異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-

万怒 羅豪羅

第9話/ Lion


「獅子。力、威厳の象徴」

俺の背には、紅と翠で彩られた獅子が浮かんでいた。ぎょろりと見開かれた目、がっ、とむき出しにされた牙。恐ろしげなそれは、まるで絵巻物から抜け出してきたようだ。
しかし、獅子、つまりライオンにしては、なにか変じゃないか。たてがみはくるくると丸まって、尻尾も雲のようにふさふさだ。これは獅子というより……

「唐獅子だ……」
 
「カラジシ?」

「ああ。ほら、日本とか中国とかに伝わる……って、ここに日本はないんだっけ」

俺の説明に、ステリアはきょとんとしていた。こういう時、ここは異世界なんだと痛感するな。頭が痛い……

「ニホンっていうのはよくわからないけど……図柄的にも、獅子の刺青の一種に間違いないと思う。試してみよう」

ステリアはすたすた歩いていくと、ガレージの隅っこに置かれていたドラム缶をカンカン、と叩いた。

「これ、殴ってみて」

「え?大丈夫なのか?」

「へーき。どうせ捨てようと思ってたやつ」

ドラム缶じゃなくて、俺のことを言ったんだが……けど一度くらい試しておかないと、いざというときに困るしな。

「よーし!」

俺は腕をぐるぐるまわしながら、ステリアのところへと歩いていった。

「刺青の力ってのはどうやって使うんだ?」

「背中を意識して、“使おう”と思う」

「……ずいぶん簡単なんだな」

「遠くを見ようとすると、勝手にピントが合うのと同じ。刺青は体に備わった能力を引き出すものだから、手順より、感覚が重要。ほんとは背中じゃなくてもいいけど、慣れないうちは一部位に集中したほうがやりやすい」

「わかった。背中だな……」

俺は目を閉じて、肩甲骨のあたりに熱が集まる様子をイメージした。それと同時に、“力を使おう”と強く意識する。俺に眠る力。筋力だろうがなんだろうが、今の俺を変えてくれる、そんな力を……

ふわっ。
風もないはずなのに、俺の前髪が舞い上がった。また背中が温度を持っている。だがさっきまでと違い、温かく、力のある熱だ。俺はその熱が、全身にみなぎるのを感じた。まるでエネルギーが肌の下に満ち満ちているような、不思議な気分だ。

まぶたを開くと、目の前が仄かに紅い光で照らされていた。見ると、俺の体も全身照らされている。

「うわ……なんだ、これ」

慌てて鏡を見ると、俺の体は紅いオーラを纏っていた。くるりと背中を映すと、そこにはあかく輝く唐獅子が浮かんでいる。

「成功。刺青はきちんと機能している」

ステリアは小さくうなずくと、ぐっ、と親指を立てた。

「お、おお。なんだかすごいな。体の感じは、さっきまでとさほど変わらないけど」

「そのための実験。効果を確かめる」

ステリアは親指でドラム缶を指し示した。

俺は壁際に置かれたドラム缶の正面に立った。ドラム缶はだいぶくたびれているのか、あちこちに錆が浮いている。とはいえ、相手は金属の体だ。俺の力は、どこまで通用するのだろう。

(筋力かぁ。例えば、パンチ一発でめこっとへこんだり、猛烈な勢いでぶっ飛んでいったり……)

もしそうなったら、すごいかっこいいんだけど。
俺が妄想にふけっていると、体から放たれていた紅い光がみるみる弱まっていく。

「集中!気が散ると効果が切れる!」

ステリアの鋭い声で、はっと我に返った。

「す、すまない。よし、やろう」

意識を戻して、拳を構える。ステリアは少し離れたところからこちらを見守っていた。
俺は深く息を吸い込むと、カッと目を見開いた。
いくぞ!

「せいやぁ!」

パゴン!ズズン!

「……うぇ?」

「え?」

俺たち二人はそろってすっとんきょうな声を出した。

ドラム缶は、派手にへこみも、ぶっ飛びもしなかった。

ドラム缶は、俺の腕に“串刺し”にされていたのだ。

「ど、どうなってるんだ?」

「……貫通、した?ドラム缶を、人の拳が?」

俺の腕は肩のあたりまで、ドラム缶に深々と突き刺さっていた。俺が慌てて腕を引き戻すと、貫かれたドラム缶とともに、パラパラと、小石のようなものがいっしょに転がってきた。

「石?なんで石が……」

「あ゛っ」

ステリアがものすごい声を出した。彼女は、ドラム缶が置かれていたあたりを見て、唖然としている。
振り向いて、俺もあんぐり口をあけた。

コンクリートの壁に、三十センチほどの大穴が開いている !俺の拳はドラム缶を突き抜けて、壁までぶっ壊してしまったんだ!

「うわっ、すっげぇ!これは筋肉なんてもんじゃない、怪力だよ!」

目の前の成果に、俺は大はしゃぎだった。脳味噌筋肉でも、ここまですごければ超能力みたいなものじゃないか!
俺が浮かれて小躍りしていると、後ろでカラン、と音がする。満面の笑みで振り返ると、そこにはわなわなと震え、巨大なレンチを握りしめたステリアがいた。
あ、しまった。俺が大穴をあけたのは、彼女の店の壁じゃないか。

「ぶっ壊してやる……!」

「わー!ごめん、わるかった!」

「よくも私の城に傷を……!」

「待てまて、話を聞いてくれ!うおぉ!?」

「問答、むよう!」

ステリアの猛攻に、俺はわめきながらガレージ中を逃げ回るはめになった。といっても彼女はさほど力がないのか、レンチを振るたびに自分も回転しそうになっていたから、見切るのは簡単だ。ステリアが大振りをしてよろめいた隙に、俺はレンチをむんずと掴んだ。

「はぁ、はぁ、ははは。これでもう攻撃できないぞ……」

「ふぅ、ふぅ……は、放して……」

ステリアはなおも手を放そうとしなかった。ならこうだ!
俺は再び意識を集中し、唐獅子の怪力を発動した。そのまま馬鹿力にものを言わせ、ステリアごとレンチをぐいと引っ張り上げる。

「ふははは、これでどうだ!」

「このぉ……へん、たいっ……!」

なんとでも言え。ステリアは宙ぶらりんの恰好で、足をじたばたさせていた。両手でレンチを握っているもんだから、鉄棒にぶら下がっているようだ。
ステリアは顔を真っ赤にして、ぷるぷる震えている。それでも自由な足でげしげし蹴っ飛ばすもんだから、ムキになった俺は逆にゆさゆさ揺すってやった。

「い・い・加・減、放せ~……!」

「っ~~~~!」

お、さすがに限界か?
ステリアはもう堪えきれないというように、くぅ、と小さく漏らすと、ぱっと手を放した。けど着地の仕方が悪かったか、そのままぐらりと体が傾く。

「っ!」

「おっと!」

とっさに細い腰を支えた。

「大丈夫か?気をつけろよ」

「……誰のせいだと思ってるの」

うっ、そりゃそうだ。じと目のステリアが俺を睨む。

「……けど、助かった。ありがとう」

そうつぶやくと、ステリアは俺から離れ、乱れた髪をばさっと整えた。よかった、落ち着いてくれたみたいだ。

「あの、壁のことは本当にすまない。すこしムキになりすぎた」

「いいよ。私も、あれだけの力が出るとは思っていなかった。完全に想定外」

ステリアは不思議そうに髪をなでている。ふ、と思い出したような顔をすると、俺の手を取ってたずねた。

「ケガは?痛みはない?」

「え、ああ。ちょっとヒリヒリするけど、なんともないよ」

「肩は?他のところもへいき?」

「ああ。違和感はないな」

「ふぅん……筋力の増加に加え、頑強さの上昇。やっぱり、獅子の効果には間違いない」

ステリアは俺の背後にまわると、刺青をぺたぺたさわった。

「となると、やっぱりその、唐獅子?なのが理由かな」

「普通とは違うのか?」

「個人差もあるけど、大抵の獅子より効果が大きい。こんなの初めて見た」

ステリアがものめずらしそうに声を漏らす。
ふふふ、なんだか俺が特別な存在になったようで、いい気分だ。

「まあ、前例のない刺青は危険が多いけど、気をつければ大丈夫だと思う」

「え」

「定期的に見せに来て。データを取るついでに、メンテナンスするから」

「お、おい。大丈夫なのか?」

「力にリスクはつきもの。安心して、悪いようにはしない」

正直まったく安心できなかったが、専門家の彼女が言うなら、大丈夫なんだろう。俺は不安を感じながらも、彼女の言葉にうなずいた。

「わかった。きみに任せるよ」

「うん。あ、今回の費用はツケとくけど、壁の修繕費も上乗せしておくから」

「う。あ、ああ。わかった」

俺は再度うなずいた。

「ついでに、壊したドラム缶も運んどいて。裏がスクラップ置き場だから」

「……」

俺は三度うなずくしかなかった。



俺が事務所に戻ると、キリーたちは夕飯の真っ最中だった。あたりにはスープの香りが漂い、広がるのはあたたかな湯気と、ずるずるという音……要するに、カップ麺をすすっているのだ。

「ふぁ、おふぁえり。ユヒのふんふぉあるふぉ」

「キリー、食べてから喋って下さいよ……」

相変わらずだな……けど、ホッとした。いつものふにゃふにゃキリーだ。俺は差し出されたカップ麺を一つ受け取った。
最近になって気付いたことがある。
この世界には“中国”という国は存在しないが、その食文化である“ラーメン”は存在しているのだ。多少の違いはあれど、そっくりな麺料理は至る所にあった。カップ麺はその一つだ。
獣人とか刺青とか、明らかに違うものもいくつかあるけど、基本的に二つの世界はよく似ていた。

「ごくん。それで、どうだった?なんかすっごい音したけど」

キリーが口いっぱいの麺を飲み込んでたずねた。

「音?ああそうか、壁を……」

「壁?」

「あーいや、なんでもない!」

俺は慌てて口をつぐんだ。あの壁代がツケに上乗せされたことは、まだ黙っておこう。ウィローあたりにこってり怒られそうだからな……

「いろいろあったけど、無事に彫ることができたよ」

「おー!どんなの?見せて見せて!」

「うわ。おい!引っ張るなって」

俺はキリーにひんむかれるようにシャツを脱いだ。俺の唐獅子に、みなが感嘆の声をあげる。

「おお!派手な柄だねぇ。ウィローといい勝負だよ」

「そうですね。これほど鮮やかなものは珍しいんじゃないですか。普通はもっと地味ですし」

「へぇ。地味とか派手とかあるのか」

「ええ。黒と灰色だけで出来ていて……実例を見せた方が早いですね。スー、ちょっといいですか」

「ふぇ?な~に?」

ウィローに手招きされ、とてとてとスーが近寄ってきた。

「スー、さっきから気になっていたのですが。あなたお尻のところ、パンツはみ出てますよ」

「えぇ!?」

「よっ」

バサッ。
スーが後ろに気を取られた隙に、ウィローはスーのシャツを上着ごとめくりあげた。

「きゃあぁぁぁ!?」

「これが一般的な刺青です。色が乗る時もありますが、大抵はこんなもんですね」

「へ、へぇ~……」

俺はあくまで、あくまで後学のために、スーの小さな背中をしげしげと観察した。

スーの体はほっそりしていた。が、やせて骨が浮いていたルゥとは違って、健康的な細さだ。なだらかなウエストの曲線が目にまぶしい。
だがその背に刻まれていたのは、スーのイメージからはかけ離れたものだった。

それは、蜘蛛だった。
八方向に伸ばされた糸の上に、毛の一本一本まで表現されたリアルな蜘蛛が鎮座している。その刺青は黒の濃淡だけで描かれていて、色は一切なかった。黒と灰色の線が、スーの白い肌をより一層際立たせている。

そしてまくれたシャツからちらりとのぞくのは……そうか、ピンクか……

「ちょっともう!ウィローちゃん!放してったら!」

スーはジタバタもがくと、ウィローの手を逃れ、大急ぎでシャツをしまった。

「もう!やるならやるって一声かけてよ!」

「だって、言ったらあなた、恥ずかしがって逃げるでしょう」

「うっ、まぁそうだけど……もぉ、お嫁に行けなくなっちゃうよぉ」

スーはしくしくいじけているが、ウィローは知らん顔であまり気にしていなそうだ。
俺はあわれなスーに心の中で謝罪しつつ、ふと気になっていた事をたずねた。

「ウィローが孔雀、スーが蜘蛛か。じゃあキリー、きみの刺青はどんななんだ?」

「へ。わたし?」

「そういわれれば……キリーの墨は見たことありませんでしたね。スー、あなたは?」

「ぅえ?えーっと……あ、わたしもないかも」

三人に見つめられて、キリーはきょとんとしていた。

「あれ、そうだったっけ?」

「ええ、記憶の限りでは」

「うーん、そっか……じゃ、ナイショで」

「えぇ?」

「ふふふ。『秘密はオンナを着飾る宝石だ』って言うでしょ?」

キリーは得意げにウィンクした。

「またあなたは、てきとうなこと言って……」

ウィローは呆れながらも、それ以上追求しようとはしなかった。ちょっと気になるけど、しょうがないか。

「コホン。それより」

場を仕切りなおすように、ウィローはこほんと咳払いした。

「聞き込みの情報をまとめましょう。嬢から“風俗街のボス”について、なにか手がかりは得られましたか?」

「あ」

そういえば、ルゥの話ばかりで、ボスについて全然聞けてなかった。

「す、すまない。ほとんど聞きだせなかった」

ウィローの眉がピクリと動く。俺は取り繕うように慌てて続けた。

「た、たださ。あそこの店は、あまり健全な店じゃないみたいだぞ。俺のとこに来た子は未成年だったんだ」

「ああ、でしょうね。あそこは獣人風俗でしょう。よくあることです」

「……なんだって?」

そんなの当たり前だというウィローに、俺は唖然とした。

「一応、法律上はアウトですけどね。この町じゃ珍しくないです。それにあのあたりは……連中の縄張りでもありますから」

チッ。ウィローは憎々しげに舌打ちした。連中の縄張り?

「まあ、今はそれは置いときましょう。要は、あなたは年端もいかない幼女にあれこれ手を出して……」

「ないからな!断じて!指一本!」

「そうなんですか?せっかくタダだったのに……まあいいです。で、私たちの報告ですが。結論として、ボスの居場所を聞き出すことに成功しました」

「へっへ~ん!わたしが頑張ったんだよ!」

キリーがずずいと胸を張った。スーがパチパチと拍手する。

「すごかったねぇ、キリーちゃん。おじさんがどんなに嫌な顔しても、ぜんぜん遠慮せずに突っ込んでたもん」

「ですね。あんなぶしつけな交渉術はキリーにしかできません。さすがです」

「えへへ~……あれ。ユキ、わたし褒められてるよね?」

「あ、ああ。そうなんじゃないか」

キリーの扱いは、こんな感じなんだな……俺も少しずつ慣れてきた。

「それで、そのボスっていうのはどこに?」

「風俗街にある老舗『プラムドンナ』というショーパブにいるそうです。ただ、かなり偏屈な人らしいですね。それと一つ……」

ウィローは怪訝そうに眉をひそめた。なんだろう?気になることでもあるのだろうか。

「……いえ。すみません、忘れてください。ともかく、一筋縄ではいかない相手だそうですよ」

「うん?そうか……」

しかし……少し厳しいな。そのボスってのが説得できないと、シノギの回転率がだだ下がりだ。
ウィローとの約束は今日いっぱい。これでは、十分な結果とは……

「これで、今後の方針ははっきりしました」

ウィローがきっぱりと言い切った。俺は思わず、つばをごくりと飲んだ。くそ、及ばなかったか……

「その店に行ってみませんか。なんでも、このあたりの風俗店はほとんど仕切っているとか。その方に話を通せれば、“私たちの”シノギも本格的に動くことができるでしょう」

「へ?」

今、私たちって言ったか?それってつまり……

「コホン。まぁ、まだまだ前途多難ではありますが……ひとまず、仮採用ってことにしてあげます。もうしばらく様子を見てみましょう」

「おお、ほんとか!」

よかった、納得させられたか。暴力で稼ぐよりも、こっちの方が何倍もいいよな。キリーも嬉しそうだ。

「実際、結構な額集まったもんね。毎月これだとありがたいなぁ」

「しかし、まだ必要金額には達していません。やはり風俗街を手に入れないと」

ウィローは話をまとめると、ぱん、と手を叩いた。

「ですので、明日は店が開く夕方ごろに、そちらへ行ってみましょう。……こんなところですかね。キリーからは何かありますか?」

「ないよ~」

「では、そういう手筈で。あ、それとユキ、早く食べないと伸びますよ」

「え?あ、しまった」

話に夢中になりすぎて、カップ麺をすっかり忘れていた。くうぅ、ふにゃふにゃだ。

《次回は5/16投稿予定です。》

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