異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第24話/Opportunity
ガチャリ。なるべく静かに、事務所の扉を開く。みんなもう眠ってるだろうと思ったのだが、事務所にはまだ人影があった。
「ユキ?帰ったの?」
そこにいたのは、湯気の立つマグを抱えたアプリコットだった。
「アプリコット。きみだったのか」
「まあね。今戻ったところよ。みんなは先に寝ちゃったけど」
それはつまり、俺の帰りを待っていてくれたのか?俺の視線に気づいて、アプリコットが首を傾げた。
「あんたもコーヒー欲しかった?あたしの分しか淹れなかったけど」
「……いや、遠慮しておくよ。コーヒーを飲むと眠れなくなるタチなんだ」
「ふふ、なにそれ。こどもみたい」
アプリコットはソファにこしかけると、そーっとコーヒーをすすった。
「あちっ!」
アプリコットは目に涙を浮かべて、赤くなった舌をひーひー冷ましている。俺は思わず吹き出してしまった。
「ぷっ、ははは。猫舌、なんだな」
「うるさいわよ!もう……」
アプリコットはプイとそっぽを向くと、マグにふぅーと息を吹きかけた。
「……それで、どうだったの?」
「うん?」
「刺青のことよ。なにか問題はなかったわけ?」
「ああ、そのことか。今のところ、なんの問題もないそうだ」
「今のところ?」
「ん、ああ。次回以降の保証はないって釘を刺されたよ」
「え?それ、大丈夫なの?」
「この通り、ピンピンしてるだろ?心配いらないさ」
「そう……あんたが言うなら、そうなんでしょうけど」
それだけ言うと、アプリコットは口を閉じてしまった。カチ、コチと時計が静かに時を刻む。
「……ありがとね」
唐突にアプリコットが口を開いた。
「へ?何がだ?」
「そうまでしてでも、その子を助けてくれたこと。その子も、あたしたちと同じ“耳付き”なんでしょ?だから獣人代表として、お礼を言うわ」
「そんな、よしてくれよ。その子とはたまたま知り合いだっただけだ」
「普通の人間なら、そうなんでしょうけど。獣人のためにそれをできる人ってのは、まれだわ」
「いや、獣人とか人間とか、そんなの意識してもなかったというか……」
「だとしたら、やっぱり感謝させて。獣人と人間、その差を気にしないのなんて、きっとこの町にあんたくらいよ。あたしたちでさえ、無視することはできてないんだから」
アプリコットは自称気味に笑った。
「ま、小難しいこと言ったけどね。単純に、あたしが嬉しかったのよ……あんたみたいなのが、まだ居たってことが。それだけだから」
おやすみ!言うだけ言って、アプリコットは大股でずんずん歩いていってしまった。彼女が置いて行ったマグから、まだホコホコと湯気が立っている。
「……買いかぶりすぎだ」
俺はこの町に来て日が浅いから、人間と獣人のしがらみに慣れていないんだろう。ただ、それだけのことだ。もし彼女が誤解しているんだとしたら……
「別にいいじゃろうが」
え?
今のは、俺の声じゃないぞ。
テーブルをはさんだ向こう側、マグから昇る湯気の向こうに、誰かが座っている。
い、いつの間に?いや、そもそもこいつはいったい誰だ?
「お、おいあんた……」
「誤解させてやれよ。あのムスメにとっちゃ、お前さんだけがこのごみ溜めの中のヒーローなんだ」
な、なにを……?
その時ふっと、あたりが暗くなった。照明のせいか、俺の目のせいか、視界が明滅する。ともかくその一瞬の間に、目の前の人物の姿は忽然と消えてしまっていた。
「な……なんだったんだ?」
夢でも見ているのだろうか?心身ともにだいぶくたびれてはいる。寝ぼけていたのか?
だが、さっきの少ししゃがれた声は、はっきりと耳に残っている。
「う~ん……?」
くそ、疲れて頭が回らない。あまりに一瞬の出来事だったせいで、自分でも夢か現実か区別がつかなかった。
結局俺は、少ししたらその人のことをほとんど忘れてしまう。だがそいつが言った言葉だけは、不思議と頭の中に残り続けることになるのだった。
翌朝。俺はガヤガヤとした声で目が覚めた。
「なんだ、ずいぶん騒がしいな……」
騒ぎは下から聞こえてくる。何人かの話声と、これはアプリコットか?なにやら忙しく受け答えしている。時折笑い声が聞こえてくるから、緊迫した様子じゃなさそうだ。
俺は寝ぼけ眼をこすりながら階段を下りていくと、そこにはひしめくほどの獣人たちが集まっていた。すごいな、何人いるんだ?
「あ!いたわ!」
そう叫んだのは、兎の耳が生えたバニーガール、レットだ。ということは、こいつらはプラムドンナの従業員?
「レット?なんだってこんなに……」
「ああユキ!あなた最高だわ!」
「うわっぷ。ちょ、レット……!」
俺は飛びついてきたレットの胸に、ぎゅっと抱きすくめられた。突然のことにじたばた暴れるも、レットは興奮して放してくれない。
「ありがとうユキ!あなたは妹の恩人よ!」
「え?ど、どういうことなんだ?」
レットは話を聞かず、飛んだり跳ねたり大はしゃぎだ。ゴムまりのような感触が、俺の顔にグニグニ当たる。そんな俺の姿を、ウィローが冷めた目で見つめていた。
「……不潔ですね」
「待ってくれ、不可抗力だ!どうにかしてくれよ!」
「はぁ……もう!いつまでやってるんですか!離れなさい!」
ウィローにひきはがされて、レットはようやく俺を解放した。
「あん。なんならキスくらいしてもよかったのに」
「バカなこと言ってんじゃねーです、この破廉恥ウサギ!」
「あら、つれない。じゃあ代わりにあなたにしようかしら?」
レットにあごをついとなぞられると、ウィローの顔はみるみる青くなった。
「……とりあえず、レット。落ち着いて、話を聞かせてくれないか」
「あれ?ほんとに知らなかったの?ボスに聞いてない?」
ボス?レットの言うボスっていうと……
「……昨日のことが、もう巷に広まったのよ」
獣人たちの波の中から、アプリコットがぬけ出してきた。
「アプリコット。昨日のことって、チャックラック組とのケンカのことか?」
「そ。昨晩あんたがストリートを突っ走ってるのが見られてたの。もともとあたしたちの間じゃ噂は広まりやすいけど、こんなに早いとあきれるわよね」
「はいはーい!アタシが第一発見者なのよ?」
レットがニコニコと手を振る。そうか、やっぱり目立っていたんだな。
「それでユキを追ってったら、ポッド先生のとこに行くじゃない?それで先生に話を聞いたら、チャックラック組から獣人の女の子を助け出したっていうんですもの。アタシ、感動しちゃった!」
……微妙に話に尾ひれがついてるな。別にチャックラック組から救出したわけじゃないぞ。
「しかもなんとね!その子、探してたあの子だったの!」
「あの子?」
「そうよ!アタシの妹!あの子がそうだったのよ!」
「ええ!ルゥが、レットの妹ってことか?」
「そう!最初はアタシも分からなかったわ、なにせ最後に会ったのは、あの子がこんなに小っちゃかった時だから」
レットは自分の腰のあたりで手を振った。年齢にすると五、六歳くらいか?
「けど、先に気付いたのはあの子だった。あの子、しばらく眠ってたんだけど、目を覚ましてからあたしを見たらね?目を丸くして、おねえちゃん?って……あたしのほうは、顔もほとんど覚えてなかったのに。あの子はずーっと、あたしを忘れないでいてくれたんだわ……」
最後の方の声は震えていた。レットは目元を手で拭った。
「ルゥからいろいろ聞いたの……今までどうやって生きてきたか、どんな辛い目にあったか……そんな中、優しい人に出会って、今もその人に助けられたんだって」
レットはぎゅっと、俺の両手を握った。
「ありがとう、ユキ。あなたがルゥにひどいことしなかったことも、あの子のために必死に頑張ってくれたことも、全部聞いたわ。あなたはあたしたちの恩人よ」
レットは潤んだ瞳で、俺を見つめる。まずいぞ、また話が大きくなっている気がする。
「いや、あれは俺だけとかじゃなくて、みんなでやったことだから……」
「それも十分、承知しております」
そう言って進み出たのは、あのキノという、蛇のようなボーイだ。
「あなた方メイダロッカ組が、チャックラック組に打ち勝ち、我々の同胞のために尽力して下さったことは、この数十日間の間にしっかり見させていただきました。たとえそれが利益のためであっても、そこに確かな誠意を感じたのです。そして昨晩話し合い、我々は決断しました」
キノは突然ひざまづくと、深々とこうべを垂れた。
「今までの非礼、お詫び申し上げます。どうかこれからも、わたくしたちをよろしくお願いいたします」
それに続くように、獣人たちも一斉に頭を下げた。さまざまな色、さまざまな形の耳がずらりとこちらを向く。ど、どうしろっていうんだ。俺に頭を下げられても……
「ふわぁ……なんのさわぎぃ?」
ちょうどそのタイミングで、キリーが頬をポリポリかきながら、階段を下りてきた。よし、
ベストタイミングだ!
「……組長!今のお話、どうお考えですか?」
組長という響きに、獣人たの間に緊張が走った。当の本人は、事態が呑み込めずにきょとんとしていたが。
「ふぇ?」
「いい!と思われますか?」
「う、うん?いいんじゃない?」
「だ、そうだ。組長がおっしゃられたなら、俺にも依存はないよ。よろしく頼む」
俺は片膝をつくと、キノに手を差し出した。
「ありがとうございます。メイダロッカさま、ユキさま」
キノも俺の手を握る。俺たちが握手を交わすと、獣人たちからどっと歓声が上がった。
「メイダロッカ万歳!」
「ありがとう組長!」
「組長、感謝します!」
獣人たちの熱烈な声にも、キリーは目をぱちくりするだけだった。
あれからしばらく。メイダロッカ組は、火を吹くような忙しさに駆られていた。
「よし。アプリコット、今日の分はしめ終わったよ」
「ん、わかったわ。そこに置いておいてちょうだい」
アプリコットは赤ぶちのメガネをくいっとかけなおすと、再び帳簿と向き合った。
「悪いな、いつもまかせてしまって」
「ホントよ、たまには代わってもらいたいもんだわ」
「……すまない」
「冗談よ。ま、あたしもやりたくてやってることだしね。これで一人でも獣人が救われるなら、安いもんだわ」
「そうだな。みんなもずいぶん暮らしやすくなったって言ってくれてるよ」
「なら、“組合”を立ち上げたかいがあったわね」
そうだ。あの日、レットたちが事務所に押し掛けてからずいぶん経った。俺はその時のことを思い出していた。
俺がルゥを救い出してから、獣人たちはメイダロッカ組に絶大な信頼を寄せるようになった。なかでも俺は、少女を悪の手から救ったヒーロー扱いだ。くぅ、むずがゆくって仕方ない。だが何度説明しても、獣人たちのまなざしが衰えることはなかった。
「……これはチャンスね」
「むぇ?ごくん。アプリコット、なんのこと?」
キリーがカップ麺をすすりながら話しかける。
「この万年カップ麺生活とおさらばする、いい機会ってことよ」
俺たちの今日のメシは、相も変わらず質素なものだった。近所で買える中で、一番安いカップ麺。部屋の片すみには、同じカップがうず高く積み重なっていた。
「まあ確かに、いい加減飽き飽きしてはいますね……スーの料理が恋しいです」
「ウィローちゃん……!」
スーは感激した、というように瞳を潤ませた。
「うぅ~、ごめんね……もう食材がなにもなくって」
「シノギはなんとか軌道に乗りましたが、莫大な利益とは言い難いですしね……上納金の分は何とかなりそうですが」
「おまけにあたしとユキが増えて、五人の大所帯になったわけだもの。言っとくけど、あたしに貯金なんてあるわけないからね、あてにしないでよ」
「うーん……目下の問題はどうにかなったが、それでも安泰とは言えないよな」
「そ。そこで、あたしから提案があるんだけど」
「提案?」
「一発当たれば大儲けの大チャンスよ。この機を逃す手はないわ」
儲け話の予感に、キリーが目を輝かせる。アプリコットは一呼吸おいてから、口を開いた。
「あたしたちの事務所で、会社を興してみない?」
続く
《次回は木曜日投稿予定です》
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