異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第26話/Visitor
その日は一日、嫌な天気だった。 
「これは一雨きそうですね……」
「そうだな。少し出るのを早めて……」
ドドーン……
ちょうどその時、遠くから地鳴りのような雷鳴が聞こえてきた。大きな雷だな、事務所の壁がビリビリ震えている。
「うぅ~……こっちに来ないといいなぁ」
スーは耳をふさいで、青い顔をしていた。
「ですね……何も“こんな日”に限って」
ウィローはイライラと首を振った。彼女がこんな日と言ったのは、今日はいよいよ上納金を納める日だからなのだ。俺がキリーたちと出会ってから奔走を続けて、やっと今日を迎えられた。思い返せば、あっという間だったような、ずいぶん昔だったような……
この後、メイダロッカ組の上位団体『チョウノメ一家』に金を納めれば、事は全て完了だ。
「降られても面倒ですし、支度を始めましょうか。出れるなら早く出ちゃいましょう」
「う、うん……どうかそれまで、もちますように……」
だがスーの祈りもむなしく、やがて真っ黒な雲から、滝のような雨が降り始めた。時おり、窓の外がピカッと光る。その度にスーは小さく悲鳴をあげていたが、とうとう特大の稲妻が事務所のそばに落ちた。
ドゴオォォォン!
「キャーーー!」
「え、ちょっ、きゃあ!」
どすん。
なんの音かと振り返ると、スーに飛びつかれたウィローが椅子からひっくり返っていた。もんどりうった二人をアプリコットが呆れて見つめているが、彼女の耳はぴったりと伏せられていた。
「いたた……もう、スー。気をつけてくださいよ」
「う、ぅ、う、ご、ごめんね。こ、こしがぬけて……」
「二人とも、大丈夫か?ほら、手を……」
俺が二人に手を差し出したその時だ。
バターン!
「うおっ?」
「え?」
事務所の扉が弾かれる様に開かれた。そこからのぞく空からは激しい雨が降っている。そしてその雨音を背景に、真っ黒な人影が戸口に立っていた。
「よう、邪魔するぜ」
そこにいたのは、鋭い目付きの男だった。浅黒い顔で、黒い長髪を後で縛っている。黒いスーツに黒い空、ずいぶん不吉な男だ。
男は床に転がったスーたちをみると、ギョロリと目をむいた。
「……あ?お前ら、なにやってんだ?」
「あ、もうしわけありません、ニゾーの兄貴!」
ウィローが弾かれたように立ち上がった。
ニゾーの、兄貴?それにこいつ、どこかで見覚えが……あ!思い出した、ここに来たいちばん最初の夜、路地裏でキリーと話していた男だ。うずくまる男を執拗に蹴りつける姿が、鮮明に思い出された。
「兄貴、どうなさったんです?今日は兄貴の、チョウノメ一家の事務所までお伺いさせていただくはずでしたが」
身ぶりを整えたウィローがたずねる。俺はスーに手を貸し、立たせてやった。
こいつ、チョウノメ一家の組員だったのか。そいつが、どうしてわざわざ?
「ま、ちと気が変わってな」
「はあ……なんにせよ、組長をお呼びします」
「あぁ、いい、いい。大した用じゃねぇんだ。わざわざ呼ぶこたねぇよ」
ニゾーは、まるで世間話でもするような口ぶりで言った。
「今日からお前らのシマは、俺たち『チョウノメ一家』が取り仕切ることになった。以降は俺たちの指示に従え。以上だ」
「……は?」
ウィローはあんぐりと口を開けた。きっと俺の顔もあんな感じだろう。
「今なんて……なんと、おっしゃいました?」
「ああ?聞いてなかったのか、ここはウチが仕切るっつってんだよ」
「な……」
なんだそれは。そんなの、はいそうですか、となるわけないだろ!
「ふっ、ふざけ……」
「ねえ、さっきすごい音しなかった?」
ちょうどその時、キリーがひょこっと顔をのぞかせた。
「あっ、キリー!それどころじゃないです、無茶苦茶ですよ!この町の仕切りが、別の組になるとかって……」
「別の組?」
「よう。ウチだよ、メイダロッカ。前々から言ってただろ?いつかこっちで面倒みてやるってな」
キリーはニゾーを見つけると、はっとしたように目を見開いた。
「……では、兄貴のチョウノメ一家が、代わりにわたしたちのシマを引き継ぐということですか?」
「そういうことだ。一応言っとくが、ごねても意味ねぇぞ。この件は本家も了解済みだからな」
「鳳凰会本家が、納得した?」
「ああ。俺が直々になしつけてきた。まさか、本家の決定に口を突っ込みはしないよな?」
キリーはそれを聞くと、黙り込んでしまった。大丈夫か……?
俺が心配して口を開きかけたその時、キリーが顔を上げた。その顔は、笑っている。キリーは不敵に口角を上げた。
「兄貴、いくらなんでも急すぎやしませんか?」
「急なことあるか。これはずっと前から進んでた話なんだよ……昨日やっと許可が下りたがな」
「当事者であるわたしたちを抜きに?いくら何でも、それでは筋が通らないでしょう?」
「……なんか、勘違いしてるみてぇだが」
ニゾーは大股でキリーに歩み寄ると、その胸ぐらをぐいと掴み上げた。
「俺はてめぇと問答しに来たわけじゃねんだよ。とっととここを出ていけっつってんだ」
「っぐ……」
キリーが苦しそうに顔を歪める。ウィローは鉄パイプに手をかけた。
「キリー!きさま、その手を……」
「っ、ウィロー!」
キリーが絞り出すように叫んだ。
「なんてこと、ないよ……へへ。心配しないで、そこで見てて」
まるで懇願するような声に、ウィローはどうしたらいいのか分からなくなって、中途半端な姿勢で固まってしまった。
「そうだぜ、メイダロッカ。何も心配するこたぁ無え。お前はただハイっつえばいいんだよ」
「……兄貴も、人が悪い」
キリーは冗談めかして笑う。だがその時、俺は気づいた。彼女の握りしめた拳が、小さく震えているのことに。その時はじめてわかった。どうしていいか分からない中で、これが彼女の精一杯の強がりだったんだ。
「……ウィロー。落ち着いて、矛を収めてくれないか」
「ユキ!?しかし、このままでは……!」
「ああ。けど極道の世界において、上の言うことは絶対だ。それに噛みつくのは許されない……だろ?」
「……ちくしょう」
ウィローはぎりりと歯を食いしばりながら、鉄パイプから手をはなした。
「ふん。物分かりのいい兄ちゃんじぇねえか。お利巧すぎて、肝まで落っことしちまったようだがな」
ニゾーの軽口は無視して、俺はキリーに話しかけた。
「キリー。ここは言うとおりにしよう」
「……ユキ。でも」
「わかってる。なにぶん、急すぎる話だ。だから、少しだけ時間をもらおう」
「時間だぁ?てめぇ、このガキ。俺を無視しておいて、なめたこと言ってんじゃねえぞ、コラァ!」
ニゾーはキリーから手をはなすと、今度は俺の正面へと立った。並んで立つと、かなり背が大きいことがわかる。ニゾーは上から覗き込むようにガンを飛ばした。
「てめぇ、新入りか?下っ端ふぜいが、知った口叩いていいと思ってんのか?ん?」
「……いいえ。俺はあくまで、組長に向かって言ってるんです」
威圧的な態度で、相手の出鼻を折る。ヤクザの常套句だ。それを知ってる俺は、なめられないよう負けじと男の目をにらみ返した。
「っ兄貴!」
キリーが慌てた様子で口を挟む。
「一日、一日ください!」
「ぁあ?」
「引き払うにしても、少しだけ時間を下さい。明日の夜には、ここを引き渡しましょう。それでいいでしょう、お願いします!」
キリーはばっと頭を下げた。ニゾーはそれを苛立たしげに見下した。
「チッ、トロいこと言いやがる……一日あって、何ができるわけでもねぇくせによ」
ニゾーはポケットに手を突っ込むと、大股で歩き出した。
「一日だけだ。それ以上は一秒たりとも容赦しねえ」
それだけ言うと、ニゾーは扉を乱暴に開け放った。外では雨が激しさを増し、まるで嵐のようだ。ニゾーは荒天を背景に、振り向かずに言った。
「明日の夜にまた来る」
ちょうどその時、稲光りが瞬いたせいで、ニゾーのシルエットは真っ黒な死神のように浮かび上がった。
ニゾーという嵐が去ってからも、事務所の中は騒然としていた。
「あと、一日……」
「キリー、どうするつもりですか!あんな約束してしまって……」
「う……だ、だって」
「ウィロー。あまり責めないでやってくれ、言い出したのは俺だ」
「そうです!ユキ、あなたもですよ!どうしてあっさり諦めて……」
「いいや。俺はまだ、諦めちゃいないさ」
「へ?」
俺はみんなの顔を見渡した。
「まだ一日あるんだ。勝負を捨てるには早すぎる」
「なら、どうして……」
「あそこでごねたって、結局どうにもならないだろ?あいつの、ニゾーの言うことが本当なら、この件には鳳凰会本家も絡んでいる。俺たちがここで文句を言っても、事態は何も変わらない」
「それは……」
そうですけど、とウィローは唇をかんだ。そこにアプリコットが口を挟む。
「ねぇ、けどそれなら、本家に口出しされたらどうしようもないってことじゃないの?ならもう、あたしたちがどうあがこうが無駄なんじゃ……」
「そうだな。けど、この件に待ったをかけられる人が、一人だけいるんだ」
「なんですって?」
アプリコットは怪訝そうな顔をした。本家に対して、反論できる人物……それは、ただ一人。
「本家に物申せるのは、本家だけ。なら、鳳凰会会長に直談判するしかないだろう」
「えぇーっ!?」
みんなの叫びがきれいにはもった。
「あ、あんた正気?相手はヤクザのトップなのよ!そんなことできるわけないじゃない!」
「そうかな。だがニゾーはそうしたんだ。チョウノメ一家にできて、メイダロッカ組はできないなんてことないだろ」
「いやいやいや、そういう問題じゃ……」
「ううん。ユキ、わたしは賛成。それでいこう」
「ええ!ちょ、ちょっとキリー?」
キリーはうん、と固くうなずいた。
「もうこれしかないと思うんだ。兄貴は絶対、一日以上は待ってくれないよ。わたしが本家に行って、なんとかするから」
「バカ、あんた一人で行く気!?」
「そうです!本家に乗り込むんですから、何が起こるかわからないんですよ?私が代わりに行きますから、キリーは……」
「だって!組長が行かなきゃ、話にならないじゃん!それに、事務所を放っておくつもり?ウィローたちはここに残って!」
「ぐ……いや、しかし!」
激しく言い合うキリーとウィロー。俺は二人の横で一つ咳払いをすると、間に割り込む。
「なら、俺がキリーの弾除けになろう」
「え」
「は?」
「キリーの言う通りだ。会長に会うのに、組長がいなかったら話にならない。けど俺も、ニゾーがおとなしく約束を守ってくれるとは思えないんだ。事務所をほっぽらかすわけにはいかないかよ」
「……」
キリーとウィローははぁはぁと息を荒げているが、頭の血が下がったのか、反論しようとはしなかった。
「だったら一番下っ端の俺が、キリーを本家まで護衛するよ。文字通り、命に代えても」
もしも、万が一が起こった時。メイダロッカ組にとってダメージが少ないのは、ウィローより新入りの俺だ。
そして、今回の“挨拶”は、万が一どころじゃ済まないだろう。それこそ、下手すれば……
「俺が、適任だろ?」
切るなら、弱いカードから。極道の世界に限った話じゃなく、世の常みたいなものだ。
俺の言いたいことが分かるのだろう、二人とも何か言いたげだったが、それでも何も言わなかった。
「……分かりました。私たちは私たちで動きます。スー?」
「ウィローちゃん……わかった。わたし、荷物の準備してくるね!」
スーはそういうと、パタパタと駆けていった。去り際に、目元をぐいとぬぐっていた気がする。俺はアプリコットに声をかけた。
「アプリコット。あす一日、いつも通りシノギを続けてくれないか。獣人たちを不安がらせないように。ここでぐらついて、組がダメになったら元も子もないだろ」
スーとアプリコットに残ってもらうのは、こちらの意味合いが大きい。ウィロー一人でも警備は務まりそうだが、シノギとなるとそうもいかない。
「言われなくても、そのつもりよ。あたしは、あんた達がうまく話をつけてくること前提でいるから……絶対、戻ってきなさいよ」
「ああ」
「ユキ。行くなら、今すぐにでも行こう。本家まで行って戻るなら、余裕なんか全然ないよ」
「わかった」
俺は背広を羽織ると、靴ひもを結びなおした。もともと俺は何も持っちゃいないからな。支度も必要ない。
紐を結んでいると、こつ、と誰かの靴が目の前に立った。視線を上げると、それは強張った顔をしたウィローだ。言うべきか言わざるべきか悩むような、そんな表情をしている。
ウィローが口を開いた。
「ユキ……こんなことを言うのも、どうかと思うのですが」
「言っておけよ。いうだけならタダだ」
俺の軽口に、ウィローはくすり、と小さくだけ笑った。
「……キリーを。私たちの組長を、頼みます」
「……ああ。任された」
続く
《次回は日曜日投稿予定です》
「これは一雨きそうですね……」
「そうだな。少し出るのを早めて……」
ドドーン……
ちょうどその時、遠くから地鳴りのような雷鳴が聞こえてきた。大きな雷だな、事務所の壁がビリビリ震えている。
「うぅ~……こっちに来ないといいなぁ」
スーは耳をふさいで、青い顔をしていた。
「ですね……何も“こんな日”に限って」
ウィローはイライラと首を振った。彼女がこんな日と言ったのは、今日はいよいよ上納金を納める日だからなのだ。俺がキリーたちと出会ってから奔走を続けて、やっと今日を迎えられた。思い返せば、あっという間だったような、ずいぶん昔だったような……
この後、メイダロッカ組の上位団体『チョウノメ一家』に金を納めれば、事は全て完了だ。
「降られても面倒ですし、支度を始めましょうか。出れるなら早く出ちゃいましょう」
「う、うん……どうかそれまで、もちますように……」
だがスーの祈りもむなしく、やがて真っ黒な雲から、滝のような雨が降り始めた。時おり、窓の外がピカッと光る。その度にスーは小さく悲鳴をあげていたが、とうとう特大の稲妻が事務所のそばに落ちた。
ドゴオォォォン!
「キャーーー!」
「え、ちょっ、きゃあ!」
どすん。
なんの音かと振り返ると、スーに飛びつかれたウィローが椅子からひっくり返っていた。もんどりうった二人をアプリコットが呆れて見つめているが、彼女の耳はぴったりと伏せられていた。
「いたた……もう、スー。気をつけてくださいよ」
「う、ぅ、う、ご、ごめんね。こ、こしがぬけて……」
「二人とも、大丈夫か?ほら、手を……」
俺が二人に手を差し出したその時だ。
バターン!
「うおっ?」
「え?」
事務所の扉が弾かれる様に開かれた。そこからのぞく空からは激しい雨が降っている。そしてその雨音を背景に、真っ黒な人影が戸口に立っていた。
「よう、邪魔するぜ」
そこにいたのは、鋭い目付きの男だった。浅黒い顔で、黒い長髪を後で縛っている。黒いスーツに黒い空、ずいぶん不吉な男だ。
男は床に転がったスーたちをみると、ギョロリと目をむいた。
「……あ?お前ら、なにやってんだ?」
「あ、もうしわけありません、ニゾーの兄貴!」
ウィローが弾かれたように立ち上がった。
ニゾーの、兄貴?それにこいつ、どこかで見覚えが……あ!思い出した、ここに来たいちばん最初の夜、路地裏でキリーと話していた男だ。うずくまる男を執拗に蹴りつける姿が、鮮明に思い出された。
「兄貴、どうなさったんです?今日は兄貴の、チョウノメ一家の事務所までお伺いさせていただくはずでしたが」
身ぶりを整えたウィローがたずねる。俺はスーに手を貸し、立たせてやった。
こいつ、チョウノメ一家の組員だったのか。そいつが、どうしてわざわざ?
「ま、ちと気が変わってな」
「はあ……なんにせよ、組長をお呼びします」
「あぁ、いい、いい。大した用じゃねぇんだ。わざわざ呼ぶこたねぇよ」
ニゾーは、まるで世間話でもするような口ぶりで言った。
「今日からお前らのシマは、俺たち『チョウノメ一家』が取り仕切ることになった。以降は俺たちの指示に従え。以上だ」
「……は?」
ウィローはあんぐりと口を開けた。きっと俺の顔もあんな感じだろう。
「今なんて……なんと、おっしゃいました?」
「ああ?聞いてなかったのか、ここはウチが仕切るっつってんだよ」
「な……」
なんだそれは。そんなの、はいそうですか、となるわけないだろ!
「ふっ、ふざけ……」
「ねえ、さっきすごい音しなかった?」
ちょうどその時、キリーがひょこっと顔をのぞかせた。
「あっ、キリー!それどころじゃないです、無茶苦茶ですよ!この町の仕切りが、別の組になるとかって……」
「別の組?」
「よう。ウチだよ、メイダロッカ。前々から言ってただろ?いつかこっちで面倒みてやるってな」
キリーはニゾーを見つけると、はっとしたように目を見開いた。
「……では、兄貴のチョウノメ一家が、代わりにわたしたちのシマを引き継ぐということですか?」
「そういうことだ。一応言っとくが、ごねても意味ねぇぞ。この件は本家も了解済みだからな」
「鳳凰会本家が、納得した?」
「ああ。俺が直々になしつけてきた。まさか、本家の決定に口を突っ込みはしないよな?」
キリーはそれを聞くと、黙り込んでしまった。大丈夫か……?
俺が心配して口を開きかけたその時、キリーが顔を上げた。その顔は、笑っている。キリーは不敵に口角を上げた。
「兄貴、いくらなんでも急すぎやしませんか?」
「急なことあるか。これはずっと前から進んでた話なんだよ……昨日やっと許可が下りたがな」
「当事者であるわたしたちを抜きに?いくら何でも、それでは筋が通らないでしょう?」
「……なんか、勘違いしてるみてぇだが」
ニゾーは大股でキリーに歩み寄ると、その胸ぐらをぐいと掴み上げた。
「俺はてめぇと問答しに来たわけじゃねんだよ。とっととここを出ていけっつってんだ」
「っぐ……」
キリーが苦しそうに顔を歪める。ウィローは鉄パイプに手をかけた。
「キリー!きさま、その手を……」
「っ、ウィロー!」
キリーが絞り出すように叫んだ。
「なんてこと、ないよ……へへ。心配しないで、そこで見てて」
まるで懇願するような声に、ウィローはどうしたらいいのか分からなくなって、中途半端な姿勢で固まってしまった。
「そうだぜ、メイダロッカ。何も心配するこたぁ無え。お前はただハイっつえばいいんだよ」
「……兄貴も、人が悪い」
キリーは冗談めかして笑う。だがその時、俺は気づいた。彼女の握りしめた拳が、小さく震えているのことに。その時はじめてわかった。どうしていいか分からない中で、これが彼女の精一杯の強がりだったんだ。
「……ウィロー。落ち着いて、矛を収めてくれないか」
「ユキ!?しかし、このままでは……!」
「ああ。けど極道の世界において、上の言うことは絶対だ。それに噛みつくのは許されない……だろ?」
「……ちくしょう」
ウィローはぎりりと歯を食いしばりながら、鉄パイプから手をはなした。
「ふん。物分かりのいい兄ちゃんじぇねえか。お利巧すぎて、肝まで落っことしちまったようだがな」
ニゾーの軽口は無視して、俺はキリーに話しかけた。
「キリー。ここは言うとおりにしよう」
「……ユキ。でも」
「わかってる。なにぶん、急すぎる話だ。だから、少しだけ時間をもらおう」
「時間だぁ?てめぇ、このガキ。俺を無視しておいて、なめたこと言ってんじゃねえぞ、コラァ!」
ニゾーはキリーから手をはなすと、今度は俺の正面へと立った。並んで立つと、かなり背が大きいことがわかる。ニゾーは上から覗き込むようにガンを飛ばした。
「てめぇ、新入りか?下っ端ふぜいが、知った口叩いていいと思ってんのか?ん?」
「……いいえ。俺はあくまで、組長に向かって言ってるんです」
威圧的な態度で、相手の出鼻を折る。ヤクザの常套句だ。それを知ってる俺は、なめられないよう負けじと男の目をにらみ返した。
「っ兄貴!」
キリーが慌てた様子で口を挟む。
「一日、一日ください!」
「ぁあ?」
「引き払うにしても、少しだけ時間を下さい。明日の夜には、ここを引き渡しましょう。それでいいでしょう、お願いします!」
キリーはばっと頭を下げた。ニゾーはそれを苛立たしげに見下した。
「チッ、トロいこと言いやがる……一日あって、何ができるわけでもねぇくせによ」
ニゾーはポケットに手を突っ込むと、大股で歩き出した。
「一日だけだ。それ以上は一秒たりとも容赦しねえ」
それだけ言うと、ニゾーは扉を乱暴に開け放った。外では雨が激しさを増し、まるで嵐のようだ。ニゾーは荒天を背景に、振り向かずに言った。
「明日の夜にまた来る」
ちょうどその時、稲光りが瞬いたせいで、ニゾーのシルエットは真っ黒な死神のように浮かび上がった。
ニゾーという嵐が去ってからも、事務所の中は騒然としていた。
「あと、一日……」
「キリー、どうするつもりですか!あんな約束してしまって……」
「う……だ、だって」
「ウィロー。あまり責めないでやってくれ、言い出したのは俺だ」
「そうです!ユキ、あなたもですよ!どうしてあっさり諦めて……」
「いいや。俺はまだ、諦めちゃいないさ」
「へ?」
俺はみんなの顔を見渡した。
「まだ一日あるんだ。勝負を捨てるには早すぎる」
「なら、どうして……」
「あそこでごねたって、結局どうにもならないだろ?あいつの、ニゾーの言うことが本当なら、この件には鳳凰会本家も絡んでいる。俺たちがここで文句を言っても、事態は何も変わらない」
「それは……」
そうですけど、とウィローは唇をかんだ。そこにアプリコットが口を挟む。
「ねぇ、けどそれなら、本家に口出しされたらどうしようもないってことじゃないの?ならもう、あたしたちがどうあがこうが無駄なんじゃ……」
「そうだな。けど、この件に待ったをかけられる人が、一人だけいるんだ」
「なんですって?」
アプリコットは怪訝そうな顔をした。本家に対して、反論できる人物……それは、ただ一人。
「本家に物申せるのは、本家だけ。なら、鳳凰会会長に直談判するしかないだろう」
「えぇーっ!?」
みんなの叫びがきれいにはもった。
「あ、あんた正気?相手はヤクザのトップなのよ!そんなことできるわけないじゃない!」
「そうかな。だがニゾーはそうしたんだ。チョウノメ一家にできて、メイダロッカ組はできないなんてことないだろ」
「いやいやいや、そういう問題じゃ……」
「ううん。ユキ、わたしは賛成。それでいこう」
「ええ!ちょ、ちょっとキリー?」
キリーはうん、と固くうなずいた。
「もうこれしかないと思うんだ。兄貴は絶対、一日以上は待ってくれないよ。わたしが本家に行って、なんとかするから」
「バカ、あんた一人で行く気!?」
「そうです!本家に乗り込むんですから、何が起こるかわからないんですよ?私が代わりに行きますから、キリーは……」
「だって!組長が行かなきゃ、話にならないじゃん!それに、事務所を放っておくつもり?ウィローたちはここに残って!」
「ぐ……いや、しかし!」
激しく言い合うキリーとウィロー。俺は二人の横で一つ咳払いをすると、間に割り込む。
「なら、俺がキリーの弾除けになろう」
「え」
「は?」
「キリーの言う通りだ。会長に会うのに、組長がいなかったら話にならない。けど俺も、ニゾーがおとなしく約束を守ってくれるとは思えないんだ。事務所をほっぽらかすわけにはいかないかよ」
「……」
キリーとウィローははぁはぁと息を荒げているが、頭の血が下がったのか、反論しようとはしなかった。
「だったら一番下っ端の俺が、キリーを本家まで護衛するよ。文字通り、命に代えても」
もしも、万が一が起こった時。メイダロッカ組にとってダメージが少ないのは、ウィローより新入りの俺だ。
そして、今回の“挨拶”は、万が一どころじゃ済まないだろう。それこそ、下手すれば……
「俺が、適任だろ?」
切るなら、弱いカードから。極道の世界に限った話じゃなく、世の常みたいなものだ。
俺の言いたいことが分かるのだろう、二人とも何か言いたげだったが、それでも何も言わなかった。
「……分かりました。私たちは私たちで動きます。スー?」
「ウィローちゃん……わかった。わたし、荷物の準備してくるね!」
スーはそういうと、パタパタと駆けていった。去り際に、目元をぐいとぬぐっていた気がする。俺はアプリコットに声をかけた。
「アプリコット。あす一日、いつも通りシノギを続けてくれないか。獣人たちを不安がらせないように。ここでぐらついて、組がダメになったら元も子もないだろ」
スーとアプリコットに残ってもらうのは、こちらの意味合いが大きい。ウィロー一人でも警備は務まりそうだが、シノギとなるとそうもいかない。
「言われなくても、そのつもりよ。あたしは、あんた達がうまく話をつけてくること前提でいるから……絶対、戻ってきなさいよ」
「ああ」
「ユキ。行くなら、今すぐにでも行こう。本家まで行って戻るなら、余裕なんか全然ないよ」
「わかった」
俺は背広を羽織ると、靴ひもを結びなおした。もともと俺は何も持っちゃいないからな。支度も必要ない。
紐を結んでいると、こつ、と誰かの靴が目の前に立った。視線を上げると、それは強張った顔をしたウィローだ。言うべきか言わざるべきか悩むような、そんな表情をしている。
ウィローが口を開いた。
「ユキ……こんなことを言うのも、どうかと思うのですが」
「言っておけよ。いうだけならタダだ」
俺の軽口に、ウィローはくすり、と小さくだけ笑った。
「……キリーを。私たちの組長を、頼みます」
「……ああ。任された」
続く
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