異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-

万怒 羅豪羅

第22話/Dedication


俺は伸びているファンタンのもとへと歩いていった。壁に激突したファンタンはぐにゃりと気絶していたが、流血するほどの傷は見当たらない。これなら死んじゃいないだろう。

「おい、起きろ。おーい!」

「……一発、どついてみますか」

「やめとけって。二度と目覚めなくなるだろ……おい!早く起きた方が身のためだぞ!」

ばしばしファンタンの頬を叩いていると、うぅ、と小さく唸る声がこぼれた。

「うぅ、ぐぐぐ……わ、ワタシはいったい……?」

「お、起きたか。組長さん、俺にぶっ飛ばされたことは覚えているか?」

ファンタンはしばらく、焦点の定まらない目で俺をぼんやり眺めていたが、やがて思い出したようにはっとした。

「な、なにがどうなってるんだ!いきなりワタシは吹っ飛んで……」

ははぁ。こいつ、いきなり襟首を引っ張られたせいで、何が起こったのか分かっていないな。

「まぁ、細かいことはどうでもいいんだ。大事なのは、あんたたちが俺たちメイダロッカ組に負けた、ってことだよ」

「は?ふ、ひひっ、ひははは!忘れましたか!あなた方の事務所には、ワタシの部下が張り込んでいるのですよ!」

ファンタンはこの期に及んで、なおも勝ち誇ったように叫んだ。

「その気になれば、いつでもあなた方のお仲間を血祭りにあげることができます!今この瞬間にも……!」

「ん?ああ。好きなようにすればいいんじゃないか」

「ヒヒヒ……は?」

ファンタンはぽかんと口を開けた。

「いいじゃないか。そうすればアンタたちは、“からっぽのアジト”を蜂の巣にしたトンチキとして、語り継がれる笑い話になれるだろう」

「か、からっぽ?な、なにをでたらめな……」

「そう思うなら、鉛玉でも撃ち込んでみればいい。その間に、俺たちはじっくりアンタとお話しできるってわけだ」

ファンタンは、次第に状況が呑み込めてきたようだ。

「ま、まさか……」

「お見通しだよ、あんたたちが考えそうなことくらい。今あの事務所には誰もいない。人質をとったつもりなら、大間違いだな」

俺の無情な通告に、ファンタンの顔色はみるみる青くなっていった。

「化かし合いは俺たちの勝ちだな。そして今、ケンカにも決着がついたわけだ……知らぬ存ぜぬでは、もう通せないぞ」

俺はボキボキと拳を鳴らした。

「さあ、全部話してもらおうか」

ファンタンは冷や汗をぬぐいながら、あたふたと口を開いたのだった。



「……つまりは、だいたいユキの予想通りだったわけですね」

ウィローはやれやれと言った様子で、肩をすくめた。あれからファンタンはべらべらと、ほとんど休みなく話し続けた。その大半が自分の釈明と命乞いで、聞いてるこっちがうんざりしてくるほどだったが。

「結局あのチラシは、俺たちを釣るエサだったってことだな?」

「ええ、ええ。その通りです。ほとんど嘘っぱちのでっち上げですよ」

「なら、あの写真はどうやって撮ったんだ」

「は?いえ、ワタシは知りませんよ。あのチラシは下っ端どもに作らせたものですから。ワタシはあいつらにメイダロッカ組をおびき出せとしか命じてません。手段と材料は部下が勝手に集めたものです」

「なんだと?じゃあその部下ってのはどこにいる」

俺が一歩詰め寄ると、ファンタンはひいっ、と後退りした。

「わ、ワタシは知りませんよ!仕事が終わった後はあなたがたの迎撃を命じてましたから、どっかで伸びてるんじゃないですか」

「なら、そいつの名前は?俺が探す」

「え、ええ。ボジックという男です。顔に大きな傷がある……」

傷の男……!俺たちが一度ぶちのめした、あの男か!

「あいつだったのか……よし。他に知ってることは?」

「さあ、あまり詳しいことは。ただ、このあたりではたまに女がまとまって売りに出されることがあるんです。もしかしたら、今回もそれなのかも」

「そんなことが……じゃあ、女たちは全員買われたのか?」

「さぁてねぇ。投げ売りされるくらいだったら、そこまで上玉はいないんじゃ……あ、あくまで、一般的な意見ですよ!もし興味がおありなら、実際に行ってみたらどうですか?」

「場所、知ってるのか」

「ええ。ただ、本当にそうとは限りませんよ?仮にそうだとしても、連中にだって足は生えてるでしょうし……」

「かまわない。教えろ」

俺が詰め寄ると、ファンタンは慌ててある方向を指差した。

「ぶ、ぶら下がり横丁沿いに、ベースボードっていう潰れた店があるんですがね、そこの地下が会場だったってことです。ここを出てから、北へまっすぐ行けば見えてくるはずですよ」

ベースボード……そこへ行けば、ルゥの手掛かりがつかめるかもしれない。

「……ユキ。聞きたいことは聞けましたか?」

今まで黙っていたウィローが、静かに口を開いた。

「あ、ああ。すまないウィロー、俺は十分だ」

「わかりました。私もそれほど用件はないので、手短に済ませましょう」

ウィローはコンコン、と鉄パイプで床をたたくと、ファンタンの前に仁王立ちした。

「ずいぶん気前よくベラベラしゃべっていましたが、ファンタン組長。それは、今後メイダロッカ組に反発する気はないからと捉えてよろしいですか」

「ええ、ええ。もちろんです!洗いざらい全部吐きましたし、これからは大人しくさせていただきますから……」

ファンタンは調子のいいことを並び立てたあと、言葉を一区切りした。

「なんて、言うわけないでしょう?」

なに……!?こいつ、まだ足掻く気か!俺が身構えるのを見て、ファンタンは大げさに両手を振り上げた。

「誤解しないでください。抵抗する気はありませんし、もうこちらにカードは残ってないですよ……ですが、まだ勝負は捨てておりません」

「勝負?」

「この場合は文字通り、“命”ですな。そこの青髪のお嬢さん、ワタシが用済みになったら、ワタシを殺すつもりだったでしょう?」

え?話を振られたウィローは、素知らぬ顔で肩をすくめてみせた。それを見たファンタンは不敵にニヤリと笑う。

「確かにワタシは情報を提供しました……ですが、それが必ずしも真実とは限りませんよ?」

「おまえ……!嘘をついたのか!」

「いいえ。すべて真実です……ですが、こうして口で言うことに、何の意味がありますか?結局のところ、行って確かめてみなきゃわからないことです」

ファンタンはスーツのホコリをぽんぽんとはらうと、まるで明日の天気でも話すような口ぶりで言った。

「つまるところ、ワタシを生かしておいたほうがいい、ということです。もし嘘だったら戻ってきて問い詰めなければならない。真実だとしても的外れだったなら、もう一度情報を探る必要があるでしょう?今ワタシを殺してしまえば、それらすべては永遠に闇の中だ」

「……この状況で、お前に交渉権があると思っているのか?」

「いいえ。ただ、あなた方に問いかけてるだけです。どっちのほうが、あなたたちにとって賢い選択なのかを、ね」

な、なんて口の減らない男だ。ウィローもさすがにあきれたようで、はぁとため息をついた。

「よくもまあ、ぬけぬけと……わかりました。見逃しますよ」

「ウィロー、いいのか?」

「ええ。かえってこれくらい図々しいほうが信用できます。少なくとも生き残るという一点において、嘘は言ってなさそうですから」

それはまあ、その通りだな。ファンタンは俺たちが承諾したのを見て、大げさにお辞儀をした。

「ありがとうございます。さすが、話が分かる方たちだ」

「チッ。お前がアプリコットにした仕打ちを考えれば、腕の二、三本へし折ってやりたいところだがな」

「おっと。言い訳がましいですが、それもワタシはほぼ関与してないですよ」

「は?だって、お前たちが」

「ええ。呼びつけていたのは認めますが、彼女を嬲っていたのは主に幹部連中、とくにボジックが熱心でした。彼はあの娘をたいそう気に入っていましたから」

あの傷男……次に会う時は、ただでは済ませない。

「ちっ……とりあえず、アプリコットに直接手を出してはいないってことは信じてやる。彼女も復讐は望んじゃなかったからな」

「どうも。第一、あの“墨”を知っていたら、股を開かせようなんてことは……」

「なに?」

「ああ、いえ。それより、他はもういいですかね?行くなら早く向かった方がいいかと思いますが」

くそ、お前に言われなくてもそのつもりだ。ウィローに目配せすると、彼女もこくんとうなずいた。

「ユキ。ここは任せて、あなたは行ってください」

「ああ……きみは、ウィロー?」

「私はまだやっとくことがあります。彼を見逃すとは言いましたが、タダで解放するとは言ってません。それなりの“誠意”を見してもらわないと」

ウィロー意地悪く笑うと、ファンタンはぐっと顔を歪めた。災難なヤツだ。あまり同情はしたくないが。

「わかった。すまない、あとは任せる」

「ええ。むしろあなたが十分気を付けてください。罠とも限りません」

俺はうなずくと、きびすを返して部屋を後にした。



「ベースボード……ここか」

ウィローと別れてからしばらく。
俺がやって来たのは、つぶれた小さなゲームセンターのような場所だった。あちこちにゴミが散らかっていて、不良の溜まり場かなにかにでもなっているのだろう。
地下室への入口は、カウンターの奥に隠されるように口を開けていた。照明のスイッチを入れると、黄ばんだ光が地下までの階段を照らす。俺は慎重に足を進め始めた。しかし、階下へ降りるほど、ゴミが腐ったような不快なにおいが強くなっていく。この下はいったいどうなっているのだろう。
階段を下り切ると、仕切りも何もない部屋への入口がぽっかりと開いていた。そこから中を覗きこむと、室内には汚れた毛布があちこちに散乱していた。最近まで人がいたのだろうか、所々に空き缶や弁当ガラも転がっている。においの原因はこれだな。
隅から隅まで見渡していると、とある一点に目が止まった。部屋の端に、毛布がわずかに盛り上がった場所がある。そこだけ、なぜか白いはぎれのようなものが散らばっているのだ。

「……確認してみるか」

ここに入るのは、気が進まないが……
恐る恐る、足を踏み入れた。毛布を踏むたびに、何かがその下をゴソゴソとはい回ってる気がする。
近寄るにつれ、白いそれは糸のような塊ということが分かった。真っ白で、細い……これ、髪の毛じゃないか?
俺は嫌な予感がして、足早に近づいていく。毛布を掴むと、一呼吸置いてめくりあげた。

「う……!」

そこにいたのは、うつ伏せでボロ布にくるまった老人だった。布の隙間からのぞく体は骨ばかりで、性別も年齢も見当がつかない。不揃いな白髪を見るに、相当な歳のようだが……

「だ、大丈夫ですか?具合が悪いとか……」

俺は恐る恐る声をかける。老人は眠っているのか、返事を返さなかった。ここをねぐらにしてるだけの、浮浪者か何かだろうか?

「うぅ……」

その時、老人が唸り声を上げた。チャンスだ。もしここにずっといるなら、何か話を聞けるかもしれない。

「あの、大丈夫ですか?俺の声が聞こえます?」

「ォ……オニいさん……?」

「え?」

その声は、ひどくかすれていたが、確かに聞き覚えがあった。老人、いや老人だと思っていた人間が、ゆっくりと顔をこちらに向けた。その時初めて、俺はその人の頭に大きな耳が付いているのに気付いた。ま、まさか……

「……ヤッパり。このコエ、あの時のお兄さん……」

「る、ルゥなのか……!?」

にわかには信じられなかった。いや、信じたくはなかったのか。
こけた頬、ボサボサの髪。もはや彼女の面影は、兎の耳くらいしかなくなっていた。極めつけは、その瞳だ。ルゥの深紅だった瞳は、いまや濁った牛乳瓶の底のように、白く褪せている。

「そんな!ルゥ、いったい何があったんだ……!?」

俺はがっくりと膝をつくと、そっとルゥを抱き起こした。彼女の体は紙のように軽い。彼女の頭に触れた拍子に、ずるりと白いものが抜け落ちた。髪だ。あちこちに散っていた白髪は、全てルゥのものだった。そのせいで彼女の髪は、短く、不揃いになっていたんだ。

「えへへ……ごめんナサイ。わたし……汚いでしょ?目がよく見えないから……きれいにできなくって……」

ルゥは白い瞳を、虚空に向けて微笑んだ。視力を失っている……

「ま、待ってろよ、ルゥ!いま医者に連れて行ってやる!もう少しだけ……」

「……それは、ダメです」

ルゥは頭をのそりと動かした。おそらく首を振ったつもりなんだろうが、ほとんど動けていない。

「ルゥ?なにを言って」

「わたし、病気なんです……バイキンを持ってるから……ここに残ったんです……伝染しちゃ大変……」

「ルゥ!おい、しっりしろ!ダメだ、すぐに病院へ!」

「もう、まにあわない……それに……つかれちゃった……」

「ルゥ!」

「さいごに……よかった……」

どうすればいいんだ!
手に触れる彼女の体は、どんどん温度を失っていく。呼吸ももうほとんど聞こえない。少しづつ、まぶたが閉じられていく。

俺は目の前が、だんだん暗くなっていくのを感じた。今まさに、目の前の儚いともしびが消えようとしている。だが、どうすればいい。俺は、病院の場所すら知らない。

それに……彼女は病気を伝染さないために、自らここに残ったんじゃないか。なら、このままにしておくのが、彼女のためなのか……?

彼女は、眠りたがっていた。今できることは、彼女がさみしくないように、そばにいてやることだけだ。俺は静かに、彼女の手を握った……










「……だめだ。そんなことは、俺が、認めない!」

ゴアァァァァ!

瞬間、俺の背から、腕から、彼女と重ねた手から。全身から眩いばかりの紅い光が溢れだした。
な、なんだ。なにがおこってるんだ……?
光は、薄暗い部屋の隅々までを照らし、壁という壁を紅く照らす。
その圧巻の光景に、思わずぎゅっと手に力をこめると、ルゥは体をびくりと震わせた。見ると、紅い光が繋いだ手を伝って、ルゥへと流れ込んでいる。

「これは……」

光を受けたルゥの体もまた、キラキラと光を帯びる。ルゥはゆっくりとまぶたを開いた。

「……おにいさん?」

「ルゥ、大丈夫か!」

ルゥは困惑した表情で俺を見つめている。するとどういうわけか、白く濁っていた彼女の瞳が、再び深紅の輝きを取り戻しはじめたのだ。

「なに、これ……どうして」

どうして、か。
喜びでも、安堵でもない。死が遠ざかって行く事に、まるで怯えたような顔をする少女。俺はそのことが、喉を掻きむしりたいほど切なく感じた。

「ルゥ。俺を一生恨んでもらっても構わない。だけどお前には、生きてもらう」

「お、おにいさん……?」

俺は戸惑うルゥの背中に手を回すと、そのまま抱え上げた。紅い光は、もうほとんどルゥへと流れ込んでしまった。わずかに残った残滓が、部屋をほのかに照らしている。
俺は朝焼けのような朱の中をずんずん横切り、階段をひとっ跳びして夜の町へと飛び出した。

続く

《次回は土曜日投稿予定です》

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