしたら伝えるようにと言い含めておいた。それだけのことだ」
「……なんで」
「なんで生かしておくか?見せしめのためだ。殺すより生き証人がいた方が都合がいい。現にお前は、もう二度とヘマはしない。そうだな?」
ソーダは涙に視界を歪ませながら、こくりとうなずいた。もう二度と、自分のせいでホックを気付つけてなるものか。そう心に誓った。
それがクロの狙い通りだとは、気付きもせずに。
(……反吐が出るがな)
クロは内心で悪態をついた。これは、ジェイの常套手段だった。あえて限界ギリギリで対象を解放することで、絶大なトラウマを植え付けるのだ。
人は恐怖による支配が最もたやすい。奴隷は殺すより生かしておいた方がかえって従順になる、とジェイは笑いながら語っていた。
「よし。俺はもう行く。お前たちはここを片付けていけ」
クロは黒いコートをひるがえすと、地下室を後にした。これ以上ここにいるとこの酷い臭いが染みつきそうだと思ったからだ。
仄暗い穴倉には、ソーダとホックだけが残された。
「……そ……だ……」
「ホック……」
ホックは叫び続けて、枯れ果てた声でソーダを呼んだ。
「ホック……オレは……」
「……わないで」
「え……?」
「きょうのこと……だれにもいわないで……」
ホックはしきりに、いわないでと繰り返した。ソーダは涙をぐいっとぬぐうと、ホックのそばへと這って行った。
「ああ……これからは、オレがお前を守る……たとえ何があろうと、誰が敵になってもだ」
ソーダは思い知った。信じられるのは、自分だけだと。
仲間だと思っていた子どもたちは、実は自分のアラを監視する裏切りものだった。見ず知らずの獣人の女に情をかけたばかりに、ホックをこんな目に遭わせた。
「オレは……お前“だけ”を守る」
それで十分だ。他のものなど、それを成す為の糧にでもすればいい。みんなそうしているのだ、自分たちだってそうしてやる。
ソーダはホックの体を抱きしめながら、自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。
「くあぁぁぁぁ……」
顎が外れそうなほどの大あくびをして、キリーがもぞもぞと土管からはい出てきた。
「うっ……体中がバキバキいうわ……」
アプリコットが腰をおさえて、顔を歪める。
俺たちは空き地に並べられた土管の中で一晩を過ごしていた。コンクリの固さと伝わってくる冷気のせいで、体の節々が痛んだ。
「おはようみんな……あまり快適な寝床ではなかったね」
リルが青白い顔で、髪をバサバサとゆする。
この近辺にホテルらしいホテルは無く、さりとてあまりここを離れることもできない……苦肉の策だった。
「……さて、俺たちもそろそろ起きよう。ほら、黒蜜」
おもむろに俺に抱き着いて眠る黒蜜の肩をゆすった。四本しかない土管を分ける時、黒蜜は真っ先に俺と一緒になりたがった。体温の高い黒蜜は、寒い土管の中では実にありがたい存在だった。
「うう~ん」
黒蜜は唸るばかりで起きようとしない。だが、妙に抱き着く力が強いのは気のせいか……?
見かねたアプリコットが、土管の前にしゃがみ込む。
「ほら、さっさとなさいな。このブラコン警察官!」
「誰がブラコンっすか!」
うわっ。突然黒蜜が跳ね起きた。
「何だ黒蜜、起きてたのか。ほら、もう朝だぜ」
「あ、は、はい。おはようございます……」
「さて、みんな起きましたね。では、本日の作戦を始めましょうか」
ウィローが髪を結いながら言った。あのあと戻って来た俺たちは、今後どうするかを話し合った。昨日の今日で同じ通路に戻るのはさすがにまずい。だが、他の道を使ったとしても、あの子どもたちと鉢合わせないとは限らない。
そこでひねり出したのが、班を二つに分けることだった。
「では、昨日決めた通り。私、ユキ、ステリア、黒蜜警官が本陣突入、キリー、スー、アプリコット、リルが陽動で動きましょう」
陽動班が見張りの目を引き付け、その隙に俺たち突入組がアジトへ侵入する。これが昨日話し合って決めたことだった。
「この少数をさらに二手に分けるのは、得策じゃないけどね……」
リルが難しい顔で言う。だが子どもたちとやり合わないようにするには、どうしても彼らを別の場所へ引き付ける必要があった。
「今さら言ったってしょうがないじゃない。それより、決まったなら早く行きましょ」
アプリコットに促され、俺たちは腰を上げた。不安はある。戦力が偏り過ぎだ。陽動組にもしもがあれば、突入班も危ない。だが今は、信じて進むしかない。不安をあおっても何の得にもならないからだ。
「……センパイ?どうかしたっすか?」
黒蜜が俺の顔を覗きながら言う。いけない、顔に出ていたようだ。
「大丈夫だ。心配いらないよ」
「そうっすか……」
俺の言葉は黒蜜にではなく、自分に言い聞かせたように感じられた。
「ふっ……よっと!」
バキャン!鉄柵が歪み、ずぼっと抜けた。
「よし……これで」
「陽動組の入り口は確保だね。あとはこの川の上流から突入組がスタートすれば、作戦開始だよ」
リルが地図を見ながら言う。
「いよいよ別行動……うぅ、みんな気を付けてね。わたし、あんまり役に立たないけど、精一杯頑張るから……」
スーは今にも泣きだしそうだった。
「スー、あなたもですよ。陽動隊はこの作戦の要ですが、危険も伴います。細心の注意を払って、引き際を見極めてください」
「はっ、何言ってんのよ、ウィロー。陽動がうまくいかなきゃ、あんたたちの侵入はめちゃくちゃ難しくなっちゃうでしょ?ここはどーんと、期待してますよくらい言っとけばいいのよ!」
「……ふふ、それは頼もしい限りですね」
アプリコットとウィローはキキキッ、と笑いあった。
「じゃあ……そろそろいこっか。みんな、また後でね」
キリーが声をかけると、俺たちは四人ずつ半分に分かれた。次に会う時は、無事に侵入した後だ。
「よし。それじゃあ……」
「……次は両手を頭の上に置いて、跪きなさい」
なに!?冷徹な女の声が聞こえてきた。だが俺たちが動く間もなく、ジャカリと銃を構える音が続く。川岸を見上げれば、黒服の男たちがずらりと並ぶ。いつの間にか、俺たちは囲まれていた。
「無駄な考えはよしてください。あなたたちのためになりませんよ」
再び女の声。しかしこの声、どこかで聞いたことがあるような……
その時、スーの瞳がまあるく見開かれた。
「ッ……レスさん!?」
え?俺たちに拳銃を突き付けていたのは、浅葱色に、銀縁の眼鏡の女。キリーたちの列車から忽然と姿を消した、その人だった。
「レス!無事だったのか!」
「ええ、おかげさまで。……っと、動かないでください。失礼ですが、私はあなた方を信用しておりません」
なんだと?俺たちを信用してない?
「どっ、どういう意味よ!同じ鳳凰会の人間が信用できないっての!アンタ、この前より性格悪くなって……」
アプリコットの悪態は、途中で尻すぼみになった。彼女の後頭部に、黒金の銃身が突き付けられたからだ。
「おう耳付き。考えてから喋らねえと、脳みそぶちまけることになるぜ」
「あ、アンタ……確か、チョウノメ一家の……」
「ニゾーの、兄貴……!」
そこにいたのは、俺たちがかつて戦った強敵、雷獣ニゾーだった。
「ヒヒヒ……ワタシもいますよ。お久しぶりですねぇ」
「なっ、チャックラック組まで!?」
相変わらず気味の悪い笑みを浮かべるのは、チャックラック組の組長、ファンタンだ。
「ど、どうして鳳凰会の直参が、私たちを襲うのです!」
ウィローが叫ぶと、レスは髪をはらいながら言った。
「簡単なことです。私は、あなた方が鳳凰会を裏切り、マフィアに売ろうと企てているのでは、と推測しています」
「バカな!それはそこにいる裏切り者のことでしょう!」
ウィローはびしっとファンタンを指さした。
「ヒヒヒッ……何も知らずに、小娘がよくしゃべる」
「なんですって!」
「……彼は裏切り者などではありません。鳳凰会がマフィアに襲われてから、彼は人知れず、陰で鳳凰会存続に向けて動いてくれていたのです」
「え……どういうこと、ですか?」
「彼は鳳凰会のスパイとして、マフィアの情報を我々に伝えてくれました。そのおかげで、多くの組が生き残ることができたのです」
そんなことを、ファンタンが……確かにやつは、かつての部下、ボジックに渋々従っていただけだったが……
「ヒヒヒ。ワタシだって、ガラじゃないとは思いますがね。ただ、マフィアに牛耳られるよりは、まだ鳳凰会のほうがマシですから」
「ともかく、彼の活躍は本物です。そして彼が伝えてくれたのが、あなたたちの不審な動向でした」
レスはギリッ、と俺を睨み付けた。
「聞けば、ユキさん。あなたは警察に逮捕されたにもかかわらず、数日で釈放されたそうですね。そしてそこにいる女性、彼女もまた警官だそうで」
突然注目され、黒蜜は居心地悪そうに身をよじった。
「……そうだ。レス、あんたの言ってることは、すべて事実だよ。だが、俺たちは鳳凰会を裏切ってなんかいない。俺たちは、マフィアを倒すために動いているんだ」
「そうでしょうか?表面上ではそう言いつつ、裏で手を取り合っているのでは?アジトへの潜入と、密談のための訪問。どちらも動作としては同じに見えますから」
俺は表情を変えないようにしつつも、内心で驚いていた。俺たちがマフィアのアジトへ忍び込もうとしていることまで知っているのか。
「……どうしてそのことを知っているんだ?いや、そもそもどうして俺たちの居場所が分かった?あの荒野で、尾行は不可能なはずだ」
「簡単です。マフィア側にはまだ私たちの息のかかった者がいます。その者からの情報ですよ。つまりは、あなたたちの動向は、マフィアたちに筒抜けということです」
「なんだと……」
だが、思い当たる節はあった。あの荒野での待ち伏せは、いくら何でもできすぎだ。俺たちの動きが漏れてなきゃ、あの布陣は敷けない。問題は、どうして漏れていたのか、だが……
「……ん?」
一つの違和感が、俺の脳裏に引っかかった。
「どうかしましたか?それとも、認めて観念しますか」
「いや……そのつもりはないな。なんたって、“あんたも本気じゃない”んだから」
俺の言葉に、レスはニヤリとほくそ笑むと、銃の引き金に手をかけた。
「ユキッ!」
キリーの叫びと同時に、引き金がカチャリと引かれた。
つづく
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
少女のかん高い絶叫が地下室にこだまする。
「おら言ってみろよ!ゴメンナサイってさぁ!」
「ごめっ、ごめ、さ……ぎゃあ゛あ゛ぁぁぁぁ!」
「ヒャハハハハハ!聞こえないぞぉ!」
閉ざされた部屋には、少女に馬乗りになり狂ったように笑う男がいた。剃り上げた頭には、顔にまでかかる刺青が彫られている。
そしてその下には、自らの体液で顔中グシャグシャにした少女、ホックがいた。
「おら!聞こえないっつってるだろ!」
「ぁ……ひぅ、ひぐっ」
「あ〜〜〜?」
「うぎゃあ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!」
男が覆い被さると、ホックは飛び出すほどに目を見開き、絶叫した。
「ぁ……」
そして部屋の隅には、その異様な光景を呆然と見つめるソーダがいた。へたり込むソーダのズボンはぐっしょり濡れている。人間は極限の恐怖に晒されると、体が言う事を聞かなくなるのだと、ソーダはこの歳で知ることとなった。
「……そのくらいにしろ、ジェイ」
壁に寄りかかった男が、うんざりした表情で言った。男は真っ白な白髪に、十字の瞳をしている。ユキたちからは、クロ、と呼ばれている男だった。
「あ?んだよクロちゃん、わかってないねぇ。ここからがいいんじゃんよ!」
剃りあげの男“ジェイ”は、歪んだ口から涎を垂らしながら言う。
だがクロは首を横に振った。
「やめろ。これ以上壊れたガキを増やしてどうする」
「壊さねえって!この嬢ちゃんはぶっ壊れる“寸前”だ!あとちょっとでも小突きゃ、あっという間に壊れちまう!その瀬戸際で、こいつの精神に息を吹きかけるんだっ!」
ジェイは自らを抱きしめると、恍惚とした表情で身もだえた。
「……っぁぁああ!タマンネェ!俺が息を吐くたび、こいつの心はグラグラ揺れる!ちょっとでも強くしたらバタンだ!このスリル!この快感が分かんねぇとはっ!」
「わかるか。分かりたくもない」
ジェイの演説を遮るように、クロは言い放った。
「とっとと終わらせて、早く身なりを正せ。“父さん”が戻ってくるぞ」
「あ?もうそんな時間か?早いなぁ。三十分しか経ってないじゃないの」
「三時間だ、このバカ」
クロは汚れた野良犬を見るような目で、ジェイの下でひゅーひゅー息をするホックを見た。三時間拷問された続けた少女は、体中、穴という穴からあらゆる体液をこぼして、凄惨たる様相だ。
だが、それでもギリギリで正気を保っている。吐き気がするが、ジェイの拷問技術は天下一品だ。気がふれない寸でのところで、最大の苦痛を与え続ける。気をやれないということは、いつまでも苦しみから逃れられないのと同義だった。
「早くその下衆な遊びを止めろ。そんな姿で父さんの前に出ていく気か」
「えー。んっとに、お前はマジメだなぁ……けどよぉ」
ジェイは笑みを絶やさないまま、ぐるりと顔だけクロへ向けた。
「お前、兄貴に向かってちょっと口が過ぎるんじゃないの?お前とは“一つ違い”だけど、もう少し敬意ってもんがあるんじゃない?」
ジェイの手にはいつの間にか、鈍く光る巨大なペンチが握られていた。誰のものか、所々血に汚れている。それが何に使われるのか、クロはさんざん目にしてきた。
だがクロは強気にジェイの視線を受け止めると、そのまま十字の眼光で睨み返した。
「俺は、お前より強いぞ。父さんの前に血だらけで出たいのか?」
「……ぷっくくく、冗談だよ、マジになんなって!ほんと、お前はマジメでからかいがあるぜ」
ジェイはすぐに調子を戻すと、ガランとペンチを投げ捨てた。
内心で、クロはほっとしていた。ジェイに勝つ自信はあるが、相当の苦戦を強いられるはずだ。骨の二、三本、下手すればどちらかの腕を持っていかれる。兄弟の中でも、ジェイはかなり腕が立つ方だった。
「……いいから早くしろ。俺はあんたを呼んで来いと言われてるんだ」
「はいはい、わかったよ……けど、あと一回だけっ!」
がばりとジェイがのしかかると、地下室には再びホックの絶叫がこだました。
「ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「おい!いい加減にしないか!」
「へへへっ!怒んなって、これで終わりにすんよ。あぁあ、けどたまんねぇ!」
「……この変態野郎が。いいからさっさとしろ!」
ジェイはようやく腰を上げると、ポンポンとスーツの裾を払った。スーツには所々染みができている。
「あーあ。こりゃ洗わなきゃかな」
「ならさっさと着替えて来い。もう時間は無いぞ」
「わーったよ。親父の前にはきちんとしたカッコで出たいしな。ちょっくら行って来るわ」
「そうしろ……さて」
ジェイが出ていくと、クロはおもむろにソーダの方へ振り返った。びくり、とソーダが身をすくめる。
「これで分かっただろうが。もしジェイが“きまぐれ”を起こしていたら、このガキは間違いなく廃人になっていた。お前たちは運がいい、これまで多くの人間がヤツに壊された」
クロはなるべくホックの体を見ないようにしていた。こんな汚らしいものを視界に入れたくなかったのだ。
「そして、こいつがこんな目に遭ったのはお前のせいだ。そうだな?」
ソーダは呆然とホックを見つめていた。光のないホックの目には、枯れ果てた涙の痕が残っていた。
「お前が侵入者を逃がし、あまつさえファミリーの情報を漏らすようなことをしたせいだ」
「……どうして」
「どうして知っているか?簡単だ、お前たちと同じガキから報告を受けた。誰かが余計なマネをしたら伝えるようにと言い含めておいた。それだけのことだ」
「……なんで」
「なんで生かしておくか?見せしめのためだ。殺すより生き証人がいた方が都合がいい。現にお前は、もう二度とヘマはしない。そうだな?」
ソーダは涙に視界を歪ませながら、こくりとうなずいた。もう二度と、自分のせいでホックを気付つけてなるものか。そう心に誓った。
それがクロの狙い通りだとは、気付きもせずに。
(……反吐が出るがな)
クロは内心で悪態をついた。これは、ジェイの常套手段だった。あえて限界ギリギリで対象を解放することで、絶大なトラウマを植え付けるのだ。
人は恐怖による支配が最もたやすい。奴隷は殺すより生かしておいた方がかえって従順になる、とジェイは笑いながら語っていた。
「よし。俺はもう行く。お前たちはここを片付けていけ」
クロは黒いコートをひるがえすと、地下室を後にした。これ以上ここにいるとこの酷い臭いが染みつきそうだと思ったからだ。
仄暗い穴倉には、ソーダとホックだけが残された。
「……そ……だ……」
「ホック……」
ホックは叫び続けて、枯れ果てた声でソーダを呼んだ。
「ホック……オレは……」
「……わないで」
「え……?」
「きょうのこと……だれにもいわないで……」
ホックはしきりに、いわないでと繰り返した。ソーダは涙をぐいっとぬぐうと、ホックのそばへと這って行った。
「ああ……これからは、オレがお前を守る……たとえ何があろうと、誰が敵になってもだ」
ソーダは思い知った。信じられるのは、自分だけだと。
仲間だと思っていた子どもたちは、実は自分のアラを監視する裏切りものだった。見ず知らずの獣人の女に情をかけたばかりに、ホックをこんな目に遭わせた。
「オレは……お前“だけ”を守る」
それで十分だ。他のものなど、それを成す為の糧にでもすればいい。みんなそうしているのだ、自分たちだってそうしてやる。
ソーダはホックの体を抱きしめながら、自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。
「くあぁぁぁぁ……」
顎が外れそうなほどの大あくびをして、キリーがもぞもぞと土管からはい出てきた。
「うっ……体中がバキバキいうわ……」
アプリコットが腰をおさえて、顔を歪める。
俺たちは空き地に並べられた土管の中で一晩を過ごしていた。コンクリの固さと伝わってくる冷気のせいで、体の節々が痛んだ。
「おはようみんな……あまり快適な寝床ではなかったね」
リルが青白い顔で、髪をバサバサとゆする。
この近辺にホテルらしいホテルは無く、さりとてあまりここを離れることもできない……苦肉の策だった。
「……さて、俺たちもそろそろ起きよう。ほら、黒蜜」
おもむろに俺に抱き着いて眠る黒蜜の肩をゆすった。四本しかない土管を分ける時、黒蜜は真っ先に俺と一緒になりたがった。体温の高い黒蜜は、寒い土管の中では実にありがたい存在だった。
「うう~ん」
黒蜜は唸るばかりで起きようとしない。だが、妙に抱き着く力が強いのは気のせいか……?
見かねたアプリコットが、土管の前にしゃがみ込む。
「ほら、さっさとなさいな。このブラコン警察官!」
「誰がブラコンっすか!」
うわっ。突然黒蜜が跳ね起きた。
「何だ黒蜜、起きてたのか。ほら、もう朝だぜ」
「あ、は、はい。おはようございます……」
「さて、みんな起きましたね。では、本日の作戦を始めましょうか」
ウィローが髪を結いながら言った。あのあと戻って来た俺たちは、今後どうするかを話し合った。昨日の今日で同じ通路に戻るのはさすがにまずい。だが、他の道を使ったとしても、あの子どもたちと鉢合わせないとは限らない。
そこでひねり出したのが、班を二つに分けることだった。
「では、昨日決めた通り。私、ユキ、ステリア、黒蜜警官が本陣突入、キリー、スー、アプリコット、リルが陽動で動きましょう」
陽動班が見張りの目を引き付け、その隙に俺たち突入組がアジトへ侵入する。これが昨日話し合って決めたことだった。
「この少数をさらに二手に分けるのは、得策じゃないけどね……」
リルが難しい顔で言う。だが子どもたちとやり合わないようにするには、どうしても彼らを別の場所へ引き付ける必要があった。
「今さら言ったってしょうがないじゃない。それより、決まったなら早く行きましょ」
アプリコットに促され、俺たちは腰を上げた。不安はある。戦力が偏り過ぎだ。陽動組にもしもがあれば、突入班も危ない。だが今は、信じて進むしかない。不安をあおっても何の得にもならないからだ。
「……センパイ?どうかしたっすか?」
黒蜜が俺の顔を覗きながら言う。いけない、顔に出ていたようだ。
「大丈夫だ。心配いらないよ」
「そうっすか……」
俺の言葉は黒蜜にではなく、自分に言い聞かせたように感じられた。
「ふっ……よっと!」
バキャン!鉄柵が歪み、ずぼっと抜けた。
「よし……これで」
「陽動組の入り口は確保だね。あとはこの川の上流から突入組がスタートすれば、作戦開始だよ」
リルが地図を見ながら言う。
「いよいよ別行動……うぅ、みんな気を付けてね。わたし、あんまり役に立たないけど、精一杯頑張るから……」
スーは今にも泣きだしそうだった。
「スー、あなたもですよ。陽動隊はこの作戦の要ですが、危険も伴います。細心の注意を払って、引き際を見極めてください」
「はっ、何言ってんのよ、ウィロー。陽動がうまくいかなきゃ、あんたたちの侵入はめちゃくちゃ難しくなっちゃうでしょ?ここはどーんと、期待してますよくらい言っとけばいいのよ!」
「……ふふ、それは頼もしい限りですね」
アプリコットとウィローはキキキッ、と笑いあった。
「じゃあ……そろそろいこっか。みんな、また後でね」
キリーが声をかけると、俺たちは四人ずつ半分に分かれた。次に会う時は、無事に侵入した後だ。
「よし。それじゃあ……」
「……次は両手を頭の上に置いて、跪きなさい」
なに!?冷徹な女の声が聞こえてきた。だが俺たちが動く間もなく、ジャカリと銃を構える音が続く。川岸を見上げれば、黒服の男たちがずらりと並ぶ。いつの間にか、俺たちは囲まれていた。
「無駄な考えはよしてください。あなたたちのためになりませんよ」
再び女の声。しかしこの声、どこかで聞いたことがあるような……
その時、スーの瞳がまあるく見開かれた。
「ッ……レスさん!?」
え?俺たちに拳銃を突き付けていたのは、浅葱色に、銀縁の眼鏡の女。キリーたちの列車から忽然と姿を消した、その人だった。
「レス!無事だったのか!」
「ええ、おかげさまで。……っと、動かないでください。失礼ですが、私はあなた方を信用しておりません」
なんだと?俺たちを信用してない?
「どっ、どういう意味よ!同じ鳳凰会の人間が信用できないっての!アンタ、この前より性格悪くなって……」
アプリコットの悪態は、途中で尻すぼみになった。彼女の後頭部に、黒金の銃身が突き付けられたからだ。
「おう耳付き。考えてから喋らねえと、脳みそぶちまけることになるぜ」
「あ、アンタ……確か、チョウノメ一家の……」
「ニゾーの、兄貴……!」
そこにいたのは、俺たちがかつて戦った強敵、雷獣ニゾーだった。
「ヒヒヒ……ワタシもいますよ。お久しぶりですねぇ」
「なっ、チャックラック組まで!?」
相変わらず気味の悪い笑みを浮かべるのは、チャックラック組の組長、ファンタンだ。
「ど、どうして鳳凰会の直参が、私たちを襲うのです!」
ウィローが叫ぶと、レスは髪をはらいながら言った。
「簡単なことです。私は、あなた方が鳳凰会を裏切り、マフィアに売ろうと企てているのでは、と推測しています」
「バカな!それはそこにいる裏切り者のことでしょう!」
ウィローはびしっとファンタンを指さした。
「ヒヒヒッ……何も知らずに、小娘がよくしゃべる」
「なんですって!」
「……彼は裏切り者などではありません。鳳凰会がマフィアに襲われてから、彼は人知れず、陰で鳳凰会存続に向けて動いてくれていたのです」
「え……どういうこと、ですか?」
「彼は鳳凰会のスパイとして、マフィアの情報を我々に伝えてくれました。そのおかげで、多くの組が生き残ることができたのです」
そんなことを、ファンタンが……確かにやつは、かつての部下、ボジックに渋々従っていただけだったが……
「ヒヒヒ。ワタシだって、ガラじゃないとは思いますがね。ただ、マフィアに牛耳られるよりは、まだ鳳凰会のほうがマシですから」
「ともかく、彼の活躍は本物です。そして彼が伝えてくれたのが、あなたたちの不審な動向でした」
レスはギリッ、と俺を睨み付けた。
「聞けば、ユキさん。あなたは警察に逮捕されたにもかかわらず、数日で釈放されたそうですね。そしてそこにいる女性、彼女もまた警官だそうで」
突然注目され、黒蜜は居心地悪そうに身をよじった。
「……そうだ。レス、あんたの言ってることは、すべて事実だよ。だが、俺たちは鳳凰会を裏切ってなんかいない。俺たちは、マフィアを倒すために動いているんだ」
「そうでしょうか?表面上ではそう言いつつ、裏で手を取り合っているのでは?アジトへの潜入と、密談のための訪問。どちらも動作としては同じに見えますから」
俺は表情を変えないようにしつつも、内心で驚いていた。俺たちがマフィアのアジトへ忍び込もうとしていることまで知っているのか。
「……どうしてそのことを知っているんだ?いや、そもそもどうして俺たちの居場所が分かった?あの荒野で、尾行は不可能なはずだ」
「簡単です。マフィア側にはまだ私たちの息のかかった者がいます。その者からの情報ですよ。つまりは、あなたたちの動向は、マフィアたちに筒抜けということです」
「なんだと……」
だが、思い当たる節はあった。あの荒野での待ち伏せは、いくら何でもできすぎだ。俺たちの動きが漏れてなきゃ、あの布陣は敷けない。問題は、どうして漏れていたのか、だが……
「……ん?」
一つの違和感が、俺の脳裏に引っかかった。
「どうかしましたか?それとも、認めて観念しますか」
「いや……そのつもりはないな。なんたって、“あんたも本気じゃない”んだから」
俺の言葉に、レスはニヤリとほくそ笑むと、銃の引き金に手をかけた。
「ユキッ!」
キリーの叫びと同時に、引き金がカチャリと引かれた。
つづく
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