最弱属性魔剣士の雷鳴轟く

相鶴ソウ

158話 初めて言葉にした

「クロト……」


 名前を呼ばれ、俺は目を見開く。
 ここからブルーバードまではそれなりに距離がある。風にすらかき消されそうな弱い一言はとてもここまで聞こえる声量のものではない。だがその声は、俺の耳に届いた。耳が良かったおかげか、それとも物理的概念を超えるような何かが起きたのかわからない。
 でも、この声は……


「どうした? クロト」

「死ンダ人間デモ居タカ? ソンナ顔シテルゾ」


 リン達に答える間もなく俺は振り向き、走り出す。
 ブルーバードの入り口に立つ少女のところまで。疲れをまるで感じない。景色が前から後ろへ流れていく。
 そしてそのまま駆け寄り、抱きしめる。この一ヶ月、どれだけこの日を待ちわびただろうか……


「おはよう……エヴァ……」


 腕の中のエヴァは以前よりもかなり細く、軽い。加えて目覚めたとはいえリハビリも無しに体を動かしたせいかぐったりしている。


「クロト……やっと、話せた!」


 ニコッと笑いながらも目尻からは涙が滲んでいる。
 とはいえ俺も視界がぼやける。涙こそ溢れないが、どれだけエヴァの存在が大きかったかが無意識に体に表れる。


「大丈夫なのか? 急に立ったり歩いたり……」

「大丈夫だよ それより早くクロトに会いたかった」


 エヴァは俺の首に手を回し、ギュッとひっついてくる。
 そういえば俺、エヴァの自殺しかねない勢いに思わず好きだって言ったんだよな。嘘じゃないからいいんだが、やっぱり気恥ずかしいな……


「クロト」

「……ん?」

「ちょっとあっち行こう」


 と、エヴァは少し向こうの丘を指差す。セントレイシュタンへ続く道の途中にある丘で、いつもいい風が吹いているので俺達もお気に入りの場所だ。


「少し揺れるぞ。よっと……」


 エヴァの膝の裏に左手を入れ、背中に右手を回す。そのまま持ち上げ、お姫様抱っこの状態で丘まで歩く。
 さっきも思ったが実際に抱くと本当に軽くなっている。一ヶ月も飲まず食わずで眠り続ければ体重も落ちるだろうが……


「……この一ヶ月、意識はあったんだよ」


 衝撃のカミングアウトで若干焦って足を止めたが、なるべく揺らさないように歩くのを再開する。

「そうなのか?」

「うん、魔石の支えがなくなったせいで弱った身体を魔石の力が戻るまで休ませる為の眠りだったから意識はあったの」

「じゃあ話とか全部聞こえてたのか……?」

「聞こえる範囲の話はね」



 自分の顔が熱くなるのがわかる。多分赤くなっているだろう。ドクターに言われて話しかけてはいたが、本当に聞こえてたのは恥ずかしい……


「……クロト?」

「あ、いや何でもない」


 丁度丘のてっぺんに着いたのでそこに腰を下ろす。お姫様抱っこをしたまま座ったので、俺が胡座あぐらをかき、その上にエヴァを乗せる形になる。
 今日もとてもいい風が吹いている。前から後ろへ通り過ぎる風を全身で受けながら走馬灯のように思い返す。アジェンダとレオの模擬戦、能力不明なアンノウンとの激戦、デルダインの圧倒的力……


「…………ん」


 俺が黙りこくってるとエヴァが首に手を回したまま俺を押し倒し、上に倒れ込む。


「……近くに居れなくてごめん」


 俺の首をぎゅっと締め付けながら曇った声でエヴァが言う。
 右手をそっとエヴァの背中に回し、少しだけ顎を引いてエヴァの頭を視界に入れる。


「大丈夫……それより帰ってきてくれて本当に良かった」

「うん……」


 すごく心地がいい。その小さな体が呼吸で上下するのを、その体温を服越しに右手で感じ、その心地よさに目を瞑る。


「私が眠りに入る時」

「ん?」


 眠りに入る時って言えば……四魔王との戦いが終わった……あ、俺が勢いに任せてしまった所か……


「嬉しかった。こんなに嬉しいこと生まれて初めてだったよ」


 俺が慌てているとエヴァは胸元に顔を押し付けたまま言った。その瞬間俺の焦りや恥ずかしい気持ちはすっと消えた。今まで寄り道こそしたが根本の目的は復讐で“殺し”だった。だが、そんな俺が初めて人の命を助けた。
 物理的な救助ではなく、死を懇願こんがんする者への救済。


「あ、ああ……」

「もしかしてその場凌ぎで言ったの?」


 エヴァがバッと顔を上げる。その目にはただ悲しい色が浮かんでいる。そんなエヴァの顔を左手で抱きしめる。


「大丈夫……愛してる」


 風が吹き抜ける中、俺は再びその言葉を口にする。


「不意打ちは……ずるい……」


 エヴァはより一層締め付ける力を強くしながらも顔は笑っている。そのまま暫くはお互い無言で風を感じた。エヴァの呼吸音や体温を感じながら横になっていると、体がリラックスして脱力できる。


「修行の疲れが消えていくな……」

「……あ、修行といえば」


 エヴァがもぞもぞと動き、うつ伏せで押し付けていた顔を横に向け、喋りやすいように動かす。


「私もただ眠ってただけじゃないんだよ。ネグラ……胸の魔石と融合した私は魔石が見てきた記憶を頼りに、雹術と黒氷術の原理を調べて来たの!」

「雹術って言えば……グラキエースドラゴンと戦った時に出現した盾の?」

「そう、あれはこの魔石から魔力のみを抽出したら使えるみたい。つまり私の魔力よりも膨大な魔力を注ぎ込むことで使えるようになる魔術だったみたい」


 この一ヶ月のうちにエヴァも強くなってたとは。


「とは言っても完璧にコントロールするには試行錯誤しないといけないんだけど……」

「ゆっくりやればいいさ。急いでも碌な事は起きない」

「うん……でも、今勝負したら私の方が強いかもよ?」


 顔を上に上げていたずらっぽく笑う。
 そんなエヴァの頭を撫でながらこの一ヶ月考えていた事を今一度考える。ラプツェラが言っていた計画、そして俺達の考察ではデルダインは向こうにとってもかなり重要駒。それを使ってまで取り返しに来るラプツェラ。
 思えばリブ村から始まり、フロリエルによるエルトリア帝国城下町での『心臓狩り』。テリア山でのリヴァ、フロリエルとの戦闘。ヴァント防衛戦、アイゼンウルブスからブルーバードへ向かう途中の激戦。
 ここまでの旅はいずれも魔族と衝突してきた。
 リブ村を襲撃した犯人に復讐するまで俺の旅は続く。そして幸か不幸か相手も何かしらの理由で俺達を狙っている。
 その旅には危険がつきまとう。死ぬかもしれない。シエラは故郷の真相を知る為、レオは強敵と戦う為、リンリは姉の仇を取る為、リュウは自らに課せられた使命を全うする為……
 じゃあエヴァは? 氷の姫イエロ・プリンセッサに誘った時からエヴァがどうしたいと直接聞いたことは無かった。いつも「一緒に行く」と言ってくれるから、それに甘えていたのかもしれない。
 こんな命懸けの旅に同行させたのも俺の責任。だったら……


「……エヴァ、エヴァはここに」

「一緒に行くよ」

「え……?」


 あまりに即答だったので少し困惑したようにエヴァを見る。


「全てに絶望して、何も考えずにエルトリア学園に入学した私に、希望を見せてくれたのはクロトだよ。私にとってはクロトこそが生きる意味、戦う理由だよ。だから……だから一緒に行くよ」


 少し泣きそうになっていたエヴァの声を聞いて、さっきまでの俺を殴りたい衝動に駆られる。エヴァの記憶を見たばかりなのに……エヴァの気持ちもわからずに……
 グッと歯を食いしばりもう一度エヴァを見る。


「……もしも」

「……?」

「俺の復讐……大魔人への復讐が果たせたら、俺はきっと路頭に迷うと思うんだ」


 復讐からは何も生まれない。これは今までも感じていた事だし、理解もしているつもりだ。


「そうなったらさ、エヴァを……生きる理由にしてもいいか?」

「え……それって……」

「全部終わって、俺もエヴァも落ち着いたら……結婚、しよう」

「…………は、はい」


 耳まで顔を赤くしながらもエヴァは頷く。とはいえ俺も真っ赤だろう。もちろん人生でこんな事言ったこともない。
 思えば出会った時からずっと一緒にいたし、俺は多分ずっとエヴァが好きだった。再び空を見て、エヴァの頭を撫でながら呟く。


「さっきはごめん。エヴァ、ずっと一緒にいよう」

「……うん!」


 その後も暫くそうしていた俺達はエヴァのお腹がなったのを合図に一旦ブルーバードに戻ることにした。一ヶ月間魔力で持ちこたえているような状態だったので、本当は早くなにか食べるべきだったのだが……反省しなければならない。


 その後はエヴァのリハビリだ。
 歩くだけでもフラフラだった為、俺が両手を持って引き、それについてエヴァが歩くといった具合だ。体もすぐに感覚を取り戻し、一時間もしないうちにある程度の動きはできるようになった。
 胸の魔石が作用してるから普通の人よりも機能回復が早いそうだ。


 そして日が暮れる頃には走り回れるほど回復していた。
 よほど眠りから覚めたのが嬉しかったのか、無邪気にも走り回っていると、ある時ポテッと転んでしまう。回復したとは言え、調子に乗りすきたせいか体が動かなくなったのだろう。
 笑いながらもエヴァを膝の上に載せ、もう半分以上沈んでいる夕日を眺める。


「今日の修行サボっちまったな」

「ごめんね」

「いいんだ。俺にとっては修行よりエヴァの方が大事だ」

「だから……」


 膝の上に乗るエヴァは背中をこちらに向け、もたれかかっている状態だ。俺は背中から腕を回している。その腕をエヴァがポカポカと叩いてくる。


「どうした?」

「不意打ちはずるい……」


 しばらく……それこそ日が沈んでからもしばらくそこで座りながら喋っていた。
 この一ヶ月間を埋めるように。アンノウンとの戦いやデルダインとの戦い。その他にもエヴァが見れなかった小さな事まで事細かく……いつの間にか月が頭上を照らすほどの時間。


「冷え込んできたな。部屋に戻るか」

「うん!」


 立とうとするエヴァをそのままお姫様抱っこし、ブルーバードまで歩く。


「あ、歩けるよ!」

「また転んだらどうするんだ」

「だ、大丈夫だよ!」


 真っ暗な夜の中、ブルーバードからは光と騒音が漏れている。相変わらずエリックやビリーが騒いでいるんだろう。


「クロト! 歩ける!歩けるから降ろして!」


 ドアノブに手をかけたところでエヴァが暴れだした。恥ずかしいのか顔を真っ赤にしている。渋々エヴァを降ろし、扉を開ける。
 一気に騒音が溢れ、どんちゃん騒ぎが目に入る。


「酒だ酒ー!」

「なぁお前今日いくら稼いだよ」

「ばかやろー!ここで使い果たすからいつだって無一文よ」

「ギャハハハ、ちげーねぇ!」


 本当に相変わらずだ。


「お、クロ坊! 何ボケっとしてんだ 酒もってこい!」

「あー、わかったから待ってろ!」

「クロト!」


 カウンター席から呼ばれ、見ると〈シルク・ド・リベルター〉の七人とマルス、アジェンダ、リュウ、シエラと、見慣れた面々が居た。
 リンリは店の手伝いであちこち走り回っている。


「リン、昼間は悪かったな」

「いや、いいさ。それに……アイゼンウルブスで忠告する必要もなかったようだったしな」


 異様にニヤニヤしながら俺の肩をトンっと叩く。そういえばゴブリン事件の後、エヴァの事で背中を押してくれたのはリンだったな。


「が、それはそれ、これはこれ。修行は今日サボったから明日二倍な」

「げ……鬼かよ」


 死の宣告をされたが、サボったのは俺だし仕方がない。甘んじて受ける……!


「一旦下の部屋に戻るよ。ヴァラン」

「ああ、終わったら手伝えよ」


 背中に馬鹿騒ぎを受けながら階段を降りる。隣にいるエヴァもどこか楽しげだ。まだ無理をするわけにはいかないので、エヴァは一旦ベッドに寝かせる。


「じゃあ、行ってくるな」

「うん、私も少し休憩したら行くよ」


 部屋に入り、エヴァがベッドに入るのを見届けてから俺はエプロンを腰に巻き、部屋を出る。

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