ロストアイ

ノベルバユーザー330919

春はあけぼの



 春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる――。

 ――おはようございます。皆さん元気ですか。私は不眠で今にも落ちそうです。


『実際、木に一晩中逆さでぶら下がっていれば、通常はオチますけどね』


 そうなのだ。

 私は今、大木の枝にぶら下がっている。しかも、昨日の夕方から約半日。

 暇だからというのもあるけど、森の中は危険なのだ。特に夜。周りの気配を探るのが苦手なので、強硬手段に出た次第である。

 良く蝙蝠とかいるでしょ? 枝の裏が意外と安全なのよ。

 そうして、待っていたわけなんだけど……分かりやすく近づいて来てくれる見知った気配を感じる。思った通り暫くすると、見慣れた白髪で糸目の男が現れた。


「おぉ~い、そろそろ行くよぉ~」


 私の伯父だ。

 唐突に旅に出た日、あれから約5年の月日が経った。……相変わらず開眼するとコワイ人相が売りの伯父である。しかし驚いたことにこの伯父、登場した時と違って思っていたより常識人だった。行く先々で出会った人たちが異常だったとも言えるけど。


「あ、師匠。連絡取れました?」


 話しながら吸着していた枝から足を離す。くるくると回りながら華麗に地面に着地を決めた。軽業師のような身のこなしが楽々と出来るようになったのも伯父の指導とママのスパルタによる基礎があってこそである。

 私と一晩中駄弁っていたうささんも宙に浮きながら降りてくる。……今更だけど何の支えも無く宙を飛んでるぬいぐるみって傍目から見てかなりシュールだよね。


「……その呼び方、やめてほしいって言ってるよね?」
「じゃあ、オジさんで」


 私は最近、勝手に伯父さんを師匠と呼んでいる。

 一緒に旅してて最初の頃は色んな意味で戦々恐々だったけど、この人、実はかなり面倒見がいいと一緒に旅するうちに気付いた。

 嫌々なそぶりは見せるけど私が興味持ったことをさりげなく教えたり、実際に体験出来ることは手助けして様子見してくれるし、ピンチの時は颯爽とどこからともなく現れてどうにかしてくれるし、マジべん……頼もしい限りである。


「それはそれで複雑なんだよねぇ~」
「師匠、我儘ですよ」
「あはは、もうそれでいいやぁ~」


 自分の頭を困ったように掻きながら、諦めた様子で師匠は先に進む。

 ――私は知っている。

 最近、オジさんと言われると気にし始める微妙なお年頃であるということを……。見た目が若々しいため猶更呼び名には敏感なようで。私はと言えばシメシメとそれを利用し、勝手に師匠呼びを定着させようとしている次第だ。


「……それで師匠。ママはなんて?」


 そろそろ連絡が来るだろうなと思っていたタイミングバッチリでの連絡なので内容は察せるけど。一応確認しておかねばなるまい。万が一にも別の用件の可能性も捨てきれないので一応、ね。


「学園で待ってるってぇ~」


 そうか。学園か。


「やっぱり……」


 ……やだな~。


 旅するのって意外と自由気ままで楽しいし、勉強って言っても大体のことはうささんから学んでるし……ぶっちゃけ、わざわざそこまでして通う必要性を感じられないんだよね。うん。


「……行かないとダメかなぁ――」


 嫌そうな顔の私を見て師匠が「ああ、そぉだぁ~」と思い出したかのようにニコリと笑う。分かってます。シュワシュワの飲み物を発見したとかじゃなくて重大な伝言を思い出したってことは。

 ごくり、とシュワシュワの飲み物を飲んだ直後みたいに喉が急激に渇く。……飲みたくなってきたな。若干現実逃避もかねて死んだ目で身構えていると、師匠が無慈悲に告げた。


「――後、来ないと例のアレでお仕置きだってぇ~」
「行きます」


 死んだ目で冷静に即答する私に対し「あはは、相変わらず決断が速いねぇ~」と感心する師匠。生存確率的にこれは仕方がないのだ。苦渋の決断である。

 ――だって冗談じゃない。

 例のアレって、めちゃくちゃ心当たりが多すぎて心の準備も出来ないではないか。お仕置きのヴァリエーションも増えているに違いない……。ぶるり!


「……師匠はどうするんですか?」


 自分の身の安全も心配ではあるけど、私と別れた後の師匠の動向はそれなりに気になっている。結局、最初から最後まで私に付き合わせただけの旅だったし、師匠は師匠で何か目的があったようだけど全く教えてくれなかったし。


「どうしようかねぇ~?」


 私の質問にいつものごとく適当に濁しながら師匠がまた足を動かし始める。やっぱり教える気はないようだ。師匠の背中を追いかけながら師匠から数年かけてやっとのことで聞き出したプロフィールを想い起す。

 師匠は私を預かる前、家を飛び出し自由気ままに放蕩していた。家を飛び出した理由は知らない。旅に出てから一年後のとある日、ひょんなことで気の緩んだ師匠から齎された最初で最後のせっかくのチャンスだった質問をミスり、結局はぐらかされてしまったからだ。

 ……その後何度もリトライしたものの同じ手は通用しなかった。なんとも口惜しい。……交渉材料であったマヨネーズの作り方が先にバレてしまった私が悪いけど。情報は胃袋から引き出すものである。……それはそれとして。

 理由はともかく、師匠が家出してからママが呼びつけるまでは誰とも連絡がつかなかったそうで、それをどうやったのかは知らないけどママが師匠と連絡をつけて久々にやり取りしたらしい。

 強制的にママから呼ばれて仕方なく渋々と我が家に遊びに訪れたときは師匠も私を預けられるために呼び出されたとは思っていなかったみたいで、青天の霹靂だったようだ。

 結局何も分かんないな。むしろママから得た情報併せても現在進行形で家出中の、女の子限定で世話好きの常識的な猟奇的狂人ナンパ野郎という師匠にとって不名誉な称号しか与えられない。字面並べただけならおわまりさんが吹っ飛んでくる肩書である。おまわりさんいないけど。


「…………」


 私が学園に入れば伯父は自由の身だ。また放蕩の旅に出ると思っていたけど……。私が師匠のミステリーについて考え込んでいるのを知らずか、師匠がうっかりぼやいてしまう。あ、ママのミステリーは考えても無駄なので諦めてます。


「マリアに頼み事されてるんだよねぇ……」


 唐突なチャンス到来……!

 出来るだけ師匠から怪しまれないように言葉選びを瞬時にフル回転で思考して選別する。……よし、君に決めた……!


「……ママに何を頼まれたんですか?」


 うんうん唸っていた師匠が私の流れるような質問に、こちらをチラリと確認してすぐに口を開いた。さりげなさを装った私は表面上の気にしてませんよ~、深い意味は無いですよ~な演技も完璧だ!

 ハッハッハッ! 慎重に慎重を重ね、出来るだけ悟られないように自然に質問。いかにも話の流れ的にポロリしやすい聞き方である。これでどうだ……!


「……う~ん。――秘密」
「……そうですか」


 そっかあ……秘密でしたか。

 ……やはりそう簡単には問屋が卸さないようだ。無念。まさかそんなサラッと乙女チックな手法で自然に回避されるとは思わなかったな。その手があったか。機会があれば私も使おうっと。

 しかし伯父の様子を見るからに、ママからの頼み事とやらは相当にヤバい話のようではある。ママからの頼みってだけでも察せるのに、方向性――探しモノとか、どこそこに来てほしいとか、討伐してほしいとか、まあその他色々――すら教えてもらえないとか……これは私は聞かないほうが身のためかな?

 旅をしている途中も時々だけど姿が見えない時があったこと、私知ってるんだよ。……私のレベルじゃ追跡できないから何をコソコソやっていたのかまでは知らないけどね。

 ぽろっと出しちゃったつぶやきで私の空気と話の雲行きが怪しくなり、師匠が話題を変えるように独り言を追加してきた。


「友達いっぱい出来るといいねぇ~」


 ……友達、か。

 色々と私の心を抉ってくる単語である。ほぼほぼ身内しか知り合いが居ないので、たしかに友達関係については問題ではある。……果たして私が普通に友達をつくれるのかどうか。これでもかなり人見知りなほうだし、事務連絡だけとかならともかく、仲良くなるって難しいよね。

 最終的には友達ってなんだろう、友達って本当に必要なんだろうか、ぼっちのほうが気楽なのでは? ってなる未来が……もはや哲学?


「……常識的な知り合いを増やします」
「あはは~」


 ……笑って誤魔化したな。

 話題を間違えて「あちゃー」となって明らかに挙動不審な様子の師匠をじとっとした眼差しで無言で突き刺す。

 師匠も身に覚えがあるのか、もしかして実は師匠の家出も周りの環境の異常性に耐えられなかったから、とかじゃないのかなー?


『類は友を呼ぶという言葉をご存知でしょうか?』


 私が師匠の家出理由について勝手にぴこーんと閃いていると、うささんが会話に割り込んだ。相変わらず余計な一言ばかりの失礼なぬいぐるみである。可愛いデフォルメうさぎじゃなければ師匠同様に細切れになるまで切り刻んでいたところである。


「……それはどういう意味かしら?」


 うささんの思うツボなので、反論で熱くならないように少し息を吐いてから問いかける。私の問いに対して答えは無く、うささんは師匠に聞けとばかりに丸いお手々を師匠に向けた。……くっ、可愛い!

 可愛さに屈した形となり不本意だが、かわりに答えてもらおうと先を進んでいた師匠に標的を変える。私たちの会話を聞いていた師匠は回り込んだ私と目が合うと、不自然にフイッとそっぽへ目線を逸らしてしまった。


「あはは……」


 ――ちょっと師匠?

 ……もしかして、さっき私がした常識的な~の発言のくだりであった師匠の妙に陽気な笑いって、うささんが言ったことと同じことを思ってたからじゃないでしょうね……?

 私の据わった気配を感じ取ったのか、師匠が逸らしていた目線を私にぴったり戻してくれた。視線が本気モードな私に対抗すべく師匠も開眼し、普段稀に見るキリッと一際凛々しい表情で頷いた。


「――大丈夫。ボクも通ったけど、皆が皆マリア達みたいな人じゃないよぉ~?」
「師匠……」


 ……目を合わせてもう一度言ってくれません? 目線が挙動不審なんですが。途中までは表情も雰囲気も凛々しかったのに、最後の方にはもう完全にどうやって誤魔化そうかって表情からしてバレバレです。

 それに結局その言い方だとママと似た人種は必ず居るってことだよね。それ、最終的な結論として私への何の救いにもならないんですけどっ……!?


『――決まりですね。面白い友達が増えそうでなによりです』


 うささんが決定事項であるかのように無慈悲に通告する。いや、誰目線? その面白いって人間性がってことでしょうか、それとも観察対象としてってことでしょうか……?

 どっちであっても考えるのが嫌だ。誰も私が普通の友達をつくれると思っていないんだろうか。……そうだよ。まだ断定するには早い……!


「――まだ決まってないから! 師匠も何とか言って下さい!」


 小さく拳を握ってうささんに反論を試みる。先程の師匠の言い方なら普通の人もいるはずである。私はそれに掛けるしかない。ふんすーと高まる興奮を抑えて師匠にも援護を頼む。なんだかんだで私の味方なはず……!


「……あはは~、頑張ってねぇ~?」


 師匠ぉぉぉおおおッッ!?

 再び向けられた私の視線から華麗に明後日の方向へ目線を逸らし、師匠が最後通告を下す。普通に裏切られたっ! なんてことだ!

 続けて「そのうち良いことあるよぉ~……」と力なく告げる師匠の言葉が心に響きすぎて虚しい。救いはどこにもないと言うのか……。

 ――やめて。

 本当にそれ、フラグにしかならないよ!

 むしろ、積極的にフラグ建築していってるよ!

 ……私諦めないよ! 健全で平穏、素敵な学生生活を満喫するからね!?

 私が決意新たにガッツポージングを決めるものの、師匠からは肩に手を置かれて「気落ちしないでねぇ~」って言われるし、うささんなんて『三日坊主ですね』ってワケ分からんこと言ってるし。それはあれかな? 私の決意は数日で途絶えるとでも? ハッ、上等だわ! 絶対普通の子と仲良くなるんだ……!


「…………」


 あれ。これってフラグに該当するかな。


「『…………』」


 ……しかし学園へ通う前に心がここまで深い大ダメージを負うことになるとは思わなんだ。これは何かの罠だろうか。初めての学校ってワクワクするイベントだった記憶がうっすら残っているのだけど、この記憶はまやかしだったのだろうか……。

 悶々と学校とは何か、友達とは何か、人とは何か、と哲学的かどうかも微妙な議題で頭が埋め尽くされ始めたところであることを思い出す。 

 ……そうだよ。確認しないとな。

 足を止めて、謎の励ましから一向にこちらを振り返らない師匠の後姿に視線で勝手に語り掛ける。師匠はなんだかんだで優しい常識人で、損が多いお人好しだ。だから出来れば、――


「――師匠。学園を卒業したら一緒にまた、旅のお供、していいですか……?」


 ――淀みも隙も無い師匠の先を進む足が止まった。

 早朝特有の淡い森の木漏れ日が振り返った師匠の白髪を光り輝くように魅せ、黒曜石のように鈍く輝く目を少し見開き、微笑を浮かべた師匠は宗教画のように絵になった。


「――――ボクを見つけられるならね」


 たっぷり間をあけて告げられたのはたったの一言のみ。穏やかな慈愛の表情で告げた言葉だったけれど、その一言に、その穏やかに線を引く表情に、……答えの全てが詰まっていた気がした――。

 ――それ以降、何も言わず、振り返らずに、師匠は無言で獣道を歩み始めた。私もそれから何も言えずに黙ってその後ろ姿を追いかけ続けた。先程の光景が、目に焼き付いてしまってどうしても忘れられそうにない。

 拒絶されたわけじゃないけど、回り込んでまで確認するにはまだ、私の覚悟と勇気が足りない。興味本位で踏み込んではならない領域なのかもしれない。

 ……しばらく穏やかに見つめられた後、いつものようにニコリと軽薄な微笑を浮かべて先に進むため師匠が前へ向き直った瞬間、私の高性能な視力がちらっと刹那に見えた師匠の表情は、少し寂しそうに見えた気がした――。

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